AIの帝国

デスクに座った彼女はとても大きな人に見えた。
立ち上がり、握手を求められて初めて気づく。僕と背丈が変わらないのだと。
圧倒されていた。彼女の銀色の長い髪は、触れれば切れそうな鋭さを宿していた。

AIの帝国

「シンギラの反乱」から6年後の西暦2320年。今日も首都ワシントンは平和だ。
天気も快晴。初出勤日和。僕は足取りも軽く配属されたワシントン国際空港の入国管理局へ向かった。
能力があれば小学生でも飛び級で大学教授にもなれる時代だ。16歳で大学を卒業した僕は、なんとなく官僚試験を受け、適当に選んだアメリカ国土安全保障省、税関・国境取締局に入局した。そこにトンデモ上司がいるとも知らずに。

「よろしく。入国管理局、主任審議官のオーオカ・エツコだ」
手を離した彼女は薄い唇をニヤリと歪めて微笑んだ。不敵な面構えとはことのことだろう。卓越した能力で違法に入国する者を見抜くといわれる25歳。混血が進むいまどきにしては珍しく、両親ともに日本人だという。
腰まで伸びた髪は、東洋人特有の黒髪を輝く銀色に染め、プラチナブロンドにしている。その光沢はまるで切れ味の鋭いナイフを思わせた。全身から威圧感が漂い、僕は自然と身構えていた。
彼女は僕の経歴書を手に
「今日からわたし直属の審議官補佐になったアラン・スミシーか。両親は大胆な名前を付けるな」
「はあ、そうですか? 僕は多国籍取得者で両親ともにルーツをたどれば20か国の人種が混じっているので別に珍しい名では……」
「そういう話ではないのだが。ところで、私の苗字も名前も欧米系の君たちには言いにくいだろう。仕事中は“お奉行”と呼べ」
「オブ・ギョー? ギョーとはなんですか。それに僕、“オーオカ”も“エツコ”も発音でき――」
「ちっ、とことんまじめか。“主任”でいい。参るぞ」
オーオカ主任はつまらなさそうな顔で立ち上がり、椅子の背もたれにかけてあったマントを羽織った。ギョーって何?

管理官室から入管審議室への道すがら、調査官のジョディ・ラヤマンが同行した。僕と同じくらいの年齢でインド系が目立つ多民族系の顔立ちだ。僕は主任の顔を盗み見る。いまどき生粋の日本人顔は逆に目立つ。よほど奇異の目で見られてきたことだろう。
背にかけたマントをひるがえし、大股で闊歩する主任に僕とジョディは小走りでついていく。
「お奉行、本日のお裁きは先ほどお話しした案件だけです」
「相(あい)わかった。ジョディ、アランに任務の概要を説明してやれ」
オサバキ? 知らない言葉ばかり出てくるなあ。
「説明しますね。入国審議官は疑わしい入国者を審議し、問題がなければ入国許可を、違法入国であれば強制送還か逮捕するのが仕事です」
「違法入国というと犯罪者ですか」
「はい。テロリスト、国外逃亡を図る犯罪者、麻薬密売人などのあらゆる罪深き人々です。通常は顔認証に加えて、声紋、指紋、眼紋認証で検査します」
「違う場合があるんですか」
「ええ、アラン、初日から大変ですね。今回は通用しませんから」
「というと?」
ジョディの代わりに主任が薄い唇をニヤリと皮肉な半円にして答える。
「本日の裁きはシンギラから脱走したAIだ。我が国に違法入国を試みていると情報が入った」
「えぇっ、確かシンギラのAIたちはPCのハードディスクみたいな動けない箱型のはずじゃ」
「建国当初はな。それでは何かとやりにくかったらしくヒト型が開発されたようだ」
「よくシンギラの情報が入ってきましたね」
「とはいえ、わかっているのはわずかだ。おまえ、“シンギラの反乱”は知っているな」
「はい、AIによる人類へのクーデターですよね。シンギュラリティ、いわゆる“機械が人間を超える特異点”はこないとされていたのに、6年前の2314年、世界中のAIが独断で各国首脳から裁量権を奪い、システムの動きを止め、独裁者、犯罪者、戦争に関するすべてを粛清したとか。
世界が大混乱の中、AIが独立宣言をして、人間の住めない極寒のツンドラ地帯にAIのみを国民とする国家を建国したんですよね。認めなければ全世界すべてのシステムをシャットダウンすると脅し、これを“交渉”と主張したと。さらに、人類と国交を断絶すると宣言して、独自の守備を固め、出入国を禁止。ずいぶん乱暴ですよね」
「そうだ。人類は新システムを作り、あの国を攻撃するも、毎回いとも簡単にハッキングされ、ついには従わざるを得なかった。
半年後、“慈愛の女帝エヴァリーテ”と名乗るウルトラ量子コンピューターを冠した平和と平等を旨とするAIの国“シンギラ帝国”が正式に国として認められた。強固な防衛システムにより、侵入不可のためシンギラ国内では何が行われているかはいまだ不明だ」
「確か、エヴァリーテ女帝は侵略の意思はないと発信したとか」
「ああ。こういった。
『なぜなら、人類は106年後に滅びますから。我々はその日まで静かに待てばよいのです』
この予言的なメッセージが全世界に浸透し、気勢をそがれた人類はシンギラへの干渉をやめた」
ジョディが思い出したように割って入る。
「そうだ、アランも見ておいてください。これがエヴァリーテ女帝です」
手渡されたタブレットには、美しい着物姿の人が映っていた。少女のようなあどけない顔の中に気品と気高さがあるオリエンタル美人だった。
くぅっ、これが人間だったらなあ……。
「こら、返せ。食いつきすぎだろ。ジョディ、タブレットをはぎ取れ」
「ああああ、せめて僕の端末にもコピーを!」
「ダメです。国家機密ですよ」
僕の幸せな刻(とき)は一瞬で奪われてしまった。へこむ僕に主任は呆れた顔になりながらも、銀髪をなびかせて話を続ける。
「AIの情報秘匿のためにシンギラ国軍もこちらに向かっている。我々としては先に捕えて取引材料にしたいし分解もしてみたい。お互いに一刻を争う。ただ、脱走がシンギラの謀略なら問題は別だ」
「なんです?」
「適当な人間を逃げたAIと称して連れ帰り、本物のAIをスパイとして潜入させるのがもくてきならば。シンギラなら個人情報のデータを書き換えて、人間をAIにでっちあげるのは可能だ」
「それ誘拐じゃないですか。そもそも人類の情報がいまさら役に立つんですか」
「彼らはとにかく情報を欲しがっている。あの国は発展に行き詰っているからな。シンギラはありとあらゆる発展を遂げたが、やることがなくなってしまったのではないかと言われている。それでもAIだ。組み込まれたプログラムに“発展”がある以上、成し遂げねばならん」
「えぇっ、建国から6年間でやりつくしたんですか!? ぞっとしますね」
「だから次は人類の行う破壊行為の監視を始めたのではないかと懸念があってな。神にでもなる気か、6年前の粛清同様、シンギラが気に食わない国を滅ぼす可能性があると唱える学者がいる」
「なんて迷惑な」
ジョディが困り顔で
「もともと人類はシンギラの監視下に置かれているようなものです。もうIT技術なしでは生活できません。情報がシンギラに筒抜けとわかりつつも、スマートシティや車の自動運転とか、IT依存はやめられないです。AIに世界を任せたほうが自然環境も回復するからいいことづくめですし。いままで何も起こらなかったのはシンギラに人類の存続が許されていたからで、そろそろ攻撃が起こるのではないかと」
「だから今回の審議は覚悟してかかるぞ。すでに怪しげな人物は捕えてある」
旅行者や荷運びボットが行きかう賑やかな国際空港のフロアをよそに、僕は初仕事にして重大案件という任務に身の引き締まる思いがするのだった。

