不戦の王 コラム「異類婚」

<目次>
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八身の異類婚の話には、原典と言うべきものがある。
安倍晴明にまつわる出生譚である。

安倍晴明には人智を超えた能力があったせいか、
当時の人々は彼をただの人間にしておけなかったらしい。
ひと言でいえば、八身出生の口伝が倣ったと想われる
「白狐との間に生まれた化生の者」
という祀り上げ方をされていたのだった。

化生とは、母胎とか卵などをへずして
超自然的に生れ落ちるということ。
仏、菩薩が衆生を救うため、人間に化身して
この世に現れることも化生というが、
要するに、存在の神格化ということ。
同種の神格化はキリスト生誕でも行われているが、
安倍晴明もまた、それほどまでに奇跡を顕した
ということなのだろう。

このような話をすると、
まだ知性が十分に目覚めていなかった時代の世迷い事か、
日本昔話の類にされてしまうことだろう。
が、当時の人にとっては、とんでもないことだった。
異類婚、あるいは化生は大いにありうる話、
いや、それどころか異類婚を疑うことは、
この世の仕組みそのものを疑うことになる、
あり得ない考え方なのだった。
だからこそだった、
現代人の感覚でいえば児戯に等しい庚申講が、
八百年以上にわたって盛行を極めたのは。

さて、その白狐のことだが、
狐は霊的な力という点では聖獣の中でも随一とされ、
したがって狐との異類婚は、すでに
『日本霊異記』に六世紀後半の物語として登場している。
「高等な人類がなぜ獣と結婚を?」
そう思われるにちがいない。
が、その疑念は、じつは逆なのだった。
当時の通念では、霊的には狐より劣っている人間が、
狐によって高次の存在に引き上げられたい、
人間わざではつかめない繁栄を得たい、
そのために狐に結婚していただく、
そういう考え方なのだった。

藤原道長を驚嘆させた史上最高の霊能力の持ち主、
そして当代一の博識で知恵者でもある陰陽師安倍晴明が、
人間と狐の間に産まれたことになっているのは、
まさしく狐が人間以上の存在、
崇高な、畏怖されるべき存在だったということの
何よりの証しではあるまいか。