ビーハイヴ・グラフティ!

「桜木聖亜蘭(せあら)だ。今日も美人だねー」

やめて。

「脚細ーい。芸能活動しないのもったいないよ。さっすがメル高の絶対王者」

やめて。そんなふうに言われる人間じゃない。私はただの

「学力テストも全国上位ランカーでスポーツ万能。文藝コンクールでもドストエフスキー論を書いて優勝。できないことが何一つない無双プリンセス。それで謙虚って天使かよ」

いたたまれなくなって逃げだした。

私、桜木聖亜蘭(せあら)は辺芽瑠((へんめる)高校、略してメル高2年生。随分なあだ名をつけられているけれど、そんなステキな人じゃない。
本当の私はただの落ち目のBLマンガ原作者だから。もっといえばBLマンガ好きでもない。
一年前、中学時代からの親友で漫研部にいる花梨(かりん)と、冗談で身近な人をモデルに、原作者が私、イラスト花梨で異世界ファンタジーバトル・スポ根SFホラーミステリーBLマンガ『メルヘン・パラダイス』をつくったのがきっかけだった。主人公のモデルは3年生の蓮沼冬夜(とうや)先輩と竜前(りゅうぜん)康(こう)士郎(しろう)先輩。蓮沼先輩は「メル高の王子」と呼ばれる気品あふれる男子。そんな彼といつも一緒にいる竜前先輩はサッカー部のエースストライカーで、その強さから「勇者」と崇められている。二人が並ぶ姿はまさに王子と騎士。名探偵と助手。剣の良きライバル。祓魔師(エクソシスト)とサポーター。そこでできたのが蓮沼先輩が美少年王子ウィントで、竜前先輩は彼を守る美青年騎士ドラフォ。
花梨が「世良カリーヌ」の名前でオンラインマンガ大賞に応募したら最優秀賞を獲ってしまい、編集者から連載を依頼されたのは予想外だった。花梨のやる気と熱意にほだされて連載を開始して以来、隔週で掲載している。
これが私の苦悩の始まりだった。
最初は読者にも編集者にもウケがよかった。それなのにしばらくすると「ありきたり」「無駄に知識がマニアック」「リアリティに欠ける」と人気が急降下してきた。創作の世界は奥が深くて手厳しい。どんなに技をひねろうと会心の一撃を狙った話にしようと、読者の目は厳しい。
当然だ。設定がめちゃくちゃすぎたのと、私たちがBLが何かをちゃんとわかっていないから。
男同士ってどんなことするの。「総受け」「総攻め」ってなに? 「ホモ百合」? どっち?? 「スーパー攻め様」って誰? コメントの「朝チュンでいいからお願いします」ってどういう意味?
謙虚なんかじゃない。自分に自信がないだけ。どれだけ本気出して足掻いても酷評されたら自己否定感しかなくなるし、大した努力もしないで成果を出している高校生活がゴミに思えてしまう。かろうじて連載が続いているのは花梨の絵に人気があるから。
私は創作の前では辛酸をなめ続けるただの敗北者に過ぎなかった。