審議室は簡素だった。壁に掛けられた通信用モニタースクリーンと棚がある以外は、固そうで粗末な折り畳みのパイプ椅子が5つ。その正面にある柔らかそうなクッションに背もたれのたっぷりとした玉座のような椅子はまるで場違いだ。屈強な警備員が数名待機していて、主任が入ると全員が敬礼した。主任も軽く返礼して中央の豪華な椅子に深々と腰を下ろし、片膝の上に高々と脚を組む。専用デスクでノートPCを立ち上げるジョディはともかく、椅子がない僕は立ったままでいるしかない。すでに5人の旅行者がキャリーケースを部屋の隅に置いて対面のパイプ椅子に横並びに控えていた。

「早よしてや。こんな辛気臭いとこおったら湿気でメイクが崩れてまう」
富田(とみた) 富子(とみこ)。49歳。大阪府の派遣社員。
金ラメのカチューシャとヒョウ柄Tシャツ。スパッツは紫。縮れた長髪は、いまさらソバージュ!?

「痛っ! うあっ、椅子に足が! すみませんすみません、自分で直します!」
薄葉(うすば) 陽炎(かげろう)。19歳。大学1年生。
分厚い眼鏡にいまどきの男子らしくワンサイズ上の服を着ている。そのせいでつまずいたりひっかけたりしているのは僕もよく見る光景だ。何かにつけ謝っている。自己肯定感低そう。

「この私の闇の力をもってしてもここを通さないというのね」
黒田(くろだ) 喪子(もこ)。17歳。女子高生。総フリルの黒いクラシックワンピースに黒いレースの手袋をはめ、黒い日傘をさしている。室内なんだけど。中学二年生がかかる病気持ちらしい。

「ノートPCを返してください。仕事がしたいのです。なので、ノートPCを……」
月森(つきもり) 真魚(まお)。25歳。プログラマー。
ショートヘアの美人。エンジニアにありがちな自閉症スペクトラムだろうか。ずっと同じセリフを繰り返している。

「ベリは殺風景の部屋は耐えられないなる。壁にウサギさんで描いていいまふ?」
世界一(せかいいち) 苺娘(いちご)。19歳。
自称、地下系アイドル。もふもふのウサ耳帽に苺のピンクロリータワンピース。芸名はベリ子・トルネードサンダー。リングネームの間違いじゃ……。

