サヨナラ東京 第五の季節。森に緑の雨が降る。

●ラッキョウネギにぶっ飛んだ。

ツクシを分け合ったKさんから、ノビルをいただいた。
竹籠の上に二握りものノビル。「野蒜」と書いた白い小さな紙が添えてあった。
「字づらからして野性味があっていいですね」とぼく。
「おいしいですよ」とKさんの奥さん。「ネギがお好きな方だったら、すごく気に入ってくださるはずです」
「ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、その類、大好きです」
「じゃあ、きっとノビルも大丈夫でしょう。もし、生で一粒食べてみてキツイと感じたら、湯通しなさってください」
機織りをされているKさんは草木染もされてもいる。染料を抽出するための植物はいろいろらしいが、ピンクに染めるための梅の小枝を農家にもらいに行かれ、そのとき梅林に生えていたノビルも頂戴してきたのだという。そのお裾分けだった。

じつは。
ノビルには忘れがたい思い出がある。
盲腸の手術をした二〇歳の時、六人部屋に入院していたのだが、左隣のベッドには髭面で肩までの長髪、小太りの四十代の人がいた。
その人は病室の窓から顔を出して禁断のタバコを頻繁に吸い、夜中に脱け出しては早朝帰って来たりする、まだ世間知らずのぼくからすれば、どうやって安全距離をとればよいのかわからない人だった。
そして、もっと理解できなかったのは、向かいのベッドの警官になりたての若者とぼくがプロ野球の話をしていたら、
「若いのにくだらんことをしゃべるんじゃないっ。こんな時こそ人格を養う本を読め、本を。ニイチェ、ドストエフスキー、カフカ、サルトル。玉磨かざれば光なし!」
と一喝を食らったことだった。
若い警官とぼくは、日頃の無法ぶりとは釣り合わない一撃に唖然とし、ますますその人から距離をとるようになった。

そんな人のところに、ある日、目玉の大きな禿頭の見舞い客がやって来た。
チラチラ目の端で見ていると、見舞い客はなんとまあ一升瓶と味噌と、ラッキョウのような、ネギのようなものを持参し、それをベッド脇の小さな物入れの上に並べたではないか。そして、
(何をする気だ?)
といぶかる間もなく、驚いたことに酒盛りを始めてしまった。
ぼくだけではない、同室の全員、あまりの暴挙に声も出ない。
しかし二人は、まるで部屋には自分たちしかいないかのように傍若無人。ラッキョウネギに味噌をつけてブリブリとかじり、持参の紙コップでお酒をグイグイ。そして、
「ノビルはうまいですなあ!」
「このピリッとくるのがたまらんですよ。ノビルはうまい!」
「よく手に入りましたなあ。ノビルはうまい!」
「また持って来ますよ。ノビルはうまい!」
「さあ、もう一杯どうです。ノビルはうまい!」
何か言っては、「ノビルはうまい!」が合いの手に入る。ラッキョウネギの正体はノビルだとわかった。
よっぽどうまかったのだろう。看護師が検温に来るまでの小一時間で一升瓶は空になっていた。
その後の看護師と無法者たちの壮絶なバトルは省略するとして、Kさんが「ノビルいりません?」と言われたとたんに、ぼくの記憶はあの病室での出来事、「ノビルはうまい!」事件に飛んだのだった。

スーパーで買ったものではない、野生のノビルだ。その泥を落とし、外皮をきれいに剥くのにふさわしいのは、人工的な水道水ではなかった。
隣地との境を流れる熊川に下り、薄暗がりの中でノビルを洗った。何か神聖な儀式でも執り行うような気分だった。湧水の冷たさに感覚がなくなったことも、手が真っ赤になったことも、まったく問題ではなかった。
球根の方はもちろん生で食べるつもりだが、葉の方はサッとお湯にくぐらせ、すりゴマと 三杯酢を用意した。
やがてテーブルにつき、息を止め、いや息はしているのだが呼吸のことなんか忘れて、さて、待望のラッキョウネギ。
かたわらには常温のまったりした純米酒。
やおら球根に甘めの酢味噌をつけると、
「食べるよ」
とわざわざ言って…カリッ。
ぼくは人生の突端までぶっ飛んだ。

