不戦の王 32 猥歌

<目次>
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九月十六日早暁。源氏軍到着。
安倍軍の退路にあたる北の森にも坂東武者があふれ、厨川柵の四周は完全に朝廷軍で埋まった。
さっそく人海戦術による民家の取り壊し、森林の伐採が始まった。
幸い住人は戦乱を避け、遠い山村に逃れている。そのため、戦につきものの住民の殺戮凌辱はなかった。しかし、壊された民家は千三百六十戸というから、源氏軍は相当広範囲にわたって展開したらしい。
逆に言えば、それだけの材を集めなければいけないほど、厨川柵は攻めにくいということでもあった。
森から伐り出した樹木はどんどん川に投げ込まれ、そこに石や土砂が入れられた。堀も埋められた。そうやって昼過ぎにはなんとか柵際まで近寄り、そこに民家から集めた材を積み上げ始めた。
その間にも、安倍軍はもちろん間断なく攻撃してくる。
朝廷軍は身を守りながらの土木作業だから、なかなかはかどらない。矢や弩による攻撃もかなわないが、シーソー型の石投げ器によって、川の栗石が放物線を描いて真上から降ってくるのがもっと手に負えなかった。死傷者は時間とともに増した。その数、昼時にはすでに六千を超えた。
清原軍は正面攻撃の準備をする一方、得意のレーンジャー部隊を組織してひそかに川を渡って忍び入り、柵内の建物に火を放とうとした。しかし柵に取りつくところまでは行けるのだが、それをじっくり待っていた安倍軍が、頃やよしと頭上から熱湯を浴びせるので、それ以上は登れない。
そうこうしているうちに、櫓に艶やかな安倍の女たちが現れた。
なんと、京の女官と見まがうばかりに唐衣を着飾り、化粧までしている女たちだった。
(血生臭い戦場でいったい何事が始まるのか)
朝廷軍もこのときばかりは手を止め、目を奪われた。後方の兵たちは、身を乗り出してそれを見ようと争い、死角にいた兵たちは、我も我もと持ち場を離れ、将士に叱責される。それほどの戦場の椿事だった。
柵内からやがて、さらに場違いな音曲が漂い流れてきた。間もなく焼かれるというのに、管絃を奏でる余裕があるのか。そういう思いが一兵卒に至るまでよぎったが、女たちはその調べにのって、身振り手振りよろしく歌い始めた。
「おうおう、なんという…」
「やんや、やんや。歌えや踊れや」
感嘆のどよめき、囃し立てる声が朝廷軍に走る。
しかし耳に飛び込んできたその中身は、すさまじいものだった。聞けば聞くほど、たえなる音曲とはほど遠いことがわかった。
着飾った女たちは、なんと征夷大将軍を卑猥な歌でからかい始めたのだった。
その歌の卑猥でない部分だけが記録として残っている。

