双頭の性 第八場 レシピどおりに死ね。

<目次>
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追分へ行く日が近づいてきた。
あと一週間。
私はもういちどアコの手紙を読み返し、レシピを確認し、頭の中で段取りを組み立てた。六人分をひとりで、しかも当日は自分自身が食事をし、片づけながら次の料理を作るとなると、前日にかなりの段階まで仕上げておかなければいけない。
午餐の開始時刻は午前十一時と指定があった。つまり、午前中に四、五時間の余裕があるにはある。が、それはどうしても当日に調理する必要があるメイン・ディッシュのためにとっておかなければならなかった。
私は予定を一日早め、前々日に生鮮品を買いこみ、前日の早朝立ちして、昼前に追分に着くという段取りにした。
レンタカーを予約し、そのあと桜井に電話をした。「逢う魔が時を飛んだトマト」と名づけられたスープと「液状化した黄金の生殖細胞」という前菜を作るときに必要な道具、フード・プロセッサーが追分の山荘にあるかどうかを再確認するためだった。ある、との返事だった。ついでに訊いた。
「ゴールデン・キャビアって、買いに行ったら、着色していないキャビアのことだって言うんだけど、ほんとかしら。アコの遺したレシピには、カナダで獲れるサケ科の魚の卵がそうだと書いてあるのよ。どっちがほんとなの」
桜井は即座に答えた。
「北欧では、ランプ・フィッシュの卵を着色してキャビアの代用にすることがある。低予算のパーティなんかでは。それに対して、無着色の豪華なほんものをゴールドでなくてもゴールデン・キャビアと言うんだ。でも、アコの言うことも、もうひとつの正解なんだ。ホワイト・フィッシュの黄金の生殖細胞、まさにゴールドに輝くキャビアがあるんだよ。輸入食品を扱ってる専門店なら置いてあるよ」
桜井は心当たりの店を教えてくれた。それからおもむろに落ち着きはらった声で言った。
「いま気がついたんだけど、ゴールデンと言えば、誰か、その四人の招待客の中に、金の衣裳と金のアクセサリーを身にまとって自殺した人がいたように思うが」
「え?」
「思い出さないか。アコが目を輝かせてその死に方を讃美していた…あの…」
「ああ、思い出したわ。ジョン子でしょ。海に身を投げた。月夜に船を漕ぎ出して…船を…もしかして船ってチコリー…チコリーの葉の船のことじゃないの…チコリーの葉に乗せるゴールド…ゴールデン・キャビア…ゴールドって、ジョン子のことを言ってるんだわ。きっと、そうよ。これ、ジョン子を弔う料理じゃないの」
「そうかもしれない。チコリーに乗ったゴールデン・キャビア。船に乗って、金色に着飾って死んだジョン子。そうかもしれない」桜井も電話のむこうでいつもの思索的な声をいっそう沈潜させた。「液状化した黄金の生殖細胞、と言ったね。じゃあ、液状化とは何を意味してるんだろう。水葬だろうか」
「そ…そうよ、そのことだと思うわ。海に消える魂だもの」
「これはジョン子こと岡野徹に捧げる料理だったんだ」

電話を切ったあと、私は急いでレシピと自殺した残りの三人を結びつける作業にとりかかった。結果は、多少の無理はあるけれど、三人の死がアコの作ったレシピとそのタイトルに符合していた。
「逢う魔が時を飛んだスープ」。
これは黄と赤の二色のトマト・スープだった。スープ皿の中では、黄と赤の縞が逢う魔が時の空のように一瞬の光を鮮やかに放ち、消えていく。ソニアこと尾竹国雄は、たしか太陽の沈んでいく頃にメアリー・ポピンズのように傘をさして、40メートル宙を飛んだのではなかったか。
「色魔に捕らわれたロブスターの艶やかな眠り」。
この料理はロブスターのフルーツ・サラダ添えだった。赤いぶどう、浅緑のぶどう、オレンジ、りんご、コリアンダーの葉の濃い緑、そして真ん中にロブスターの身のふくよかな白。切り裂きメリーこと大木政史は、夏には色とりどりの花の咲く冬山に登り、その白い身を横たえたのだった。
最後に白雪姫こと小林道太。料理は「いちじくと野いちごの謎的要素」。
小林道太は首の動脈に柳刃包丁を突きたて、血を天井にまで噴き上げて死んだということだった。
これは多分、二つ割りしたいちじくの実が肉であり、野いちごのソースはそこからあふれた血液なのだろう。見た目はまさに小林道太の死そのものだった。が、謎的要素についてはわからない。何が謎なのか。死そのものか、死に方が謎なのか。
私は結果を桜井に電話した。
桜井はもはやまったく驚かなかった。それどころか、私の心に片足を踏み入れるかのような声で言った。
「これらの料理が四人の死後にではなく、自殺以前に考えられていたのだとしたら、どうだろう。どう思う」
私はたじろぎ、息を吸いなおし、ようやく言った。
「なぜそんなことを言うの」
「人間を生み出すのは主として動物的な欲望によるけれど、人生をどう終わらせるかは、たいへんに理性的で創造的な作業だ。アコがそれをやったのだとしたら、ある意味すばらしいことじゃないだろうか」
「…てことは…アコが四人の死に方をまずレシピに表現して、あとでそれを自殺という形で表したって言うのね」
「おまけに、大館博にその死の料理を作らせ、その死を食べさせ、そして…」
「…それを…お葬式にする…」
「どうだろう。アコはやっただろうか」
私は痛い風を避けるかのように目を細め、その場に立ちつくした。