●小鳥の視線。

六月上旬。
ひっそりと雨が降る季節になった。
たいていの人は雨の日を嫌がるが、ぼくは子どものころから雨が大好きだった。
雨の日は心が落ち着き、求心的になれるからだが、もっと大きな理由は、人が雨を嫌うからこそでもあった。
世間に対する、そういう理屈に合わない反抗心が、ぼくには子どものころからあった。
ま、それはさておくとして…。

葉の緑に滲むように降る雨。
朝、誰かが板壁を叩く音で目が覚める。
(キツツキ…?)
しかし、キツツキならもっと大きな音がするはずだ。で、カーテンの隙間からそっと覗くと、シジュウカラが軒下をつついていた。そこにもう一羽が苔をくわえて飛んできて、軒先の夏椿の枝にとまる。すると、元からいた方は入れ違いに飛び去り、苔を加えた方は中へ。
よく見ると、軒板が少しめくれ、五センチぐらいの隙間ができていた。どうやら、そのなかに巣を作り始めたようだ。
庭にも三つ巣箱がある。そちらは先住者がかけた古民家だが、趣味に合わないらしい。シジュウカラもツバメと同じで、人間をボディ・ガードに使うには、猛禽や蛇にヒナを狙われにくい人間の住まいの一隅の方がよいというわけだ。
共に暮らしてゆくもの。シジュウカラには、なんとなくそういう思いがある。
片想いなのはわかっている。が、四季を通じていっしょにいる、この森でいちばんの友人と言ってもよい。

最近、ひどく疲れを感じるようになった。
たぶん、酷寒に神経をすり減らした後遺症と、そもそも森暮らしという一八〇度違う生活への緊張で、知らぬ間に溜まっていた疲れが滲み出てきたのではないかと思う。
もとより、ここには誰にも看取られずに死ぬつもりでやって来た。
これまでの人生の垢、大都会東京に象徴される競争社会での垢を森暮らしの日々を通じて濾し取り、その後にいったいどんな残香が漂うのか…いや、そんなご大層なものなんて何も残らなくていいのだが…とにかく過ぎ越し方をきれいさっぱり洗濯するつもりでここにはやって来たのだった。
その決意にいまも後悔はないし、だいいち、ここに来たからこそ気づいたことも、すでに少なからずあった。
が、それでもときどき思う。
この森での日々がいったい何になるのだろうかと。
神も死後の世界もあてにしていない人間にとって、現世の意味とはそもそも何なのかと。

トンネルの先に光が見えなくなった気がすることもある。
鳥たちのような素朴な歓びがない。
野の花のように、この春の一瞬が全人生だなんて、どうしても思えない。

雨雲が森の木々の間を煙霧となって漂っている。
雨であろうと厭わず庭仕事を続けてきたが、残念ながらきょうはその気が起こらない。
別に見ようとして見ているわけではなく、窓の近くに椅子を引っ張って来て、朝ごはんも食べず、シジュウカラの巣作りを何時間も眺め続けている。
そうしていると…。
何度かシジュウカラがぼくを眼差している、ように感じる時がある。
そのように感じてしまうこと自体、相当にまいっている証拠だろう。
元気な時だったら、シジュウカラに見られたと感じたりは絶対にしないから。ぼくがシジュウカラを見る側になるのだから。
しかしいま。
ぼくはシジュウカラにいまの生命力を見透かされてしまった、そのように感じてしまうのだった。

もしかしたら。
こういう「見る・見られる、その一瞬」に潜むバランス・オブ・パワーというのは、野生の生きものの根本的な競争原理なのではないだろうか。
キツネであれクマであれ、生きものというのは、たぶん出会った瞬間に相手の生命力を看破するのだろう。食える相手か、それとも自分が食われる側かと。
単純明快。本質を見る目がシンプルでピュアなのだ。
(しかし…)
と思う。人間だけが違うと。
人間は、学歴だの職業だの地位だの年収だの○○賞だのと、よく言えば複眼的な見方かもしれないが、悪くすると一時的にまとっている鎧兜にだまされて本質を見ず、しかもそこに自分の損得勘定まで添加してしまう。
人間ほど欲に囚われ、その目を曇らせている生きものはいないと断言してもいいだろう。

それにしても、疲れた。
ソロソロ、オヒルニ、シマセンカ。
妻の声が無意識下を漂う。
目だけ動かして掛け時計を見る。
十二時。
「もう十二時? 十二時なんて、そんなこと、もういいよ」
自分でも、自分の言ってることがわからない。