♪武則なしではなんにもできぬ
 それでも男か腰抜け腑抜け
 都に戻れぬ居座り将軍
 膝っ小僧でも抱いて寝ろ♪

最後には、女たち、そろって後ろ向きになると、尻をまくってご挨拶に及んだらしい。
戦場であることを忘れさせる嬌声、そして拍手喝采がしばらくは朝廷軍を満たした。
「これから火攻めにあうことはわかっておるだろうに、なんという…」
いや、そうではない。これが安倍の強さということか。
九年にわたって源氏を軽々とあしらい続けた北の蝦夷、安倍。その智勇のほどを話では聞いていたが、これこそ、このゆとりこそ、源氏を翻弄した智勇の一端ではないのか。
坂東武者たちは、妙なところで感じ入ってしまった。
しかし、別な意味でもっともっと感じ入ったのは清原軍の方だった。全員が腹を抱えてその猥歌を喜んだ。どっちの味方だかわからないほど笑い転げた。
ところが、である。
当の頼義は当然それどころではない。その猥歌を聞いて、
『ひどく悪(にく)んだ』
と記されている。
「にくむ」という字に「悪」という字をあてるところが、頼義の心情をよく表しているのではないだろうか。
悪という字をそのように読むのは、ムカツク、という意味である。生理的な嫌悪感である。
熟達した政治家頼義のこと、
「たかが夷族の女どもが…」
と一笑にふしてみせればよさそうなものなのに、それができなかったところをみると、卑猥な部分の歌詞は相当なものだったのだろう。
が、その歌詞以上に頼義に「悪ませた」のは、ほんとうは、味方であるはずの清原軍の失礼千万な嘲り笑いの方だったのではなかろうか。
しかも、それを鎮める一言を発せられないおのれの惨めさが、さらに自らを不快にさせた、そういうことだったのではないだろうか。
頼義としては、何事もなかったふりをして、幔幕の後ろに隠れてしまうのが精一杯のパフォーマンスだった。
が…。
すごすごと隠れた頼義の丸い背中を歯噛みしながら見ていた者があった。
嫡男である。
源義家。八幡太郎義家である。
義家は決然といかつい顎を上げた。そして、吊り上がった眉の下の両眼に、生まれて初めて父頼義を乗り越えて進む決意をみなぎらせた。
「意のある者はわしに続けいっ。敵は彼岸にあらず、此岸にあーりーっ」
き、よ、は、ら、を、せ、い、ば、い、いたすーっ。
義家は馬に跳び乗り、思い切りその腹を蹴った。
この時点で、義家もまた貞任の深謀遠慮によって、その罠に落ちたと言ってよいだろう。
義家は、陸奥には争い獲るほどの黄金がないとわからされてから、この厨川で清原の影が薄くなるほどの軍功を挙げること、それしか京に凱旋する道はない、そういう焼けるような思いにじりじりしていた。
そこに、父、征夷大将軍、源頼義を嘲笑うあの猥歌だった。
しかも、それを安倍といっしょに嘲笑する清原軍だった。さらに言えば、それらに怒りの言葉一つ吐けない父、征夷大将軍だった。
このままでは、これまでつき従ってきた坂東武者が離反する。
(ここで自分が起たねば、源氏の将来は危ういっ)
義家、本気でそれを思った。

義家のアジテーションに、開戦以来アンチ清原の思いをくすぶらせたいた坂東武者たちの一部が即座に同調した。
義家は清原の本陣目指して馬を駆り、足元に群がる雑兵を片っぱしから槍のこじりで突き倒した。続く坂東武者も、徒歩の者は大薙刀を振り回して清原兵を追い回し、騎馬の者は義家に続きながら、清原軍の間を縦横に駆け回った。
清原軍は思ってもみなかった源氏軍の突然の乱入に、四方八方に逃げ惑った。
「同士討ちじゃあっ」
「源氏が狂うたぞうっ」
逃げろ、逃げろ。戦う態勢になる余裕などなく、というより戦うべき相手なのかどうかも判断つかないまま、源氏軍のうっぷん晴らしの犠牲になって蹴散らかされた。
武則のいる清原軍本陣の方角も、馬に跳び乗り駆け出す兵たち、武則の名を叫ぶ兵たちで、同様に騒然としている。
義家は武則の陣を一直線に目指すつもりだったのだが、そこに至る陣構えはさすがに堅牢で、清原軍は幾重にも槍衾をつくって張り出し、騎馬の武者たち数千騎も馬首を源氏軍に向け、これ以上近づくならいつでも迎え撃つぞ、そういう態勢に入っていた。
義家は、もちろんだが、最後の決戦を目前にして、味方同士で血を流す気などなかった。そこまでおのれを失ってはいないし、愚かでもなかった。
ただ清原武則に坂東武者たちの前で非礼を詫びさせたい、それが目的だったのだ。
義家は大音声を張り上げた。
「清原の武則、出ませいっ。征夷大将軍を笑いしその非礼、まごうことなき朝廷に対する非礼なり。出て、その額を地にこすりつけ、天下に侘びませいっ」
武則本人も笑ったのかどうかはどうでもいい。笑った清原兵の代表として、武則に謝らせなければしめしがつかないのだった。
「出ませいっ」
「出ませーいっ」
「出ませえーいっ」
源氏軍の大合唱が始まった。
数では圧倒的に清原より源氏が多い。その声は清原軍を圧し、川を越え、安倍軍にまで轟いた。
「清原のタケノーリッ、いざ、これへ出ませーいっ」
止めを刺すように義家が叫んだ。その声を最後に、騒然とした源氏、清原両軍がいっせいに静まり、緊張が一挙に高まった。
対峙していた万の目が、義家の声の放たれた先を追って、遥か武則の控える森の方へと向けられた。
と…。
その静けさのなか。
清原軍本陣のある森から、轟々と火柱が立ち昇った。
「な、何事っ」
「まさかっ」
「不意打ちかっ」
とたんに、だっと崩れる清原軍。
「大事じゃっ」
それっ。続けっ。馬に跳び乗る者、駆け出す者、義家への対応どころではなくなった。清原軍本陣の異常に、義家もその後を追うしまつだった。

