不戦の王 27 目と耳の式神

<目次>
https://www.gengoya.net/info/novel-6/

義家の配下が間歩に入ると、介山法師が「釣り灯(ともし)」を片手に待っていた。釣り灯とは、鉄椀にアブラギリの実から搾った油を入れ、イグサを撚った灯芯を燃やす携帯用照明器具で、提灯のように棒の先に吊るして歩く。
「三人分ある。ほれ」
介山が親切にもそれぞれに点火して渡す。一人目、三人目、五人目が受け取る。
中は案外に広い。出入り口こそ狭かったが、下り立ったところは十畳間ほどもあろうか。腰をかがめることもなく立てる。出入り口を仮に北とすれば、東、南、西の位置、三方に真っ黒い穴が口を開けていた。
介山はすぐに背を向けて歩き始めた。が、入ろうとした穴の前でふと足を止め、振り返った。
「どの間部に入っても土金はあるが…」そう言って、釣り灯であらためて三つの穴を順々に指す。「さあて、どの穴に入るかは、そちらで決めていただこうかのう。あとで言いがかりをつけられても困る。選んでくだされ」
「ま、真ん中、真ん中を行けいっ」
リーダー格の男が言った。早くも緊張している。閉塞感が、そして暗さが、ひんやりとした湿気が、いやでも気持をキリキリとよじる。
「では、真ん中へ。どの間部にも枝が出ておる。枝と枝がさらに別な枝でつながっておる。まるで迷路じゃからな。奥に行けば這って通るほどの場所もある。わしは手探りでも帰れるが、源氏のお方、二度と出られんことにならぬよう、くれぐれもその明かりを消さぬことじゃな」
それを聞いた五人は顔を見合わせ、それから三つのうち二つの明かりを予備のために消した。
「何か紐はないか、紐のようなものはっ」
一人が介山に手を差し出す。
「紐か。よいことに気づかれた」
介山はまたもや親切にも、積み上げてあった網袋を一つ取ると、それを自らほぐし始めた。
やがて臨時の紐ができあがると、五人は互いの腰を繋ぎ合い、先ほど介山が追っていた牛のように一つながりになった。
「よろしいかな。それでは、安倍の土金をじっくりと拝んでくだされ」
その言葉が消えたのと、介山が真ん中の穴に消えたのが同時だった。五人は親鴨を追う子鴨のように介山の消えた穴に駆け込んだ。

介山と五人は、二つの釣り灯を頼りに間部を進んだ。
源氏の兵は最初こそ帰り道を覚えようとしていたが、あまりに何度も右左するので、とうとうそれはあきらめた。それより何より、高齢に似合わず身の軽い介山を見失うまいと、必死で追うのに精一杯だった。とうとう介山の腰帯を後ろからむんずと掴んで、五人結びの自分たちと無理やり合体させる始末だった。
が、それができたのも腰を伸ばして歩けた間だけのことだった。
そのうち間部は急に狭くなったり、急勾配の下りになったり、湧き水を排出するための水路を膝までつかって渡ったり。そういった難所が続くと、それぞれ自分の面倒を看るのが精一杯になった。
そうこうしているうちに、介山と五人の距離があいてきた。
「早う来なされ。まだお若いのに、なんというざまじゃ」
介山は振り返って声をかけるが、もはや立ち止まって待つほどの親切はみせない。
「待ていっ、こら、こっちは五人に一つの明かり。その明かりを寄越せ。待ていっ」
「ならば、もう一つ灯されるがよろしかろうに。予備は一つで充分じゃ」
それもそうだと、五人がもう一つに明かりを移して、さあ行こうと介山の方に目を上げると、目の前は真っ暗だった。
介山の釣り灯は見えなかった。
そもそも介山の姿がなかった。
ほんの数秒間、目を離しただけのことだったのに。
五人は介山を見失ったとわかったとたん、深い淵に突き落とされたほどの衝撃を受けた。
「おおいっ、かえせっ、どこじゃ、どこに行った、かえせっ、返事をいたせっ、かえせえぇぇぇっ」