●森のドロボー。

江戸時代から守られてきたこの森は、珍しい花の咲く山野草の宝庫でもあるが、同時にクレソンやセリ、モミジガサ、コゴミ、タラの芽、キノコその他いろいろ、食べられる山野草の宝庫でもある。
「遊歩道以外は立ち入り禁止」と県が決める前までは、それらの山野草を抜いて持って行こうが、クレソンやセリを摘もうが、ご自由にどうぞ。そういうことだったらしい。
しかし、いまは違う。それをやるとドロボーになる。

救急車に来てもらわなければいけないような万一に備えて、開発地域の出入り口に最も近い、わかりやすい区画を買ったのだが、そこは遊歩道への出入り口にもいちばん近い位置となっている。
だから、森に出入りする人影がよく見えるのである。
その結果、いまではその人が散策目的なのか採取目的なのか、自然に区別がつくようになった。
まず散策目的だと、視線はあっちを見、こっちを見、何人か連れならおしゃべりをしながら足取りもゆったり、となる。
しかし、これが採取目的だとキョロキョロしない。動きにも目的意識がはっきり表れていて直線的。そして、きまって無言。だいいち、服装も散策と採取とでは違う。

この前、後者のような中年の男女を見かけたのだが、その時はとても精神衛生が悪かった。
(あの二人、セリを見つけて、根こそぎ刈るんじゃないだろうか。貴重な山野草を掘り起こして持って行くつもりじゃないだろうか)
そんな思いに囚われ始めると、植物の味方のぼくとしては居ても立ってもいられなくなる。
この森には管理を委託されている人がいる。
越して来て程なく、薪作りのために倒木を始末する許可をもらいに行った人だが、その人からは、
「お宅は見張るには地の利がいい。違反者を見かけたら教えてくださいね」
とまで頼まれていた。
(彼に電話しようか。いや待て。それはまずドロボーかどうかを確かめてからだ)
…で。
ぼくも遊歩道へと向かったのだが、無意識のうちに忍び足になっている自分が嗤えてきて、
(ここはやはり管理者に任せるべきだな)
と引き返す。
そして、いざ電話をしようとしたのだが、
(おまえ、間違ってたらどうするんだ。やっぱり、確かめてからにすべきじゃないのか)
とブレーキをかける自分がいる。
けっきょく迷っているうちに、そんな自分がバカバカしくなり電話もしなかった。が、不快な後味だけはしっかり残った。

そんなことがあってから何日か後。
(いまの季節、どんな山野草の花が咲いているのやら…)
と、ぼくは森の小道を歩いていた。
すると、向こうから男性が二人。感じとして六十歳前後か。農機具メーカーの帽子をかぶり、長靴に作業衣姿。
(森のドロボー?)
営林作業中の人ということもありうるが、違う。二人ともパンパンに膨らんだスーパーの大袋を三つずつ持っている。 
距離が縮まり、袋の中身がセリだと判明したとたん、ぼくの義憤スイッチがオンになった。二人の手にしている鎌をチラチラ見ながら第一声。
「何を採って来られたんですか」
とりあえずは丁寧語で声をかける。すると、
「あ、えー、あのう…」
予想外に素朴な反応。
「それ、採ってはいけないことになってるんじゃありませんか」
「は、はあぁ…」
上目使いにもじもじしている。ふてぶてしいドロボーではないようだ。とはいえ、今夜はこれで一杯…という量ではない。ぼくは磨き上げたスキンヘッドが効果を発揮してくれるよう願いながら続けた。
「ここの植物は県の条例によって保護されてるんです。絶滅危惧種もたくさんありますからね」
「ス、スイマ…セン」
前の一人が小声で謝罪を口にする。しかし、謝られても、いまさら刈られたセリを根っこにくっつけられるわけではない。
(どう決着をつけるべきか…)
双方、しばし無言。ぼくとしては、おかず用に一握り程度ならまだしも、営利目的でこんなに大量に採られ、根絶やしにされていく事態はどうしても看過できない。
「森の管理者に頼まれてるんです。あなた方の名前と住所を教えてください」
教えるはずはなかろうと思いながらも、これを最後に山菜採りはやめてくれることを願って言う。
二人は押し黙っていたが、突然ぼくを迂回して、まるで鬼ごっこの子どもが逃げるように一目散に走り去った。
そのバタバタした不格好な後ろ姿を見ていると、怒りというよりも、
(あの年になって、あんなふうな逃げ方をしなければいけないなんて…)
となんだか、ぼくが悪いことをしてしまったような気になった。

