サヨナラ東京 第四の季節。野を食う春がやって来た。

<目次>
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●小鳥のステージ。

木々の根元の雪が円盤状に融け始めた。
幹の太さにもよるが、だいたい直径一~二メートル。落ち葉の層が三か月半ぶりに顔を出した。

なぜ根元から融けるのか。
調べたら、根開きと呼ばれる現象だとわかった。
根開きは、木が外気より温かい地下水を吸い上げることと、黒っぽい幹の方が白い雪よりも太陽熱を吸収しやすいことの合わせ技一本で、幹の周りから丸く雪が融け始めるという説明だった。
(そうか…言われてみれば…)
植物も動物と同じく「体温」を持っている生きものなのだった。そのことが頭からすっ飛んでいた。
ぼくは長年の東京暮らしのせいか、植物を動物や人間と同じ土俵に並べず、単に風景として、鑑賞対象として眺めてしまいがちなのだった。
言うまでもないことだけど、一木一草、動物と同じくそれぞれが呼吸をし、水分や栄養を巡らせ、皮をつくり、肉をつくり、命がけの生存競争をしながら子孫を増やそうとしている生命体なのだった。
根開き現象はそういう生命活動の一環にほかならず、森の春はこのようにして始まっていく、ということなのだった。

その根開きの丸いステージに、さっきから盛んに小鳥たちが舞い降りている。
あっちのステージからこっちのステージへ、売れっ子の歌手か芸人か。
くちばしで落ち葉を跳ね飛ばしながら下に隠れている越冬虫を探しているのだろう。その様子は真冬とはまったく異なり、踊っている。小鳥の心から、まるで音楽が湧き上がっているかのようだ。
三本脚のキツネのおかげでバード・テーブルをやめて、ほんとうによかった。
あれは、食糧探しの苦労がなくなるかわりに、生きもの本来の野性を奪ってしまう装置だった。こうして落ち葉を跳ね飛ばし、自発的に好物を探している躍動感を見ていると、手間はかかっても自分で虫を捕えること自体が楽しいのだとよくわかる。
彼らは言っているにちがいない。
「わたしたち、この日が来るのをずっと待ってたんですよ!」
小鳥たちの気持の中にも新しい季節の喜びがあったのだ。
…おっと、違う。そう言ってはいけない。
そういう感動を希薄にしているのは、文明の垢がこびりついているぼくたち人間の方で、彼らは人間よりずっと敏感に季節の変化を感じ取り、人間に先駆けて春を楽しんでいるのだった。

文明と自然の境い目に棲んでみると、人間をはじめとする生きものにとって何が本質的なことだったのか、考えさせられる。
そして、人間はその知恵に酔い、驕っているんじゃないのか。そういう思いが過ることも。
たとえば…。
人類がさも誇らしげに喧伝する宇宙ロケット、人工衛星、スーパー・コンピュータ。
自分もパソコンを使いながら言うのは少しためらわれるが、そんなもの、自然界の生命の歓びからすれば、技巧的で作為的で、あってもいいが、なくてもいいもの。その程度のものだという気がしてならないのだが、おかしいだろうか。
さらに言えば。
帰還した宇宙飛行士より、落ち葉を跳ね飛ばしている小鳥たちの方が、ずっと歓びが素朴、素朴であるからこそ本質的なのではないか。
そんなふうにも思えるのだが、これは実利社会の人々にとってケッタイな話なのだろうか。
小鳥たちは何と言うか、尋ねられるものなら尋ねてみたい。

●冬のかけら。

雹(ひょう)が降る。その雹を追って春雷が走る。

一歩進むごとに直径一センチぐらいの氷の粒が跳ねる。そのたびにフライパンで豆が弾けたような音がする。道が白いコンペイトウのカーペットを敷き詰めたようだ。
コンペイトウをためしに一粒口に入れてみる。
人生、やはり、そうそう甘くはなかった。

首を縮めて歩いていると、突然、愚か者への神罰のように稲光が突き刺さる。
次いで神の怒声、いや雷鳴。思わず見上げる空は、しかし、ほとんどが青。
(え? 信じられないよ。地上は雹と雷なのに)
なんだか、からかわれているような気がしてくる。
空が撹拌されている。
冬と春がぶつかり合っているのだろう。
北からの寒気団に暖かい春の空気が乱入し、天上に亀裂が走り、春雷となったのか? 

