双頭の性 第十六場 「こんなところ」を根元から断ち落とす。

<目次>
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それは小指程度の陰茎だった。
私自身が三十年以上前に取り去ったのと同じぐらいの、みすぼらしい陰茎だった。私は目元を凍らせ、親指と人差し指でそれをつまみ上げると、そこに宿っていた石原麻々の肉体の性を凝視した。
私は喉仏に目をやった。ふつうの男性ほど大きくはなかったが、この程度の男性もいることはいる。そう言えば、記憶の中の麻々の声は、男性に対して囁かれる女性の声にはほど遠かったが、かと言ってど太い男の声でもなかった。どちらかと言えば、女っぽさをまだ拒絶している十代の子に共通した男ぶった声のような印象だった。
(とにかく…)
麻々の方にも、女として育てられることに違和感を持たない先天性があったということなのだった。
その先天性のことを…と、私はただでさえ深い淵へと沈みそうになる脳を鼓舞して思いを巡らせた。養子にする時点でアコは正確に知っていたのかしらと。
少なくとも戸籍上、養護施設で麻々は男の子だったはずだ。養子の件で家庭裁判所の審査があったときにも、当然男児としての扱いだっただろう。
しかし、麻々がすでに普通の男の子のようでないことは、養護施設の側にも明らかだったのかもしれない。そして、養親となるアコにも、そのことは内々に伝えられていた可能性もある。
性同一性障害に先天性の疾患としての認識がなかった時代のことだ。そのへんの事実は、おそらく磨りガラス越しに見る現実のように意図的に曖昧にされて事が進められた、案外そういうことかもしれなかった。いや、そうだったにちがいない。
(それにしても…)
と、再び私は新たな疑問に捉えられた。
アコのように「一般的でない人間」との養子縁組がよく許可されたものだと。
(いや、もしかしたら…)
私の暗い脳細胞に再び光が走った。
(手続き上はアコが養親になったのではなく、万一のときの連絡先に書き遺されていた島根の兄、高校の先生をしていたというあの兄が表向きには養親になっていた、そういう可能性だってある)
しかし、いまとなってはわからないことだった。というよりも、麻々の死んだいまとなっては、もうどうでもいいことでもあった。
私は麻々の陰茎を前にして、いちど日暮れた時の上に、もういちど夜の闇を迎えたような気分になった。闇の底から、あらためて石原和彦、アコの、自分の性の矛盾に対する屈折した胸の内を思った。
(アコは、もしかしたら、最初から性同一性障害の子を物色していたのじゃないだろうか)
怖いことだが、決して正視したくない事実だが、もしかしたら…ではなく、多分そうだったのだろう。そういう気がにわかにしてきた。
アコは訪れた施設で性同一性障害らしき子供を見つけ出し、兄の戸籍を借りて養子縁組の手続きをし、それを西洋人形のコレクターのように暗い部屋で懐に抱いた。そして麻々の中で育っていく性の矛盾を睨みすえ、自分たちは決して異常者じゃないと、くり返しくり返し耳元で囁いていたということなのだ。
「ああっ!」
私は、久木野の言っていた麻々に対するアコの狂暴性のその源を、いま覗きこんだのを知った。

「寒いでしょう」
私は麻々に言葉をかけ、暖炉に薪を入れに立った。
麻々の本当の性がわかり、アコとの生活が垣間見えてきたことで、麻々はまったく別の存在となった。私は死んでいる麻々に対して、生きている人間に対するのと同じ感情さえ持ち始めていた。
新しい炎はもともと木の中に宿っていたものであるかのように、内側から湧き起こった。私はその炎を麻々の命と重ね合わせ、長い間見つめていた。もういちど麻々の頬に残っている平手打ちの痕に指先で触れた。
これまで久木野に話してきたことのすべてが、にわかに滑稽に思えてきた。アコがなぜ養子をもらい、どんな思いでそれを育て、そしてなぜ麻々は出て行ったのか。それらについて久木野に語ったことは、すべてが的はずれだった。
「なんてことなの」
自分の知っていると思った現実の中には、真実のアコと麻々は、おそらくいなかったのだ。それは間違いない事実だ。私はいわば象のしっぽの先に触れて、象の全体を語っていたにすぎないのだった。
両手を後ろにつき、脚を投げ出した。
すの入ったような溜め息が胸の底から湧き上がった。
「リーシの水を飲みながら、あなたは最後に何を口にすべきか、わかっているわね」
私は首を何度も横に振った。
しかしもう、そのとおりにするしかなさそうだった。
(麻々も私を死に誘うために来たと言っていたが…)
それも、プロセスはどうであれ、結果はそのようになりそうだった。
私の目の中で炎が揺れ、薪が崩れ落ちた。火花が舞った。その火花がスローモーションになって私の心に降りてきた。
「だからって、なんなのよっ」
私は声を荒げ、突然、弾かれたように立ち上がった。
唇を真一文字に結び、そこにはいないアコに対して、両の拳を握りしめた。拳の中で言葉が震えた。
「だからって、あなたの思うつぼにはまったんじゃないのよっ。それより、あなたが生前の麻々に決してさせようとしなかったことを私がいまさせてやるわっ」
私は背すじを伸ばし、数秒間、麻々を眺めおろした。それからまっすぐに台所に行き、包丁を持って麻々の前に戻ってきた。そして、躊躇なく左手の人差し指と親指で縮み上がった陰茎をつまむと根元から断ち落とした。
鼻の先で何かを嘲った。
私をなんだと思ってるの!
目の光だけでそう言って胸を反らし、それから、あとの言葉は声に出してアコに告げた。
「からだが、なんなの。容れものよ、ただの。わかってんの? 麻々はね、麻々はこんなところになんかいないのよ」
私は「こんなところ」を暖炉の炎に投げ捨てた。