サヨナラ東京 第二の季節。酷寒。下痢男の正体が現われた。

●ツララ。

新年を迎えた浅間山北麓。
生命をたじろがせるほどのあまりもの寒さに、内側に毛のついたブーツ型の室内履きで足先を守り、意味もなく暖炉の炎を見続けている。
もの言うように震える炎。
無意識にキーボードの「Enter」キーを触っていた指先が、気がつけば、無限の空白を画面に掘っている。
多くの古びた山荘は基本的に夏仕様だ。真冬の零下一〇度、二〇度は想定していない。だからガラスは一重。そのうえ隙間風が入り放題の老朽品ときている。不細工だが、家中ガム・テープの目張りだらけにして、冷気から必死で身を守っている。
目を上げると、窓の外に冬枯れの森。
木立の遠くのさらに遠くに、落葉前にはまったく見えなかった人家が一軒。

ここは五十数年前、原生林の外縁部の一角を別荘地として開発した地域だ。
しかし、別荘地と聞いても、ぼくが来たいまはその面影がまったくない。管理事務所は撤退し、早い話が見捨てられて元の森に戻った開拓地に近い印象。
どの区画も一〇〇〇へーべ前後はあると聞いた。しかも「敷地内の三〇パーセントまでしか木を伐ってはいけない」という決まりなので、設計家がオシャレに体裁を整えた別荘地とはもともと様相が異なる。
それに加えて、「土地は買ったが家は建てていない」という区画が八割以上もあるから、どこを見ても森また森のままなのだ。
当たり前だが落葉前の森はとても暗く、植物が好きな人には緑に濾された淡い光がたまらない魅力でも、植物に興味のない人には陰鬱そのものとなる。
そのせいなのか、所有者が高齢化したり代替わりして以降、訪れる人はゴールデン・ウィークとお盆休みに少しだけらしい。
目下投げ売り中の区画も多いと聞いたが、ディスカウントを重ねてもめったに買い手がつかず、ぼくが移り住めたのも
「こんな値段で買わせていただいて申し訳ありません」
という値段だったからこそ。それでも
「よくぞ買ってくださいました」
とばかりに大真面目に感謝を返されたほどだった。
そんな森だから、新規参入者はここ一〇年近くなかったらしい。先住民は数軒の高齢定住者だけ。それ以外は百年、もしかしたら千年と命をつなぐ木々と、ツキノワグマを頂点とする無数の鳥獣ばかり。
ある種の限界集落と言ってもよいのかもしれない。

静かである。とにかく静かなのである。
しかし、静かだからこそ耳をそばだてずにはいられない。
原始の森の静けさには、忍び寄る幽鬼に身構えるような緊張感がある。
空には薄い青。弱い雲。
もちろん人の声も車の音もしない。厳冬は友だちのガラたちでさえめったに鳴かない。
雪の下からわずかに覗く熊笹が風に揺れると、ああ、ぼくのほかにも生きて動くものがあった…とほっとする。

このまま凍りついて死んだとしても、それが自然に感じられるほどの寒さである。
まるで、すべての生命活動が静寂と酷寒に吸い取られてしまったようだ。
「みんな息をひそめ、気配を消して、いないふりをしていようよ」
そう言いたくなるほどの寒さ、静けさ。
ここには、こそこそと不倫をしているシジュウカラはいない。
ミズナラはSNSで誹謗中傷なんかしていない。
舞う雪もブランドもので着飾ってはいない。
雪に生まれたら雪に。
ミズナラに生まれたらただミズナラに。
シジュウカラはシジュウカラとして終わるのみ。
午後二時。
森の寒さと静けさが結晶となって軒から下がり始める。
このツララに伍する無垢な死が、はたしてぼくに訪れるのだろうか、とふと思う。