思いつくかぎりの言葉を暗闇に放った。が、もちろん答はない。五人は介山の消えたと思われる方向へ必死で走る。しかし、枝道に出くわし、凝固したように足を止めた。
「へたに動くでないっ。出られぬことになるぞっ」
すでに半ばパニックになった一人が叫ぶ。
「しかし、あやつを捕まえてこそ黄金のありかもわかる。ここは二手に分かれて探し、もし枝道にぶつかったら、この場所まで引き返す、そういうことでどうじゃ。見つかれば、あらんかぎりの大声で呼べ」
けっきょく二人と三人に分かれた。右と左へ。しかし、両組とも介山を見つけられないまま枝道にさしかかったので、申し合わせどおりそれ以上進むのはあきらめて、元の場所で落ち合った。
こうなったら、ひとまず振り出しに戻る、あの広間のような場所へ。それしか結論はなかった。
ただし、戻れればの話ではあったが。

「湧き水は外に捨てるものではなかろうか」
たどたどしく歩を進めながら、一人が思いついたことをおずおずと口にした。だから、排水路に沿って行けば必ず出口に行けるのではないかと。
「なるほど!」
「そうじゃよ、それに違いない」
五人はそのひらめきにのった。溺れる五人が一本の藁にしがみついた。水の道をたどって必死で歩いた。
が、数分後。
五人は呆然と立ちすくんだ。突然、黒々と水をたたえた水域に行く手をはばまれたのだ。
こんな地の底に、これほどの水域があろうとは想ってもみなかった。高さ30メートルはあろうかと思われるドーム状の天井部分からは、ある種の昆虫の触手のように木の根が露出し、岩の隙間から数条の光が射し込んでいる。
排水溜まりというには、あまりに広かった。大広間を二つ三つ合わせたほどはあった。それに深そうだった。土金を掘っているうちに、早池峰山塊の地下水脈に行き当たったにちがいなかった。
「おい、あれを見ろっ」
一人が水面を凝視して叫んだ。他の四人もその視線の先を見ると、天井からの外光が弱々しく届く一か所に生々しい波紋が広がっていた。
「何が棲んでおるっ。オロチか、違う、違うっ、守り神じゃ、この金山の守り神じゃっ。逃げようっ。祟りをうけるぞっ」
「待ていっ。何を恐れる。たとえ、あの天井の木の根から蛇が落ちて来たのであろうと、それが何じゃ。あの波紋は先ほどの爺じゃ。決まっておろうが。爺が潜ったに相違ない」
「潜って、どうする。爺は何をするのじゃ」
「そ、それは…それは、黄金の在りかを隠すに決まっておろうが」
「在りかを隠す? 何を言うておる。黄金はこの間歩のどこかで掘られておるのじゃ。隠すも何もない」
「い、いや、待てっ。黄金の、安倍の黄金の隠し場所がここに、この水底にあるということじゃよっ」
「馬鹿な。ならば、行け。ぬしが行け。わしは行かぬぞ。そのような馬鹿な話に耳は貸せぬ」
「ようし、そこまで言うなら、行ってわしが確かめる。もし隠し場所があったら、手柄はわし独りのもじゃからな。五人の手柄ではないぞっ」
引っ込みがつかなくなった一人が素っ裸になると、ついに蛮勇を奮って水面に身を躍らせた。他の四人は、仲間がいまにもオロチに呑まれやしないかと見守る。
何度か水面に頭を出しては潜る、それをくり返しているうちに、向こう壁のそばで、ついに叫び声が聞こえた。
「底に水路があったっ。この岩壁のむこうに通じておるやもしれぬっ。いや、そうじゃ、通じておるにちがいない。その先が黄金の隠し場所じゃ。そうに決まっておるっ」

蛮勇を奮った源氏の兵は、なんと、けっきょくその言葉どおり、黄金を発見することができたのだった。
それは、身の丈の十倍はあろうかという高さ、横幅も、おそらくこの水域ほどには広がっているのではなかろうか。壁面のすべてに黄金の鉱脈、いや土金が輝いていた。まさに黄金の衝立だった。
