不戦の王 31 影武者

<目次>
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その源頼義。
わざと半日も遅れ、清原軍のはるか後方からのろのろと軍を進め始めた。
しかし、「着く頃には逃げておろう」という頼義の楽観論は、厨川にかぎっていえば少々当てはまらなかった。
安倍軍は珍しく姿を現し、そして攻撃を仕掛けてきたのである。
『陸奥話記』にあるとおり、厨川柵は何も抵抗がなかったとしても、じつに攻めにくい地形にある。簡単に城柵に近づくことはできない。
それでも清原軍の先乗りの一隊が、暮れかかる葦原を難渋しながら横切り、その向こうに見える平地を目指した。本隊が着く前に目障りな見張りの櫓を落し、武則のお褒めをいただこうという算段である。
が、その部隊を待ち受けていたのは、陸地と見せかけた川だった。平地に見えたのは、澱んだ川面いちめんに撒かれた籾がらだったのだ。
後ろは湿地帯。前は川。
「謀られたっ」
「安倍得意の目くらましじゃっ」
衣川を攻めたときの、森と見せかけて、じつは木の枝で擬装した馬群、あの戦術が蘇ってきた。
が、遅かった。謀られたと思う気持の動揺を見透かしたように、安倍得意の弩による攻撃が開始され、この一隊は、千名中なんと四百名近い死傷者を出してしまった。それがしかも、わずか数分間の出来事だった。
清原軍は忘れかけていた安倍の強さを最後に思い出さされた。
「たわけっ」
前線に着陣した武則は怒りに怒った。
「犬死にじゃっ。家の者が待つ出羽にもそっとで帰れるというに、無駄に部下を死なせおって。家で待つ者の涙をなんとするっ。思い知れっ」
先乗り隊の長の首が、一太刀で刎ね飛んだ。
これまでどおり火攻めに徹すれば、清原軍に犠牲などまず出ないはずだった。なのに、勝手に攻めた。
(しかも、我らが血を流せば、源氏が喜ぶだけではないか)
そのことがもっと武則には腹が立った。
源氏は、戦後、清原が扱いにくくなるほど強大であっては困るのだった。この戦、もとより負けては困るが、清原軍も適度に安倍軍の犠牲となり、戦力ダウンしてほしい。それが本心なのは明らかだった。
武則は二人の息子を呼ぶと、ふだんの大所の交易商人に見まごうほどの物腰をかなぐり捨て、まだ怒りをたぎらせたまま言った。
「此度はこれまでのように易々とはいくまいぬぞ。安倍を甘くみるでない。これまでが無抵抗であったからとて、最後まで手を抜くとはかぎらぬ。安倍は破れることはとっくに承知しておる。しかし、最後に安倍らしさを見せて、陸奥から退こうとするやも知れぬ。よいかっ。この天然の要害に、いままで温存してきた戦力を集中して立て籠もられては、生半可なことでは落ちぬぞいっ」
長子武貞が、得意げに父の言葉に応じた。
「ここは奥六郡の北限。すなわち冬が最も早うまいります。その冬が、しかも最も厳しい地でござる。背後には津軽につながる山塊。安倍にとっては庭同然でありましょうが、我らには未知の山河。おまけに多賀城からの補給線もいちばん伸びきった…」
「もうよいっ。おうおう武貞よ。そのような自明の講釈を得意顔して。おまけに、なんじゃ、その他人事のような口ぶりはっ。戦をしておるのは誰じゃ。そなたであろうがっ」
「むっ…」
武貞は的を射た発言と褒められるかと思いきや、頭ごなしに叱られて、思わず唇を噛んだ。武則、まだ機嫌が悪い。
「しかし、敵ながらよう考えたものよ」弟武道が末子の気楽さで独り言のように言った。「どおりでこれまで、どの柵に行っても無人であったはずじゃ。ここで冬を待つ策であったのか」
「おまえまでそのような口をきくかっ」武則、こんどは武道を叱りつけた。「ぬしたちゃ、いつから高見の見物を始めたのじゃ。誰のために陸奥の戦に首を突っ込んだと思うておる。清原が出羽と陸奥、両国を手中にする千載一遇の機を逃す気かっ。自分の黄金、自分の鉄、自分の馬、自分の米を増やせる天佑なのじゃぞ、これはっ。なのに、なんじゃ、その言い草は。よいか、わしは待たぬぞ。わしは冬など待たぬ。一日たりとも待たぬっ。源氏を使うのじゃ、源氏を。やつらにも最後にひと働きしてもらうのじゃっ」