●下痢男の変身。

厳冬となり、戸外の作業が激減。肉体労働は毎朝の玄関先の雪かきだけとなった。
誰が訪ねて来るわけでもないので体裁はいらない。なのに、
「まだ生きてますよ」
という証しのように雪をかき続けている。
終わったらパソコンに向かい、過る思いを言葉に定着しようと、あれこれキーボードを叩き始める。
そんな言葉遊びを二時間ほど。
若いころは言葉に携わる職種だったが、四十代になって配属替えとなり、営業職となった。そして退職後に、不向きだった営業職への仇討ちのように再び言葉をいじり始めた。社会的には何の意味も持たない作業なのだけど、自分ではなんとなく自分であれた気がするから続けている。
とはいえ、集中力なんてそう長くは続かない。その後に控えるのは、生き続けなければならない積極的な理由を失った老人が、呆然と立ち尽くす時間の荒野。
「何々をしなければならぬ」というもののない時間を前にして、この老人、どうしたか。
ぼくは一日の多くの時間を台所で過ごすようになったのである。

それはごく自然な衝動だった。
買いだめした食材を見ると、こうして食べたいという欲求が浮かぶ。すると、なんとなく料理の工程も浮かび上がる。料理本を開いたりもしない。ネット検索もしない。まったくの我流なのだが。
ただ、若いころから板前さんの手元の見える店が好きで、カウンターの一隅からいつもその技術に見入ってはきた。幼児の時にもお使いで魚屋さんに行くと、頼まれた用事がすんだ後も、大将が魚をさばく様子を厭きもせず見物していた。
だから、単身赴任時の経験もあって、退職後には料理を進んで分担したのだが、それに加えてその他の家事、たとえばトイレ掃除、風呂掃除、ガラス拭き、床磨き、買い物など、当然のように自分の役割を見つけてきた。
もともとそういうタイプなので、家事が苦になることは幸いない。しかし、まだ競争社会にいたときのぼくは、まるで真反対の日常を送っていた。
月曜から金曜は適性を欠く営業活動で摩耗し、料理その他の家事に関心を向けるどころではなかったからだ。
通勤時は素早くトイレに駆け込めるよう、各駅停車の電車にしか乗れないほどの下痢男だったし、休日も日曜の夕方になると、あすから始まる会社生活を想い、早くも下痢が始まった。その下痢はやがて土曜にまで繰り上がり、下痢をしないのはとうとう金曜の夜だけとなった。
積極的な食欲を持った記憶など、だからまったくなかった。そんな男が、いまや高齢者肥満を心配するほどの食欲になったのである。

ある夕食。
冷蔵庫を覗くと、豚バラ肉が目に入る。それを見たとたんに食欲がわき、皿に盛られた料理が浮かび上がる。
それはソテーされた肉の上に五ミリ角の赤ピーマン、青ピーマンが散りばめられ、横に擦りおろしニンニクと玉ねぎのミジンがたっぷり入った赤ワイン・ソースが添えられた絵だった。
セオリーに適っているのかどうかなんて、知ったことではない。そうして食べてみたい絵から逆算して料理をする。それがぼく流。
その成果を分かち合う相手がいないのは残念なことだが、それはそれ。とにかく早食いにならないよう、味わいながら食べるんだぞと言い聞かせながら、それでも相当早く食べ終わり、さっさと洗い物にかかる。
洗い終わると、ネットで箱買いした超特価のスペイン産ワインを飲みながら心身を弛緩させる。
目の前の暖炉では薪のはぜる音。そしてボソッと火崩れする音、時々。
それだけの一〇分、二〇分…。
テレビもつけない。音楽もかけない。人為的な音のない空間。こんな素の時間をこれまでどうして持てなかったのだろうと思う。
いや、どうして、ではない。理由はわかっている。
ぼくは長い間、身体に合わない殻を背負ったヤドカリだったのだ。背中には義務やしがらみ、不充足感や嫌悪感、厭世観などがのしかかっていた。だから、生きて在ること自体がストレスだった。
だけどいま、このヤドカリ、殻がない。
妻がこの世にいたときはもちろん身勝手なことはできなかったが、いまはその枷がない。ただ一人の親族を除いて、すべての人間関係を捨ててきた身だ。拘束されるもの、守るべきものがいっさいない。言い方が露骨で申し訳ないが、ぼくが生きていなくたって誰も困りはしない。
そういう存在になったことの気楽さがある。
殻がないのは当然のことだ。