外縁部の一部が開発される前までは、もしかしたらあの二人も子どものころから親といっしょにここに山野草を摘みに来ていたのかもしれない。
が、時は移り、森の一部が商業資本に買い取られて開発された。それを契機に県が遊歩道なるものをつくり、そこ以外は足を踏み入れてはいけない規則となった。目的は水源涵養と稀少植物の保護。それは致し方ないことだろう。
だが、その一方で、先祖代々の住人からすれば、
「ここは生まれた時からおれらみんなの森だったじゃないか」
という思いが、心の片隅から消えていない可能性もある。それもまた無理からぬ。
もし水源涵養と稀少植物の保護を言うなら、まず金儲けのために樹齢何百年もの巨樹の森を伐り拓いた大手不動産会社が責められるべきだろうし、さらにその開発申請に許可を与えた行政機関も同罪と言えるだろう。
「開発を許可しておきながら、いまさら保護だなんて、そんなおかしな話が通るもんか。これまでどおり採りたいときには採るぞ!」
あの二人にも、規則は規則として知ってはいても、心の奥底にはそういう思いがあったのかもしれない。
きっとこの森では、開発以前から、自家用だけでなく商売用の山菜採りも行われ、そして真っ先にその犠牲になったのが、この冬、森の最深部で偶然ぼくが生息を確認したクレソンだったのではないだろうか。
森のドロボーとは、突きつめれば開発業者と行政機関なのだ。
さらに、彼らが開発した土地で、森の植物たちの自然な植生に手を加えているぼくだって、その一味だと言えなくもないのだった。
話を広げすぎかもしれないが、それは残念ながら多少の真実を含んでいるように思える。
なんだか、情けない顛末になってしまった。

●雨を聞く時。

雨を聞く。
雨音を聞くのではなく、聞香のように雨の香りを聞く。

新緑に雨が降ると、森の香りが変わる。
木々や山野草たちが雨に誘発されて、
燻ったような香りを放つ。

雨は森の色をも変えてしまう。
雨の呼んだ霧に新緑が透けるのか、
淡いグリーンを流したように色が変わる。

新緑に降る雨は夕立と違って音がしない。
森を包み込むように降る。
沁み入るように降る。

雨の性はおんな、であろうとぼくは思う。
霧雨でも豪雨でも。
そのやさしさ、その激しさ。

雨が人の心に降るとはよく言われることだが、
中でも深い森に降る雨は思索的である。
しんしんと降る様子を北の窓から眺めていると、
その雨とともに静かに沈んでゆくものがある。

そして。

いつの間にか生きてきた時間を望見し、
この先の見えない明かりに目を凝らしている自分がある。

生と同様、死も簡単なことではない。

●避暑地という詐称。

六月下旬。
標高一二〇〇メートルの梅雨寒の日。
この森の裾を拓いて売り出した不動産会社は、発売当時、ここを避暑地と称し、付加価値をつけようとしたようだ。
しかし、このところ思う。
「避暑地だなんて、気取るんじゃないよ」
そう毒づきたくなるほどの寒さだ。梅雨に閉ざされた原始の様相を留める森が、身をしめつけるような冷気を運んでくる。
ご当地生まれの人は言う。
「夏場は、前橋の予報から七度引いたぐらいがここの気温だでね」
さて。きょうの予報では前橋の最高気温が一五度だと言っていた。ということは、ここは八度?
(しかし、もう初夏なんだよ。夏という字がついていて八度だなんて!)
なんだかえらく損した気分になる。
酷寒を乗り切って弾んでいた気持がにわかにしぼむ。

ズボン下…近頃はタイツと言うらしいが、それは春になった記念にとっくに脱ぎ捨てていた。シャツは薄手に替え、セーターは麻に替えていたが、酷寒忌避症の人間ならではの暴挙だったようだ。
そう言えば。
一昨日、地域の集団検診で町会所にのこのこ出かけてみたのだが、そのとき土地の青年、壮年、老年、みなさんまだ厚手のシャツにズボン下だった。梅雨寒がバカにできないことを知っておられるからこその備えなのだ。
森暮らし一年生、おかげで鼻風邪をひいている。
仕方なく下着も上着も冬に逆戻り。しかし、貴重品の薪だけはこんな腹立たしい寒さのためになんか絶対使いたくなかった。
というわけで、再び灯油を配達してもらい、ストーブをガンガン焚き始めた。