その下の岩棚に、あの爺が、介山が、座禅を組んでいた。目を閉じ、何やら口の中で一心に唱えている。釣り灯が土金の壁の随所に点々とある。その明かりの一つが介山の石仏のような顔を照らし、顔全体が妖気を発しているかのように揺れている。とてもではないが、正視できない。
しかしその薄気味悪さを充分に打ち消せるほど、それら釣り灯は明々と黄金に輝く壁を映し出していた。
兵は驚きの声をあげることも忘れて、黄金に心をしびれさせた。

幸運だったのか、これ以上はない不幸だったのかは、本当はわからない。
大発見に我を失っている兵は、そこに座っている爺が何を目的にそこにいたのか、考えもしなかった。釣り灯が壁面の随所にあったということは何を意味しているのか、もちろんそれにも注意が及ばなかった。とにかく、それほどの興奮だった。
四人の元に戻ると、蛮勇を奮って水に跳び込んだ兵は、再び蛮勇を奮った。
「わしは知らせに走るぞっ。このわしが走るっ。わしの手柄じゃからな、わしが走るっ」
そして、衣類をひったくると、仲間四人の返答を聞くこともせず、狂ったように取って返し始めた。
ただ、好運なことに、興奮でおのれを失ってはいたが、動物的な勘だけは残していたようで、ひたすら登り傾斜になる間歩を選んで走った。ここまで来る間、アップダウンをくり返しながらも、全体としては入り口から下り続けた感覚が残っていたからだ。
そして苦労の末、どうにか義家のところに帰り着くと叫んだ。
「きょきょきょうっ、京の朱雀大路を、お、お、黄金で敷き詰めてもまだ余るほどの、きっ、きっ、きっ、金、金、金でございましたぁ~っ」
興奮が口から目からしたたり落ちる土金の壁の話を聞き終わると、義家もまた珍しく大口を開けて歓びの声をあげた。
「その功、上々なり! まっこと天晴れ、天晴れじゃ!」
そして、大きな息を何度もついてから、ようやく言った。
「それほどの量であるなら、運び出す折、いちいち地底の水をくぐるような労はとるまい。そこに至る本道が必ずあるはずじゃ。あの二人の牛方どもをこれへ引っ立ていっ」
介山の弟子の陰陽師二人、六川法師と七川法師が引き立てられて来た。二人は一卵性双生児である。垂れた瞼の上辺から濁った黒目が半分だけ覗き、それも気が抜けたように光がない。口元もぼんやりと緩んでいる。おそらく四十歳前なのだろうが、生気を失ったその外貌は、まるでこれまで、はっきりとした年齢などいっさい刻んで来なかったかのように見える。
二人は義家の前に引っ立てられても、あまりもの存在感の薄さに、ただ二つの影を落しただけのような印象を与えた。
じつはこれも、相手から警戒心をぬくための、気を封じ込める術なのだったのだが。
「間歩の底に眠る黄金は勇猛、忠孝なるわが手の者によりすでに捜し当てられた。が、先に案内に立った牛方は、途中、わが手の者たちを置き捨てにしたと聞く。故に、先に約したとおり、その方たちを斬って棄ててもよいのじゃが、地底の土金の壁に至る新たな間歩の案内をすれば、その命、しばしこの義家が預かるがどうじゃ。否であれば斬り捨てるまで。返答や如何!」
一呼吸。二呼吸。三呼吸…。
義家にはなぜか二人の存在が陽炎のように揺れて見えた。
「案内をさせていただきとう存じます」
やがて六川が、息をこすり合わせたような声でかすかに応えた。それを聞くと義家、ムッと顎を引き、まだ見ぬ黄金の壁を睨み据えて叫んだ。
「源氏の黄金は足下にあり! さあ、こやつらを縛り上げろっ。」
こんどは途中で逃げられないために、六川、七川二人を最初から紐つきとした。そして松明を充分すぎるほど持ち、義家以下十人は、六川と七川を先に立て、黄金の横たわる洞窟へと向かった。

少し横道にそれるが…。
陰陽道の秘術を荒唐無稽なファンタジーとして片づけるのではなく、現代人の感覚で理解できるように説明すれば、以下のように言い換えることができようか。