ミズナラが真っ赤な炭になって熾(おこ)っている。
その前で横になり、世間では料理酒にする程度の値段のワインを手に、ぼくはもう夢見心地。
一秒一秒、一日一日、ただ寿命を浸食していく時が流れていく。しかも、浸食された時間はもはや自分自身でさえも記憶する必要がなく、常闇の中に消えていく。
これからはただ生きて、ただ死んでいくのみ。シジュウカラのように。
人間だけではないだろうか。長い航海をする船じゃあるまいし、腹の底にいろいろこびりつかせて船足を鈍らせているのは。

●キツネのくれた教訓。

大寒に入った。いよいよだ、酷寒の季節は。
前夜の雪がこの世の善も悪も覆い隠し、森は真っ白。
けさバード・テーブルに行ったとき、動物の足跡を見つけた。あいにく足跡でその動物を言い当てられるほどの知識がない。で、数分後にはもうそのことは忘れていた。
ところが。
突然、足跡の主が現れた。ほんとうに眼前にナマのキツネが現れた。
キタキツネの映像ならテレビで観たことがあるが、生身のキツネなんて見たこともない。恐竜が現れたぐらいに身がすくんだ。
ソファの陰で息をつめ、目を半分だけ出して観察開始。その距離およそ一五メートル。
なんとまあ、左の後ろ脚が半分ない。
イノシシやシカを捕獲するための罠にでもかかったのだろうか。暴れているうちに脚がちぎれたのかもしれない。こうなったらもはや野ネズミもウサギも狩れまい。動物の死骸や人間の出すゴミに頼って、いったいどこまで生き延びられるだろうか。
午後四時近く。バード・テーブルはすでにからっぽになっている。キツネはガラたちが枝から落としたヒマワリのタネやピーナツの小片を求めて、雪の中をあっち行き、こっち行き。二〇分ほどして、森の奥へしょんぼり帰って行った。

そのあと。
薪を一抱え取りに出て暖炉の火勢を強め、さあ今夜は何を食べようかと思案する目を窓の外に転ずると、また三本脚のキツネ!
さっきと同じように雪に鼻を突っ込んで嗅ぎまわっている。もう何もないはずなのに。
きっと、森に帰ってはみたものの野ネズミを狩ることは不可能になったという現実をあらためて突きつけられ、苦悩の末に再び引っ返して来たのではあるまいか。
(キツツキ用の牛脂をやろう)
反射的にそう思う。助けてやりたいと。
しかし、その思いを追って、
(野生動物にそんなことをしていいのか?)
という思いも。
もし飢えて死んでも、それは野生動物の宿命。自然の摂理に手を加えるべきではないのではないかと。
しかし!
(そう言うけど、おまえ、あのバード・テーブル。あれは何なんだ?)
そうなのだ。統一するなら、キツネにも何かをやれ。さもなければ、バード・テーブルをやめろ。そういうことじゃないのか?
しばらくウ~ムと自問自答。
キツネ、ガラ、キツネ、ガラ…。
キツネを見ると、気のせいか、ぼくの方に一瞬すがりつくような視線を送ってきたような…。
だが。
数秒後。首を振り、ぼくは弱い心を振り落とした。キツネには我慢してもらうことにしたのだ。
(そのかわり、親友のガラたちの生活にも今後は手出しをしない)
そう決心をした。

ぼくはガラたちに好かれていると勝手に思い込んでいるバカモノにすぎなかった。彼らからすれば、このぼくは友だちでもなんでもなかったのに。
初めての森暮らしに酔って、こんな当たり前の事実を素通りしてきた。
今後、彼らに親近感を覚えることぐらいはいいとしても、バード・テーブルのように、生態系に身勝手な愛情や同情を持ち込むことはいけないのだった。自分本位の悦びのために、人間が生態系に手を加えてはいけないのだった。
(人間は人間として真一文字に生きよ。シジュウカラはシジュウカラとして、キツネはキツネとして生きるのみ)
そういうことである。共生とは寄りかかり合うことではない。それぞれが独りで起っている、その大前提があっての共生なのだから。

