双頭の性 第二十一場 自殺プランナーという仕事。

<目次>
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「だから、言ったでしょう、無駄だって」
久木野は言った。私は久木野を見すえた。
「どうして…あなたがそれを…知ってたの」
久木野は、刑事だから当然でしょう、とは答えなかった。もしそう答えたら、私はいわゆるキレたかもしれなかった。しかし、久木野は私のそういう心理を微妙に感じとったのか、意外にもしおらしくうなずいた。そして言った。
「いいですよ。わかりました。麻々がこうなってしまったことだし、あなたには真実を知る資格があるでしょうね」

それから久木野が話したところによると、桜井は首吊り自殺。
たった1メートルの高さのベッドのポールでも、人は死ねるものだということを実証してみせたという。
場所は自分の住まい。仕事は、風邪をひいたので、と休んでいた。
発見者は彼を見舞った二十歳そこそこの男。その男は合い鍵を持っていた。それもドアを開くためだけでない合い鍵も。
久木野が桜井の自殺を知ったのは、きょうの早朝だと言った。
「なぜそんな時間に、そんな情報を知ることができたの」私は当然の疑念をぶつけた。「誰から、なぜ? あなたが刑事じゃないとしたら、どうして…」
「待ってください、ちょっと待って」久木野が珍しく強引に私をさえぎった。「あなたには真実を知る資格があると言いましたが、その件はいずれまた。まずはもう少し話を進めさせてくれませんか」
「そうだよ」切り裂きメリーが割って入った。「途中でよけいな口をはさむんじゃないよ」
久木野は息を深く吸いなおし、続けた。
「で、それを聞いて私は、このところのトランスジェンダーの自殺との関連性の有無について触れました。アコ、切り裂きメリー、ジョン子、白雪姫、ソニア、そしてトミーについて」
すると、桜井が書き遺したメッセージにも同じ名前が記されていた事実が告げられ、それは桜井の自殺を裏づける傍証ともなった。
「さらにそのメッセージにはですね、大館博は本日、追分のこの山荘の午餐のテーブルでアコの屍衣を纏うであろう。そんなことも書き記されていたというんです。じつは私が大館博に接触していることは知られていましたからね。だから連絡が入ったのですよ、わざわざ私に。アコの屍衣を纏うという言い方が何を暗示しているか、わかるとしたら、それは私しかないだろうと」
わざとゆったりと構えて見せているとしか思えないその口調。
私はいらいらと言った。
「あなたとその話をしたのは誰? 誰なんですか」
しかし、久木野は私の言葉を跨いで微笑んだ。
「以上が、いま私がここにいる理由です」
この説明でよろしいでしょうか、というふうに久木野は私を見た。私の質問はまたも無視された。私がかたい目をしてその視線をはねつけると、久木野はやおら他の三人に目を転じ、ゆったりと続けた。
「私がしたい話はこれだけじゃありません…というか、これからがむしろ本題です。いいですか、私の推論はこうなんですよ。ただし、いまとなっては裏づけようがありませんけどね。いいですね、言いますよ。この午餐の企画も他のトランスジェンダーたちの数々の自殺も、真実は桜井とアコとの共謀、いや、おそらくは黒幕である桜井シェフの単独の仕事で、それを手足となって実行したのがアコ。私はそう思うんですよ。同様に、桜井はアコたちと同じ動機で自殺した、というよりも、アコの煽動する自殺の思想的な源泉、プランナーこそ桜井だった。そう思うんですが、どうでしょうね」
みなさんと言われた三人は、ただ陰気なだけの視線の中に久木野の話を吸収し、反応を消していた。
「すべては桜井さんが考えた…ですって?」私は脳の闇をまさぐった。「ま…まさか…まさか…」
が、次の瞬間、私はわれ知らず腰を浮かせていた。
「い、いいえ…いいえっ。まさかじゃないかも…まさかなんかじゃないのかもっ」
息を忘れ、私はまだなお脳裡に留まる久木野の言葉を反芻した。噛み、呑み、呑み下し。それから肩を落とした。
