不戦の王 26 三人の金穿大工

<目次>
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義家の軍は馬を麓につなぎ、見え隠れする幟を追って早池峰山塊に分け入った。三隊は谷筋方面へ。四隊は尾根道方面へ。これほど大掛かりな捜索隊はかつてなかった。
道らしきものは獣道しかない。
といってもこの頃の陸奥は、先にも書いたように、街道でさえ大人が二人並んでは歩けるかどうかの道幅だったというから、すべてが獣道と大差ないのだが。
互いに合図の呼子を吹き交わしながら、位置を確かめ合って進む。
が、そうこうしているうちに、とうとう安倍軍の姿は見えなくなった。義家、ということはそもそも頼義自身、じつは正任軍に誘い込まれた、とは気づいていない。
義家の本隊はひと山越えて谷を渡り、その尾根に登って、さらに四周を見晴らすことのできる地点に出た。と、二百メートル下の渓流沿いに、獣道以上の、明らかに牛馬で踏み固められたような道らしきものが続いている。
(もしや運搬に使う道ではないのか)
義家はそう読んだ。
そのとおりだった。折りしも一人の牛方が七頭の牛をひと繋ぎにして、渓流沿いに登って来るではないか。見ると、その後方からも同じように牛を牽いた牛方が二人ほど来る。いずれも荷を背負っていないところをみると、おそらく掘り出した鉱石を製錬所か集積所かに運んでの帰りか。
「一隊は前方に。速やかに行く手を塞げ。谷筋の三隊にも伝令を走らせよ」
義家は命じた。本隊はそのまま尾根道づたいに、牛方たちをひそかに追尾し始めた。
牛方は、ここが戦場に近いことなど知っていないかのように、のんびりと牛を先導して行く。まさか朝廷軍がこんな山中まで寄り道するはずはない、そう思っているのだろう。当然である。
追尾すること十五分あまり。後ろから来る隊、前を塞ぐ隊の間で、合図の呼子が鳴った。牛方は何事かと四周を見渡す。見ると、前からも後ろからも武者たちがやって来る。三人の牛方がひとところに集まった。二言三言、言葉を交わす。どこに逃げよう。尾根に逃げるか。しかし目を上げると、そこにも武者らしき姿が見え隠れしている。逃げ道は沢を渡った向こう尾根しかない。
「そうれいっ」
牛方は牛を綱から放し、前後の源氏軍にけしかけた。大した効果の見込めない抵抗だったが、何もしないよりはましかもしれない。三人の牛方は牛をかき分け、もがくように沢を渡り始めた。
しかし、十歩と逃げられなかった。源氏軍は苦もなく三人を捕まえた。
義家たち本隊はそれを確認すると、見張りのための一隊を尾根道に残し、急峻な斜面をほとんど転がり落ちるように下り始めた。
義家が着くと、早くも吉報が待っていた。
「もう少し先、この流れの始まる山地によく知られた鉄の採鉱場があり、じつはその山の続きに、土金の山があるとのことでござりました」
「何? よく知られた鉄の山の続きに? 鉄の山に見せかけて黄金を隠しておったというのか」
「まず、そのようでござりまする」
頼義のハイエナ的執念は、見事に隠し山のありかを嗅ぎつけていたのだった。
「むむ。して、その土金とは何のことじゃ。砂金ではないのか」
「否。土金と申しております。岩金や砂金と異なり、このあたりの山の土に含まれておる金のことのようでござりまする」
「なんと、ただの土の中から黄金を採っておったのか。探索してもわからなんだはずじゃな」
義家は思わず足の下の土をドンと踏み鳴らした。
やはり父の読みは当たっていた。隠し山はもちろんここだけではなかろうが、その一つは山塊の奥深くではなく、意外なほど近くに潜んでいたのだった。
「この戦の真の目的は…」と語った頼義の言葉がいまさらながら脳裏に蘇った。「安倍の財をつかむことじゃ。戦に勝つこと以上の大事は、安倍の隠す金山を見つけることじゃよ」
義家は胸いっぱいに息を吸い込むと叫んだ。
「ようしっ。黄金はすぐそこぞっ。三隊は尾根の分隊と呼応して後備えにあたれ。残るは採鉱場へ。急げ、急げいっ」
義家以下千人の兵は、牛方三人を先にたてると、渓流を蹴散らかして沢を登り始めた。

あいかわらず、安倍軍の姿はない。
(あの幟の一隊、いったいどこに隠れたのか。もしここが牛方の言うとおり黄金の隠し山であるなら、そうやすやすと源氏に明け渡すであろうか。この先で待ち伏せしておるのではあるまいか)
義家はだんだん狭隘になる両斜面に油断なく目を配りながら、思いをめぐらせる。
(しかし…)
である。この採鉱場を守るため安倍が兵を割いているとすれば、義家たちが先ほど崖を転がり下りている無防備な時機を逃さず、対岸の山から矢を射かけてきたはずではないのか。あるいは谷の迫ったこのいまこそ、上方から敵を殲滅する絶好機ではないのか。
ところが、山は静まり返っている。
(ということは…? あやつら、厨川の最終決戦に備えてここで小競り合いなどせず、早々に北へ向かったということか? そうにちがいない。じゃとすれば、まさか牛方が捕らえられようとは考えもせず、愚かなことよ)
義家、完全に貞任の術中にはまった。