考えてみれば。
かわいいから、楽しいから、癒されるからと犬や猫を飼うことだって、それは人間の勝手な感情移入、もっと言えば寄りかかり精神のなせる業だと言ってもいいのかもしれない。
「そうではないよ」
と言われる方が、もちろんほとんどだろう。
しかし、三本脚のキツネのことをきっかけに思ったのは、牧羊犬や猟犬、盲導犬、警察犬、麻薬探知犬のように人間の営みのパートナーになっている場合は別として、愛玩動物化は人間のエゴではないか。食糧を与えることで動物の歓心を買うことは、生きものの尊厳を大切にする意識とはむしろ対極にあるのではないか…。
そういう思いがぼくの中で芽生えたのは事実だった。

キツネの姿はいつの間にか消えていた。
森には煙霧のような闇が漂い始めていたが、ぼくはその薄闇の隙間に視線を差し入れ、キツネを探した。できるなら、そこに一瞬でもいい、肩越しにふり返る三本脚のキツネの姿を見たかった。
キツネに別れの言葉をかけてみたかった。

●ド太さ。

酷寒は人に曖昧さを許さない。適当に過ごす、なんてことがまったくできない。
何事にもはっきりとした対応をしなければ、酷寒につけ入るすきを与えてしまう。
グレイ・ゾーンというものがない酷寒。
それは良くも悪くもぼくを追いつめる。

持って行き場のない疲れを感じるようになった。
酷寒との神経戦のせいだ。
暖炉を燃やすのはいいけれど、薪にはまだ意外なほど生命力がある。伐られ、割られ、乾いていても、薪は大地に生えていたときの命をまだ残しており、
「ジュウウ、ジュウウウウ…」
と、まるで人間の断末魔のような声を発する。
それは灰になる前の生命の、最後のたまゆらの息づかいと言ってもよいのではなかろうか。

こんなふうに感じること自体が、すでに神経をやられている証拠かもしれない。
灯油は科学の手が加わった無機的な存在だが、薪には何かまだアナログ的な情念のようなものが潜んでいる。
ぼくにはその情念を上手にあしらえるだけの健全な精神がすでに乏しくなっている。炎が美しいと思えたのは、森暮らしの入学式が終わってまだ間もないころの話だ。いまは、そんなロマンチックなこと、言っていられなくなった。
美しいことは美しいが、あんなに情深くすがりついてこられては身がもたない。
ある種の戦いなのだ、暖炉を燃やすという行為は。
だから、きょうは石油ストーブだけにしておこうと決めた日はほっとする。

これほどまでにピリピリしていては、そう長くあるまい。再び妻と逢う日も、そう先ではないかもしれない。
「人生、百年時代」なんてお題目が唱えられているけれど、ぼくの場合はそんな話、忘れてよさそうだ。
思い起こせば、勤め人時代のストレスの源は、主にその成果主義という価値観にあった。が、自然と対峙するいまもまた、ぼくは別な意味で成果を求められている。
それはきっと、生命の「ド太さ」という成果ではないだろうか。
(だけど、ド太さと言われたって…)
ぼくの生得的な資質からはいちばん遠いものだ。
困ったことになってしまった。

●立ちすくむ夜。

「きょうはTシャツ一枚でいいんじゃないかな」
平野部の人には大げさな話に聞こえるだろうが、そう感じて屋外に出した温度計を見るとマイナス五度。マイナス一〇度でやっと
「きょうは冷えるなあ」
そういう毎日。
からだがどうかなったかと思うほど、東京にいたときとは寒暖の感覚が違ってきた。肉体が寒さには慣れてきたのはたしかだ。
が、精神的な孤立感の方は日に日に増し、山暮らし一年生が期待していた酷寒は、心の相当深いところまで沁み込んで、ぼくを切り立った断崖に追い詰めつつある。。
「そんなに嘆くなら、積極的にいろいろな人と交わればいいのに」
と言われるかもしれない。が、それが都市部から来た新参者の老人には案外むずかしいのだ。なぜなら、ぼくは「歓迎されざる者」だから。