「ああ! 私は、人を見抜く力は人並以上にあると思ってたけど」唇が意図せずに歪むのがわかった。「そういうことだったのね。アコや麻々の正体といい、桜井さんの実像といい。午餐のレシピも、そういえば、専門家のシェフの発案でなければ、ああは書けっこないわ。アコはたしかに料理本を持ってはいたけど、とてもあんなには…。ああ、私ってなんて間抜けなの。そんなことをいまになって気づくなんて。ほかに遺書には?」
久木野は手帳を閉じた。
「私が知りえたのは、あくまでも新聞に出るレベルのことだけです。ただ、最後の一行はこう結ばれていたそうです。この時を逸する前に、さあ急がねば、と」
「ふふん。なかなか含みのある言葉で終わらせたもんだね、その桜井っていうシェフは」ジョン子が気だるそうに言った。「そのとおりだよ。理性の力だけで死ぬってのはさあ、ほんとに死に時がむずかしいのよ。死に損なうからさあ」
「そう。それでわかった」切り裂きメリーがあとを引き取った。「この午餐は、そのシェフが死ぬためにも必要だったんだ。追分でこれを計画しているからこそ、自分を追い込むことができたんだよ」
「ほう。興味深い話ですね」久木野は切り裂きメリーの方に身をのり出した。「失礼。あなたのお名前は?」
「わたし? わたしは切り裂きメリーってことにしといてよ」
「わかりました。しかし、ひとつ訊いていいですか。どうしてあなた方は、そうやってどんどん死にたがるんです? あ、いや失礼、ぶしつけすぎました」
久木野は以前私がぶつけた怒りを思い出したのか、急いで私を盗み見た。
「そんな話はさあ、もういいわあ。さっきもそこの肉体改造者様と言い争いしたばっかりだしさあ」切り裂きメリーはめんどくさそうに身をよじった。「でも、ひとつだけ言ったげようか。あんた、死ぬのに理由がいるのはさあ、生きていたい気持がまだある証拠じゃない。わかんない?」
「はあ…まあ、そう…そういうことですかね…なるほど…はあ…」
久木野は首を振った。ほんとうにはわかっていないのだろう。私は言った。
「桜井さんの自殺、手伝った者はいなかったんですか。その発見者は死後に来たのではなく、手伝っていちど去り、そしてあとでまた来て驚いてみせたってことは」
「自殺幇助のことを言ってるんですね」
「あなたの追い求めてるテーマでしょ」
「たしかに1メートルの高さでも単独で死ねないことはない。が、ふつうに座ると尻がついてしまう状態では、脚を引っ張ってくれる誰かがいてくれた方が確実に死ねるでしょうね。私もそれは考えました」
「きっと、そうしたんでしょう。発見者の若い男でなくても別の誰かが。自殺に手をかした誰か別の者が」
「な、何を、何を言ってんのさあ。あんた、勝手な憶測を言うんじゃないよ。手を貸した誰かがいるなんて、軽々しく言うんじゃないよっ」
切り裂きメリーが私をさえぎった。目の力で私を押さえつけようとして、ブルーの巨大なつけまつ毛を持ち上げた。
かたく目を閉じていたジョン子も、半眼で私を睨んでいた。白雪姫はそのやりとりを久木野がどう受けとめているのか、すばやく読みとろうとしていた。
「おもしろくなってきた。薫さん、いや大館さん、そのあなたのその勝手な憶測とやらの根拠を聞かせてくれませんか。私の意見にあなたが近づいたとは意外ですね。もしや、この人たちと話したことで何か新たな発見でもあったんですか」
「ええ、ありましたとも。そのとおりよ」
「やめてよっ。やめなさいよっ」ついに切り裂きメリーが叫んだ。「言うべきときがきたら、自分の口で言うよっ」
「ほう」久木野は言った。「どうしたんです、興奮して」
「あなたたちは人の死を間近で覗き、アコの自殺の場合は参加までして、自分の身にも近づいてくる死に慣れようとした。そうじゃない?」私はかまわずしゃべり始めた。「死にたくなる気持はわかるわよ。私も性同一性障害を背負って生きて来ましたからね。だけど、だからってこんな大げさな仕掛けして、まるでお芝居みたいに。私に言わせればね、こんなことをすること自体が死ぬ意志の脆弱さを表してるのよ。死ぬのが怖いのよ、けっきょく。アコもあなたたちも、怖いから群れてるのよ。さっき自分でも言ってたでしょ。死ぬのに理由がいるのは、まだ生きていたい証拠だって。それ、あなたたち自身のことよ。あなたたち、まだほんとうは死に時じゃないのよ。ほんとはまだ生きる努力をすべきなのよ。だからこうして、先に死んだ四人の衣装まで着て、こんな子どもだましな…」
バンッ! バンバン、バンッ!
