双頭の性 第九場 死の介添え人、現る。

「最後の午餐の用意はできたの」
店に持っていく料理の下ごしらえも終わり、くつろいで、ぬいぐるみの人形たちの衣替えをさせてやっているときだった。電話の声が横なぐりに頬を打った。
その声音のむこうに、私は白に近く脱色した麻々のロング・ヘアを想い、剃った眉の下でむき出しになった、すえた細長い目を想った。麻々からの電話は、最初から会話などする気がないかのように挨拶ぬきで唐突に始まった。
「この間はありがとう」私の方はいちおう挨拶の言葉から始めた。「だけど、最後の午餐って、どうして、あなた、それを知ってるの。アコから私への手紙を盗み読んだってことかしら」
「失礼な人ね。失礼だよ!」
「わざと言ったの。ごめんなさい。でも、どうして午餐のことを知ってるの」
「わたしはたしかに世間の常識なんて唾を吐きかけて歩いてきた。だけど自分を辱めるようなこと、しませんから」
「だから、ごめんなさいって謝ったじゃない。だけど、どうして知ってるの。あなた宛には手紙も遺言も何もないと言ってたように思うけど、この前」
「そのとおりよ。でも、死ぬ何日か前、電話があった、アコから」
「死ぬ前の電話…そうなの。教えてくれない、その電話の話。もし、さしつかえなければ」
「あなたにとって、それが衝撃的なことなのか、朝起きて顔を洗う程度のことなのかよく知らないけど、あなた、そろそろ死ぬんだって?」
「…?」
「どうしたのよ。そうじゃなかったの」
「…午餐のことでは何を聞いたの」
「午餐ね。午餐なんて日本語、そのときまで知らなかったけど。その午餐とやらに、自殺した仲間の霊が集まって、森を見ながら食事をするんだって。それに、あなたまで最後に自殺するんだって」
麻々の声には、例によって顎をしゃくり上げ、目の下端で事態を眺めているような感情の乾きがあった。私も電話のこちらで人工的な胸を反らし、負けずに目の下に麻々の声を見おろして言った。
「そのことをあなた、わざわざ電話で私に話してどうしようっていうの」
「午餐の場所と日時を知りたいだけだよ」
「へえ。なんのために?」
「その午餐に出席しなさいってのが、アコ、石原和彦の遺言といえば遺言だから。わたしが行くからって、料理をふやしてくれる必要はないけど」
「死者だけのパーティにどうしてあなたが来るの。アコは何を考えてたのかしら」
「ねえ、場所は? 日にちは?」
本気だろうか、と私はいぶかった。アコとこの一、二年は衝突していたはずの麻々が、なぜアコの言葉に従う気になったのだろうか。
しかし、私はすぐに気持を切り替えた。麻々と会ってアコとの生活をいろいろ尋ねてみるのもいいかもしれない。
「信濃追分。軽井沢のはずれの。わかる?」
「調べるからいい。住所とか家の名前とか教えてよ」
私は電話を離れ、ハンドバッグを探り、小花模様の表紙の手帳を出した。
「言うわよ」
電話のむこうでメモをし終わったらしい間があって、麻々が言った。
「で、いつの何時から?」
「六月十五日、午前十一時から。だけど、せっかく来るのなら、前日の十四日にしてくれない? 四品を六人分も作るのってたいへんなのよ」
「わたしに包丁を持たせる気? 笑わせないでよ」
からっぽの箱を覗き込んでいるような間ができた。ようやく麻々が言った。
「あなた、自殺するとしたら、どんな方法ですんのよ」
またその話だ。私は立ちはだかるように言った。
「その前に、質問に答えてちょうだい。なんのために、あなたは来る気になったの」
「いいからわたしの方の質問に答えてよ。わたしの質問に素直に答えれば、あなたの聞きたい答も自然とわかるから」
私は妥協することにした。麻々からアコの話を引き出したい以上、ここでこじれるわけにはいかなかった。
「そうね。自殺するとしたら、私は乗り物酔いの薬を選ぶわ。ジメンヒドリナートって成分の」
「ジメンヒドイナ…?」
「ヒドリ、ナート。覚える必要ないわ」
「ジメンヒドリナート。乗り物酔いの薬だなんて、そんな馬鹿な」
「ほんとよ」
「じゃあ、どうしてそんな危険な薬、町で売ってるのよ」
「あなたが心配することじゃないわ。私への答は?」
「乗り物酔いの薬か。ま、いいか。首吊りや手首を切ったりするんじゃなくて、それだったら悲惨じゃなさそうだから」
「何しに来るの。自殺の見物?」
「フフ。わたしの目的はね、教えてあげましょうか。教えないどこうかな」
「ひっぱたくわよ」
「ああ、やっぱり根は男なんだ。最後は暴力に頼りたがる、言葉で解決できなくなるとさ」
「早く言いなさいっ」
「わたしはね、いい、よく聞いてよ、一回しか言わないよ。わたしはね、アコからさしむけられた自殺の介添人よ」
「かい、ぞ、え?」
「アコがあなたを殺すのよ、けっきょく」
自分の吐いた言葉の毒が沁みていく間を待つように、そのまま麻々は沈黙した。私には、麻々がいま電話のむこうで、そこにはいない私をどんな目で見ているか、よくわかった。が、私はそのことなど、どうでもよかった。
自殺したトランスジェンダーたちの背後には、誰か、それを操っている者がいたのではないか。久木野の囚われているその疑問が、それから桜井の言った「アコは四人の生前にレシピを考えていたのではないか」という仮定が、いまはっきりと重なり合って、私の足元を揺らしていた。
およそ一分もたった頃、麻々の自分自身をも小馬鹿にしているような笑い声が受話器を伝わってきた。私は、その笑い声を押し返すように言った。
「アコが、まさか、四人の仲間の手をとって死の国へ導いたんじゃないでしょうね」
笑い声はそれでいちだんと高くなった。視界から色のあるものが消えていった。
「もっとアコの話を聞かせてくれない?」
「わたしはこれから曲づくりで合宿するから、世間のことを持ちこむ余裕なんてないんだよ。じゃあね」
麻々は不意にいなくなった。これまで麻々の声のしていた頭蓋の奥に、アコの声が聞こえてきた。
「リーシの水を飲みながら、あなたは最後に何を口にすべきか、わかっているわね」
私はその言葉が消えてなくなるまで、冷えた視線をすえ続けた。