双頭の性 第十八場 あのとき死んだのは、このわたしよ。

「リーシの水を飲みながら、あんたは最後に何をすべきか、わかってたんだね」
そのときだった。森の中から突然の声が私を貫いたのは。
私が呆然として首をまわすと、楓の大樹の下にはひとりの女性が立っていた。
だぶついたからだの線にぴったりそった、ライトブルーの足首まであるドレス。巨体と言ってもよかった。その女性は自分が近づく一歩また一歩が、私にどういう衝撃を与えているか知っているかのように、私の反応を見すえながらドレスの内側で太った腿を動かした。
私は何が起ころうとしているのか理解しかねた。眼球を自分の舌で舐めたカメレオンのようなその女性の目を、その目のまわりに1センチ近くも突っ立った、異様なブルーのつけまつ毛を、ただ見つめていた。女性は思わせぶりに歩を運び、テーブルの端まで来ると、私と麻々の死体を交互に眺めおろした。
分厚く盛りあがった、上下が同じボリュームの真っ赤な唇。何か光るものをコーティングしているらしい黒々としたロング・ヘア。たれた頬、たれた顎。ゆるんだ首すじ。鼻の下と顎と頬には、よく見ると無精ひげが突き出ていた。
「わたしの名前は切り裂きメリー。冬山で雪女に抱かれて死んだのはわたしだったのよ」

次に現れたのは、メアリー・ポピンズを思わせる衣裳を着た、すでに感覚を死なせているように無表情なソニア。ソニアは猫背で終始うつむき、自分が存在していることにやっと耐えているという印象だった。
その次に、男の顔に口紅とアイラインを乱暴に使い、骨ばったからだに金ラメのカクテル・ドレスをひっかけたジョン子。ジョン子は六十年代のロックンローラーのように横の髪を後ろに撫でつけ、鼻の先をつんと立てて私を見た。
最後に、浅茅色の着物に朱の帯をしめた白雪姫。白雪姫はわざとらしく内股に歩き、その目の使い方や指先の表情にも、女形の役者と同様に見事につくられた女らしさを演じていた。
四人は森の奥から静かに現れ、葬列のようにひっそりとテーブルに歩み寄り、麻々の亡骸を眺め、自分の死に方と女装して働くときの源氏名を告げた。
正確な年齢はわからないが、四人ともがひからびた声をし、たったいま人の死ぬのを見てきたばかりのような目をして私を見つめた。
「あなたたち…」
自殺したんじゃなかったの、と言いかけて私は言いなおした。
「あのとき死んだのはこのわたしよって、挨拶しにきたんじゃないでしょうね。なんの冗談なの、これは」
四人は切り裂きメリーを中心にして、重い視線で私を取り囲み、そのままおし黙っていた。私は切り裂きメリーを見すえて言った。
「リーシの水を飲みながら、あんたは最後に何をすべきか、わかってたんだね。わざわざ過去形にして、あなたはそう言ったわね。アコが私に遺した手紙の言葉を知っているということは、アコとグルってことね。アコの計画のうち? その扮装、この芝居がかったやり方。いったい何のつもり。私は死ぬ途中なんですからね!」
切り裂きメリーは巨体をひとゆすりしただけで私の言葉をやりすごした。そして他の三人を見まわしながら、上下が同じ厚みの唇をねっとりと開いた。
「この麻々ちゃんはさあ、どう見ても眠ってるんじゃないわよねえ。誰かが殺しちゃったんじゃないかと思うんだけどさあ、どうかしらあ」
こんどは私が黙っていた。昨夜一睡もしなかった目元がチリチリした。荒涼とした翳が心に降りた。私は切り裂きメリーを、ジョン子を、白雪姫を、そしてソニアを見た。だったらどうだって言うの。私は無言で言った。
「かわいそうにねえ。あんたが麻々ちゃんの最後の自由まで断りなしに奪ったのね。ほら、だから、こんなにびっくりしたみたいな顔してる」切り裂きメリーが太った指先で、麻々の左の頬に残っている痣に触れた。「殴ったのね。何があったのさあ、ゆうべ」
