世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい。

人物:久坂玄瑞(くさかげんずい)

1840-1864年。長州藩出身。松下村塾で学び、「晋作の識、玄瑞の才」と並び称され、吉田松陰の妹を妻とした。尊王攘夷の急進派で、品川の英国公使館焼き討ち、下関外国艦船砲撃に参加。1864年、禁門の変に参加。指導部にあって自重、後続の軍を待つ作戦を主張したが、進発論に押し切られる。一軍を指揮するうちに負傷し、鷹司邸内に自刃した。