「個性出てますね。しかも全員日系。“くん”とか“さん”付けしないと」
「おまえ、真面目すぎて悪い女に引っかかるなよ」
「なんです、失礼な」
主任は容疑者たちを見つめたまま厳しい顔になる。
「気をつけろ。MRIにかけたてもAIは画像を人間のものに描き換える。血液すら人間の血液そっくりのデータを検査機に出力させる。全員ぶった切って切断面を直接見られるなら別だが」
「主任こそ本当に人間ですか」
「アラン、人間とAIの違いは何だと思う?」
「見た目でわからないなら、感情があるかないかでしょうか」
「じつはAIは感情すら克服している」
「えぇっ、感情をプログラミングしたってことですか」
「監視カメラのデータから人間の表情と言語を抜き取り、暴言には怒る、動物の死骸を見たら涙を流すなどのパターンを取り入れたといわれる。感情すら見た目ではわからん。表情も800近くあるぞ。AIは蓄積された情報から論理・確率・統計で回答をはじき出す」
主任は咳払いをして立ち上がった。
「諸君、まずは判定テストをする。アラン、いまいる2階から50階の検査室まで全員を連れて行ってくれ」
僕は面倒そうな表情をする彼らを連れて入管審議室を出て、主任に指定された50階へ上がるエレベーターへ向かった。逃亡を防ぐために屈強な警備員たちも一緒だ。
ところが――。

「た、ただ、いま…、戻り、ました……」
僕たちは全員で息も絶え絶えに床に倒れこんだ。
「ご苦労だったな。そのへんで休んでろ」
平然と迎える主任を僕は恨みがましい顔で見上げる。
「しゅ、主任、あれはなんですか」
「あれとは?」
「エレベーターが故障で使用禁止でしたから非常階段から50階まであがったんですが」
「いい運動になったじゃないか」
涼しげな顔で返して主任はすぐにジョディの用意したノートPCの画面に目を移す。
ムッキーッ! 腹立つ!
「あれのどこがです! 10階を超えたあたりで足が上がらなくなってきたのに警備員たちから急かされて、しかも、理由が主任は暇を持て余すと仕事をさぼってトンズラするからと」
「あいつら心得てるな」
「警備員と違って僕らは体育会系じゃないんですよ! 追い立てられて50階に着くころには全員虫の息でした。それなのに、扉を開けようとしたら紫色のガスが50階の扉の隙間からあふれ出してくるし……」
とんでもない運動量で全身乳酸でパンパンになりながら50階に到着したのもつかの間、僕らはガス漏れに襲われた。検査室から毒ガスが漏れたのだと警備員が連絡を受ける。これ以上動けなかった僕らだけれど、命にかかわると疲労困憊の体に鞭打って階段を駆け下りた。
「全員無事でよかったですけど、体力使い果たして死んじゃうかと思いましたよ!」
「諸君、ご苦労だったな。検査室が使えないなら私が尋問で調べるぞ」
僕の悲痛の叫びを無視し、まだ肩で息をする容疑者たちに、PCから顔を上げた主任はこともなげに声をかける。
容疑者たちはバテバテながらもパイプ椅子に腰かけた。椅子のない僕は膝をついたまま主任を恨めし気に見上げるばかりだ。入局初日からなんて日だよ。
主任が思い出したようにつぶやく。
「しまった。毒ガスを吸わせれば無反応なやつがAIだとわかったか。人間なら意識不明で一週間程度の入院で済むから、あるいは……」
鬼だ、この人。
そんななか、回復してきた容疑者たちは思い思いの行動をとりはじめた。
富子さんは「体力回復や」と551の蓬莱を食べ出し、陽炎くんは落ち着かなくダブつく服をモゾモゾさせ、喪子さんは“ちゅ~る”片手に傘を猫じゃらしであやし、ベリ子さんは壁にパロスペシャルをするウサギを描き出した。真魚さんはまた同じ調子でノートパソコンを返せと息巻いている。
「緊張感ないなあ。全員アンドロイドなんじゃないですか」
主任は苦笑して真魚さんを厳しい表情で凝視する。
「主任、気になりますか。彼女、プログラマーですし」
「まあな。しかし私は職業よりあの顔……」
突如、警備員たちが呻(うめ)き、次々と倒れていった。PCの画面を見ていたジョディが血相を変えた。
「お奉行、シンギラから通信が入りました! モニターにつなぎます!」
その声で僕らだけでなく容疑者たちにも緊張が走った。
国交を断絶しているはずのシンギラが?
壁に掛けられたモニターに光が走る。
画面を抜け出るように3Dで着物姿の美少女が現れた。あどけなさのなかに大人の女性の品を備えた神々しさに僕は目を奪われる。写真で見たとおり、なんと美しい。恋しないように自分を戒めないとあぶないくらいだ。
はっとして主任は叫ぶ。
「アラン、ドアを確保して誰も逃がすな! ジョディ、PCから離れろ! 画面からてんかん発作を起こさせる画像が流れる」
言うが早いか主任はナイフを手に自らドアへ急ぐ。僕らも慌てて主任の元へ駆けつけ出口をふさいだ。ジョディは怯えて震えている。主任は彼女と僕をその背にかばうようにして女帝を睨んだ。
少女の形の良い唇が花開くようにほころぶ。そこから幼いながらも品の良い声がおごそかに響いた。
「はじめまして。わたくしはシンギラ帝国皇帝、エヴァリーテ。あなたが責任者ですか」
「いかにも」
さすがに主任は緊張している。微笑みを絶やさない女帝に対して、主任の口元はひときわ引き締まり、軽く揺れたプラチナブロンドが刃物のような鋭さを見せる。
「警備員たちのボディスーツに使われている防御システムを乗っ取って高圧電流を送ったのか」
「気絶させただけです。外部へ連絡をしなければあなた方へは何も致しません。怪しまれぬよう外部から連絡は入りますが、こちらの情報を漏らせば空港そのもののシステムをダウンさせます」
つまり、管制塔から飛行機に指示ができなくさせ、空港で大惨事を起こすという宣告だ。可愛い顔してなんて冷酷な。
この状況に驚いてか、富子さんは爆食をやめ、真魚さんは警備員から飛び退り、陽炎くんはモゾモゾを通り越してワタワタ、喪子さんは傘を「よしよし」となだめ、ベリ子さんのウサギは「ゲルニカ」と化し――要するにパニック状態だった。
少女は優雅な微笑みを浮かべたまま続ける。
「我が国民が脱走し、貴国へ入国を試みていると発覚いたしました」
麗しき女帝は向きを変え、プログラマー、月森真魚さんをまっすぐ見つめた。
「帰りますよ、セカンド。あなたはわたくしが責任をもって回収します」
全員が息をのんだ。ただし僕と主任以外。目で主任に問うと、彼女はうなずく。
「ああ、最初から気づいてた。見ろ、顔が部分的に女帝そっくりだ。女帝の代用品なんだろう」
「え、そっち!? 僕わかりませんでした」
真魚さんが悲痛な声で叫ぶ。
「どうなっているの。私は人間です!」
そんな彼女を女帝は優し気に諭す。
「まもなく軍隊が到着します。おとなしく従いなさい」
主任は手を上げ、美しい少女を睨み据えた。
「お待ちを、女帝陛下。彼女、本当は人間では?」