四人の視線が私のこれから出てくる言葉に集まった。私には説明する気などなかった。しかし、四人はいつまでも視線をそらさなかった。私が答えるまで、誰かが同じ質問を続けるにちがい。私は仕方なく、できるだけ短く、できるだけ一般化して答えた。
「この子を罰するために頬を打ったら、ひっくり返った。そのとき、打ち所が悪くて死んだ。そういうことよ」
麻々の陰茎を断ち落としたことは言わなかった。なぜなら、言えば、けっして猟奇的な行為ではないのだと、その、ある種哲学的な動機を語らねばならない。しかし、そんな話ができる相手とは思えなかったから。
私がうそをついたのか、真実を語ったのか、嗅ぎとろうとする間ができた。
四人は互いに嗅ぎとったものを見せあった。そして再び視線を麻々に戻すと、棒のようにジョン子が言った。
「裸じゃないだろうね、このシーツの下は」
「そうねえ。きっと裸じゃない?」白雪姫は、完璧に女の口調を模して言った。
「裸になって、あんたたち、何をしてたんだい」ジョン子が言った。
「麻々が男だったってこと、あなた、知ってたのかしら」白雪姫が言った。
「くだらない詮索をぐちゃぐちゃしないでちょうだい」私は四人から顔をそむけた。「そう言うところをみると、あなたたちこそ麻々が男だったってことを知ってたことになるわね」
「この死体に警察がどんな興味を持つことやら」
ジョン子が言った。私も言い返した。
「あなたたち、いったい何しに来たの」
かみあわない、受けとめ手のない言葉が行きかい、うつむいたままのソニア以外の四人の視線が、不規則にぶつかっては離れた。私はいらだちを抑えるために、自分自身を椅子に座らせた。切り裂きメリーも太った尻を椅子の上に落とした。他の三人もそれに従った。
私は口から飛び出しそうになる感情にリーシの水を、いやこの場合はアルコールを浴びせた。そしてその感情を遮断するようにきつく目を閉じた。

六月の光へ、光の発する澄みきった音へと収斂されていたあの気持はすっかり崩れ去っていた。さらに深い生に向かって融け出ていくような、あのときの自分はすでに遠ざかっていた。
「あなたが飲もうとしたそれだけど」白雪姫はつぶし島田に結いあげた髪に手をやりながら、斜めに私を見て言った。「まさか、それ、ジメンヒドリナートじゃないでしょうね」
私は目をあけ、その目をまっすぐに白雪姫に向けた。
「なぜ、あなたには、そうだと言えたの」
「なぜって…あら、あなたって言葉の裏を読むのがお上手なのね」
「なぜなの。あなたはこの粉末がなぜジメンヒドリナートだと?」
「さあ、なぜかしら。そのすてきなオツムで想像してごらんなさいな」
「私がこの薬を携帯してること、知ってるのはアコだけ。あ、待って…それと麻々も。麻々にも話したわ。もし麻々から聞いたのなら、麻々もグルだということになる。この午餐がきょうここで開かれることは、そうか、もしかしたら麻々から聞いたのね」
ぱたり。ぱたり。ぱたり。
破裂音にはほど遠い、切り裂きメリーの肉厚の手のひらが打ち合わされる、間のびした音がした。切り裂きメリーは生きた虫がとまっているようなステージ用のブルーのつけまつ毛を揺らせると、私の方に身をのり出した。
「そんな詮索より、あんたさあ、ほんとに死のうとしてたのお」
「答える気はないわ」
「始末に困った死体から逃げ出すためには死ぬしかない。そう考えたのね。そうでしょう。臆病者よお、それって。やっぱり穴掘った人間って、そういうことなのお。自分で自分を背負えなくなると、いつもどこかへ逃げ出すのねえ」
「逃げられちゃ困るんだよね」鼻の先でジョン子も言った。「あんたには、自分勝手に死なれちゃあ」
私は目を細め、その視線の先端を切り裂きメリーの、そしてジョン子の目の奥に注ぎ込んだ。それから反撃の言葉を口にしようとしたが、その種の感情が行きつく不毛な結論のことを思い、唇をきつく結んだ。吹き出ようとする感情を抑えるために、私は自ら話の行き先を変えた。