谷はますます狭く、険しくなっていった。
谷に分け入るほどに、ここは千人もの人数がいちどきに入山できる地形ではないことがわかってきた。
けっきょく義家は、最終的に選抜したわずか三十名とともに隠し山にたどり着いた。
それは沢の源流をも過ぎ、藪の中の細道を右へ左へと折り返しながら登って、大小の岩が点在する地点を抜けたとき、忽然と現れた。
明らかに人の力が加わったと思われる広場が出現した。地面が黒光りするほど踏み固められ、そこに長細い箱型に盛り上がった土の山が三本並んでいる。いまで言えば、プラットフォームのような形状だった。義家は知る由もないが、そこに電車のように縦つなぎにした牛を横づけし、容易に荷駄を積むためのものだった。
ただし。
いまは誰もいない。人の声も聞こえない。
これではまるで廃坑だった。三十人の源氏軍は弓をつがえ、円陣を組み周囲の気配を窺う。
「偽りではなかろうな。ここで土金が掘れるのだな。源氏をだましたら命はないぞっ」
義家は顎を鳴らさんばかりに言い放った。三人の牛方は、しかし、義家の大音声にもまったく驚いた風情がない。やがて、中でもいちばん年かさの男が、小腰をかがめるでもなく、堂々と義家の目を見て応えた。
「隠し山にわざわざ綺羅を飾る馬鹿はおらんぞ」
洞に彫られた古びた石仏のような風貌。糸ほどの目。
牛方の一人は、なんと播磨から八身に乞われてやって来た法師陰陽師、介山だった。
とはいえ、その身なりはまさに牛方のもので、渋柿染めの腹掛けに腿までの半纏、膝当て脚半。足には獣の皮でできた足袋のような履物。
他の二人も、あらためて見れば、ただの荷駄運びの男とは見えない落ち着きがあった。
それもそのはず。彼らもまた、陸奥に民間陰陽道の新天地を求めてやって来た介山法師の弟子、式神を自在に出し入れできる練達の法師陰陽師たちにほかならないのだった。
「廃坑ではあるまいな。いまもここで黄金を掘っておるのだな。土金があると言うたが、どこじゃっ」
「疑うなら、中に入ってみることじゃよ。あそこに穴があろう、ほれ、あそこに」
介山が顎をしゃくった。しゃくった先に急いで兵が走ると、潅木が幾重にも折り重なった山腹に穴が一つ開いていた。それは、大人がからだを二つに折って、やっと入れる程度の小さな穴だった。
「あれが間歩(まぶ)…まぶというは金や鉄を掘るための穴のこと。それへの入り口じゃよ。いっしょに入るか?」
介山は乱暴にでも斜に構えたふうでもなく、淡々とそれを言った。その声音には、なんの利害の感情も含まれていなかった。
「解せぬな。これが金山の入り口とな? しかも、この静けさ。皆ここを棄てて逃げたのであろう。なのに、なぜ牛を追っておった。誰もおらぬ採鉱場に牛を追って、何を運ぶ気であった。答えられるなら答えてみよっ。揃いもそろうて、その坊主頭。牛方ではあるまい。何を謀っておるっ」
義家が、介山の糸のような目をこじ開けんばかりの眼光を注ぎ込んだ。しかし、介山が勇猛な義家の剣幕をどう受け止めたのかは、その表情からはまったく読めなかった。あいかわらずなんの利害感情もこめられていないような静かな声で応じた。
「人がおらぬは当然じゃろう。土金を掘るのは、もともと我ら三人の金穿大工だけじゃからな。隠し山に五十人も百人も人が入っては、どこからか必ず秘密がもれるからのう。それに、坊主頭は髪の中に金の粒を隠せぬようにと丸めてあるだけじゃ。何もおかしいことではなかろう」
「ぬけぬけと、よくぞ申したな。たった三人で掘り、運び、また掘ると申すのかっ。どこまで運ぶのかは知らぬが、一日にいくらも掘れまい。偽りを申すなっ」
義家、太刀に手をかけた。
「疑い深いことじゃ。斬るなら斬りなされ。わからぬか、ここの土には、その程度の働きで充分なほど金が含まれておるということじゃよ。それに少しずつ掘るからこそ、黄金は値打ちが出るのじゃ。そこらの土や砂のように黄金があふれては、倭人でさえも珍重すまいが」
へらずぐちを叩く牛方介山に、義家、うーんと唸っただけで刀を抜こうに抜けない。
「これ以上の問答は無用。とくと中を確かめなされ。すべての疑念が晴れましょうぞ」
逆に介山に諭されたような形になった。義家は憤然と言った。
「ほかの二人はここに預かる。その方一人が先に立ち、穴に入れ。中で妙な真似をすると、外の二人の命を断つ。よいなっ」
「また命か。よほど命のやりとりがお好きじゃな」
介山はもう何度目かのへらずぐちを叩きながら先頭に立った。
「松明はいらぬのか」
そう問う源氏の兵に、振り返りもせず手を振って、すたすたと斜面を登り、潅木のむこうに消えた。義家の配下五人は兜をとり、腹巻鎧を脱ぎ、太刀をはずし、腰刀(脇差)一つだけの軽装になると、大あわてて後を追った。