この炎。
猥歌に注意を奪われ、さらに源氏軍に不意をつかれた清原軍が逃げまどっているその間隙をぬって、きのうの影武者戦術であきらめたと思っていた正任が、わずか三十騎で武則の陣を背後から急襲した炎だった。
なんと清原武則は、正任にあっけなく連れ去られた。
(源頼義のために安倍正任が武則の首を獲りに来る)
最も恐れていた事態は、やはり現実となった。
清原軍は安倍正任の防ぎようのない恐怖をまたも味合わされる結果となった。
幔幕の内側の将士たちは、ただ殺されたのではなかった。尖端が三ツ又になった長柄槍で顔面を掻き破られ、腹をえぐられながらも、わざと止めを刺されず、苦痛にのたうちまわっていた。とても戦闘とは呼べない、ただ残虐行為を愉しむような、まさに正任軍の凄惨なやりくちだった。
もちろんこの急襲は、柵内の猥歌と呼応して行った計算ずくの陽動作戦である。
ただし、猥歌の呼び起こす効果を義家が思いのほか拡大してくれたおかげで、正任軍としては、他愛なさすぎるほどイージーな作戦遂行になってしまったのだが。

武則は、六十年つないで来た命ではあったが、もはや完全にその終焉を覚悟していた。
不意を衝く。決して止まらず、動きの中で目的を達する。そして、しかと姿をつかませないうちに敵前から消える。
蝦夷はアテルイ、モレの時代から、ゲリラ戦によって大軍の倭人をさんざん打ち破ってきたが、その鮮やかさはいま正任によって継承されていた。
正任の前後左右を併走する騎馬は、正任軍の中でも抜きん出て勇猛な蝦夷たち。
武則はすでに鎧兜を剥がされ、正任に腰帯一つで襤褸のようにぶら下げられていた。
疾走しながら正任は叫んだ。
「ようく聴くのじゃ、武則っ。この合戦のあと、陸奥が清原だけのものになったと、間違うても思うでないぞっ。もしも後々、兄貞任との約定が失われるようなことあらば、どこからでも現れて必ず命を取るっ。影武者ごときで天寿をまっとうできると思うなっ。清原親子の命、それまでこの正任が預かったぞいっ」
それから、併走する馬群の頭を超えて、武則を片手で高々と放り捨てた。恐るべき怪力。
武則は宙を舞いながら、自分の命のかけらを掴んだ。
(た…た…助かった…)
しかし、同時にである。
いまの命は拾えはしたが、約定を破れば必ず命を獲るという正任の言葉、それは脅しではない。そのことも武則は心の底から感じ取った。
老練な古強者の股間には、漏らした尿がびっしょりと流れ落ちていた。それは武則の生涯を通じて消え去ることのない、安倍一族への恐怖の証しとなった。
そして後日、武則はこの日の正任の言葉を思い出すたびに、正任は源頼義との密約によって動いていたのではなかった。そう思わせられたのは貞任の策略であって、反目していると思っていた正任と貞任とはじつは一枚岩、正任は貞任の言によって動いていたのだということを深く思い知らされたのだった。
とにもかくにも。
貞任が正任に託した秘策は、武則の漏らした尿に収斂されて完了した。