ふと。
(雹とは冬のかけらなのかもしれない)
という気がしてくる。
小一時間ドーッと降って、直後、鉈で断ち落としたようにやむ。
その断ち落とされた断面から、夕陽が金色の筋を引いて射し込む。
この時期の天候は、前後の時が重なりあいながら徐々に変化していくのではない。
カクッと直角に角を回って変化する。
これも標高一二〇〇メートルの山地ならではのことか。

落ち葉の下はどんなふうかと、一枚、二枚とめくってみる。
すると、驚いたことに緑々した苔が現れた。
(雪の下でこんな生命が息づいていただなんて…)
目を照射されたようにまぶしい。しかも苔からは、細いマチ針のような赤い芽が。
ぼくは熊手を取りに走り、苔の生えていそうな場所の落ち葉をそっと払ってみた。すると、赤い芽はすべての苔から起ち上がっていた。もう落ち葉の下ではすっかり春が整っていたのだ。

しばらくすると、そこにわが友シジュウカラ。
バード・テーブルは廃止したが、友情はまだ続いている。シジュウカラはぼくを敵ではないと未だに認識しているので、まったく恐れるふうもなく、すぐそばで苔の中に隠れている虫を探しながら、楽しげにあっち行き、こっち行き。
彼らはもう完全に春の中にいる。
そう。人間のぼくが完全に置いてゆかれているのだ。
冬が季節の角を曲がりかかり、そこから春の横顔が覗くと、早くも小鳥が舞い飛び、それに植物が並走する。
人間だけが自然界のサイクルから外れてしまったのではないだろうか。
その思いは日に日に確信に近づいていく。

わずか半年の森暮らしではあるけれど、人類が地球の覇者だと思うのは完全な錯覚だろう。それはぼくにかぎらず、自然にある程度接すれば、きっと多くの方が実感的に理解されることではないだろうか。
地球の破壊者、言い換えれば全生物の迷惑者が人類であることに異を唱える人は、そう多くあるまい。
月旅行、それは翼のない人類にとって、一つの夢ではあろうと思う。が、いまは宇宙での覇権争いをしている場合なのだろうか。
ぼくらの足元がグラグラと揺れている。

上ばかり見てると転ぶぞ。

●植木屋さんのくれた春。

四月になった。
長年の平野部暮らしで刷り込まれた「四月は春」という意識。
カレンダーが四月になるだけで嬉しくなる。
とはいえ、過ぎ去ったばかりの酷寒への備えは春から始めなければならない。薪の材料は、とにかく機会を逃さず貯える必要があるのだった。

わが家から五〇〇メートルほど離れた町道沿いで、新築工事のために林の伐採が行われているのに出くわした。
目の前には薪にするとよさそうなコナラやミズナラが何十年かの生命を終えて横たわっている。引き取り手はあるのだろうか。しばらく見物していたが、思いきって言ってみる。
「あのう、薪にしたいんですが。いらない木をもらうこと、できませんか」
断られるのは覚悟のうえ。しかし、
「いくらでも差し上げますよ。捨てるだけですからね」
中年のガチッとした体格の植木屋さんが、意外にも理性的な声音で応えてくれる。
そして、お宅はどこか、どれくらい必要か。太さはどれくらいがいいか。いつ持って行こうか。それらの質問をテキパキとたたみかける。
考えてみれば、伐採樹をどこにでも捨てていいはずはないし、廃棄場まで運ぶ手間もかかる。廃棄費用も発生するにちがいない。これは両者にとって好都合なのだ。

夕方。
軽トラックで三往復もして、この冬を十分に乗り切れそうな量の伐採樹が運びこまれた。
直径五〇センチぐらいの太いのも何本かある。
「我がまま言ってすみません。これ、この太いぶん、ぼくの手には負えないですから。細めのだけいただきます」
「えーと、マサカリ、お持ちですか」
(え? マサカリ?)
斧とかハンマーとは言わない。マサカリ。
マサカリだなんて、足柄山の金太郎以来だ。でも、いかにも力仕事の道具という感じがしてなんだか感動を覚えた。
「あります、あります。マサカリ、持ってます」
「チェーンソーは?」
「持ってないんです。すみません」
「じゃあ、薪の長さに切ってあげますから、あとは頑張って割ってみてください。秋までにはだいぶ水分が抜けてるでしょうから、大丈夫だと思いますよ」