たとえば。
ぼくにとってこの季節、唯一の出会いの場でのこと。
JAのスーパーまで自転車で行けない冬期、ぼくは生鮮食品確保を主目的として生協のグループ配達に加入しているのだが、その集配所となっている町道沿いのお宅まではるばる注文品を受け取りに行くと、そこは女性陣の賑やかなオシャベリ場と化している。
その姦しさときたら、上沼恵美子さんと黒柳徹子さんが七、八人束になってしゃべっているかのようだ。
もしぼくが高齢化した集落の再興に役立つ子育て世代だったら、そんなおしゃべりのさなかであろうとも、
「お兄さん、ちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ」
「どこから来たの」
「子どもはいくつ? 何人いるの?」
などなど、何かと声をかけてくれるのではないだろうか。が、ぼくの場合は、
「その年で何しに来たのよ。ここに死にに来ないでよね」
そんな雰囲気が何となく伝わってくる。
被害妄想ではない。ぼくの年齢を見れば、ここで生まれ育った人たちがそう思うのは無理からぬことで、「おっしゃるとおりデス」と頭を垂れるしかない。
もちろん口に出してまで言われないぶんダメージは少ないが、彼女たちの前に山ほど並べられた駄菓子も漬物の一切れも勧められたことがない。消極的にさえ歓迎されていないのは、遠巻きに目の端でチラチラ見られている感じから察せられる。

そんなわけで。
けっして仲良くしたくないわけでもないのだが、ぼくはもともと気軽に世間話ができないたちなのだ。ぼくが興味を持つのは植物の知性や感性だの、魂の有無だの、蝦夷(えみし)やアイヌ民族、ネイティブ・アメリカンの価値観だの、ふつうの人が横を向くようなテーマばかりときている。
そんな人間だから、注文品を確認し終わると、
「お先に失礼しまス…」
とモゴモゴ言ってリュックを背負い、そそくさと背を向ける結果となる。
しかも!
最もショックなのは、そうしてドアを閉めようとするぼくの背中で、あれほど賑やかだった上沼さんやら黒柳さんやらが一瞬いっせいに黙ることである。
その断ち落とされたような静寂ときたら…。
ぼくの背に向けられている視線が見えないのは、とても幸いなことだ。
さらに言えば、ぼくが出て行った後に始まるであろう、この老いた新参者に対する辛辣な評定が聞こえないのは、もっともっと幸いなことだ。
ここでぼくが受け容れられる日が来るのかどうか自信はないし、まあ、どうであれ成り行きでいいと思っているのだが。

「冬を無事に乗り切るには、よほどの場合でないかぎり外出せんことです。熊みたいに眠って、寒さなんか気づかないふりをすることですよ。そうしないと乗り切れないほど酷いです。だから酷寒と言うんです」
それは、昨年末、
「皆さん、酷寒と言いますけど、実際のところコクって、どうコクなんですか」
と尋ねたぼくに、おなじみの石油屋さんが返してくれた言葉だった。
ほんとうに、そのとおりの暮らしぶりだった。
人々は食糧を買いだめし、めったなことで車を出さない。酷寒は人間関係をも希薄にする。ぼくの住む森の区画は町道にいちばん近いので、木々が落葉してからは車の走る音を聞き取りやすいのだが、酷寒の時期になると、それでも日に二、三度聞こえるかどうか。
誰からも電話がない、メールもない、郵便も来ない。当たり前だ。過去の人間関係はすべて清算したし、引っ越し先は唯一の肉親の姪以外、誰にも伝えていないのだから。
その姪には死後の諸整理はもとより、ぼくがもしも認知症になったときのために成年後見制度でのフォローも頼んである。そういう間柄の姪に対してさえ、越して来た当初、テスト的に電話とメールのやり取りをしただけで、以後お互いに沈黙している。
「入院とか、いよいよ介護つきのホームに移ることになったとか、そういうケース以外、連絡しないからね」
「うん、わかった。わたしからもそうする。その方がいいんでしょ、叔父さんは」
「うん。そういうことで。勝手なこと言って、ごめん」
もう五十代半ばになった姪は、独り身で男社会を生きて来た。二親とも彼女が三十代で逝った。一人っ子で、父方に近い親戚はない。母方にもぼく以外の親族はない。ぼくが死ねば血縁者はゼロ。そういう者同士だからだろうか、
「なぜその年で、そんな縁もゆかりもない山奥に引っ越したの」
と姪が言った時、
「あえて孤独死をするために、かな」
と返したぼくに、姪は驚きもせず、むしろ直感的な理解を示した。お互い、変わり者といえば変わり者だが。