我々人間は、脳裏に特定のイメージを強く描き、それを意識の中で自分とは別個な存在として生かすことができる。たとえば、俳優が役の人物になりきって自分の心を放れたり、歌手がその歌の中にもう一人の自分を生かしたり、ダンサーが自分の肉体を放れて別人格を体現したりというように。
そのように、まったく別な自我にのりうつるすべを高度に発達させたのが陰陽師なのである。
しかも陰陽師は、それを自分の脳内の観想だけに留めず、他者の心にまで照射し、自分が没入しているのと同じ自我に他者を引き込むことができるのである。
天才陰陽師、安倍晴明は「紙や草に息を吹きかけて、鳥や虫に変え、それを自在に操った」と書かれてきた。
現代人がそれを読むと、
「そんな馬鹿な…」
と思ってしまうようなことだが、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』が晴明のことをそう著した時代には、「この世には、さまざまな精霊や魂魄、鬼、妖怪など不可視な存在が、生身の人間と共存している」と信じられていたので、その表現があながち荒唐無稽なことではなかったのである。
そう。
考えてみれば、よい詩、よい小説、よい音楽も、さまざまな情動をやすやすと照射し、かたとき我々に別世界を体感させてくれる。
練達の陰陽師とは、その種のことを相手に強烈な想念を送り込むことでやり遂げられる人、そのように表現してもよいのではなかろうか。

六川法師と七川法師は漂うように歩いた。
足音がしない。
腕をつかもうとしても、寸前に指の間から肉体が消えている。
いや、肉体がなくなるはずがない。動きがないように見えて、速く動かなければいけないときには瞬時に移動する。しかし、どこに行ったのでもない。飄々として前にいる。
義家はすでに、三人の僧形の男は金穿大工なんかではないと睨んでいた。まさか陰陽師とは思っていなかったが、修験者か行者か、いずれにしろ蝦夷に加担するこの陸奥の山の民であろう、そう考えを変えていた。
(安倍貞任は、この三人に何をしろと命じたのか)
それが問題なのだが、しかし、いまは先乗りの兵の見た黄金の壁に至るのが最優先事項だった。どんな罠があるにしろ、黄金をつかむためには敢然と立ち向かわなければならないのだった。
後備えの部隊のうち半分に、この間部の出入り口を固めるよう命令を発して、背中を襲われる心配は絶ってあった。だから、いまはただ前進あるのみ。角々の支柱に、帰り道の確保のため、目印の布を巻きつける用意も怠らなかった。

中に入ってみると、排水用の掛樋、釣瓶が本格的にしつらえてあり、それがまだ使用に耐えるということは、廃坑ではない証しだった。僧形の二人にも特別怪しげな素振りは見えない。ただ、あの上下動をほとんどしない、影が移動するような歩き方はなんであろう。それ自体がすでに何かの術を見せられているようだった。
(得体の知れぬやつばら…)
源氏の兵も思わず知らず、二人を繋ぐ綱を強く握りしめずにいられなかった。
そうやって蟻の巣のような穴を下っていると、
(フッ)
と光が明滅するように、六川と七川が動きを失くした。
そこは袋の先が膨らんだように間歩が八畳間ほどに広がり、天井も背丈の二倍近くある場所だった。
ただし行き止まり。
「源氏のお方」七川が振り返りもせず、地を這うような声で言った。「この岩のむこうが黄金の壁じゃ」
義家たちは思わず四周を見渡す。しかし、むこうへ行けそうな穴はどこにもない。やはり行き止まりである。配下の兵が六川、七川を繋ぐ綱を強く引きつけて言った。
「この先へはどう行く」
「なあに、壁を抜ければよいだけじゃ。簡単なこと」と七川。
「ふざけるでないぞ。どうやって抜けるっ」