植木屋さんは三分の二ほどを一時間がかりで薪の長さに切り揃えてくれた。いかに伐採樹廃棄の一助になるとはいえ、その目的を大々的に逸脱している好意だった。
「残りはあしたということで、きょうはこれで失礼させてください」
まるでお金をもらって請け負った仕事のようなもの言い。申し訳なくて、何度も何度も頭を下げる。すると、
「いやあ、チェーンソーでないと苦労ですからね」
と、あっさり受け流して帰って行った。
彼が、これだけの伐採樹を老人のぼくが手ノコで引く大変さを考慮してくれたのは明らかだった。しかも、その配慮を負担に思わせないようにする気づかいまで見せて。
晩酌を始める時、彼の厚意に対してまず杯を上げずにはおれなかった。

植木屋さんは翌日も約束どおりに寄ってくれ、残りを薪の長さに切り揃えてくれた。
(あんなこと、言い出さなければよかった)
この二日間、彼の時間を無駄に使わせてしまった。早く帰りたかっただろうに。薄暗がりの中に響くチェーンソーの音に胸が痛んだ。
終わったとき、せめてものお礼のつもりで缶ジュースと駄菓子、それから材木代と感謝をこめて心ばかりの謝礼を封筒に入れて差し出した。
しかし、その人は頑なに受け取ろうとしなかった。単なる遠慮ではなく、もらう気が心底ないことが伝わってきた。
困ったのは、ぼくの方だった。じゃあ、この気持を言葉でどう言えばいいのやら。ぼくも必死になって、金品でこの感謝の気持を表せるとは思っていない。だけど、かといって他に方法がなくて…と。
とうとう根負けしてやっと受け取ってくれたが、受け取る時、礼儀正しく軍手を脱いで、
「また何かあったらおっしゃってください。もう二、三日はこの現場にいますから」
と大きな肩をすぼめ、軽トラックに乗り込んでいった。
ぼくは暗がりの中、テール・ランプをずっと見送った。
T字路に突き当たって姿が見えなくなる直前、クラクションが短くプップッと二つ鳴らされた。
「ありがとうございました」
ぼくは植木屋さんの去った闇に頭を下げた。
これも春。

●ツクシ外交。

先住者の代からあるツツジと水仙が芽を出した。
空が春らしいオフ・ホワイトになった。
深山の鳥、カッコーが来なくなった。
ストーブの灯油が減りにくくなった。
水道が冷たい水に変わった。つまり、外気が三度以上になると切れるサーモスタットが、凍結防止熱線のスイッチをオフにしたのだった。
生活のそこかしこに、こうして春が兆す。

M村というのがキャベツ畑地帯を越えた遠くにある。
遠くとはどれくらいかと言えば、地図で見るかぎり自転車だと一時間半か二時間は見ておかなければ、という距離だ。問題はわが電動アシスト自転車のバッテリーが、帰宅までもつかどうかだが。
ツクシを食べたい、その一心で早朝六時、M村に向け出発。
スーパーで尋ねたところ、M村には日本の農村風景が残っているそうで、「あそこならまだツクシが生えているのではないか」ということだった。
その期待にキャベツ畑の中をいそいそと走る。
ツクシは葉っぱのスギナが嫌われ、専用の除草剤ができて以来めったに見られなくなったし、仮に目にしたとしても、これが食べ物になると知っている者は、いまや少ないのではあるまいか。ぼくだってツクシを食べた記憶は、子どものころにまでさかのぼる。
きょうはその記憶の味をぜひ再確認してみたいのだった。