切り裂きメリーが狂ったようにテーブルを叩いた。
ジョン子も白雪姫も、いっせいに険しく目の壁を築き、私を取り囲んだ。私は、自分の言ったことが、三人の弱点を痛撃したと確信した。ジョン子は、いかつい骨格にひっかかっているだけの金ラメのドレスをいまいましげに引っ張って言った。
「わたしたちの人生を侮辱すると承知しないよっ」
音を立ててテラスに唾を吐き捨てた。白雪姫も叫んだ。
「さもわかったような話はもうたくさん! あんた、それよりこの刑事さんとやらと、さっさと警察に行った方がいいんじゃないの。麻々殺しは隠しようもない事実なんだからさあ!」
久木野は巣穴に身を退いているかのように四人のやりとりを見守っていた。
たしかに、私は言う必要のないことを言ったのかもしれなかった。
生死は彼ら自身のものだ。私には私で、麻々を死なせた現実がのしかかっているというのに。森から現れた四人の人生に口出しする余裕などないはずだった。が、私からすれば、死をいたずらに仰々しいものにしているとしか思えない切り裂きメリーたちに対して、どうしても言っておきたい言葉なのだった。そのことも、私にはわかっていた。
「わたしたち、もう帰りましょう。クソいまいましいったら、ありゃしないっ」切り裂きメリーが私を睨みつけ、椅子を鳴らして立ち上った。「ソニアはどこ?」
ジョン子は首を振り、白雪姫を見た。白雪姫も首を横に振った。切り裂きメリーは腹立たしげに、どさりと再び尻を椅子に落とした。
「うんざり! もう、ほんとにうんざり! 誰かソニアを連れて来てよ。ソニアがいなきゃ、帰るに帰れないじゃない。誰が運転するのよ」
私だってうんざりだった。早く彼らから離れよう。彼らを意識から切り離そう。
「あなたたち、私を道連れにしたかったんでしょうけど、残念だったわね」
そう言い捨てると、私は家の中に向かった。その背中に切り裂きメリーの、ジョン子の、白雪姫の視線が焦げついたことは振り返らなくてもよくわかった。
(騒然としたこの状態の中で、残りのジメンヒドリナートをなんの情緒もなく粗雑に飲んでしまうのもいいかもしれない、その程度のものかもしれない、こんな肉体の終わらせ方なんて)
ふと、そう思った。
「どこへ行くんです」久木野が言った。「屍衣を取りに行くんじゃないでしょうね」
ふり返りもせず私は応えた。死にはしないわ、まだね。

私が外の明るさに慣れた目を暗がりにさまよわせていると、部屋の奥から不意にソニアが現れた。ソニアもそこに私が立っていることを予期していなかったらしい。何秒間か、私たちは呆然と立ちつくしていた。ソニアが先に口を開いた。
「ごめんなさい」か細い、生命力を失ったその声の、さらに後ろに隠れるようにしてソニアが言った。「ほんとにきょうは、ごめんなさい」
私がその目を見ると、ソニアはすぐに下を向いた。ここに現れたときから、すでに感覚を死なせているようなソニアだったが、このいまもソニアの姿から外に向かって発散されているものは何もなかった。貧弱なからだにまとわりついた衣裳の痩せこけた胸元からは、そこで苦労を濾しとってきたかのような肋骨が見えていた。
「あなたの言うとおりよ。いまの話、聞こえたわ。すべて、あなたの言うとおりよ。こんなお膳立てしてみても死ねるものじゃないわ」
「…みんながあなたを待ってるみたいよ」
私はからだをよけた。まるで10センチの隙間をすりぬけるように身をすぼめて、ソニアが私の横を通った。私は肩越しにソニアの陰鬱な背中を見送った。テラスに出たソニアの後ろ手に、新緑をくぐり抜けた六月の光がきらめいた。そこには包丁があった。