「怒鳴らずともよい。教えてやるには、この縄を解いてもらわねばな」
家来が義家の顔を振り仰ぐ。義家、六川と七川を睨みつけ、
「逃げたら斬る」そして家来に言った。「腰縄だけにしてやれ」
二人は半ば自由になった。縄の端は兵に握られている。
「では…」六川が言った。「こうやって抜けるのさ」
六川は七川の肩にひょいと乗った。七川は六川を肩車にして正面の壁際に立った。六川が両手を伸ばして天井をまさぐり、何やら石の棒のようなものを岩の一部から外した。そのとたん、いまでいえばマンホールの蓋ぐらいの円盤状の岩が天井から垂れ下がった。六川はその穴の中に頭を突っこみ、縄梯子をするすると下ろした。
「隠し扉であったか。よし、わしが行こう」義家が言った。
「お待ちくだされ。まずは偵察してまいります。謀(はかりごと)やもしれませぬ」配下の一人が言った。
「かまわぬ。謀なら、喜んでかかってやるわ。来いっ」
義家は六川と七川の襟首を右の手、左の手でわしづかみにし、縄梯子に取り付かせ、傍らの腹心二人をふり返った。
「その方たちもいっしょに参れ。あとの者はこの穴を見張れ」

穴の上は再び間歩。
しかし曲がり角を一つ抜けると、広々とした空洞に出た。例の水域である。松明の明かりの下で、黒い水面が何か巨大生物の肌のように照かる。
「さては、ここが土金の埋まる壁か」
義家はそう言って松明を壁に向けるが、松明に輝く黄金はない。ただの土、そして所々に岩である。
「そこな松明を一つお貸しくださらぬか」
六川が例の息をこすり合わせるような声で囁いた。一人が自分の松明を不審げに渡す。
「しばし、目を閉じていてくだされ。ほんのしばし。十ばかり数える間でよい」
「その間に逃げようてか。見えすいておるわ」
「縄をしっかり握っておって、いまさら何を言われる。逃げようにも逃げられるものではない。さあ、目を閉じなされ。そちらの将軍も、さあ。ほんの十ばかり数える間のことじゃ」
「よし。目をつむろう。しかし、それで何が起る」義家が言った。
「ここが極楽に変わる。源氏の民はその目に黄金を見たかったのではござらぬか。思いは、ほれ、もそっとのことで叶うのじゃ。さあ、目を閉じて、わしがよいと言うたら開けなされ」
「黄金をそなたが顕すと?」
「わしが顕すのではないがな。その目が黄金を発現なさるのじゃ。では、よろしいかな」
そこまで言われると、試してみたくもなる。三人は半信半疑ながら、うっすらと目をつむった。
「ひの、ふの、みい…」
六川が数え始めた。…九つ、十。
「さあ、もうよい。目を開けなされ」
三人は目を開けた。
七川は松明の明かりと闇の境い目に座り、瞑目している。
「さあ、安倍の隠し金山をとくとごろうじろ」
六川が松明を一閃させた。そのとたん、金の粒を散らしたように土肌が一瞬黄金に輝いた。
「黄金じゃっ」
黄金じゃ、黄金の壁じゃっ。口々に義家たちが叫んだ。
「やはり真実であったのか…先ほどは見えなんだが…」
義家は首を傾げた。しかし、やおらつかつかと壁際に至り、自らの松明で土金を確かめようと、壁に目を近づけた。明かりの当てようによっては、ただの土が、確かに金色に輝いたように見えた。
「おおっ。なんという…明かりの加減であったか。おお、おお、なんという輝きだ。父上もさぞご満足なさろうぞ、おおおぉぉぉっっっ…」
あとは言葉にならない。
三人の源氏は、しばらくの間、我を忘れたように土金の壁を右左し、松明をあちらへこちらへとかざす。そのたびに、三人の目の中には黄金色が走った。それが七川の観想した黄金を照射されている一種の幻視だとも知らずに。
「源の義家殿とお見受けいたーすーうっ」
そのとき、義家の興奮に水を注すように、ひいやりとした声が響いた。その声で義家は、蛇の腹が背筋を這ったかのように身を縮ませた。
