双頭の性 第五場 リーシの水を飲みながら、あなたは最後に何を口にすべきか、わかっているわね。

ぐれた、不良の、じじいの女。
欲求不満の、コンプレックスむき出しの。
麻々の吐き棄てた単語が、私の中で生き続けている石原和彦と決して交わることなく、かといって消え去ることもなく、いつまでも私の気持をささくれたままにしていた。
(刑事の言ったことといい、この麻々ちゃんの言葉といい…)
私は手紙に集中することができないまま、薄紫色の封筒を開いた。中からは、封筒と同じ紫色をさらに薄い色にした便箋が十枚近く出てきた。私はまだ雨をよけるには大して役に立たない、葉を繁らせる前の欅の下にからだをすぼめ、手のひらの中で小さく便箋を開いた。

「わたしが死ぬことがあったら、薫ちゃん、この手紙はあなたのところに行くはずよ。お葬式は町内の互助会が中心になってやってくれるでしょう。でも、それはそれ。死んだときの大げさな、偽善的な儀式は大嫌い。わたしはわたし流のお葬式をしたいのよ。あなたにそれを頼むのは、わたしの心の友でもあるし(そうよね)、あなたは料理がとても上手だから。
といっても、わたしの死体を料理してなんて言うんじゃないから安心して。わたしは、とくに年をとってから、飲むことと食べることしか喜びがなくなったの。知ってるでしょ。それで、この世で最後にお食事するとしたら、何がいいだろうかと考えたの。そして、何か月も迷った末に、わたしはわたし流の午餐(ごさん)を思いついたの。
それをあなたに作ってもらって、ある人たちを招いて、日のさんさんと当たる新緑の森のテラスで朝の十一時から食べてほしいのよ。それがわたしのお葬式。いいこと。わかったわね。
じゃあまずメニューを書くわ。
前菜は、「液状化した黄金の生殖細胞」と名づけたわ。
材料は、まずプチ・オニオン二個。これは愛知県の知多半島で穫れるものがいいわね。次にポロネギ。輸入もので高いけど、青いところもちょっと加えてほしいの。その次がチコリー。葉をほぐすと白い船のようになって。これを五個。この船にゴールデン・キャビアを乗せて船出するのよ。ゴールデン・キャビアをチコリーの船に乗せるとき、隣にプチ・オニオンのみじん切りにクリーム・チーズ、プレーン・ヨーグルト、レモン汁を混ぜて、とろとろにしたものを乗せてちょうだい。
小花模様(あなたの大好きな!)の縁飾りのあるお皿に放射状に、花が開いたようにレイアウトするとできあがり。日の輝く森のテラスで最初に口にする料理としては最高よ(まさしく黄金に輝く私の船出よ)。
ワインはカリフォルニアの辛口ワインの最高級品種をあけてちょうだい。オーク樽で熟成された香りが、なんとまあ、バターのようにグラスに満ちるのを」

このような調子で、あと三種類の料理の説明があった。
「逢う魔が時を飛んだトマト」と名づけられた黄と赤のスープ。
魚料理は「色魔に捕われたロブスターの艶やかな眠り」。
デザートは「いちじくと野いちごの謎的要素」。
料理には色彩が躍り、主な材料はすべて産地の指定がしてあった。作り方にも「五分ほど温めるが、煮たって10数えたら火をとめる」とか「厚さは1センチ5ミリに」とか、とても細かい注意事項が添えてあった。
テーブル・フラワーの指定も、「赤をメインに黄と白とピンクで、バラの花を二十四本ほど」としてあった。
「二十四というのはね、覚えてるかしら、わたしがゲイ・ボーイのビューティ・コンテストで優勝した年齢なのよ」
アコがここまで料理に詳しいとは知らなかった。食べるのが好きなことは知っていたが、作る姿は店のためのお惣菜や自分用の簡単な食事のため以外、見たことはなかった。どこでこれだけの知識を得たのだろうか。
最後の一枚の便箋になった。

「あなたはコーヒーが嫌いだったわね、紅茶も。わたしもそう。だから、こうしてほしいの。みんなに最後のお酒をふるまうの。リンゴ酒を蒸留させたブランデー、一般にはカルバドスっていうんだけど、わたしはそれをひそかにリーシの水って呼んでるの。リーシってわかるかしら。わかるわけないわよね。
リーシっていうのは、ギリシャ神話でね、その水を一口飲むと、いっさいの過去を忘れ去るという、忘却の川の名前なの。人生の最後を飾る飲みものにはぴったりのネーミングでしょう? そのリーシの水を飲んでほしいのよ。
リーシの水を飲みながら、あなたは最後に何を口にすべきか、わかっているわね。
それじゃあ、招待してほしい四人の名前を書くわね。
 
白雪姫こと小林道太
ジョン子こと岡野徹
ソニアこと尾竹国雄
切り裂きメリーこと大木政史
 
これまで説明した料理は、つまり、わたしたち二人を含めて合計六人分のレシピになっているということ。だから、テーブル・セッティングも必ず六人分にしてちょうだい。
午餐の場所や、お皿やナイフやフォーク、グラス、あるいは調理道具のことは、あなたにいつか紹介したことのある桜井さん、レストラン『ジュスパン』のシェフの桜井さんに、わたしからだと言って頼んでごらんなさい。必ず力になってくれるはずよ。食材とワインを買うお金、それについては悪いけど、あなたのおごりにしてくれない。死んだあとまで、ごめんなさい。よろしくね。
大館博様
ある日、死んだ日に。アコ、石原和彦」

私は、四人の名前にあらためて視線を這わせ、順々に記憶をたどり始めた。
突然、何か冷たい舌で背筋を舐められたような感覚が走った。もういちど最初から名前をたどった。それから、いま手にした事実を拒絶するように首を振った。石原和彦と午餐を共にする四人は、すでに死んでいる者たちだった。全員が自殺だった。私は目を閉じた。
「リーシの水を飲みながら、あなたは最後に何を口にすべきか、わかっているわね」