不戦の王 28 リフティングの名手

<目次>
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安倍鳥海(とのみ)三郎宗任、二十七歳。
宗任は康平五年(1062年)九月十五日の夕、関白頼通の邸宅の門をくぐった。安倍氏最後の砦、厨川柵を朝廷軍が囲んだ日のことである。

頼通の屋敷。
それは、いまの京都御所の南向かいあたりにあった。
帝のいる大内裏からは真東。屋敷の東、北、南が土御門大路など三つの大路に接する広大な敷地で、他の貴族の二倍、二千数百坪の広さを専有している。
特別なのは広さだけではない。藤原家には、約二百年前に藤原良房が創建した寝殿造りの極みといわれる東三条殿もあるが、そこは里内裏として、緊急事態(火事、建て替えなど)の際の天皇の住まいに供されているほどだった。
その後、道長、頼通の摂関政治の全盛期になると、倭人最高の大金持ちにふさわしい豪華絢爛の大邸宅、土御門第・高陽院が造られ、日常的にはそちらが利用されることが多くなったという。
宗任がひそかに訪れたのは、その土御門第である。

頼通は夜十二時に近くなって、ようやく御前から退出してきた。その頃は、夕方参内、深夜退出という勤務形態が珍しくなかったらしい。フレックス・タイムもここまでになると、御用の官僚たちはさぞかし迷惑したことだろう。
頼通のマイカー、網代車(牛車)が門をくぐり、車宿の前で停まった。
それを見て、中門(いまの玄関にあたる)の外で待ちに待っていた宗任が網代車のそばに駆け寄り、地面に平伏した。安倍の者が陸奥から上洛したことは、すでに頼通の耳に入っている。
白粉をこってりと塗った頼通が網代車から降り、宗任に斜めの視線を向けた。まるで、正視するほどの値打ちもないとでも言いたげだった。
「…」
遠路さぞ疲れたであろう、とも言わない。何事である、とも問わない。ただ黙って宗任の後頭部に気だるそうな視線を置いている。顔を上げずに宗任は言った。
「安倍鳥海三郎宗任にござりまする。陸奥よりお願いの…」
しかし、そこまでしか言えなかった。
「煮鮑を半身に姫飯(ひめいい・水で炊いた米)の焦げを少々持たせよ、あいや、三片でよい、三片で」
頼通は、宗任の言葉を遮って酒肴の指図をすると、扇をゆったりと動かしながら姿を消した。家来たちもあとに従う。宗任一人取り残された。
「お待ちくださりませっ。夜も駆け昼も駆け、朝も駆け、口にすべきものも口にせず陸奥より参ったのでござりまするっ。二十日は要する道をわずか四日で駆け抜けねばならぬ、それほどの大事があって参上いたしたのでござりまするっ」
宗任、頼通の消えた闇に向かって必死で叫んだ。が、誰も引き返してはこなかった。宗任の一重の切れ上がった両眼には、必死の血が昇っていた。宗任は立ち上がり、ついに中門に足を踏み入れた。それを門衛たちが門外に押し返した。中門から内側へは、主の許しなくして入ることはできない。
品のよい細面。総髪を後ろで一束ねにして、馬の尾のように背中まで垂らしている。まだ兄貞任ほどには肥白していないが、この時代の典型的な美男である。
着ているのは、安倍族の儀礼装。藍地に金糸銀糸で翼を広げた鷹と松が描かれた袍(上着)。裃とスカートが一体になったようなワンピースと想っていただければいい。首元には緋色のスカーフ状のものが巻かれている。ワンピースの下には、足首のしまった緋色の袴。腰には朱鞘の一刀。
「お取次ぎをお願いいたすっ。会うとのご返事だったでござろう、夕刻お使いの方がご意向をうかがった折にはっ」
宗任は必死で門衛に迫る。門衛はあらぬ方に視線を放って、独り言を装ってつぶやいた。
「気の毒じゃがな、きょうは帰りなされよ。夜も更けた。あした出直しなされよ」
「それでは遅すぎるっ。陸奥の戦はきょうにも終わるっ。一刻の猶予もならぬっ」
門衛はもう応えない。宗任は中門の奥に広がる広大な闇を見据えていたが、やがて唇を糸になるほど強く結ぶと、深くうなずいた。
「それならそれで考えがある。安倍の決意がいかほどのものか、関白殿に見せてしんぜるっ」