「梅雨があけるまでストーブは手放せないでしょう?」
すっかりおなじみになった石油屋さんの言葉には、言外に「あなた、甘く見てたでしょう?」的なからかいのニュアンスが漂っていた。梅雨寒にすでに気分をそこねていたぼくは、
「ここは十一月から六月まで八か月も冬なんですか」
と不平を口にしそうになったが、なんとか年の功で呑み込み、
「さすが標高一二〇〇メートルは違いますね」
と褒め言葉で応える。
「ええ、まあ。そのかわり、七月、八月は涼しいですから」
その瞬間だった、ぼくがこの地の真実に気づいたのは。
「七月、八月も涼しいですから」ということは、つまり七月、八月になっても、ここには平野部感覚で夏と言われている季節が来ない。そういうことなのだ。
考えてみれば、日本中ここにかぎらず、避暑地と称する所はこんなものなのだろう。
そこにやっといま気づくなんて、ぼくが愚かだった。
たとえば東京の人々が蒸し暑さを避けて、夏の間ここに来るぶんには、不動産会社の言う「避暑の地」でいい。が、ここで一年中暮らしている人間としては、
「避暑地とは寒冷地の詐称でしょう!」
と毒を吐きたくなる。まあ百歩譲ったとしても、
「避暑地の類義語は寒冷地ですよね」
そのくらいの皮肉は許してもらいたい。

夕ご飯の時。
股ぐらに石油ストーブを抱くように着席し、お酒はもちろん熱燗。
テーブルには当然ながら湯気モクモクの鮭と豆腐の石狩鍋。
(しかし、初夏に鍋とはなあ…)
すでに気分は半ば自暴自棄である。
ぼくは部屋の隅でうすら笑いを浮かべている寒気大明神を睨みつけながら、たて続けに盃をあけた。

●ある一行詩。

湧水の清流。
かつてはクレソンが繁茂していたと聞いたあたり。
もしやクレソンが復活していないだろうかと見ると、
「あっ」
と声が出る。いちめんの藤色! 
目を凝らすと、ヤマフジの花びらだとわかった。

ものすごい数だった。このあたりの川幅は三メートルぐらい。ちょっとした岩場があって先が細くなっているため、半ばダム湖状態の場所。そこをヤマフジの花が覆っていたのだった。
(どこで咲いていたものか)
見上げるその視線の先を、はらり、はらり、ヤマフジの花。
ミズナラの大樹に足首ほどある蔓が巻きつき、龍のように天を目指している。ドローンでもないかぎり花の咲いている梢を見ることはできないが、落花の量から想像すると、花の盛りはさぞ見事だったのだろう。

ぼくはもともと観光施設の人工的に作り上げられたバラ園やフジ棚、一面のシバザクラやチューリップ畑などには惹かれないたちだ。
たとえばサクラでも、人の手で植えられた並木道や庭園の桜よりも、山中に明かりを灯したように咲く一本桜の方を好む。
バラであっても、バラ園の品種改良された花が見事なのは認めるけれど、野に咲く一重の白い小さなノイバラの方が好きだ。
自然の中で自生している花には、たしかに化粧っけがない。質素である。
しかし、まわりの植物との競争に打ち勝っていまを生きている緊張感、さらに言うなら凛とした矜持が漂っているようにさえ感じられる。

寄り道ついでに言わせていただけば…。
観光用に整えられた「花の園」で思い出すのは、「動物の園」のライオンのことだ。
檻に入っているのはたしかにライオンにはちがいない。
が、真のライオンは、言うまでもなくアフリカのサバンナの凄まじい生存競争の中にいるのであって、いつ自分に襲いかかってくるかわからない、その殺気を秘めた野性こそ真のライオンなのだ。
人間様におんぶに抱っこ、三食昼寝つきで暮らしているライオンは、かつてラインと称せられたものにすぎないのではなかろうか。
これは、野生の鳥獣を閉じ込めて見世物にしている状況が嫌いな人間の感想なので、半ば聞き捨てにしていただきたいのだが。

