企業を経営するのに、危険を恐れすぎて九割九分までの確実性を要求するのは不可である。むしろ多くの人に変わって合理的に危険をおかすことにこそ、企業家の本分がある。

人物:野村徳七(のむらとくしち)

1878-1945年。初代野村徳七の長男に生まれる。幼名は信之助。1904年に父から野村徳七商店を受け継いで証券業を開始、日露戦争後の熱狂相場で巨利を得る。1907年、二代目徳七を襲名。1917年、株式会社野村商店に改組。1922年に設立した野村合名を司令部として、金融財閥を目指した。公共事業や日仏文化協会の創立にも尽力。貴族院議員。