お昼休みの食堂で前の席に座る花梨がお弁当を広げながら真剣な顔を向ける。
「ねえ、だれか殺そうよ」
物騒な発言に周りが私たちに注目する。
「みんな、ちがうから。ゲームの話(はなし)してるだけだから」
両手を振って否定すると、納得したのか注目が消えた。中学時代、「玉ヒロの悲劇」から学んだ私たちはBLへの関りを秘密にしている。花梨は続ける。
「ミステリーでもあるんだし、殺人事件で盛り上げたらどうかな。リストラは聖亜蘭(せあら)が決めていいよ」
「んー、エメラルドくんかルビーくんかな。もともとエメラルドくんは人畜無害なモブだから」
「じゃ、リストラはエメだね。いっそ派手な惨殺死体でヨロ」
私はオムライスにスプーンを入れる手が止まった。食堂で一番人気の卵にかかるデミグラスソースのおいしそうな香りがいまは煩わしい。花梨、無理してる。花梨はどのキャラにも愛情を注いで創る子。話の創れない私を気遣って犠牲を払おうとしている。胸が痛んだ。
食欲がなくなり、オムライスを半分以上花梨にあげて、私はネタづくりのために校舎を囲む中庭に出た。昼休みの中庭は天気がいいと人が多い。モデルになる子がいるかも。私は背の高い木立を見上げる。
5月は新緑の季節。風が、春の光を含んだ若葉の新鮮な香りを届けてくれるよう。
そんなときになんだって惨殺死体と男同士の絡みを考えないといけないんだか。
長期連載するつもりで作った話じゃないから、とっくにネタ枯れなの。締め切り前は毎回胃が痛くなるの。眠れない日が何日も続くのよ。
「桜木聖亜蘭(せあら)が物思いにふけってる。絵になるなあ」
「また文学を読んで感動してるんだよ」
なんか言われてるけれど耳に入ってこない。それほど焦っていた。
ベンチに腰掛けてそっと周りを観察する。一年生は服装を見るとわかる。スカートが長いから。それで、慣れてくるとだんだん短くなるの。スマホでゲームする人が多い中、ウィントとドラフォ、じゃなかった蓮沼王子と勇者竜前が芝生に並んで座っていた。身振り手振りでなんだか楽しそうに話し込んでいる。きっと本物のBL好きならこんなシーンから“脳内変換腐(フ)ィルター”ですんなりネタが作れるんだろう。私にはただの仲良さげに話している人たちにしか見えない。あーあ、この二人本当につきあってくれないかな。私が天を仰いでため息をついたそのときだった。
こういうことってない? 急に周りがシンとなった瞬間に一人の声だけが響いて注目されてしまうのって。それは蓮沼先輩を見つめた竜前先輩の声だった。
「おまえのことが、マジで好きなんだ」
え? ちょ、えっ!? ええええええええっ!?
奇跡、キタァーーーー! BLの神様って本当にいるんだ。願いが叶って、私、明日死んじゃうんじゃないの!? じゃないわ。せっかく与えられたこのチャンス、生きてすべてを見届けないと。
ところが、希望の灯火は一瞬で消えた。王子様は苦笑した。
「ごめん。さすがに無理だな」
それ、困る!! しかも気まずくなって距離を取られたらモデル頼みの『メルパラ』が終ってしまう。
一部始終を遠巻きに見守る人達でざわつく中、私は両手を握りしめ、二人の前に進み出ていた。
「お願いします。考え直してください」