「源氏を? 何ゆえにでござりまする。解せませぬ。最後の手柄を源氏にやるのでござるか」
武貞が叱られた腹いせに、珍しく反抗的な口をきいた。
「馬鹿を申すな。下働きをさせるのじゃよ、あの大軍勢に。薪を集めさせるのじゃ。似合いであろうが、坂東の猿どもには」
「なんと。では、ここでもまた火攻めを? 火攻めの材料を集めさせるので? 我らはいつになったら刀を揮えます。この弓矢はなんのためにあるのでござるか」
「たわけ。その血の気が、やらずともよい命を敵にやるもとになるのじゃよ。よいか、安倍といえども、この冬の雪嵐を防ぐ屋根、壁が焼け落ちれば、野に寝起きする我らと条件は同じこと。火攻めこそやつらのいちばん嫌がる戦法じゃ。寒さから身を守って戦うすべを失えば、安倍はもはや抵抗すまい。さあ、その馬鹿っ尻を上げて、源氏の爺様のもとに薪集めの伝令を走らせいっ」

清原武則は、息子たちの走り去った薄闇に目をやりながら、それとなく視線を這わせた。
(いよいよ、あやつが来るのではないか)
正任…安倍正任が、我が首を狩りに来るのではないか。
正任のことは、この戦の間、かたときも脳裏から離れなかった。
(正任は貞任亡き後、皇化した安倍の盟主となり、渡島で血脈をつなぐ取り引きを頼義としておるに違いない。その交換条件の第一がわしの首じゃ)
それは、わかりやすすぎるほどの事実に思えた。
もちろん、そう思わせたのは貞任の策であり、照任としてわざと捕まった八身の言葉であり、そして正任その人の言動だったが。
(もしわしと武貞、武道が死ねば、戦後の論功行賞はすべて征夷大将軍に集中する。狡猾な源頼義がそれを望まいで、何を望むというのか。そのうえ、名簿を差し出した密約もわしさえ死ねば闇に葬れる)
だから、来る。必ず来る。
それも、わしの死が戦いの行方をもはや左右しなくなる後に…厨川の合戦まで進んだ後に…必ず来る、来る、来る…。
武則は闇の溜まってきた川面を睨みつけた。まるでそこから、頭髪を逆立て、白目まで怒りで真っ赤にした正任が、いまにも湧き上がってくるかのように。
と…。
そのときである。
「ま、さ、と、う、正任の軍が、後尾を分断いたしましたっ。橘の第二陣が、万を超す馬群をけしかけられ、その蹄にかかっておりますっ」
武則、尻を蹴上げられたように跳び上がった。
第六陣をあずかる吉美侯(きみこ)武忠が駆け込んできたのだった。なんと、たったいまも武則が心を馳せていた事態が出来したのだ。
「むむむっ」
武則の全身を思わず震えがほとばしる。
「いつぞやの白地に金赤の蜘蛛の幟。正任軍に相違ありませぬっ」
「源氏はどうしたっ。あやつら、まだ着かぬのかっ」
「源氏軍の先頭がここより三里後方にあったまでは承知いたしておりますが、まだ姿が見えぬということは、今宵はそのあたりの山裾にて宿営するつもりかと…」
「こっ、腰抜けどもがあああっ」
後備えの役にさえ立たない。武則は吐き捨て、すぐ二人の息子を呼び戻した。来ると、小声になるでもなく言い放った。
「そなたたちの影武者も出せいっ。これより、影武者に率いさせた一隊を正任軍の最前に出すっ」
それから側近に命じた。
「いよいよの時じゃ。わしの影武者も呼べいっ。武貞、武道の軍とともに行かせる。へっ、正任のやつ、目を白黒させよるぞっ」

影武者は、古くから戦の常套手段である。
後の世には、影法師、影名代とも呼ばれた。
ただ、命惜しさだけから考え出された姑息な手段ではない。味方を勝利に導くための、もっと積極的な目的も持っていた。
まず、大将というのは、自ら陣頭に立つことで全軍を奮い立たせられるし、逆に敵軍を尻込みさせることもできる。
同時にまた大将というのは、本陣にどっしり構え、戦況を客観的に見ながら大局的判断を下してゆかねばならない。そういう立場でもある。