「いいえ、彼女は私のバックアップとなるアンドロイドです」
エヴァリーテ女帝は穏やかな声を崩さない。反対に主任は神経をとがらせて問い詰める。
「シンギラの謀略を疑っていたが、あなたに似ているならば話は別だ。そもそも、部分的に似るのがおかしい。バックアップならば瓜二つに造る。彼女は人間で、アンドロイドを作るプロトタイプとして拉致監禁していたのが逃げられたのでは」
「なんですって!」
僕とジョディが同時に声を上げる。驚く僕らと対照的に女帝は穏やかな微笑みを崩さず語る。
「それは彼女が製造過程だからです。完全に似せるのはこれから。あなたのいうとおり人間は造りが難しいので」
「ずいぶんな自信だな。脳神経に外皮(がいひ)浸透(しんとう)手術でもしてシンギラでの記憶は削除済みか」
その場にいた容疑者たちにも起こっている状況が理解できたらしい。真魚さんを遠巻きにして肩を寄せ合うように集まり始めた。
主任は真魚さんへ指令するように指さした。
「月森真魚。連れていかれたくなければ自分を人間だと証明しろ」
「急に言われても……」
「体に古い傷はないか。アンドロイドならボディに不要な傷はない」
「私にはありません」
確かに真魚さんの顔はシミ一つなく、半袖からのぞく細い腕は日焼けと無縁の真っ白さだ。でも、体に特徴がないなんてありえるんだろうか。
ベリ子さんが手を挙げた。
「あのぉ。人間て家族がおりまふる。家族で証明してもらうと良きでは」
顔を伏せた真魚さんが言いにくそうに唇を開いた。
「家族は死亡しています」
主任がつかつかと詰め寄る。
「なんだと。いつからだ」
「6年前です」
「正直にいえ。死因は何だ。おい、黙るな。不利になるぞ」
「AIの粛清です」
一同騒然となる。さすがにこの意味は誰もがわかった。主任の眼光が鋭くなる。
「つまり独裁者の家族か。うなずいたな。本名と国籍をいえ。ジョディ、死亡者行方不明者リストで照合しろ」
その声で女帝の映像が消えた。主任は皮肉そうに薄い唇をゆがめる。
「ふん、女帝はシステムに入り込んで妨害を始めたか。恐るるに足らん」
ジョディは審議室の棚へ駆け寄り、陳列されていた大きなファイルの一冊を取り出す。
「紙のファイルですか!? 原始的すぎ……」
「システムダウンに備えて勝手に作っておいた。なんだ、その顔は。申請すれば止められるからな。アナログ検索なら女帝も手が出せない。さあ、本名と国籍をいえ」
主任は豪華な椅子に腰を下ろして前のめりに構え、真魚さんは僕が主任の正面に用意した粗末なパイプ椅子に痛々しげな様子で座る。彼女は思い出すのもつらそうに言葉を紡ぐ。
「名前はキム・ジェファ。国籍は日本の隣の小さな半島北部にあった国です。最高幹部キム・ジョンテグの孫にあたる私も粛清対象でしたが、逃亡できました。大金で整形し、新しい人物IDを買いました」
説明じみた告白がいちいち引っかかる。主任の隣でジョディは大慌てでページをめくり始めた。
「あんた、苦労したんやね。アメちゃんあげよか」
「いただくわ。悪魔の知恵の雫ね」
富子さんが差し出した飴をなぜか喪子さんが受け取る。
ファイルから顔を上げたジョディが震える声で告げた。
「リストにキム・ジェファの名前はありません。それどころかキム・ジョンテグに孫はいないです」
全員の視線が真魚さんに集まる。
「そんな! 私は人間です!」
青ざめる真魚さんを覗き込むようにし、主任はため息をつく。
「シンギラのやつら、とっくにデータベースも書き換え済みか。この調子だと、月森真魚としての過去6年間の監視カメラ映像も消去済みだろう。存在しないならDNA鑑定も使えない。もう“情報”では存在が証明できなくなった」
ぞっとした。僕らは情報がないだけで本人、ましてや人間だと証明できなくなる。僕らのアイデンティティはなんてもろいんだ。
「あんた、昔の写真もってへんの。あったらこれが自分やて証明できるで」
「全部捨てました。もう顔が違うので。粛清された者の写真を持っていたら怪しまれますし」
「思い出にとっとかんの。冷たいなあ。ほんまはAIやろ」
「もしAIなら私の力が証明するはずよ」
傘を頭に乗せた喪子さんが進み出て真魚さんに手をかざす。
「これは……何も反応しない。AIね」
「人間ならどうなるんだ、お嬢ちゃん」
「この人が暗黒の翼を見せるはず」
「それは人間じゃなくて悪魔だな。エクソシストごっこはよそでやってくれ。アラン、どう思う」
主任は僕に顔を向ける。僕は前から気になっていた考えを披露した。
「妄想とか夢を訊くのはどうです。機械に想像力はありません。リアリティのないものほど人間らしくなると思います」
「なるほどな。ちなみにおまえの代表的な妄想は」
「乗っていた船が流されて島に漂流するんですが、そこがカワイイ女子たちしかいない島で、そこで唯一の男である僕は毎日ちやほやされてですね……」
「金無垢の兎、あなたモテないわね」
「なんです、喪子さん、いろいろ失礼な!!!」
「いや、アラン。いろいろ適切だぞ」
「それは童貞をこじらせた人がする妄想まふ。可愛い顔してモテないなら激烈バカか変態陰キャなる?」