誰かあたしの呪いを解いてほしい。厨二病じゃなくリアルで呪われている。
あたし、松崎(まつざき)奈那(なな)に好かれたキャラは必ず死んでしまう。

小学生の頃から恋愛系マンガやアニメが大好きだった。そして、登場キャラに恋してはその人が女子キャラとイチャつくのに本気で傷ついてきた。つらい失恋の繰り返しであたしが向かった先はBL。たいして可愛くもない女に好きな人を取られるより、男に推しメンを取られる方が断然悔しくないからね。
ところが、BLの場合、あたしが好きになる推しメンは必ず死んだりリストラされてしまう。特に、彼らの失恋直後は死亡フラグがバリ3で立つ。
心配だよ、エメラルドくん。穏やかで人畜無害なところにほんわかするの。最近のお気に入りは世良カリーヌの『メルヘン・パラダイス』。ぶっ飛んだ設定とは別の意味でハラハラドキドキするよ。
お昼休みにスマホでオンラインマンガを読み終わり、あたしはほっと胸をなでおろす。
良かった。今回も生き残った。
お弁当を食べ終わったアヤちゃんたちが寄ってくる。
「奈那、ニヤけてる。さては『メルパラ』読んでたな」
「うん。エメラルドくんの出番は少ないけど、出てくるとテンション上がって、もーキュンキュンするよ。今回はかっこいい騎士団長を見てドキマギするシーンの顔が素朴でかわいーのっ」
「奈那は暴走するなあ。思い込むと歯止めが利かないよね」
「普通はBLトークされると引くけど、これだけ大っぴらに聞かされるといっそ気持ちいいわ」
うちのクラス、辺芽瑠高校1年B組のみんなはあたしに優しい。偏見のない人が多くて入学してすぐにみんなと打ち解けたよ。
「奈那、ちょっといいか」
明石に声をかけられた。同級生でも特に仲がいいのがこの明石健斗(あかしけんと)。妙に気が合って一緒にいると楽しくて、いつまでも話していられるんだ。あと、ちょっとカッコよくて女子にも人気がある。アヤちゃんたちが気を利かせるように目配せしてそっと立ち去った。
「あの、今日の放課後一緒に帰ろう。竜前先輩と部活ミーティングして遅くなるけど、話があるんだ」
うつむいてそわそわしながら頭をかく明石。声も上ずっている。でも何か決心したような表情。
竜前先輩と明石が会う――そっか。ついにだね!
「明石、頑張って。放課後待ってるよ」
「お、おう。まあ、期待しててくれるなら、嬉しい」
行ってしまった明石を遠目に見ながら、あたしは大事な我が子が旅立つ寂しくも嬉しい気持ちで散歩がてら中庭に向かった。
知ってるんだ、あたし。明石がBL男子で竜前先輩を好きなのを。そして多分、竜前先輩もBL男子。だってサッカー部だもん。サッカー部はBLの王道だもん。うん、ついに告白かあ。応援するよ。なにせ、明石は我が校のプリンスをふってまで……。
なのに。なのになのに。なんなの、これぇ!
竜前先輩の告白現場に居合わせてしまったうえに、なんか桜木先輩が説得してるし。
ちょっと待ってよ。それ受け入れると竜前先輩と蓮沼先輩がつきあって明石が失恋する、つまり明石が死ぬ――そうだっ! 失恋しなければいい。傷ついた竜前先輩を明石が癒して二人がいい感じになれば死亡フラグは回避できる。そうしないと明石が死んじゃうよ。