しかし、からだは一つしかない。二様の効果を狙うには、どちらかは替え玉にするしかない。
替え玉を送るのは、当然だがより危険な方、陣頭ということになる。
したがって、替え玉、影武者というのは単に容姿が似ているだけでは務まらなかった。大将としての器量がなければ、目の前の戦況に采配一つ揮えないし、もし一騎打ちともなれば相手を撃破できるだけの武力と胆力も必要となる。
ほんものが智勇に優れた大人物であればあるほど、影武者も相応に人物が大きくなければいけない、そういう理屈になる。
そんなわけだから、後の戦国時代、元影武者が大出世を遂げた例も珍しくないという。が、当然だが、誰が影武者かは秘中の秘。だから、出世をしたあと「じつは私は誰それの影武者でした」とカミングアウトする者はいないし、もちろんほとんど記録にも残されてはいないのだが。
とはいうものの。
清原武則の考えた影武者戦術は少し他家とは違っていた。
清原家で影武者になるには似ている必要などなかった。ほんもの同然に智勇に優れている必要もなかった。
なんと清原家の影武者は、味方にも替え玉だということがオープンだったのである。しかも、ほんものと同じ鎧兜に同じような馬、同じ馬飾りに身を包んだ者が十人もいたのである。
二人の息子のと合わせると、なんと三十人。
影武者が一人だけなら、敵陣も狙いが絞りやすい。ほんものにしろ、替え玉にしろ、討ち取りやすい。しかし、十人ともなると、どれがほんものやら。もしかしたら、すべて替え玉かもしれない。その時点で「まず敵将を討つ」という目的意識は拡散される。それを狙っての新戦術だった。
ちなみに、戦国時代、知将真田幸村も複数のそっくりさんを同時に敵前に送る、この清原武則に似た影武者戦術を用いている記録がある。

正任軍の前面で対峙する清原軍は一万五千。
そこに武則が十人、武貞が十人、武道が十人。
騎馬隊と徒歩の槍隊に囲まれ、さらにその前面を五段構えになった弓隊に守られて、正任軍の現れるのを待っている。
影武者たちも危険負担が十分の一のぶんだけ少しは気が楽である。
待つこと数分。いよいよ正任軍の幟が森の闇から白々と現れた。全軍騎馬。鉄製の黒塗り面具。練革製の具足。これも黒。かつて安倍の放れ軍として、殺戮の限りを尽くした頃の装束に戻っている。
駆けて来るでもない。
様子見に停まるでもない。
そこに清原軍がいることなど知らないかのように、悠然と馬を進めてくる。その数、一千騎。
両軍の距離がしだいに縮まってきた。
200メートルが180メートル、180メートルが150メートル。始まったばかりの闇の中に、とうとうあの正任軍の顔貌が窺える距離にまで接近した。
武則に扮した十人の影武者のうち、いちおう命令を発する者は決めてある。が、その影武者、どしっと馬上にあって、まだ一言も発しない。正任軍を睨みすえている、かに見える。
が現実は、腹を裂き、目の玉をえぐり、鼻を削ぎ、内臓を引きずり出すという正任軍を恐怖するあまり、自分が武則であることをとっくに忘れ去り、ただ凝固しているだけなのだった。
正任軍が止まった。
止まったときには、一つの陣形を形づくっていた。少ない兵力で大兵力に立ち向かうときの陣形として、後に「魚鱗」と呼ばれる態勢、簡単にいえば、ピラミッドの形をつくっていた。
一つのピラミッドに約三百三十騎。それが三つ。三つのピラミッドが全体として正三角形を形成するように隊列を組んでいる。
先頭のピラミッドの尖端には、陸奥最強、すなわち平安中期最強の武士、安倍黒沢尻五郎正任。
安倍の騎馬軍団は、片手での操作がしやすい軽い刀をフェンシングのように使うのがふつうだった。が、正任軍の一部だけは違う。正任とその配下の二、三十名は、馬上でも、両手使いを前提にした大刀を軽々と片手で扱う。
その正任の大刀が高々と頭上に掲げられた。
切っ先がゆっくりと下りて、まっすぐに武則の影武者たちの中心を指す。
