自分がいくら不機嫌だからといって、自分の怒りにまかせて他人を怒る、などということは許されません。
人物:新島八重(にいじまやえ)
1845-1932年。陸奥国会津の生まれ。旧姓・山本。兄はのち京都府会議長の山本覚馬。1868年の会津戦争に参加し、新政府軍の大山厳を狙撃して戦線離脱の重傷を負わせた。維新後はキリスト教布教と子女教育に尽力し、同志社女学校(同志社女子大学の前身)設立に貢献。1876年、新島襄と結婚。日清・日露戦争では日本赤十字社の篤志看護婦として活躍。
人物:新島八重(にいじまやえ)
1845-1932年。陸奥国会津の生まれ。旧姓・山本。兄はのち京都府会議長の山本覚馬。1868年の会津戦争に参加し、新政府軍の大山厳を狙撃して戦線離脱の重傷を負わせた。維新後はキリスト教布教と子女教育に尽力し、同志社女学校(同志社女子大学の前身)設立に貢献。1876年、新島襄と結婚。日清・日露戦争では日本赤十字社の篤志看護婦として活躍。