いまや東京は地平線の彼方に去った。
東京にいたときの知人たちの記憶から、ぼくはとっくに消えているだろう。当然の帰結である。不平を言っているのではない。
運動不足にならないよう階段の昇降を始めたのだが、これがなんとまあ、気が滅入るのだった。
(こんなことをして何になる…筋力を保ったところで、どっちみち間もなく独りで死ぬんだろう?…おまえ、何をしてるんだ…)
一段ごとに孤独感がつのる。
組織に組み込まれていれば、不愉快、不自由なことはあっても、自分が何者であるかは他者との関係で明らかになる。しかし、いわゆる孤老となり、しかも家の中にいるしかないこの酷寒は、自分をどこにも紐づけることができないのだった。
宙ぶらりん。
無重力の空間を漂う塵のように。
…と。
ぼくはどこに向かい始めたか。
驚いたことに、十代のころのように、生きて在ることに立ちすくんだのである。

ある夜の三時三〇分。
とうとう、どん詰まりまで行ってしまった。
ぼくは呼吸困難になって目が覚めた。胸に重い石がのしかかったようになって息ができず、跳ね起きた。
二度目のことだ。
四十数年前、最初の結婚に破綻を来たし、妻だった人が出て行った。家具がなくなった畳に現れた青い跡。何も入ってない押入れの空漠とした白い壁。それらを見ていると、突然、巨大な手で肺も心臓もいっしょくたに握りつぶされるような呼吸困難を覚えた。その時の感覚と同じだった。
ぼくは真っ暗闇で意味もなく目を見開き、時間を呑み、呑み込み続け、そうして時を重ね、ようやくまだ暗い六時、人の気配を求めてカーテンの隙間から外を覗いた。
冬は落葉しているせいで、遠くにある定住者の家影が木立の向こうに見える。昼間見たとき、その家には珍しく赤い車が止まっていた。夕方には何人かの出入りらしきものも確認できた。人がそばで活動している様子を垣間見られるということが、こんなにも心温まることなのかとその時は思った。引っ越しの挨拶に行って以来話したことのない人だが、とにかく誰かが近くにいるという安心感が気持を明るくした。
だからぼくは、すがりつくようにそのときの赤い車を見ようとしたのだが…。
なかった。
車が見えない。窓に明かりもない。この時間にはいつもなら雨戸が明けられ、窓のカーテンが明るんでいるのに。よく見れば雨戸が閉まっている。
(もしかしたらあれは息子さんの迎えの車で、酷寒の間、子どもたちの住む東京にでも避難したのではないか?)
そう思ったとたん、はしたない表現で申し訳ないが、小便が洩れそうになった。
鬼界ヶ島に置き去りにされ、水平線の彼方に去り行く船を見ていた俊寛も、我知らずお漏らしをしたのではないだろうか。

「ぼくだって東京に避難していいんだぞ」
自分を鼓舞するため、声に出してそう言いながら、再び布団に潜り込む。
後は野となれ山となれ。
これは勤め人時代のぼくが、数えきれないほど何度も自分に言い聞かせてきた言葉だ。何でもかんでも自分が背負おうとするな。放り出せ。生真面目すぎる。後のことは知ったことかと事態を突き放せ。くり返し、自分にそう言ってきた。
しかし、そのお題目もストレスが腸に出る体質に打ち克つまでの力はなく、ぼくは慢性的な神経性下痢に悩まされ続けた。
退職後、幸いそれは自然消滅したのだが、酷寒生活を乗り切るためにもういちど当時のお題目を思い出した方がいいのかもしれなかった。

起きると濃密な雪。
一〇メートル先が見通せない、分厚い壁のように降る雪だった。
そんな雪を見ながら再び考えた。東京を捨て、森で心を疲れ果てさせ、いったいぼくはどこへ行く気なのかと。
(まさか、あの人間のるつぼに逃げ帰る気か? あんなに固い決意でやって来たのに?)