はらり、はらり。
やわらかな藤色の雨が降っている。
ぼくは顔を仰向けて、花の雨を受けてみた。
そうして三〇秒、一分、二分…。
なんだか、だんだん人間ではないような気がしてきた。
人間はもっと得になることとか、合理的なことに気を向けるのがふつうだろう。
が、そんなこと、いまはいい。
(ありがたい…)
ただひたすら無垢に、ありがたいという気持。
と。
不意に八木重吉さんの一行詩が浮かぶ。

「神様 あなたに会いたくなった」

●五感の初期化。

雨季、真っただ中。
東京はきょう夏日です、とテレビで言っていた。
そのテレビをぼくはストーブにあたり、ホット・カーペットに座って観ていた。長袖三枚、半袖一枚を着て。
しかし、もうよそう、ここの寒さを嘆くのは。
標高一二〇〇メートル&原始の趣を残す森だからこその楽しみがあるのだから。
その代表。
それは生命の営みを身近に感じさせてくれる数々の香りだ。

たとえば、湧水の香り。
浅間山の雪融け水が何十年もかけて地層をくぐり抜け、それが十数個所から湧き出して、やがて一本の流れとなって樹齢何百年もの大樹の足元をひたひたと濡らしている。
そういう流れから、ある芳香が漂っていることに気がついた。
その香りとは、言ってみれば、しっかりとした眼差しの、凛々しい少女を想わせる香り。動物系のフレグランスとは真逆の、澄みきった硬質の香り。

たとえば、森の香り。
最初はどこかのお宅でケーキでも焼いているのか、そう思った。
しかし、違う。
いちばん近いお宅でも数百メートルは離れており、その間には深々とした森があるのだから。
では、森の花の香りか?
いまは、ミズキ、ヤマボウシ、ハクウンボク、ホオノキなどの花盛りだ。しかし、それらはこれほど強い香りではない。山野草たちの香りも微々たるものだ。
経験からすると、カツラの大樹の下に立ったとき、この香りに包まれたことが何度もあったような…。
どうもカツラが怪しい。で、ものはためしとカツラの葉っぱを揉んでみた。
残念。
ケーキの香りはたたなかった。
だけど、カツラの下でその香りが強くなることは、ぼくにとって紛れもない事実だった。したがって、真実はいざ知らず、結論はどうしてもこうなる。
「森のケーキ屋さんはカツラだよ~」

たとえば、腐葉土の香り。
腐という字がつくから悪臭を想像されるかもしれないが、そうではない。
要は、降り積もった落ち葉の香りだ。
腐葉土から立ち上る香りは、見た目は茶色なのに、ライムの緑を連想させる。甘みもあるが、それ以上にさっぱりしていて、酸味はまだら状。
午後になり、腐葉土が陽をぬくぬくと溜めると、ふっくら匂い立つ。

長年、平野部の東京で嗅いできたのは、排気ガスや飲食店街の臭い、ヒトの汗や煙草の臭いぐらいのものだった。そんな人間がいま、繊細な香りをさまざまに嗅ぎ分け始めている。
この現実は自分にとって大きな驚きだった。東京では意識して嗅覚を使った覚えさえなかったから。
しかし。
それもこれも考えてみれば、あの酷寒のおかげなのかもしれないと思う。
あの酷寒は一方では、生きものとしての根源的な生命力のテストとなった。
が、もう一方では、長い間眠っていた感覚を揺り起こし、キツネやシジュウカラたちと同じように自然を肌身で感じ取れるよう、五感を初期化してくれた…そういうふうに言えなくもない。

都市生活は、文明の発達は、人間を機械装置に頼らせ、非動物化していくけれど、それは生きものとして正常な在り方なのだろうか、という気がする。
もしかしたら人間は、あるいは文明は、歪んだ進化をしているのではないだろうか、という気がする。
それをふと考えさせられる森の日々である。