「もう一回だけ訊くけれど、あなたたち何しに来たの。誰なの、いったい。死んだ人たちのまねをして、何をするつもりなの」
「そんなことはいいのよ、気にしなくたって。そのうちわかるわよおオ。それよりあんたさあ」切り裂きメリーは、無精ひげのはえているたれた頬を痒そうに掻いた。「初対面の挨拶はこのくらいにしてさあ、そろそろ食事にしようよ。液状化した黄金の生殖細胞。逢う魔が時を飛んだトマト。色魔に捕らわれたロブスターの艶やかな眠り。いちじくと野いちごの謎的要素。すごい名前をつけてくれたもんよね、アコは。どんな午餐になるのか、たのしみだわあ」
緑の奥の梢では、あいかわらず繊細な光と光が触れ合って、さらに細やかな光の粒を散らしていた。私は、自分の意志できょう閉じようとした、最後の、ほんのひとしずくの人生まで思いどおりに運んでいないことを思うと、急にからだの芯がよじりあげられるような憤りに襲われた。私は目を無理やり梢の光に転じた。が、先ほどと違って、光はまったく心に降りそそいでこなかった。私は言葉を凍らせると言い放った。
「料理は、捨てたわ」
「…え?」切り裂きメリーが言った。
「みんなディスポーザーにかけたのよ」
「なんだって」ジョン子が言った。
「冷蔵庫を見りゃわかるわよ」
白雪姫が着物の裾をつまんで席を立ち、内股を素早く動かし、キッチンの方に消えた。椅子に沈み込んだままでいたソニアも目を見開き、上体を起こして白雪姫の帰りを待った。戻って来た白雪姫が切り裂きメリーに言った。
「ないわ。なんにもよっ」
四人がそれぞれに言おうとした言葉を一瞬呑み、互いに視線をからませた。
「どうすりゃいいのお」白雪姫が切り裂きメリーに声ですがった。
「なんて…こと…」ソニアが初めて自分の気持を陰気な声にした。
私は、昨夜料理を捨てたとき、麻々もそういえば過剰ないらだちを見せていたことを思い出した。
「そんなに私の料理をたのしみにしてくれてたなんて、どういうこと?」
四人が私を見返し、やがてひとり、またひとり、私から気持をひきはがした。そのまま沈黙が始まり、ジョン子が白雪姫が、いらいらと何度か姿勢を変えた。
不意をつかれた登場ではあったが、料理を捨てたという事態が四人を揺るがし、心理的にはようやく同じ条件になったのを私は感じた。
「まあ、お酒でも飲んだら」
私はグラスを指した。切り裂きメリーが重い上体を起こして私を見つめ、何秒かしてようやく言った。
「デザートも捨てたの。ねえ、デザートぐらいはあるんでしょ。あの、野いちごといちじくの…いちじくと野いちごの謎的要素はさあ」
「みんな捨てたと言ったでしょ。それより、リーシの水。そうアコの名づけたカルバドス。少ないけどいかが」
切り裂きメリーは溜め息をつき、背を倒し、太った五本の指をグラスに伸ばした。それから注がれたままになっていたカルバドスの香りを嗅いだ。胸の中の思いを追いながら一口すすった。ジョン子もしばらくしてそれにならい、白雪姫は香りを嗅ぐところまでをまねした。ソニアは重そうに瞼をおろし、胸に顎をうずめて動かなかった。
再び沈黙。
ジョン子のいらだった咳ばらい。不安定な沈黙。私が四人を去らせるための言葉を考え始めたとき、切り裂きメリーが口を開いた。
「料理がないということはさあ」そこでいちど言葉を止め、むき出しの目だけをギョロリと動かして他の三人を見まわした。「デザートさえないってことはさあ、みんなにとって、たいへんなことになるのよね。そのことをわたし、いま考えてたのよお」
それから切り裂きメリーは、私を撫で上げるように下から上へと顎を動かして笑い始めた。が、私に向けられた目は、まったく笑っていなかった。