あるいはスノーホワイトという名のカタストロフィ

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
一日一度はされる女王様のこの質問に鏡は食傷気味になりながらも答えます。
「それは白雪姫です」
女王様は自分の耳を疑いました。しばらく回答の意味が理解できず何度も目をしばたたかせます。
「鏡よ鏡、私は質問を間違えたのかしら。私はこの世で一番美しいのは誰かと尋ねたの」
「ですから、白雪姫です」
女王様はしばらく間を置いたあと「はあ?!」と素っ頓狂な声を上げました。
 <あの丸ポチャ娘のどこが?!>
女王様にはいくら考えてもわかりません。しかし鏡は真実しか語らないので誤審もありえません。
白雪姫(スノーホワイト)は亡くなった夫と前妻との子供。幼少のころからぼんやりしていて目立たない子だったため女王様は適当にあしらっていました。そんなノーマークが一夜にして美貌ナンバーワンの座を奪うとは一体何があったのでしょうか。
「あのぽっちゃり娘、整形でもしたの? あるいは全身脂肪吸引とか」
「いいえ。していません。逆に少し増量されました」
また太ったのか、あの娘は、と女王様はあきれました。
<なんとだらしのない。自己管理ができないにもほどがあるわ。最近はふっくらを通り越してモチモチしてるし。あの娘の褒められるところといえば色白の肌。でも外に出てエクササイズもせず、室内でゴロゴロしてるから白いだけなのよ。髪は黒檀のようにまっ黒だけれど剛毛だし、色白だから頬の赤みが強調されて返って野暮ったい。眠ったそうなタレ目に分厚い唇。輪郭線のはっきりしなくなった顔に埋もれるようにしてついている丸鼻。私なら我慢ならなくて努力して美しくなろうとするのに、あの娘ときたら…>
努力とお金を自分の美貌のために費やしてきた女王様が、ただただ遊んで若さをむさぼるだけの継子の態度に眉をひそめたのも一度や二度ではありません。とはいえ、国政は大臣たちにまかせて美容にすべてをつぎ込んできた女王様の努力の方向性にも問題があります。よっぽど暇なのか自分大好きか、あるいはその両方のいずれかでしょう。
人はどんなに努力しても報われない、夢を叶えられないのが普通です。結果、挫折と妥協とうまい言い訳を編み出して人生と折り合いをつけて生きるのです。努力して報われる人は単に運がいいか、最初から才能があったのをちょっと修練して開花させただけにすぎません。そんな人が「努力すれば願いは叶う」なんて言っちゃうから凡人や才能のない人たちが変な幻想を抱いてしまうのです。えらい迷惑です。
幸いにして実ったとはいえ女王様の努力は相当なものでした。午後8時以降は食事をせず、毎日のエクササイズも美顔マッサージも美容液のお手入れも欠かしたことはありません。おまけに庶民の家が一軒買えてしまうような高級シャンプーやトリートメントまで使っているのです。それだけではなく、知性も教養も磨き誰からも尊敬されるような女性をめざしました。もちろん、女王様の場合、内面磨きは外面のためです。内面の美しさは外面に反映されると心得ていたからです。女王様は美貌を努力の結晶と自負していました。
<だから毎日をテキトーに過ごすあの怠惰の塊の「ナンバーワン」には断然納得がいかないのよ。というより理解できないわ。むしろ「汚デブ」「汚ブス」の部類に入るあのぼんやり娘のどこが美しいのよ。白雪姫(スノーホワイト)というより白大福(スノーボール)じゃないの>
女王様は深い縦しわを刻みつけた美しい眉間にほっそりとした人差し指を当てて考え込みました。
「あの白ポチャ大福が美しい変貌を遂げたのでなければ一体何が起こったいというのよ」
「しいていえば世間のトレンドが変わったというべきでしょうか」
「は? トレンド?」
「ハイ、いまの時代、白雪姫の存在そのものが最先端ですから。増量されてさらにお顔が丸くなり愛らしくなったところが最上位ランクインのキメ手かと」
「愛らしく、ですって?! 余計潰れ団子みたいになって醜いじゃないのよ。それのどこが…」
女王様の反論はドアのノックにかき消されました。
「女王様、昼食会のお召し替えに参りました」
ドアの外で侍女たちの声がします。
そうだった、と女王様は思い出しました。今日は隣国の大臣を交えた大事な昼食会があるのです。気を取り直し、何事もなかったかのように女王様は落ち着いて侍女たちを呼び入れました。
メイクを直し、お気に入りのドレス着て大粒のアメジストの首飾りをつけます。艶やかにして大人の色気のある姿が完成しました。
<ほらね。そうよ、私は美しいわ>
鏡の中の自分にうっとり見とれていると「今日もお綺麗です、女王様」と侍女たちがほほ笑みました。
侍女たちを一度下がらせた後、女王様は奇妙なことに気づきました。彼女たちの体型がそろってふっくらしていたのです。
気になって部屋の外で女王様を待つ侍女たちを呼び戻そうとドアノブに手をかけました。すると外側から侍女たちの話し声が聞こえます。
「今日もヤッバイくらいガリガリだったわね、女王様」
「そーそー、鶏ガラみたい。でも巨乳なの。天然じゃないよね。偽パイだよ、絶対」
「あの不自然さ、マジうけんだけど。めっちゃ昔の人って感じ」
「あれはないわー。釣り目のデカ目メイクもイタイし。てか、いつの時代の顔よ」
「誰も注意するヒトいないからねー。あとさー、“通信(ブログ)”。マジヤバ」
侍女たちから爆笑が起こりました。
ショックで怒りを通り越して血の気が引いた女王様は真っ青な顔で鏡に問いただします。
「私が国民や城内の者たちに配っている日々の“通信”まで笑い物にされているわ。購読率一位になったこともあるあの“通信”がどうして…」
「まあ、内容がアレですからねえ」
「何よ、アレって!」
「王宮貴族のセレブな生活と美容法伝授が主なネタですよね。最初はみんなセレブライフに興味があったので面白がりましたが、次第にうんざりしてきたというのが正直なところだと思いますよ」
「どういうこと」
「女王様、一週間前のブログで『隣国の王様から鶏の卵ほどの大きなルビーの指輪を贈られましたの。“あなたの前では宝石も輝きが褪せます”と言われて困りましたわ』って書いてその絵も載せましたよね」
「ええ、書いたわよ」
「ブログで一番嫌われるのはセレブ自慢、忙しい自慢、不幸自慢ですよ。あとしつこいまでの幸せアピール。『私ってすごいのよ。こんなに幸せで困っちゃう』なんて書かれた日には読み手はうんざりです。あと女王様の美容レッスン」
「あれのどこがいけないのよ」
「庶民に手の届かないような美容液を紹介したり、過酷なエクササイズを伝授しても、ついてこれないですよ。上から目線で逆効果です。そのたびにドヤ顔の自画像を掲載するのもマイナスです。『自分大好きなんだね』と顰蹙ものです」
なんということでしょう。女王様は自分が世間から乖離していたとまるで気づかなかったのです。無理もありません。自分にしか関心がなかったので世の中の流れを理解していなかったのです。よろめいて椅子に深く腰掛け、女王様はため息をつきました。
「参考までに、一番人気のあるブログはどんなものなの」
「白雪姫のですね」
「またあの白丸団子!」
いきり立ってさすがの女王様も椅子から飛び跳ねました。
「あのまん丸白ボテのは義理で購読しているわ。読んでもいないけれど」
言うが早いか女王様は自分の書き物机をあさります。ようやく引っ張り出した印刷物には「ホワイト雪ん子 すっぴん通信(ブログ)」となんともヌルいタイトルがついております。