そろそろこの辺りはM村のはずだが…と思って、広々とした空に向けていた視線をゆっくり下方に転じたとたんのこと。なんとまあ、さっそくツクシらしき広がりを発見した。
(さすがM村!)
そこは半ば自然に戻った休耕田で、その土手一面がツクシの群生地となっていた。すぐさま自転車を停め、夢中で摘み始める。
ところが。
摘んでいる間、一〇〇メートルぐらい離れたところにある農家の犬がずっと吠えていた。ぼくの方に顔を向けているから、怪しまれているのはぼくなのだ。おかげで盗っ人意識が芽生えて、にわかに心が苦しくなった。
もしかしたらこの土地は、その犬の飼い主のものなのかもしれない。
摘みながら、つい上目使いにあたりを窺いそうになるが、それをやっちゃあ本物の盗っ人だ。ぐっとこらえて、さらに一本、二本、三本…。
(もう胞子の飛んだのが相当ある。つまり誰かが摘んだ形跡がない。ということは、ここの所有者はツクシを食べないんだ。誰も咎めやしないよ)
そう自分を正当化しながらも、追手が迫っている犯人のように大急ぎで摘み続ける。
途中、しつこい犬の吠え方にその家の主婦らしき人が顔を出した。
ぼくの方を見ていたが、別に気にした様子もなく、数秒で引っ込んだ。
無罪放免!
どうやらツクシ摘みはお咎めなしということらしい。その瞬間、罪悪感の和らいだ肩から一挙に力が抜けた。
犬も役目を終えた安堵感からか、吠え方があくびまじりにさえなり、とうとう黙った。
それにしても…。
こうして犬に吠えられたことで少々ドキドキはさせられたが、おかげで生身の人間としてのリアリティ、実在感のようなものを久々に味わえた。
それほどまでにぼくは、ぼくという存在を支えるつっかい棒…つまり第三者との関係性を知らぬ間に希薄にしていたのかもしれなかった。

帰り道。
とうてい一人では食べきれない量なのでどうしたものかと思案した結果、外交下手のぼくとしては清水の舞台を三段重ねにしたほどの高さから飛び降りる決意で、「ツクシ外交」を試みることにした。
相手は落葉している冬場、遠目に見えていた家の人。あの呼吸困難になった酷寒の夜、すがりつくように見たご近所。
引っ越しの挨拶に伺って以来の訪問だが、
(ぼくと似たり寄ったりの年齢だったから、ツクシを食べた経験があるかも…)
と読んだ。
出てきた奥さんに、ぼくは表情筋を最大限に弛めて言ってみた。
「よろしければ、ツクシ、いかがですか。けさ、M村まで行って摘んで来たんですが」
仮にツクシを食べたことがあっても、好き嫌いはまた別の話だ。もらって喜ぶ人は、きっと何十人に一人いるかいないかだろう。が、その人は幸いにもその一人だった。
「まあ、嬉しい! 大好きなんですよ。大喜びでいただきます。わたしたちも毎年探してみるんですけど、でも、生えてないでしょ、この辺では。M村までなんて、まあ、大変だったでしょうに。ありがとうございます!」
声が弾んでいて、ぼくまで嬉しくなった。すると、
「お昼、まだでしたら、ぜひごいっしょにいかがですか」
とのお誘い。意外にも十年来の友人のような迎えられ方をした。

ご主人と三人で、ゴマ塩をふった麦ご飯にタクワン、イワシの塩焼きと味噌汁を食べた。話していると、ご夫婦とも昭和の戦前生まれと判明した。そう言えば、食べる物にもしっかり生まれ育った時代が反映されていた。
食事が終わると、午後の柔らかな陽射しを浴びながら、庭のテーブルでいっしょにツクシの袴取りをやった。爪が真っ黒になったが、なんだかそんなことまで嬉しかった。帰りがけに電話番号を交換し、今後ともよろしくということになった。
ツクシ外交、望外の成功。
越して来て半年。初めて会話を交わせる人間関係ができた。

晩ご飯を食べていると、その方(名前はKさんという)からわざわざ電話があった。
「三杯酢でいただいたんですけど、ツクシってほんとにおいしいですね。それにすっごくキレイ。茎がピンクで、頭が淡いグリーンで。どうもどうも、ありがとうございました」
糸を紡ぎ、機を織るのが趣味と伺った奥さんらしいお礼だった。お宅には品性のよいご主人の人柄そのままの陶磁器がたくさん飾ってあった。ツクシの淡いピンクとグリーンは、きっと自然釉の陶器に映えたことだろう。
(きっと、あの萩焼の器に盛ったんじゃないかなあ)
勝手に想像し、そこはかとなく心が和んだ。

その日風呂に入った時。
酷寒の残滓と言える背中が二重になった防寒下着を一重のものに替えた。
靴下の二枚履きもやめた。
あしたは凍結防止でモコモコに布を巻いた外の水道も裸にして、水をジャブジャブ出して自転車を洗おう。
「春だぁ!」
思わず声になって気持が出た。
シジュウカラやキツツキたちの歓び。木々や苔の赤い芽。それから植木屋さんの善意。さらにきょうはKさんという知己を得たこともあり、ヤワなわが心にもやっと春が兆した。
酷寒期、いちど逃げ出した森だったが、恥ずかしながら八〇歳の春が来た。