まだ上空に残る薄い光に、正任の刀が闇に浮かんだ。それは、おまえの命をこの刀でえぐり取るぞと言っているかのように、采配役の武則の影武者の喉に伸びてきた。
ほんとはその影武者一人を狙ったのではないだろうが、当人にはそのように感じられた。その瞬間、当の影武者は叫んでいた。
「ギャアーアアアッ」
幸か不幸か、それが戦端を開く合図となった。
清原軍弓隊の第一段からいっせいに矢が放たれた。しかし矢が放たれる一呼吸前に、正任軍は駿馬の瞬発力を利して突進していた。
しかも、である。
全軍の兵が馬上から消えた。
正任軍は馬の横腹に張りついて突進してきた。
放たれた矢のすべてが闇に消えた。
瞬時にトップスピード、時速約50~60キロに達した騎馬隊は、ピラミッド状の槍の塊となって弓隊の馬上を超えた。たった一頭ではない。千頭もの大きな生きものが、当時の日本にいる陸上動物最高のスピードで突進して来るのである。
その迫力に、弓隊は第二段が矢を放つ間も与えられず隊列を崩した。騎馬軍団自体は珍しいことではないが、こんなに速く走る馬群とは遭遇したことがなかった。
正任軍一千騎は、武則の鎧兜を着る一団にだけ向かった。武貞、武道の影武者群は無視した。それに気づいて、武貞、武道の影武者を中心に戴く兵たちもそちらの守りに走った。しかし弓隊は同士討ちを恐れて矢を射れず、また徒歩の槍隊は、槍を合わせる前に、正任軍の投げる手槍を受け、ばたばたと倒れた。
正任軍は、かつて朱鳥の女御軍団がそうであったように、一人が二十数本の手槍を背負い、清原軍の槍や刀の間合いに入る前に致命傷を与え続けた。
清原軍はさながら吐く息と吸う息の間を疾走されているように感じた。疾風怒濤という言葉があるが、正任軍の勢いはまさにそれだった。
正任軍がついに武則の影武者たちをそのピラミッドに呑み込んだ。と思ったら、十人の影武者が馬上から消えていた。十人が十人とも、正任軍の馬上にひっさらわれていた。
三つのピラミッドからなる大きなピラミッドは、トップスピードを保ったまま、現れた森の中に消えた。
ほんの2分の出来事だった。
前線だけで一万五千、後備えにも同数いた清原軍だったが、スピードあふれる接近戦、しかもそれが刀ではなく、刀ならまだ止まって戦うので数の有利で圧し包めたものを、猛スピードで懐を駆け抜けながら投げられる飛び道具によって完璧に撹乱されてしまった。
駆け抜けた馬群の疾風が、まだ清原軍の身の内で吹き荒んでいるさなか、正任軍が再び森から現れた。
ずば抜けて大きな体格の十騎。
それぞれが手に狩り獲った首をぶら下げている。突如、安倍正任の大音声が響き渡った。
「清原武則は部下を身代わりに殺させる非道の将であーるっ。影武者を何百人何千人つくろうと、武則その人の首を狩るまで、一兵残らず殺してやーるうっ。恨むなら清原武則を恨めーいっ」
そして十人の影武者の首がいっせいに夜空に放り上げられた。落ちて来た首は、正任軍の刀によって二十に割られ、それを呆けたように清原の兵たちが見ていた。

武則は本陣で報告を受けると、防ぎようのなかったそのすざまじい攻撃に、内心あらためて背筋を凍らせた。しかし初の敗戦に悔しがると思いきや、垂れた頬を掻いてほくそえんでみせた。
「これで正任、やすやすとわが首を獲れぬことがわかったであろう」
武則がわざわざ見え見えの影武者戦術に出た理由は、じつはそこにあったのだった。
清原親子には影武者がいる、そのことは正任も当然予想していただろうが、それを十人も並べて、さあ、討てるものなら討ってみよとばかり抜け抜けとやれば、逆に今後手出しがしにくかろう、それを武則、狙ってのことだった。
(そうこうしておる間に厨川は落としてやるわ。正任、足踏みしておる間などないぞ)
それから、さも剛腹そうに胸を反らすと、側近たちに言い放った。
「死んだ主を待つ十人の女どもには、新しい屈強な男を遣わしてやれ。父なき子らには、三代末まで安堵してやれ。よいな」
武則の独り笑いが再び厨川に響いた。