一時間後、寝殿で盃を傾ける頼通のもとに、御簾の外から大あわての声がかかった。
「安倍の者が、黄金や馬、上布、琥珀、毛皮、そのほか見たこともなき財宝を制止を聞かず運び込み、邸内に山をなして積み上げており申すっ」
「ほほほ。それはそれは。ほほほほ…」
頼通の気だるげな瞼が持ち上がり、その奥に潜む欲望が一瞬剥き出しになった。が、すぐさまそれは口の中の煮鮑とともに呑み込まれた。
「なんと、馬だけでも数十匹、いや百匹。荷駄馬だけでも数十匹。大路から中門まで、雷がまとめて落ちたような大混乱にござりまするっ」
「大きな声を出すでない。聞こえておる。夷な者のやることは、不細工なことよのう。ま、よかろう。好きにさせておけ」
「しかしながら、安倍の侍たちも数十人門内に入っております。我ら、中門の内に馬が入らぬようにするだけで精一杯。手の打ちようがござりませぬ。御門外に出そうにも、そのう、安倍の侍たち、言うことを、そのう…」
「黄金はいかほどと申したかな」
「金は、さよう、金はたしか二駄、あるいは三駄はございましたか」
「なに、三駄? ほう、安倍のものども、蛇の穴に金を隠しておるという話を聞いたが、その話、まことやもしれぬな。駿馬はいかほどと申したな」
「百匹はくだりますまい。そのうえ荷駄の馬も、荷駄を担がせるには惜しいほどの駿馬に見えまする。とにかく、いちどにこれほどの量の財宝は見たことがござ…」
「駿馬が百匹、いや百数十匹…。おそらくはその昔の渤海(満州)渡りの血を引く駿馬であろうよ。ほほほ、さすが安倍貞任。政の裏表をよう心得ておるわ。よし、宗任とか申したな、使いの者は。そやつを階(きざはし)の下まで通してやれ。おっと、灯明はいらぬぞよ。月明かりでよい。あいや、待て。せっかく陸奥から来たのじゃ。一つだけかがり火を馳走してやれ。ただし木は枯れ松でよいぞ。それから話が終わるまで余人はいっさい近づけるな」
頼通は先の酒肴の手配もそうだが、非常に細かい。かがり火に使う木の種類まで指図しないと気がすまない。財を成せば成すほど吝嗇になる者があるが、頼通はその典型だったのかもしれない。

宗任はいきなり貢物を差し出す失礼を思い、荷駄と家来たちは下鴨の川原に待たせておいたのだった。もちろん、露骨に貢物を持って来ましたとは挨拶していない。しかし、そんな奥ゆかしさなど頼通には通じないのがよくわかった。
「頼通は稀代の吝嗇家。物でしか、得でしか動かぬゆえ」
兄貞任はそう言って貢物の多さを説明したが、その言葉がいまさらながら思い出された。
宗任は老猫の鼻先に鰹節を突きつけることにし、そしてそれは、がっかりするほどあっさり効果を表したのだった。
宗任は手灯を持った老使に案内されて邸内のせせらぎにかかる小さな反り橋を渡り、築山の間をぬい、寝殿の前に広がる南庭に出た。左手には半月の明かりの下に、船が何艘も出せそうな池が横たわっている。池には大小の島があり、島と島が太鼓橋で結ばれているのも見える。
そこは上達部(かんだちめ)と呼ばれる高級官僚とその女御たちが歌を詠み、舟を浮かべて管絃する宴の場所だった。寝殿の正面には幅5メートル、十数段もの階がある。階の下に、たった一つのかがり火が台座の上で燃えていた。
「これにて待たれよ」
老使はそう言いおいて姿を消した。
どこからか甘い芳香が漂っている。
だが、そのせっかくの香が、松のかがり火のヤニ臭い匂いに混ざって、興をそいでいる。
(これがもしや、かの国で丹桂、銀桂と呼ばれる芳香ではあるまいか)
宗任は、さすがに一般教養を身につけた武士のはしりだけのことはある。香りですぐにそれと察した。
丹桂、銀桂とはキンモクセイ、ギンモクセイのことである。木犀は中国からも江戸時代に伝来したが、日本古来種も山野に自生しており、中には樹齢千年を超える銘木もある。藤原家はそれをわざわざ移植し、庭木にしつらえ、その香を愉しんでいた。
(さすがは藤原。しかしこの無粋な松の匂いはなんであるか)
消そう。
宗任はもはや遠慮をしない。先ほど、門前払い同然のあしらいを受けてから、戦略として、そういう態度をとることにしたのだった。
(安倍の誇りを示すのじゃ)
宗任は躊躇なく、かがり火に白い庭砂をかけた。
しばらくすると、木犀の芳しさだけが宗任を満たし始めた。宗任は月明かりの下で端座し、瞑目した。
しかし、待たされること三十分。木犀の香の鎮静効果もしだいに薄らいできた。
(安倍をなんと心得ておるのか。小なりといえど、陸奥の蝦夷、倭人の臣下ではないぞ)
若い宗任の胸には時として怒りの感情が横切った。しかし、兄貞任たちの困難な戦いを想えば、ここで自分が激情に身を任せるわけにはいかなかった。怒りを封じ込めると、丹桂、銀桂の木に歩み寄り、10センチほどの小枝をそれぞれから手折り、それを懐に忍ばせた。喉元から立ち昇る芳香に宗任は再び自らを横たえた。