●コシの弱い蕎麦屋。

きょうは七夕。
県道のバス停まで自転車で行き、そこから一日に一〇便足らずのバスを乗り継いで、近隣の有名観光地、草津温泉に行ってみた。
中学生のころから、有名なもの、流行っているものには背を向けてきた偏屈者のぼくだけど、たまには田舎のバスに揺られてみるのもいいかな、という気持に従っての草津行きだった。
着くと、テレビで観たことのある風景を再確認するように足早で旅館街を歩き、物は試しと娯楽場化した共同浴場で湯につかり、その後、遅いお昼を食べようと、町はずれの小さな蕎麦屋の看板に従って細道に入った。
蕎麦屋の店名は「呱々庵」。ふりがなもない。
(乳呑み児の泣き声の「呱々(ここ)」のことだろうか)
とは思ったが、解せない。
店名には明らかに不向きだし、読み方がわからなければ、お客に「来るな」と言っているようなものではなかろうか。
しかし、何かとアンチ人間のぼくは、その店名に逆に惹かれた。

そこへの道は謎めいた店名にふさわしく、左右から木々の枝が覆いかぶさり、薄暗かった。
ふつうは、それだけですでに行く気を殺がれるにちがいない。おまけに進むにつれだんだん登り坂になり、最後は登坂車だったらドライバーからは空しか見えないのでは?と思われるほどの急傾斜になった。
そんな坂を上って、やっと平らになった、と思ったら、突然広々とした高原地帯に出ていた。
目の前には青空とのびやかなキャベツ畑。
ふーっと息をつく視線の先に蕎麦屋らしき建物があった。
近づくと、店のまわりの白い蕎麦の花がちょうど真っ盛り。足元の前庭にもナチュラルに色とりどりの花が咲いていた。
一間ほどの引き戸の入口。
「こんにちは」
首を覗けて店内を見るが、一時半を回っているせいもあってか客はいない。
「こんにちは。どうぞお好きな席に」
と白いエプロン姿の女性が奥で応える。たぶん奥さんだろう。
民家の居間を改造したと想われる小さな店だった。全席お座敷スタイル。
そう言えば、客の迎え方が「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」だったことに、スニーカーを脱ぎながら気がついた。
まるで隣人同士のようなざっくばらんさではないか。注文を取る口調もへりくだらず、おもねらず、かといってつっけんどんでもなく。
生ビールと天ざるを頼む。
調理場に奥さんが引っ込むと、奥さんより幼げに見える男性が伏し目がちに現れ、ガラス張りの蕎麦打ち台の前に納まった。ご主人にちがいない。
(鰻屋じゃあるまいし、いちいち注文を受けてから打つのかなあ)
と内心の声。いや、この時間だから、昼前に打った蕎麦がすべて出てしまったのかもしれない。

ワサビの茎を漬けたつきだしでビールを飲み終わったタイミングを見計らって、蕎麦が出て来た。
供された蕎麦は、頼りないほど白かった。
殻を入れていないからだろうが、奥さんの弁によると、つなぎも入れてないという。蕎麦粉一〇〇%。
「クセがなくて、さっぱりしてます。東京からのお客さんは、黒い、コシのある、風味も強い蕎麦に慣れておられるようで、少しものたりないようですけど」
卑下しているのでもなく、言い訳がましくもなく、淡々と奥さん。
その言葉どおり、コシは強くない。しかし、そのぶん喉にスルスル入る。蕎麦のタネを蒔き、育て、収穫し、挽き…の全工程をご夫婦でやっているのだそうだ。聞いているうちに、なんだか蕎麦が輝き出した。
天婦羅は奥さんが揚げているという。エビが二尾。ナス、木の芽、大葉など。エビ以外は自家製。
「この夏はうちで作った珍しい野菜、紅オクラとかオカヒジキとか紫ジャガイモとか、そういうのをここで売ってみようと思うんですよ」
とのことで、半商半農方針か。
帰りがけに言う。
「ご主人にお礼を言ってください。ぼくには、とてもおいしかったですよ。ごちそうさまでした」
すると、奥さんが内気そうなご主人をレジのところまで引っ張ってきた。直接お礼を言うと、ご主人は煮崩れたジャガイモみたいな顔になった。心から嬉しそうだった。久しぶりに他意のない大人の笑顔を見て、ぼくまで頬が弛んだ。それで、
「表の花々の、ああいうナチュラルな咲かせ方、大好きなんですよ」
と言うと、
「もし秋にまたいらしたら、できてるタネを差し上げます」
と奥さん。
ご主人も奥さんの言葉にうなずき、それからなんとなく奥に引っ込んでしまった。頭を下げるでもなく、別れの挨拶をするでもなく。恥ずかしがり屋の子どもがお母さんの陰に隠れるように。