初めて話す先輩たち相手に私は必死だった。
「せっかく竜前先輩が勇気を出したのに無下に断らないでください」
「勇気というほどでもないけれど。オレと蓮沼の仲だし」
「竜前先輩もこう言ってるんです。思い直して、蓮沼先輩」
「そういわれても、無理なものは無理だから」
「簡単にあきらめないで。先輩たちの絆をここで終わらせるなんて大きな損失です」
主に『メルパラ』の。
「待ってください!」
 ショートボブの女子が割って入ってきた。スカートが長い。1年生だ。切羽詰まった表情で彼女は私たちを見る。
「桜木先輩がどう言おうと、もう結論は出てます。竜前先輩は心を癒す人をみつけてください。そうじゃないと――死んじゃいますから」
え、BL阻止に自分の命を賭けるの!?
私たちは面食らったけれど、気を取り直した蓮沼先輩が尋ねる。
「君はだれ?」
「一年生の松崎です。竜前先輩の部活の後輩、明石と同じクラスの」
「ああ、明石の」
先輩たち二人は声をそろえる。そこへ高らかな声が響いた。
「そこまでですわ、あなたたち」
また厄介なのが出てきた予感しかしない。
いかにも気位の高そうなお嬢様の雰囲気をまとった女子が生徒たちをかき分け、私たちの前に立ちはだかった。固唾をのんで見守っていた人たちがまたざわつき始める。
「誰、あの人?」
「3年生の日乃宮(ひのみや)世璃子(よりこ)だよ。桜木さんの入学直前までメル高のプリンセスだった」
「ああ、桜木さんの登場で秒で王座を奪われたのにまだ食い下がってるので有名な」
「桜木さんが超越し過ぎてまったく存在を忘れられていたあの日乃宮さんか」
「その汚点広めなくてよろしくてよ! それより、桜木聖亜蘭(せあら)」
お嬢様はビシッと人差し指を私に向け、勝ち誇った顔をする。
「今のであなたの正体がわかりましたわ」
私は突然の指摘に声も出なかった。
嘘でしょ!? どのへんで私が世良カリーヌだとバレたの?
そんな先輩を押しのけ、モブっぽい男子と女子が蓮沼先輩の前に躍り出た。
「高嶺の花だと思っていましたが、竜前先輩から勇気をもらいました! 僕、蓮沼先輩が好きです」
「なにそのカミングアウトは! だったらユキも! 先輩、ユキとつきあってください」
王子様は笑みを浮かべた困り顔で、すっと頭を下げる。
「二人ともごめん。僕のタイプは年上の男性だから」
試合終了のゴングのように予鈴が鳴った。ここで終わってたまるかとばかりに舞い戻ってきた日乃宮先輩が言い放つ。
「勝負はおあずけですわ。三人とも、放課後に化学準備室で続きですわよ」
「俺、放課後は部活ミーティグがあるんだわ」
「僕も早く帰ってネトフリ見たい」
「そんなのいつでも見られますでしょ! いいから、全員集合! 桜木聖亜蘭(せあら)、そこであなたの目論見を暴いてみせますのよ。逃げたら地の底まで追い詰めて……」
「日乃宮、そのへんにしろ。桜木さん、蓮沼、申し訳ない。言い出したらきかないからつきあってくれ。何かあったらフォローするから。みんなも。教室に戻れ」
手慣れたように竜前先輩が仕切り、まだ何かわめいている日乃宮先輩の背中を、どうどう、となだめて押して、蓮沼先輩と去っていく。教室へ向かう人垣の中から花梨が出てきた。
「おーい、なんだか大変なことになってるって聞いて来たよ」
私は花梨の胸に飛び込んだ。
「どうしよ、花梨~。私が世良カリーヌってバレたみたい」
説明すると、花梨は私の両肩をガシッと掴み
「白を切って。ほれ、玉川博子、“玉ヒロの悲劇”を思い出すのだよ。BL好きをカミングウトしたとたんにドン引きされて卒業まで孤独に過ごした」
「玉ヒロ――それだけは嫌」
私はコクコクとうなずくばかりだった。

放課後――
化学準備室へ行くと蓮沼先輩が先に来て椅子に座っていた。私を見て軽く手を振る。きちんと脚を揃えてすわるたたずまいが美しい。華がある人だなあ。私は教室を見まわす。
「あれ、来てるの私たちだけ」
「いや、そうでもないよ」
先輩が窓の外を親指を立てて示す。見ると反対側の教室からバードウォッチング部の双眼鏡でこちらを覗いている人たちが鈴なりになっていたり、ドローンが飛んでいたりの覗きの饗宴だった。
「見世物じゃないんだから」
私は急いで遮光カーテンを引いた。不意に訪れた暗闇に、私は慌てて電気のスイッチを押す。と同時に電気を付けに来た先輩と手が重なって、驚いてお互いに手を引っ込めた。
「ごめんなさい、先輩」
「いや、こっちこそ驚かせてごめん」
電気がついたとはいえここは遮光カーテンで暗く遮られた狭い室内。閉ざされた空間で男の人と二人きりになるのは初めてだった。ちょっと怖い。居心地の悪そうにする私を、向かい合う蓮沼先輩が覗き込む。
「至近距離で見るの初めてだけど、桜木さんは噂通りの美人だね」
「そんなことないです。私なんてただの……」
「そう? 美人だしスタイルいいし」
彼は自然に私の手を取った。
「ほら、指も長くてしなやかで、爪の形も完璧だよ」
キュンッ、と胸が高鳴る。私、王子様に手を握られている。それに先輩の手、なんて綺麗なの。どうしよう。自分の鼓動がうるさいくらい早い。恥ずかしくなってそっと手を振りほどき、うつむいてしまった。胸が苦しくて先輩の顔が見られない。
「やめてください。私にはBL神(しん)がいるので……」
「BL? 彼氏は外人?」
「あ、いえ、それは」
見上げると小首をかしげた気品あふれる端正な顔があった。あ、ダメ。形が整った薄い唇が綺麗で吸い寄せられそう――そこへ高笑いと共にドアが勢いよく開いた。うわ、危なかった……。
「オーッホッホッホッ。あなたの正体を見破りましてよ。このいい雰囲気が証拠ですわ」
「ちがいます、私にはBL神が、じゃなくて、私は世良カリーヌじゃ……!」
「あなたは竜前くんが好きな計算高い女なのですわ」
「は?」
「健気ないい人を装って蓮沼くんに近づき、竜前くんを嫉妬に狂わせる。それが狙いですわね」
日乃宮先輩は勝ったも同然の表情で私に指を突きつける。
この人、アタオカなのかド天然なのか……?