ようやく渡殿を一つの影がやってきた。
明るい白萩色の普段着、直衣(のうし)に紅葉色の指貫(さしぬき・裾をくくった袴のようなズボン)に着替えた頼通だった。右手には扇。それからもう一つ、何かを左手に持っている。
階の上まで来ると、立ち止まり、宗任にどんよりとした目を向けた。あいかわらず言葉を発しない。
ふと、かがり火の消えていることに気づいた。宗任以外に消せる者はいない。
「何ゆえにかがり火を消した」
「月の光に丹桂、銀桂の香が融けるさまを愉しんでおりました。このような夜に松を焚くとは信じがたき野卑。ここが土御門第とは思えませぬ」
「ほほほ、申したな」
頼通、扇を思わずパチリと鳴らした。痛いところを衝かれた。
陸奥の安倍はただ武を誇るだけではない。京の公卿に負けぬほどの開明の民である。それは、しばしば都人の口の端にのぼる噂だったが、頼通はその目で、その耳で確かめるまで、とうてい信じがたかった。なにしろ陸の奥、陸の果ての国。そんな民に文化などあろうはずがないのだから。
(しかし、噂はもしや真実か…)
「ならば、これを受けてみよ」
宗任が平伏しようと片膝をついたその刹那、頼通が左手に持っていたものを蹴った。
鞠だった。
鞠は宗任の顔を直撃するように蹴られた。宗任は蹴鞠が顔面に当たる直前に跳び下がり、右足の爪先で蹴上げた。それを左足、右足としばらくリフティングすると、頼通に蹴り返した。頼通はかろうじてそれを受けると、階を下りながらリフティングを続け、下りきると宗任に返した。頼通もなかなかの鞠あしらいだった。
宗任は頼通から受けた鞠を月へも届けといわんばかりに高々と蹴上げ、池の中の島に渡せられた大きな太鼓橋の欄干に飛び乗ってそれを受けた。
宗任はほのかな月明かりだけの暗がりで、アーチ状の欄干を苦もなく往来し、しかもその間、もちろん鞠を落すことはなかった。
頼通が間隔をおいて、ゆったりとした拍手を送った。
「おお。おお。見事じゃ。まことに見事。そのような名足(めいそく・蹴鞠の名手)、京にもおらぬぞよ。それなら内裏の屋根をも渡れようぞ」
自分以外の人間など、立って歩く犬程度にしか思っていない尊大な頼通が、なんと本気で他の人間を褒めた。
「畏れ入ります。しかし、私ごときは安倍ではむしろ非足(ひそく・鞠の下手)。兄貞任なら五重塔の頂で千回の鞠上げができましょう」
「なんとのう。陸の奥でそのような技を興しておるとは。この目で見たいまも、なお信じがたいが、しかし信じぬわけにはいかぬよのう」
頼通の宗任を見る目が明らかに変じた。そこには、ささやかではあるが、同じ文化を生きる者への親しみと、逆に異文化圏で育った者への好奇心とが同時に表れていた。
宗任はさらりと言った。
「安倍が京より蹴鞠の師範を迎えたのは、もう二十年以上も前のこと。蹴鞠だけではござりませぬ。武士たるもの、これからは都の公達と同じく、漢詩文に明るく、書を嗜み、詩歌管絃をよくし、舞を舞い、香の道、囲碁、すべてに通じておってこそ認められる。いたずらに弓を引き絞り、刀を振り回すだけが武士であってはならぬ。それが政を行う安倍の心得である、そう父頼時に教えられましてござりまする」
「なるほどのう。噂に聞いておったとおりじゃな。そこらの源氏や平家に聞かせてやりたいわ。やたら蛮勇を奮うのが武士と思うておったが。いや、見誤るところであった。先の蹴鞠、もしそなたが避けておったら、ただの武の者。避けそこなえば、ただ魯鈍なる者。すぐこの場から帰すところであったが…」
そうもいかなくなった。頼通はあらためて宗任に好奇の視線を走らせた。
宗任は蹴鞠のおかげで、会談が順調に滑り出したのを知った。
「このうえさらにお試しになられまするか」
「いや。もうよい。充分にわかった。安倍はただの夷族ではないこと、これまでの東征で知ってはおったが、それに詩歌管絃をすなること、聞いてはおったが…」
「得心なされたでありましょうか」
「丹桂、銀桂、そして蹴鞠ひとつでようわかった。そなたは、ただ上手に蹴ったのではない。まるで美しい舞を見ておるようであったぞ。そなたの舞もいつか見てみたいものじゃ。都中のおなごどもから和歌が届くであろうぞよ」