午後になってもまだ雪。
きょうはさらに何十センチ積もるのか。東南の角部屋は、屋根から落ちた雪が溜まって、すでに窓を半分塞いでいる。その部屋はすでに今後の日々を暗示しているかのように薄暗い。
積もった雪の山を崩し、ぼくは光を取り戻せるのだろうか。適性のない仕事で否応なく鍛えられたはずのあの忍耐力は、いったいどこに消えたのだろう。最初の寒さショックの真夜中にも感じたが、命を支える精神の力がぼくはほんとうにカボソイ。
(ド太い生命力を養うことがこの森での課題だなんて…)
そりゃそうかもしれないが、その前におまえ、壊れるぞ!

●逃亡者。

翌、二月七日のこと。
ついに酷寒の孤独に耐え切れず、この地域に一台だけの個人タクシーを頼んで延々と山を下り、軽井沢駅から新幹線で東京に出た。すでに脱ぎ捨てたはずのあの喧騒の巷、襤褸(らんる)の都に。
恥ずかしいことだ。これまでの森での気づきを無にするようなひ弱さ。そう言われても仕方がない。
「息抜きの何が悪いの」
妻がいれば、そう言うかもしれない。
もちろん、わかっている。誰だって息抜きぐらいするだろう。だから、ぼくもいちおう気楽な小旅行だと言い聞かせながら森を離れた。が、道中、逃亡者のイメージが心から離れない。自嘲したい自分、それは胸の中のナイフのようにぼくを突き刺した。

東京では、わざわざ人混みを選んで浅草のビジネスホテルに泊まった。
が、逃げ出した自分に対して自分が振るうナイフの傷にいたたまれず、うつむいて仲見世の雑踏を歩いただけで食事もホテル内でそそくさとすませ、翌日の午後には森に帰って来た。
すると…。

観葉樹がすべて枯れていた。
「緑に囲まれた森暮らしを始めるのになぜ観葉樹を?」
とお思いだろうが、引っ越しで荷物の大部分を処分したとき、生きている植物を家庭ゴミ用に鋸で小さく切ることができず、持ってきたのだった。
ゴースト・タウンの町角に立ったように、ぼくは観葉樹の鉢の前で呆然と立ち尽くした。用心して窓際から離しておいたのに、すべてが凍死していた。
ぼくだって、雪の中に一晩放置されたら確実に死ぬ。どうやら、それと同じことを植物にしたらしい。植物の水分が凍りついたのだと想像できた。
前にも言ったとおり、この家は夏仕様だ。壁もガラスも薄いし、そのうえ経年劣化で隙間風も入り放題。ガムテープで手当てはしてあるが、それでもどこからか外気が吹き込むので、暖房を消した一階の部屋は朝起きるとマイナス五度以下になっている。そのため、ふだんは寝る時に暖房のある寝室に民族の大移動させるのだが、留守の間は二階にも暖房を入れないので移動させなかった。
わずか一泊二日とはいえ、雨戸を閉めた屋内には太陽の熱も伝わらない。零下の生活が植物たちには長すぎたのだろう。パキラ、カポック、ゼラニウム、ドラセナ・レインボー。計四鉢。すべてやられた。ぼくという逃亡者の犠牲になった生命である。
色を失い、水気を失って垂れた葉を撫でた。茎が痩せ衰えたお爺さんの首筋のようにシワシワになっていた。妻はきっと言うだろう。
「自分を責めちゃダメよ」
が、独りでは気持が容易に切り替えられない。酷寒で剥き出しにされた気持の弱さへの悔恨が、凍死した観葉樹に激しく感情移入させる。自分の亡骸を見るようだった。
(しっかりしろ! 顔を上げろ! 起て! 起つんだ!)
まるで十代の悩める若者に言うように自分を鼓舞する気持が虚しく空を切る。
やれやれ、こんな年齢になってまで、こんな気持になろうとは…。