放課後の1年B組は昼休みの中庭での出来事がグループLINEで広まり、騒然としていたらしい。後から聞くと、あたしのいないところでこんな話になっていた。
「二人がつきあったら奈那が死んでやるって脅したんだって」
「あいつ、変な呪いにかかってるとか言ってなかったか」
「じゃあ、あれは“二人がつきあったら桜木先輩が死にます”って意味だったの?」
「桜木先輩、殺されるの!?」
「奈那は病んでるのか。普通、あの絶対王者を脅迫しないだろ」
あたしがトイレから戻ってきたらクラスに何やら不穏な空気が漂っていた。アヤちゃんたち女子が抱きついてくる。
「奈那ぁっ、困ってることがあるなら相談して!」
「早まらないで!」
なんでみんな涙目に?
「どうした、みんな」
明石がスマホ片手に教室に入ってくる。
「なあ、LINEで回ってきた『昼下り、王子と勇者の決別に女神が降臨して仲裁している最中、突然現れた悪魔召喚士(デビルサマナー)が呪いをかけた。おまけは零落貴族の令嬢』ってなんだ。なろう小説?」
「明石くん、それ、説明するのめんどくさいやつ……」
明石の様子がお昼休みと変わらない。中庭の騒ぎを知らないんだ。てことは、竜前先輩が蓮沼先輩を好きなのも知らないはず。だったら、明石の“失恋イベント回避”もまだ生きている。
あたしは明石の両手を握りしめる。
「明石、あたしを信じて。あたしが明石を幸せにするから。明石の幸せのために絶対頑張るから。なんで赤くなってんの」
「オレのセリフ取るな」
必死に手を振りほどきながら、プイッと顔を横に背ける仕草がかわいい。やっぱり、あたし、明石が――うん、本当はわかってるんだ。好きになったら相手からフラれるのが怖くて、ずっと一緒にいたいから自分の恋愛感情にフタをしているんだって。それに、明石はBL男子。あたしは対象外。竜前先輩と明石ならかっこよくてお似合いだから、いいんだ。
それに、見たの。2週間前、ゴミ捨てに体育館の裏へいったとき、偶然、明石が蓮沼先輩に告白られてる現場を。
「明石、少しの間でいい。つきあってほしいんだ」
「ダメです。俺、竜前先輩一筋ですから」
「うん、知ってる。でも、何度でも口説きに行くよ」
「そんなことしても無駄ですって」
すぐに隠れたから見つからなかったけど、あれには驚いたよ。ショックだった。でも、私が傷ついてどうするんだって自分に言い聞かせたっけ。
明石は断ってたけど、嬉しそうだった。もしかして、蓮沼先輩でも明石を救えるかも。
ん? 待って。
蓮沼先輩は年上の男性が好きって言ってたよね。2週間で明石のことはもう好きじゃなくなったの? 三角関係の崩壊早くない!?
「じゃあ、あとでな。オレ部活ミーティング行くから」
明石がサッカー部のジャージの入ったスポーツバッグを片手に背を向ける。
はっ! ダメ! それだけはダメ! 行って告白ったら竜前先輩にフラれてしまう。そしたら明石が死ぬ。
あ、そこのあなた。さっきから大騒ぎしてるけど、いうほどBLには死者も行方不明者も出てないだろうって?
マジで!!! あたしが好きになった時点で!!! その人に!!! 死亡フラグ、立つから!!!
デスノート・ナナの暗黒の力をなめないでよ。サドンデス、フェードアウト、退場イベントなんてあたしにかかればお手の物だから。これで何人の男たちを葬ってきたことか。
あたしは明石の制服の上着をつかんで引き留める。
「絶対ダメ! ここで待ってて。今日は部活に行かないで!」
蓮沼先輩に明石へ猛プッシュするよう説得してこよう。世良カリーヌ先生、力を貸して。
「ねえ、明石くん、奈那を止めて。もう明石くんしかいないよ」
誰かが明石を足止めしてくれているみたいだ。あたしは蓮沼先輩のいる化学準備室へと廊下を走り抜けた。
神様、世良カリーヌ様、明石を殺さないで。神様、世良カリーヌ様……。

