表から見える慎重を裏から見ての不決断という。

人物:山田美妙(やまだびみょう)

1868-1910年。江戸神田柳町(現在の東京都千代田区神田須田町)出身。大学予備門中退。1885年、尾崎紅葉らと硯友社を結成し『我楽多文庫』を創刊。言文一致体による創作を試み、『武蔵野』『夏木立』『蝴蝶』を発表。新体詩、戯曲、評論など幅広く活躍したが、まもなくマンネリズムに陥り、紅葉や幸田露伴の影に隠れた。SF・推理小説作家の加納一朗は孫。