八身が発声した声だった。
オペラ歌手が離れたところにあるワイン・グラスを声の発する振動により割ってみせるように、八身の声もまた、義家の肌を走る神経を共振させたのだった。
剛勇で鳴らす義家だったが、背筋を襲った冷たさにに、思わず腰刀を引きつけた。生存の寒気のような冷たさだった。
義家は声のした方を睨むが、松明の明かりが届ききらないため、声の主は確認できない。
「何者ぞっ」
配下の二人が義家の左右を素早く固めた。松明の一本を遠い闇に投げてみる。
見えた。一瞬。
頭が一つ。
さらし首のように、水面に首から上だけ出した僧形の頭が一つ。しかし、再び闇。
「名を名乗れいっ」
「先の牛方かっ」
配下の者が口々に叫ぶ。再び八身の、肌の表層を震わせるような冷たい声が始まった。
「天下に左道(謀反)を企てし源氏一族。その腹は見えておる。安倍の黄金を懐にして京の政治を私する魂胆、藤原頼通殿にはとうにお見通しである。いまはただご下命に従い、征夷の実を挙げられるべき時でござろうに。このまま戦が終われば、戦後、頼通殿による勧賞はすべて清原に対してのみ行われるであろうぞ」
その声の終わったとき、松明の明かりの届かない真っ暗闇の水の面に、朝服姿の関白藤原頼通が浮かび上がった。それは、頭には垂纓冠(すいえいかん)と呼ばれる被り物。手には笏。百人一首でおなじみの貴族の盛装。どんよりと垂れた瞼の下には、義家の背後を、義家の生まれたその時を、いやこの世の歴史そのものを見透かしているような両眼。大きな耳、下膨れの顔。唇の上辺にそって一筆刷いたような細い口髭。下唇の直下にも薄い髭。顎の先にもかすかに三角髭。義家が父頼義の供で一度だけ遠くから見たことのある、確かに藤原頼通…のように見えた。
「おのれ、鬼の化身かっ」
義家が腰刀に装着した小柄(こづか・長さ20センチほどの小刀)をその頼通に向かって投げた。
狙いは正確だった。が、小柄が頼通の像の眉間に突き刺さったと見えた瞬間、頼通が水中に消え、数秒後、八身の頭が同じ水面上に現れた。
義家以下、松明をできるかぎり突き出し、水面に浮かんだ首に懸命に目を凝らした。六川と七川の腰綱はとっくに離していた。もちろん離したことさえ気がつかなかったが。
義家が八身を睨みすえて言った。
「その方、先に衣川を攻める際、道案内をせし僧侶であろうっ」
「そのとおりである。ただし、僧侶ではない。安倍晴明の流れをくむ闇の陰陽師である」
八身の首が静かに応えた。その声は、あいかわらず水の底から湧き上がってきたように冷えていた。八身は話し始めた。
「ようく聞くがよかろう。黄金は泡沫(うたかた)である。蝦夷は、黄金によって仏に仕え、浄福を得ようと考えたことなど一度としてない。御仏や仏閣を黄金で飾りたきは、富貴をこの世の極楽とする倭人だけである。倭人は黄金こそ御仏の血肉であるとして、黄金を競って私しようとする。ゆえに蝦夷は、黄金を掘るのである。黄金で倭人を操るために掘るのである。我らの館を黄金で飾るために掘るのではない。蝦夷にとって黄金は、それだけの役目にすぎぬ。とはいえ、その役目もやがては終わる。蝦夷の黄金は程なく尽きるからである。倭人たちよ、よぉく聞け。そのように有限なるものに福の根幹をおけば、必ず奪い合うための争いが起こる。福は何者にもゆるがせにできぬ真実から、無限に生まれるべきものなのである。さすれば争いも起こらぬが道理。蝦夷はそのことを知っておるのである」
「ぶ、無礼なっ。黙れ黙れ、黙りおろうっ」
こんどは配下の一人が小柄を投げた。と同時に、八身の全身が跳び上がった。足の下の岩を蹴って、恐るべき跳躍力で跳んだ。じつは八身が膝を折って水中に隠れる岩の上に乗り、首から上だけ水面に出していたことなど知らない義家たちは、八身がまるで飛翔したように見えた。