「勤め人をしてたんですけどね。人づきあいが苦手で、営業ができなくて、四〇歳そこそこで会社を辞めたんですよ。それから研修農場に入り、人の作らない野菜を作るんだって農業を始めたんです。でも、こちらの旅館街では、なかなか新しい野菜を使ってもらえなくて。それで今度は蕎麦道場に通い、蕎麦屋も始めたんですけど。ただ雪の間は、畑はもちろん店もお休みにして、スキー場の食堂で蕎麦を打ってるんです。私もそこでお運びさんをやってるんですけどね」
釣銭を渡す手を止め、奥さんがなぜか身の上話を聞かせてくれた。そして、表に出て、
「もし、もうできてる花のタネがあったら…」
持ってってくださいという話になったが、じつはぼく、森の中に住んでいて、そこには他から植物を持ち込むことができない規則なので、と事情を話し、恐縮しながら遠慮した。
「どうぞ、またいらしてくださいね。わたしたちもお会いできて嬉しかったです」
温かな出会いだった。
もしかしたら、ご自分たちと似たニオイをぼくから嗅ぎ取られたのだろうか。

帰りのバスの中。
いつしかぼくも、自分をその蕎麦屋さんに重ね合わせていた。
人づきあいが苦手なこと。それから、若い頃から何度か転職を考えもしたことなどを。
ぼくの場合はけっきょく、忍耐をすることがぼくの人生の意味ではないのか、という被虐的な、あるいは求道者的な結論に至り、六十代半ばまで意固地に会社勤めを続けたのだが。
(あの人、脱サラをして、あんな人けのないキャベツ畑の真ん中で白い蕎麦を打って、それもどこかコシの弱い蕎麦で、おまけに店名が呱々庵だなんて…)
しまった!
店名の由来を訊きそびれたことに、いまになって気がついた。
しかし。
訊くまでもない気もした。彼の人生はいまでも時々、乳呑み児のような泣き声をあげているのかもしれないから。
(なんとか頑張ってくれるといいなあ) 
自分のことのように身体の底の方からつらくなった。

●雑草、雑木、雑人。

敷地内に飛び石を置く作業中のこと。
石を置こうとした場所に初めて見る花が咲いていた。
それは茎や葉と同じ緑色をした、自己主張のない花だった。
背丈は一〇センチほど。花の大きさはわずか二~三ミリ。
「こんな花もあるんだなあ。ありがとね、咲いてくれて」
そう声をかけ、さっそく植物図鑑を持ち出して調べる。
だが、胞子植物だの被子植物だの、アカデミックな分類になっているので、一〇〇〇ページもある中から探すのは容易じゃない。頭から最後まで一ページずつめくって、けっきょく見つけられなかった。
いや、きっと載っていないのだろう。人間の勝手な美意識で、地味な、見栄えのしない花をつける植物は切り捨てられるのだ。

雑草。
人は平気でそう言う。雑木林もそうだが。
「雑」だなんて、どういう価値観だろう。人間の利益を損なう邪魔もの。何のとりえもない、無価値なものたち。
いまさら力んで言うまでもないのだけど、すべての植物は等しく尊い。雑草や雑木に生まれてくる植物はない。
それはホワイト、イエロー、ブラック…肌の色に関係なく、すべての人が等しく尊いのと同じことだ。
さらに言えば、男、女、男の身体に女の心で生まれた人、またその逆に生まれた人。自分が男か女かわからない人。精神的、知的、身体的障害を持って生まれた人などなど、すべての存在が等しく尊いのとも同じことだ。

昨今、やっと人間の多様性を認めようという世になった。
かつては雑人という身分、呼称があったが、いまは誰もそんなことを言わない。
雑草、雑木林という呼称も、いつかなくなる日が来るのだろうか?

そしてぼくは、きょうも見つけた、咲いたとたんから枯れたように咲く茶色い小さな花を。
葉はエビネランのようだから蘭の仲間かもしれないが、人間の感覚からすれば、そんな地味な花で、受粉を助けてくれる昆虫をどうやって呼べるのか不思議だ。
先の図鑑で調べてみたが、やはり載っていなかった。
人間の価値観で切って捨てられ、名なしのまま生き、終わる。
いいではないか。植物には植物の価値観がある。
「人の世で何ものでもなくたって、そんなこと別にかまわないよ」
とその植物は言っているだろう。