私は混乱していた。日乃宮先輩は今度はむっとした顔になる。
「それにしても竜前くんを嫉妬させるためとはいえ、いい雰囲気すぎますわ。竜前くんがかわいそう」
「桜木さんには外国人の彼氏がいるから違うよ」
「なんですって! 二股!?」
「ちがいます! むしろ、この状況だったら蓮沼先輩に口説かれていると見るのが普通で」
「口説く? 僕は桜木さんが綺麗だって褒めただけだよ。あれ、照れちゃった? かわいいなあ」
「可愛いのはわたくし!」
「(ブツブツ)……神様、世良カリーヌ様!
「はい!」
勢い込んでショートボブを振り乱した松崎さんが教室の扉を開け、私たちに向かってきた。

あたしは息を切らしながら化学準備室に入っていった。
「お願いです。先輩は自分の恋をあきらめないでください。そうじゃないと、死んじゃいますから」
「待って、あやうく始まりそうになったけれど、BL神の名のもとに断るのは大前提で……」
「本当は竜前くんが本命ですのに何をいまさら」
なぜか顔を赤らめる桜木先輩と、腰に手を当てるドヤ顔の日乃宮先輩。
え。てことは竜前先輩と蓮沼先輩は相思相愛……。
「ダメです! そしたら死んじゃいますよ!」
「松崎さんはもっと自分を大切にして。ごめんなさい。私は二人の恋を成就させるためにこの身をBL神に捧げると誓ったの」
「二股女が何を言ってますの」
何か叫んでる先輩二人を通り越してあたしは頼みの綱、メル高のプリンスに詰め寄る。
「すべては先輩にかかってるんです。私、応援しますから」
「えっと、僕が桜木さんの彼氏とつきあわないと松崎さんが死ぬの?」

だいぶワケがわからなくなってきた。

「なに騒いでるんだ」
入ってきたのは竜前先輩だった。蓮沼先輩が軽く手を挙げて迎える。
「早かったね。部活ミーティングは?」
「明石のやつが来なくて流れた。それで、なんだっけ」
「桜木聖亜蘭(せあら)が外人彼氏とあなたと二股をするために蓮沼くんを利用したんですの」
「全然違います」
そこへ明石が息せき切って駆け込んできた。
「奈那、大丈夫か! 桜木先輩を殺してやるって脅したって本当か」
「そんなこと言ってないよ!」
「あら? さっきから死ぬとか言ってましたわよね?」
「違うから! 死ぬのは明石だから」
「オレ、殺されんのか!?」
竜前先輩が深いため息をつく。
「おまえら落ち着け。かなり混乱してるが、俺に関していえば、桜木さんに好きになられても困る。俺が好きなのは日乃宮、おまえだから」

