喰命御前試合(しょくめいごぜんじあい) 7

江戸城吹上御庭を包む空気は、これまでのどの試合とも違っていた。静まり返る観客席。徳川家光が身を乗り出して見つめる中、白砂の舞台に二人の男が立つ。

最終決戦:心眼の神速 vs 紅蓮の双槍

西方、剥き出しの細身の刀を右手に下げた「心眼の抜刀斎」・神楽木一徹。前の試合で負った左腕の傷を白い布で固く縛り、無の境地で佇んでいる。

東方、二本の朱槍「紅蛇」と「漣」を静かに構える「紅蓮の貴公子」・如月冴十郎。その美貌から笑みは消え、勝負師の冷徹な眼光が一徹を射抜いていた。

「目隠しの旦那、あんたの耳は私の『二本の槍』が刻む拍子(テンポ)についてこられるかな?」

「……お前の槍からは、迷いのない美しい音がする。だが、美しい音ほど、断ち切るのは容易い」

「始めぃ!」

最後の銅鑼の音が響き渡り、天下無双を決める決戦の火蓋が切られた。

先手を取ったのは冴十郎。
二本の槍が、同時に、しかし全く異なる軌道と速度で一徹を襲う。右の「紅蛇」が放つのは、空気を切り裂くような鋭い直線的な突き。左の「漣」が放つのは、しなるような変則的な払い。

キィン! チィン!

一徹は刀一本でそれらを完璧に弾き返す。だが、冴十郎の真骨頂はここからだった。
冴十郎は、槍を交える「金属音」すらも利用した。一徹の耳を惑わせるため、わざと槍の柄同士を打ち鳴らし、砂を蹴る足音の拍子を不規則に変える。変幻自在の舞。槍の風切り音が幾重にも重なり、まるで四方八方から同時に攻め立てられているかのような錯覚を一徹の「聴界」に作り出す。

(二本ではない……まるで四本の槍に囲まれているようだ……)

一徹の額から汗が滴る。

「捉えた!」

冴十郎の右の槍が、一徹の脇腹を深く抉った。鮮血が白砂を赤く染める。
しかし、一徹は一歩も引かない。血の流れる音、自らの鼓動の高鳴りすらも雑音として排し、感覚をさらに内側へと研ぎ澄ませていく。

「お前の技は素晴らしい。だが……音が多すぎる」

一徹は刀を構え直し、完全に動きを止めた。
風の音、冴十郎の欺瞞の足音、槍の残響。そのすべてを脳内で削ぎ落とし、最後に残る「一筋の真実の音」――すなわち、「冴十郎が攻撃を繰り出す瞬間の、重心の移動音」だけに集中した。

冴十郎が勝負をかける。

「これで終わりだ、神楽木!」

左の槍「漣」で一徹の刀を強引に跳ね上げ、空いた胸元へ、右の槍「紅蛇」による必殺の突きを放つ。その速度、まさに神速。

だが、一徹はその瞬間を待っていた。
跳ね上げられた刀を力で戻そうとはせず、むしろその勢いを利用して、身体を独楽(こま)のように鋭く回転させた。

「――神速・『無響(むきょう)』」

冴十郎の「紅蛇」が一徹の残像を貫く。突き抜けた瞬間、冴十郎の耳に「風を裂く音」すらしない、完全な無音の刃の気配が届いた。

「なっ……!?」

冴十郎が驚愕し、咄嗟に左の槍「漣」を防御に回そうとしたが、すでに遅い。

――カツン。

静かな接触音が響く。
一徹の一閃は、冴十郎の左の槍の柄を真っ二つに叩き切り、そのまま冴十郎の胸元へと滑り込んでいた。

刃は、冴十郎の皮膚をわずかに割ったところで、ピタリと止まっていた。一徹の圧倒的な刃の制御(コントロール)が、敵の命を奪う寸前で刀を止めたのだ。
二人の動きが止まる。

半分に折れた朱槍「漣」が、からんと白砂の上に落ちた。
冴十郎は、自分の胸元にある冷たい刃を見つめ、やがて深くため息をついた。

「……参った。私の最高の舞も、あんたの静寂には敵わなかったか」

冴十郎は残った右の槍を引き、潔く首を振った。

「勝負あり! 勝者、神楽木一徹!!」

その瞬間、御庭全体が割れんばかりの歓声に包まれた。将軍・家光も席から立ち上がり、激しく手を叩いている。

神楽木一徹は、静かに刀を収め、白布の奥の目で(心眼で)空を見上げた。吹き抜ける江戸の風は、死闘を終えた剣士たちを祝福するように、どこまでも静かで、心地よい音を奏でていた。

『喰命御前試合』――完。