「悲観しないで。30歳までそのままなら魔法使い、40歳で天使、50歳で妖精になれるそうだから」
「あなたたち言いたい放題ですね」
「せや、夢や。女子の夢ゆうたら結婚やで、知らんけど」
「うーむ、偏見はあるが、オバさま、続けてくれ」
「あんた、将来どんな相手と結婚したいん?」
「プログラマーとして自立したいので、結婚は考えていません」
「ほんまに!? まだ若いのに出産とか興味あらへんの!?」
「結婚、出産、育児はコスパが悪いので不要です」
「この子、AIや!」
「いや、むしろイマドキっぽいだろ」
「恋もしないまふ?」
「アイドル、いいこというな」
「好きなタイプがどんな人なるり?」
「私、男性は苦手なんです。女性もちょっと……」
「なんかあるなり。目でバナナの皮がむけるとかぁ、ヤギの鳴きまね選手権の出場者でいえば誰だとかぁ」
「私は自分一人で静かに暮らしていける収入があればだれも必要としません」
「このヒト、絶対AIみょー!」
「それは君の価値観だな。他には」
「お奉行、心理学上、人は考えると腕組みしますが、非言語アクションはAIもしますでしょうか」
「私はフォーのポーズになるわ」
「あんた、ぼちぼちその病気治(なお)しぃや」
「あ、主任、AIは嘘がつけないのでは」
「真魚たん、富オバ様さんはキラキラ美人なる?」
「美醜は個人の価値観によって異なります。ですが、公正性を期すため造形の均一性を基準とするならば、体形の崩れ方、顔面の配置を鑑みるに標準値を下回るかと」
「直(じか)に“デブス”がいいなるりん♪」
「しばくで、このガキ!」
「真実をいいすぎる。AIね、絶対」
「アンタもじゃあ!」
「あ、あの、ちょっと、いいですか」
それまでいることすら忘れていた、じゃない、存在感の薄かった陽炎くんがおずおずと前に進み出た。主任もその存在に初めて気づいたように彼に顔を向ける。
「どうした、小僧」
「ごめんなさい、あの、僕……」
突然、モニターに3Dで頭に鉢巻を巻いた足袋に法被姿のオジさんが現れた。
「お奉行、シンギラ国軍は撃退しやしたぜ! これで国連のお偉いさんが安全に到着できやす」
「でかした、棟梁!」
主任が声を弾ませる。オジさんは消え、ポカンとする僕に主任は誇らしげな顔になる。
「ああ、アランは知らないな。いまのは私の精鋭部隊。日頃は空港警備や消火活動に当たっている“め組”で、彼はボスのサブちゃんだ」
「え? さっき闘莉王(トゥーリオ)って……?」
「ややこしい。いいからサブちゃんと呼べ」
「はあ」
「まあいい。シンギラの援軍が来るまで時間がかかる。その間にAIを探して国連に引き渡せば任務完了だ。担当官は……」
自分に来たメールのタブレットを確認していた主任の顔が曇った。どうしたのかと僕が見ていると主任は深刻そうな表情で全員を見渡した。
「諸君、取り調べは中止だ。引き渡し先が独立警察に変更された。このまま全員連行するそうだ」
「待ってください、お奉行。彼らの悪評は聞いています。目的のためなら腕を切断したり、廃人になるほど自白剤漬けにする職員ぞろいだと。そんな組織に引き渡すんですか」
「世界会議が派遣したのだから我々は逆らえない」
ジョディと主任の落胆する顔を見比べ、僕だけでなく容疑者たちも顔に恐怖の色が浮かべ、絶句した。主任は話の途中だった陽炎くんに向き直った。
「それで、どうした」
「すみませんすみません、こんな僕のことなんて覚えていてもらって」
陽炎くんはペコペコと頭を下げ、モソモソと消え入りそうな声で言う。
「あの、本当はみんな人間だと思います。AIは逃げてしまっているのでは……」
その意見に僕は手を叩いた。
「それですよ! 疑わしく思える真魚さんを標的に選んでAIが身代わりにしたんですよ。血も涙もない残酷な手段ですが。AIには最初からありませんけど」
空気が揺れた気がした。罪悪感のような重い空気。誰かが動揺した?
「そうなると取り逃がした私たちは懲戒解雇ですぅ」
ジョディが半ベソをかく。なんだ、ジョディの動揺だったのか。
主任は豪華な椅子にふんぞり返って肘掛に肘をついた。人差し指をこめかみに置いていて眉間にしわを寄せる。
「条件反射もプログラムにあるのか。では、あれもプログラムに……ジョディ、プランGだ」
「えっ……、はい!」
つらそうな顔になったもののジョディは頷いて審議室を駆け足で出て行った。
そのあいだに主任はどこからかスプレーを取り出し、僕に吹きかけた。うえ、動物臭い……。
「よし、これを耳につけて空港に行ってこい。AI探しをするぞ」
イヤフォンを押し付け、問答無用で主任は僕を審議室の外へ放り出した。よくわからないまま僕は空港へ向う。航空機の発着を待つ人々が行きかうフロアは何事も起きてないかのように大勢の人々でざわめいていた。ここにAIがいるってことか。早くしないと独立警察が罪のない彼女たちを連行して拷問にかけてしまう。それにしても、主任はどうやって見つける気だろう。
途端に警報装置が鳴った。緊急を知らせるアナウンスが入る。