よりワケがわからなくなった。

日乃宮先輩が顔を赤らめながら反論する。
「おかしくてよ! 竜前くんは蓮沼くんがお好きなんでしょ」
「俺は蓮沼を友人としか思っていない」
「僕もだよ。僕は年上の男性がタイプだから」
「昼休みに竜前くんが蓮沼くんに告白してるってみんな言ってましたわよ」
「何かの誤解だろ。蓮沼を好きなのは、一年のうちの妹だ。それで、『妹が“おまえのことが、マジで好きなんだ”』とは言ったが」
そっち!? あたしは混乱しながらも尋ねる。
「蓮沼先輩は明石が好きなんですよね。でも、明石は竜前先輩一筋だからって断られて、それでも何度でも口説かせてもらうって」
「あ、それ? それは……」
また教室のドアが開く。3年生の青色ジャージの女子が姿を見せた。
「蓮沼くん、話し合い終わったの。もう部活終わるよ」
「ごめんごめん。長引きそうだから今日は休む。先生に謝っておいて」
先輩は綺麗な指をした両手を合わせて詫びる。あたしの声は震えていた。
「蓮沼先輩、部活って」
「うん、女子バレー部。センターなんだ」
「じゃあ、蓮沼先輩って」「蓮沼くんは」「蓮沼先輩って」
あたしたちは声をそろえて聞いてしまった。
「女子なの!?」
「うん」

祭りがはじけた。

そりゃ、女の子に好きって言われてもノンケ女子な蓮沼先輩には“無理”だよね。
竜前先輩は頭を抱える。
「蓮沼が女子だと何度説明しても妹はわかってくれなくて困ってるんだ」
反対に蓮沼先輩はあっけらかんと
「うちのバレー部、女子は強いけれど、男子が弱くて補強したいから運動神経のいい明石に短期でいいから助っ人をお願いしたんだよね。けれど、中学時代からの先輩の竜前の元を離れてサッカー以外のスポーツはしたくないって言われてさあ。何度でも口説いて助っ人にする気満々だったんだけど全然なびかなくて」
じゃ、三人ともBLでもなんでもないんじゃん。なんか桜木先輩が魂抜けた感じになってるし。
そんななか、日乃宮先輩をみんなと少し離れたところに連れ出した竜前先輩が照れもせずに気持ちを伝える。
「日乃宮がメル高のアイドルの座を奪還しようと奮闘して空回りする姿や、勘違いの暴走で失敗して、でもあきらめないところがいじらしくて健気で、俺にはかわいく見えるんだ。気がついたら好きになっていた」
「そんな、わたくしなんて」
両手で頬を抑えながら、消え入りそうな声で日乃宮先輩がうろたえる。まんざらでもなさそう。二人を見守るあたしの頭を明石がコツンと叩いた。
「それで、なんで奈那は桜木先輩を殺そうとしたんだ」
「してないよ。私の好きになるBL推しキャラは必ず死ぬの。回避するには最低でも失恋シナリオをクリアしないとで、明石が失恋したら死んじゃうから……」
「それだとオレがおまえの好きなキャラになるのか。その、このタイミングでいうのもなんだけど」
明石が居住まいを正す。
「奈那、オレとつきあってください」
あ、あた、あたし!?
「明石があたしが好きって、#◇%▽\@%*◎……!」
「呂律回ってないぞ。恥ずかしいから大きな声出すな」
片手で顔半分を覆って目元を赤らめる明石。その前で、あたしは脳が沸騰してパニックだった。
「ダメダメダメダメ。あたしが好きな気持ちを認めたら死んだりリストラされるから! よくて転校とか宇宙人にアブダクトとか異世界転生するとか!」
「あのう、聞こえちゃったんだけど」
サラリとした長い髪をかき上げ、おずおずと桜木先輩が話しかけてくる。
「松崎さんは『メルパラ』の読者で、推しキャラがいるの?」
「はい、エメラルドくんです」
一瞬面食らった顔をしたものの、すぐに先輩が優しい表情であたしの肩に手を置いた。
「安心して。彼は絶対に殺さ、いえ、死なない。次回でメインキャラに昇格するから今後もリストラされないよ。あなたの好きな人は、誰も死なない」
先輩の微笑みが天使の祝福のようにあたしの心に光を差し込む。呪いが、解けた……?
「それに、彼、明石くんはBLじゃないでしょ。あなたを好きなんだから」
 明石もニッと笑う。
「メル高の絶対王者が保証するなら大丈夫だろ」
二人を見て、あたしは頷く。明石を失いたくなくて。自分の気持ちを認めたくて。
「よかったあ、エメラルドくん。先輩は『メルパラ』までご存じなんですね」
「えっ!? う、うふふ。漫研部の友達からよく話の続きの予想を相談されるから分析してて」
「何でも知ってるんですね、すごいです!」
「あー……、ううん、大したことないから……」
「あのさ、そろそろ帰らない?」
やれやれという顔をした蓮沼先輩があたしたちに声をかけた。

