道が窮(きわま)ったかのようで、他に道があるのは世の常である。時のある限り、人のある限り、道が窮るという理由はないのである。

人物:大隈重信(おおくましげのぶ)

1838-1922年。明治・大正期の政治家。肥前佐賀藩士・大隈信保の長男。明治政府の徴士参与職、外国官副知事、大蔵卿、参議などを歴任。明治14年の政変で官職を辞し、1882年に立憲改進党を創設。同年、東京専門学校(早稲田大学の前身)を創立した。伊藤・黒田内閣の外相として条約改正にあたったが、爆弾を投げられて片脚を失う。