ニーチェ1

新宿歌舞伎町のナンバー1ホスト、レイヤの店に場違いなほど純朴な20代前半の女性ミユキが来店する。酔っ払って面白半分で入った友人についてきてしまったというのだ。歌舞伎町のホストクラブは初回5,000円で飲み放題の店が多い。気軽に入ろうと思えば入れるのだ。
――カモだ。
レイジはホストの直感でミユキをちやほやと持ち上げる。酒の飲めないミユキにはホストの巧みな話術でのぼせあがらせ、自分に惚れさせてリピーターにするのだ。来店のたびに自分がミユキの代わりに飲むからとミユキのカネでドンペリやリシャールを入れさせれば店の売り上げになるのだ。
ミユキには月に50万円は使わせてやろうと決めた。カネがなくなれば店が紹介する金融業者を紹介して借金させばよいのだから……。
ミユキの職業は保母で、月に手取り16万円給料の凡庸な女だ。この手の女は刺激に飢えている。手玉に取るのは朝飯前だ。レイジは無理矢理ミユキたち女子からラインアドレスを訊き出して強引に次の来店の約束を取り付けた。
翌日、ラインをするとミユキから丁寧な返信が来た。あまりの心のこもった丁寧さにレイジは拍子抜けた。まあいい。彼女たちは押して押して押しまくり、次回の来店までつなぐのだ。あいつらには次回一人10万円使わせよう。
約束の日、ミユキだけが来なかった。後日丁寧なお詫びのラインが入った。お金がないという。いつものレイジならあきらめるが、ナンバー1ホストとしてのプライドが許さなかった。オレが誘って落ちないオンナなんていないのにと。
3ヶ月後、ようやく頼みに頼んでようやくミユキが来店する。やっと3万円を捻出したというのだ。金額を聞いてレイジは内心不愉快な顔になった。だが、そこはナンバー1ホスト。意地でも「お金を貯めてオレに会いに来てくれて心から嬉しいよ」と感激した顔をする。
ミユキは話をするより聞くのが好きな女らしい。たまに何か自分の話をしたとしても退屈だ。独特なほんわかした空気を持っているせいだろう。苦手だ。どうにかして3万円しぼりとってやった。ホストには金持ちの1万円も貧乏人の1万円も同じ1万円でしかないのだ。それでもミユキの寂しそうな顔が忘れられない。
バカ面さげてホスト遊びをするオンナどもとはちがう。調子に乗らせてカネをとるのが自分たちの仕事だが、代わりに相手を楽しませてやっているのだからどこが悪いのだと思ういつもの自分になれない。
翌日、ミユキからまた丁寧な返事が来た。無理して楽しかったと嘘をついていた。そんなものは昨日の顔を見たらすぐばれる。今度こそ楽しませてやってカネを取ってやる。
面白くなくてレイジはミユキをまた誘った。支払いは1万円でいいから来てくれ。なんなら貸してくれるところを紹介する――と。
1ヶ月後、ミユキが来店した。相変わらずやぼったい服装だ。無理に必死で褒めるがどうしても空々しい感じになってしまう。そんな自分を気遣ってくれ優しく接するミユキ。居心地が悪くなって後輩のシュウマに代わってもらった。
数ヵ月後、シュウマが頭角をあらわしてきた。いままでは下から数えて何番目かの新人ホストだったのだが、いまではナンバー2にも迫る勢いだ。
客いわく、「キラキラしてるのにチャラくなくて優しいところがいい」と。シュウマはミユキのおかげだという。お金にはならないが代わりにミユキと話すことで癒されたり悩みを聞いてもらったりし、ホストとしての自信までつけてもらった。いい効果があるから上客として大事にしているのだと。
レイジは無性に腹が立った。元々は自分の客だったのにと。レイジは無理矢理ミユキに同伴してほしいと店が始まる前にミユキを誘った。
公園や植物園で会う二人。シュウマともこうして会っているという。ゲーセンやアミューズメント系スポットをへ行こうと誘うが、うるさいところが苦手だというミユキ。
ミユキは自分の将来の夢について話す。恵まれな子供たちの保育園を小さいながらも経営したいというのだ。不幸な生い立ちだった自分を思い出すレイジ。ミユキに少しずつ自分の話をするようになった。
半年後、久し振りに店を訪れたミユキの友人たちは目を疑った。レイジが別人のように穏やかな顔になっていたのだ。歌舞伎町でギラギラしたホストとして名高かったレイジが穏やかな花屋の店員のような顔つきになり、柔和な雰囲気になっている。牙を抜かれたトラ、いや去勢された猛獣のようだ。
「あーあ、レイジがこんなんになってつまんない。シュウマは突然バーテンダーになるっていってアメリカ行っちゃうし、ナンバー2のナオヤはこのまえ常連の女の子と話してるうちに泣きだして田舎に帰るって行って出て行ったって言うし」
「もう帰ろー」
去って行った彼女たちは常連の女の子が友人であるミユキとは知らない。
どういわれてもいいとレイジは思った。自分もそのうち辞めて普通の会社に就職して真面目に働くのだ。その資金で将来はミユキの経営する保育園の近くにカフェを開いてママ友たちを相手に悩みやグチをきいてやったりして、そこへミユキが子供たちを連れてやってきて、オレは子供たちに焼き立てのクッキーを渡して子供たちの喜ぶ顔を見て……。
幸せな妄想に浸りながらレイジは後輩とその客のために跪いてドリンクをつくるのだった。

怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気を付けねばならない。
あなたが深淵を覗き込むとき、深淵もまたあなたを覗き込んでいるのだ。
――フリードリヒ・ニーチェ