「まさかいちどきにカップルが二組(ふたくみ)も誕生するなんてね」
ポニーテールをゆらしながら、花梨があきれたようにつぶやく。あれから一週間たった。放課後、私たちは一緒に教室を後にする。私はあの日のことを思い出した。
「そもそも、蓮沼先輩が自分を“僕”とか呼ぶから紛らわしくなるんだと竜前先輩が怒ってた。周りが“蓮沼くん”、“王子”って呼ぶのにも。いくら校則が、制服のジャケットとシャツだけ着てたら下はパンツでもスカートでも可、だとしても先輩は背が高いし似合うから誤解されるよね」
「うちらみたいに蓮沼先輩を男子だと思っている人は多いよ」
そうだよね。女子同士なら褒め言葉も自然に出るし、普通に手に触ったりもする。BLの神様ありがとう。あなたがいなかったら深刻な危険な恋に落ちるところでした。
「それにしても、エメをメインキャラの一人にしてルビとつきあわせたら『メルパラ』人気復活だね。彼、隠れファンが多かったんだ。あと新キャラ、ツンデレ王族少年ヒヨリをじつは騎士ドラフォがずっと慕っていて今回結ばれるというダブル奇想天外。やりますなあ、聖亜蘭(せあら)先生」
「なにをいうの、彼らをかっこよく描いてくれたおかげよ、花梨先生」
廊下で竜前先輩と日乃宮先輩とすれちがう。
「その資料重いだろ。貸してみろ」
「これくらいわたくしにも持てますわ。カノジョだからって甘やかしてほしくないんですの」
「世璃子(よりこ)は少し俺に頼れ」
「あっ、康士郎くんたら、また勝手なことして。もうっ」
二人とも楽しそう。花梨と顔を見合わせてほっこりする。あれから日乃宮先輩に絡まれなくなった。人間が丸くなったというか、愛されているせいか、私がどうでもよくなったみたい。よかった。
知っている声がして振り向くと松崎さんと明石くんが渡り廊下を歩いていた。
「なんだよ、ガン見して。今日も足はちゃんとついてるだろうが」
「生霊とかドッペルゲンガーじゃないよね」
「じゃあ好きなだけ触って試せば。あ、おまえ、顔、真っ赤」
「明石のバカー!」
こっちの二人も微笑ましい。
体育館の前を通ると聞こえてくるのは蓮沼先輩への女子の黄色い歓声。
なんであの人、女子にしかモテないんだろう。
ドア越しにちょっと覗くと蓮沼先輩と目が合った。微笑んで手を振ってくれる。女子だとわかっていてもドキッとするのは先輩の魅力なんだろう。
恋かあ。みんな、いいなあ。でも、私にはしばらくはBLの神様が彼氏。それで満足。
私は花梨と別れて学校の裏手を歩く。次のBLネタを考えようと誰も来ない裏庭で「BL基礎講座」の本を読んでいたときにハンカチを落としたみたいだったから。
「急に呼び出してごめん」
裏庭は先客がいた。あれ、このまえ蓮沼先輩に告白したモブっぽい男子と女子だ。緊張した雰囲気を察して咄嗟に隠れてしまう。
「蓮沼先輩にフラれたから代わりってわけじゃないけれど、僕、前から蓮沼先輩みたいなりりしい女の人に憧れてたんだ。あの日から君のことが忘れられなくなって。僕とつきあってください」
「え、ユキ、男だけど」

私、桜木聖亜蘭(せあら)、メル高2年生。
愛されたのはBLのロマンスの神様ではなく、節操のないカオスの神様だった。