「おおおっ」
配下の二人は尻餅をついた。立っていたのは義家だけ。その義家も、しかし、思わず知らず抜刀していた。
「何の化身じゃっ」八双に構えた刀の陰から義家は叫んだ。「わが魂魄を操らんとする不届き者っ。妖狐かっ。それとも、この黄金を守る蛇か、龍かっ」
「蛇でも龍でもない。宮廷陰陽道がその力を形骸化したいま、それを伝えるのは闇の陰陽師だけである。さあ、その目の中に、いま京では死んだ陰陽師の術を入れよ!」
そのとき、綱で自由を奪っていたはずの六川、七川が水の中から現れ、八身の左右に頭を浮かべた。
「いつの間に…」
ところが、あわてて二人のいるはずの場所に視線を走らせると、そこにも六川、七川はいる。いや、六川、七川そのものではない、二人を象る燐光が二塊見える。燐光ではあるが、三人にはあきらかにそれが六川、七川の外貌をしているように見えた。そう見てしまうのは、自分自身の脳の作用なのだが、そんなこと、わかりはしない。
いまでこそ、ある種のカメラには、さっきまでそこにいた生物の残した熱エネルギーの痕跡を写し取ることができるが、六川、七川は人間の裸眼にも瞬時ならそれを感じさせ、なおかつそこに自分たちの観想を照射させることができたのだった。
義家たちは、いつのまにか陰陽道劇場に足を踏み入れ、その瞬間から、すでに劇中の人物と一体化して脳の働きを支配されていたのだった。
「な、なんとしたことか、こ、こ、これはなんとしたことか…」
さすがの義家も、驚愕にほとんど現実を見失った。義家はただ、その眼光だけで対抗するのがせいぜいだった。
再び八身の冷えた音声が闇の隙間を縫うように伝わってきた。
「くり返す。黄金は泡沫である。黄金で万福を手に入れられると信ずるは、倭人の不幸である。安倍に隠し山なぞない。安倍の黄金は、聖武天皇に献上して以来三百有余年、もはや小仏を飾れる程度にしか残っておらぬ。この戦の真の目的は、したがって最初から失われていたのである。よいか。この戦の目的としたことは、最初から虚しかったのである。帰り、征夷大将軍にそのことを告げられよ。そして倭の朝廷は、早々に陸奥から兵を退かれよっ」
声の終わったとたん、真っ暗闇だけが残った。
何時間もたったような気がしたが、それはほんとうは、ほんの一瞬の出来事だったような…。
三人はただ荒野に放られた石ころのように転がっていた。
気がつくと、八身たちも消えていた。
義家は呪縛を解かれたかのように、にわかにからだが軽くなったのを知った。陰陽道劇場は終演した。
「土金が…黄金が消えた…」
土金を照らし出そうとした義家が、呆然たる言葉を足元にこぼした。いまはただ、黒々とした土と岩が連なるばかりだった。
「黄金は泡沫である。陸奥にはすでに戦い取るべき黄金がない。この戦の目的は最初から失われていたのである…」
八身の残した声が波動となって、義家の赤い脳をいつまでも震わせ続けた。

生きものとしての感受性を科学の発達とともに鈍化させた我々現代人でさえも、たとえば晴れた雪景色の朝、黄や赤や緑、青、オレンジ、紫など、さまざまな色を白一色の世界に感じ取ることができる。見えないのに、確かに色を感じられる。
介山法師や七川が、義家とその配下の者に観想させた黄金のイリュージョンというのもその種のものだったのではないかと想像するしかない。
要は、相手の大脳皮質に働きかけ、いっとき視覚野をコントロール下におくことができた、ということなのである。
十世紀から十一世紀にかけて、安倍晴明をはじめ何人かの陰陽師が見せたという不思議の記録。
それらをいまの科学で説明することは不可能だし、我々は科学の手に負えないことは信じようとしないのが常だが、それでいいのだろうか、という気がしないでもない。
しかし、判断はどうあれ、物語は北へと進む。