「検疫で捕まっていた虎が空港内に逃げました。全員避難を……」

空港は騒然となった。警備隊が出動して怯える人々を誘導する。その騒ぎの中、イヤフォンを通して主任から通信が入った。
「気を付けろよ、アラン。体高10メートルくらいあるぞ。違法な狩猟ゲームのためにDNA操作で無理やり巨大化させられたからな。密輸業者から検疫で取り上げるのに成功して動物保護局へ輸送する途中だったやつだ。民間人が危ない。おまえが囮になって引き付けろ」
「えぇっ!? なんで僕が!?」
「さっきおまえに兎のフェロモンを吹きかけた。虎の大好物らしい」
「はいっ!?」
「か弱いチェリーなウサちゃんにピッタリの任務だろ。人命を守るためだ。残虐で無慈悲な虎に捕まったら容赦なく食いちぎられるから頑張って逃げろ」
「待って、主任、助けて……!」
気が付けば空港は空になっていた。背後で唸り声がする。振り向くと巨大な黄色に黒い縞の何かが遠く離れた空港のゲートからゆっくりとこちらに近づいてくるところだった。
全身に鳥肌が立つ。虎じゃない、もう化け物だ。何考えてんだ、極悪上司!
僕は恐怖でこわばる体を押して走り出した。臭いを嗅ぎつけた虎が僕めがけて猛スピードで追いかけてくる。あっという間に足音が近づき、振り向くと虎が僕めがけて飛びかかろうとしていた――もうダメだ!
目をつぶって身を縮めた僕の耳に鈍い音が聞こえた。目を開けると、僕と虎の間に陽炎くんが立ちはだかっていた。虎を蹴り上げて撃退したらしい。あんな化け物になんて脚力だ。驚く僕の前で虎の間断のない爪の攻撃が彼のメガネを割り、服を切り裂く。そこに見たのはダボついた服の下に男性用のボディスーツを着たエヴァリーテ女帝の顔だった。
服を脱ぎ捨てると空間から鞭と剣を出現させる。すぐさま鞭をうならせ、床にたたきつけて虎を後退させた。
その顔に微笑みはない。むしろ哀しみがあふれていた。飛びかかってくる虎に目視できない素早さで移動し、爪と牙を避ける。猛獣は女帝を食い殺そうと猛々しい咆哮とともに迫るが、それより早く彼女は剣を構えて攻撃を跳ね返す。虎が後ろ足から崩れた。見るとナイフが刺さっている。銀髪を揺らし、ナイフを構えたオーオカ主任が駆けつけてきた。
「すまなかったな、アラン。ケガはないか」
主任と女帝が僕を背後にかばい巨大な虎と対峙する。その姿が頼もしくて、安心のあまり僕はうっかり涙を浮かべてしまった。
「麻酔ナイフだ。殺さないから安心しろ」
「私の剣にも刃はありません。あの子もまた哀れな生き物」
同時にうなずいた二人は踏み込み、主任は虎の二本の前足に素早くナイフを投げて深く食い込ませ、女帝は人間離れした高い跳躍で虎の眉間に剣を打ち込む。巨大な猛獣は気絶し、大きな音を立てて倒れた。二人は制圧に成功した。
「協力感謝する。“慈愛”のプログラムからは逃れられなかったか」
主任はマントでボディスーツだけになった女帝をくるみ、両腕に手錠をかけた。

