唯(ただ)皇天后土(こうてんこうど)のわが心知るあるのみ。

人物:江藤新平(えとうしんぺい)

1834-1874年。佐賀藩出身。国学者・枝吉神陽に師事し、脱藩して尊攘運動に参加。維新後は新政府の文部大輔を経て司法卿となり、司法権の独立と司法制度の整備に尽力。1873年、参議に就任。西郷隆盛らと征韓論を唱えたが、敗れて辞職し、民撰議院設立の建白に携わる。1874年、不平士族を率いて佐賀の乱(佐賀戦争)を起こし、捕えられて刑死。