枯れた観葉樹を薪といっしょに燃やすことなど、とうていできなかった。
凍った植物を鉢から抜き、庭に出て震えながら雪に埋めた。
何を埋葬してあるかを知ったら、人はきっと嗤うだろう。
が、ぼくはこっそり手を合わせた。

●生命の芯。

落葉樹の森は当然ながら、太陽の恋しい冬、すばらしく明るい。
その光に温められ、ベランダに吹き溜まっている雪が昼前になるとわずかに融けるのだが、しかし午後二時にはもう凍っている。
同じようなことは屋根でも起こる。
屋根の雪はこの季節ともなると幾層にも圧せられ、もう半ば氷と化している。だが、それでも暖房熱と太陽熱の挟み撃ちには耐え切れず雫を落とし始める。
そのわずかな水流も午後二時には凍り始め、新しいツララとなる。
やがて。
そのツララに夕日が射し込む時間が来る。
ツララに宿る夕日の輝きには詩心を誘うものがあるが、寒さが先立ち、そんな余裕はたちどころに消え失せる。儚い光は人生の最終盤を迎えた人間の肩にしばし留まり、それから闇をたたえた地平へと静かに沈んでいく。

「冬は風が泣きますよ」
越して来た当初、「雪水が凍ると冬です」と言った石油屋さんに歌謡曲の歌詞のような言葉で脅されたが、幸い木々が密生しているこの森では、落葉しているこの季節でも空気が大きく揺れ動くほどには風が吹き抜けない。
ベランダに佇み、視線を暮れなずむ梢の彼方へ放っていると、音のしない瞬間が空に向かって延々と伸びているのがわかる。
いま「瞬間」と言ったが、言葉の遊びではない。時がサラサラと線状に流れていくのではなく、あまりの寒さに一刻また一刻と読点を打ちながら掘り下げられていくようなのだ。
なんという所に来てしまったのだろう。この季節は生命という生命が、すべて垂直に切り落とされたかのようにそそり立っている。

パーン! パキーン!
突然、凍裂の音が澄みきった静寂の中を走る。
そういう現象があることは知っていたが、初めてその音を聞いたときは自分が撃たれたようにたじろいだ。
(誰か、森のどこかで鉄砲を?)
が、一瞬後、思い出した。いや、これがきっと凍裂なのだと。木の水分が凍って膨張し、樹皮が裂けた音だと。木々を抱く空気自体がキンキンに凍っているのだから、樹液だって凍らずにいられるわけがない。
珍しくシジュウカラの鳴き声がした時には、それを聞いたというより、「見た」とあえて言ってみたい感じだった。シジュウカラの声がチチチと結晶したように感じられたのだ。
多少誇張して言わせていただいているが、関東平野の沿岸部で冬を過ごしてきた人間の感覚で言えば、ここの寒さとはそういうことだ。

さっきから遠い木々の間に一匹のキツネが見え隠れしている。
衰えた視力を鞭打ってよく見ると、どうやら例の三本脚のキツネらしかった。しばらく見なかったから、きっともう…と思っていたが、なんとまあ、まだ生きていたのだ。
だが、かつてのように庭先に来ようとはしない。そりゃそうだ。最初にそのキツネを見たときに得た教訓で、バード・テーブルはすでに撤去していたから。つまり、ここにはもはや鳥たちのおこぼれのピーナツがないのだから。
傾いた陽ざしの中を不格好な歩みで森の奥へと去るキツネ。食べることと繁殖のためだけに費やされてきた時間。いったいあのキツネがこの世に現れた意味は何だったのだろうか。
まあ、他人のことは言えないか…。

張り詰めた冷気を動かすことなどできない弱々しい風が、大樹の梢に真綿のように纏わりつく。ぐずぐずしてると、おまえも凍るからねと風に言う。
凍らないものは何もない。
越して来て三か月。ぼくの中で凍ったものは何だったのか。凍っていないものは何なのか。
生命の芯が震える。
ぼくは逃げるように暖炉の前に戻り、火勢を強めようと焚きつけ用の小枝を折り始める。
その音。
その音が、からだの中で折れる。