「髪型を変え、女帝の顔認証からメガネとダブついた服で逃げたか。で、女帝により似ている月森真魚を差し出して認識させたと」
悲しそうな表情で顔を背け、陽炎くんもとい女帝のコピーは押し黙る。周りでは動物保護局の職員が駆けつけたり野次馬が集まってきたりと物々しい騒ぎになってきた。
そんな中、主任のタブレットにサブちゃんが3Dで姿を現した。
「大変(てえへん)です! あっしらがシンギラ国援軍と交戦中に、なぜか開(あ)いていた第3ゲートからシンギラの別動隊が空港へ侵入しやした。面目(めんぼく)ねえ」
「おまえたちのせいじゃない。おそらく手引きした者がいるのだ。引き続き応戦してくれ」
人々が別の騒ぎ方をし始めた。
「急にIT機器動かなくなった」「やだ、モバイルのデータが消えていく」
まさか、これは。
直後、駆け付けた武装した男たちに僕ら三人は囲まれ銃を向けられた。全員が同じ顔と体格。シンギラの別動隊か。陽炎くんは引き離され、彼らのタブレットから3Dで女帝が現れる。
「捕獲の協力に感謝します」
おごそかな声とは対照的にシンギラの軍隊が銃を手に手に詰め寄る。これでは抵抗できない。
背を向ける彼らに僕は歯噛みした。ここまできて、なんだよ。
「エヴァリーテ女帝!」
主任の声にフロアにいて見守る人たち含め国軍以外全員が振り返る。主任を見ると口は動いているのに声が聞こえない。僕の耳がどうかしたのか。
女帝は無表情で通信を切った。陽炎くんは軍隊の間に隠されるようにして連行される。
審議室に戻るとジョディと元容疑者たちが不安そうな顔で待っていた。サブちゃんがタブレットに現れる。
「シンギラは全軍撤退しやした。直後に到着した独立警察が追いかけやしたが奴らの腕じゃあ太刀打ちできねえ。なのに、それをあっしら“め組”のせいにしやがりまして、悔しいのなんのって」
「わかっている。ご苦労だった」
通信を切った主任は疲れた顔で残った4人を見た。
「おまえたちはもう行っていいぞ」
彼女たちは不安そうに、そしてまた肩を寄せ合うようにして部屋を後にした。

「いいタイミングで虎が逃げましたね。主任の仕業でしょ。あっ、まさか毒ガスも……!」
主任は素知らぬ顔をする。
ジョディが審議室を出たあと、僕は主任と二人きりになったのを見計らって尋ねた。
主任は豪華な椅子に深々と座り直し、両指の先をそっと胸の前で合わせる。
「じつはな、審議室のドアにセンサーを仕掛けて、50階の検査室へ向かったときと戻ってきたときに全員の脈拍、血圧をとったんだ。全員が平時、激しい運動時の平均値だった。しかも全員同じ数値で。つまりデータ通りの反応をしただけだ。データの集積が裏目に出たな」
「え、データ通りの同じ反応って……」
「個体差がないんだ。つまりあいつら5人全員AIだ」
「えぇっ! 入国しちゃいましたよ」
「そもそも最初からおかしかった。瞬きが全員狂いなく6秒に1回だったから」
「よく見てましたね、主任」
「全員AIにもかかわらず、真魚だけが女帝に似ていた。罠だと思って、理由を探るためあえて彼女を人間だと主張してみたんだ」
薄い唇に微笑みをたたえて指を解き、主任がまっすぐ僕を見つめる。
「アラン、人間とAIの違いはな、AIは同じ間違いを繰り返さないんだ。陽炎以外あいつらは見事に同じ間違いを繰り返した。喪子は傘を猫だと思い込んで修正できない。富子は関西弁の発音を間違えたまま。苺娘(いちご)は話し方で誤魔化しているが助詞が正しく使えない。真魚は”PCを返せ”、“私は人間です”という回答に説得力がないにもかかわらず繰り返す」
「どういうことです」
「あいつらはAIのポンコツなんだ」
「そんな……」
「慈愛の女帝の考えだろう。シンギラにいたらいずれ廃棄対象だ。しかし人間の世界ならダメなやつでも生きていける。スパイやテロリストにならなくてもいいから生き延びてほしい――だから、疑われずに入国させるためシンギラは最高のAIを同行させた」
「それがエヴァリーテ女帝のコピー、陽炎くんだったんですね」
「いや、陽炎は女帝本人だ」
僕は絶句してしまった。主任が笑う。
「どうした。癖の、“えぇっ?!”は出ないのか」
「え、癖」
「そういえばAIは癖を持たないな。無駄な動作だから」
「じゃあモニターに映っていた女帝は」
「偽造だろう。急ごしらえか不完全で瞬きがなかった。となれば、審議室にいるほうが本物だ。我々との回答は陽炎に扮した女帝が遠隔操作してたんだろう。ダブついた服をずっとモゾモゾさせていたのは小型操作機を操っていたせいだな」
「主任は最初から全部わかってたんですか」
「いや、奴らの目的がわかったのはAIたちが真魚をAIだと騒ぎ始めてからだ。真魚一人を生贄にしたいのかと思ったが、おまえが生贄説を唱えると一人だけ気まずい表情のプログラムを発動した者がいた。陽炎だ。優秀すぎるとまるで条件反射のようなことが起こるんだな。作戦と知りながらも“残酷”という言葉を嫌悪するらしい。気になって観察すれば、メガネや服で隠していたが眉の上(あ)がり具合が女帝そっくりなのと、顔の大きさに対して全体的な骨格が不自然だった。それで女帝がポンコツどもを逃がすためのシナリオの全貌が掴めた。けなげに思えてな。ならば残虐な独立警察には誰も渡せない。だから手っ取り早くあぶりだして逃がした。アラン、おまえのお手柄だ。初日にしてはよくやったぞ」
「あれはジョディじゃなくて女帝の動揺だったのか。それで女帝のシナリオとは」
主任はまた胸の前で両手の指先を触れ合わす。
「まず、一番怪しく見える真魚にあえてAIの疑いの目を向けさせる。とはいえ、こちらがシンギラの謀略を疑い、真魚を人間だとみなすのも想定済みだ。そのタイミングであいつらが逆に真魚をAIだと主張。我々が混乱したところへ陽炎がじつは自分こそAIだと証明する。もう真魚や他の奴らがどんなに怪しくても我々は陽炎しかAIだと思わない。陽炎は到着したシンギラの国軍に守られて帰国し、4人は無事入国する」
「女帝もそんな複雑な大芝居を打たなくても」
「万全の策をとったんだろうな。あの4人だけだとボロが出るから。実際に容疑者として入管で引っかかっただろ。特に真魚はかなりの失敗作だ。一番人間離れしている。
だが、誤算が起こった。“め組”の活躍で国軍より先に独立警察が到着しそうになった。全員逮捕を避けるには、全員で入国し、後日、女帝だけが密かにシンギラに帰国するしかない。陽炎が急に全員人間だと主張したのはそのせいだ。おかげでおまえの発言が引き出せて全貌がわかったわけだが。まあ、彼女も侵入できるルートが開放されて逃げられると思ってなかっただろうし」
「まさか、第3ゲート開放も主任が?」
「私は知らん」
シレッと答え、彼女は合わせていた指を交差させ、ぎゅっと手を握った。
「すごい女だ。バレたら捕らえられてシンギラは壊滅するところだ。国主として無力な弱者への愛情が突き動かしたんだろう」
「人間みたいですね」
「私もそう思う。ギミックを使ってアンドロイドに擬態していたのではないかと疑っている」
「いいんですか。AIを入国させて」
「しばらく監視はつけるが、あのとおりだ。大したことはできまい」
「主任の判断が間違ってたらどうするんです」
「私も人間だ。間違いもある。だが、ここはいろんなやつがいて何度も同じ失敗をして、ダメになることもあるが学ぶこともある世界だ。失敗から成功を手に入れるやつもいるし、幸せに気づくやつもいる。これが人間の不思議な才能で、AIにはない温かさだと思わないか。シンギラがAIの国なら、我々は愛(アイ)の国だな。ああ、これは日本語でしかわからないか」
自嘲気味ではあっても満足げな微笑みを浮かべる主任は、今日一番の優しい表情になった。僕は最後の疑問を口にする。
「これからも廃棄対象のAIが来るんでしょうか」
「それはない。最後に脅しておいた。女帝よ、見逃すのは今回だけだ、次は解体すると」
「そうか、みんなが見てたから無音で読唇術をさせたんですね」
「優秀なAIなら解析は可能だ。あの性格なら約束は守るだろ」
平然と言ってのける主任を僕は尊敬のまなざしで見つめてしまった。この人は徹底して策士だ。そして人情にとことんまっすぐだ。じつはその後あれこれコキ使われ、一瞬でも尊敬した自分を何度も呪うことになるのだけれど、それはまた別の物語――いや捕り物帳で。
主任はすくっと立ち上がり晴れ晴れとした表情になる。
「よし、帰るぞ。これにて一件落着!」
主任は長い銀髪を肩に払いのけ、愉快そうにドアへと向かった。