「○月○日 カップケーキ❤

今日はあまりにもお腹が空いてたので…

カップケーキ36個一気食いしちゃいましたーっwww

ギャーッ! クソヤバーッwww」

「○月○日 リンゴダイエット

侍女たちに勧められてリンゴダイエットに挑戦。

この二日間、毎食リンゴです。

でも朝も昼も夜もリンゴでもうあきたよー。ぶー。

でもでも、二日目の夜に体重を測ったら

マジー?! 0.2キロ減ってる!!!!

ちょ、リンゴダイエットってヤバくない?!

てか、これ続けてたら確実に鬼ヤセするわ」

女王様は言葉を失いました。これでは肌だけではなく頭の中まで何もない真っ白け娘ではないか。おまけにこの自分の醜態と頭の悪さをさらけ出しているくだらない記事のどこに魅力があるというのか。
わなわなとふるえる手で記事を読む女王様の背中に鏡が諭すように教えます。
「時代はゆるゆるなんですよ。ここ最近戦争も起きないし天災もないので、人々は平和に過ごしています。あと、あくせく努力してお金持ちになるより、貧乏でもそれなりに穏やかに暮らしていければそれでいいと思う人が多くなったんですね。姫のブログが好かれるのは世相を反映しているからなんでしょう。あと自慢もないし親しみやすくて共感できるところが多いというか」
「冗談じゃないわよ。王族たるもの国民がひれ伏すくらい何千歩も先を行ってこそ威光が増すというもの。一般国民との間の垣根が低くて追いつかれるなんて…」
女王様はふと思い出しました。
「そういえば、どうしてあの饅頭顔娘は私に追いつき追い越したのかしら」
「ですから時代のトレンドです。いまや体型は痩身ではなくぽちゃぽちゃが流行っているのです。そのほうがより官能的だと」
「…官能、ですって?!」
「ハイ、細くて巨乳は人工的かつ攻撃的ですが、太くて巨乳は自然です。柔らかそうな体型は安心感を与えてくれます。優しいタレ目も同様。みんなあえてアイラインの引き方を工夫してタレ目メイクをするほどですよ。眠ったそうに見える涙袋もあえてつくってますからね。あと人の良さそうな丸鼻もです。唇なんて太く大きく描くのはメイクの常識ですから。そのほうがエロいって」
「エ、エ、エロぉ?! は、はしたない! 淑女たるものつつましやかにしなくては…」
「あれ? ご存じない? “エロい”は褒め言葉ですよ。“エロかっこいい”とか“エロかわいい”ってきいたことありません?」
自分にしか興味のない女王様は首を振るばかりです。鏡はダメな生徒に教えるように
「いいですか。美しさの基準はその時代の流行で変わります。造形が条件に合わない人でも時代の流行はエッセンスとして取り入れてオシャレにエッジを効かせて装います。頑固な人ほど自分の思う価値基準をいつまでの引きずって押し通そうとするのです。柔軟な感覚を持たないとすべてにおいて野暮ったくなって世間から相手にされませんよ。
そもそも一番にこだわって二番目以下に誰が来てるかに興味のないところで戦略負けです。
女王様もメリッ!ハリッ!ではなく、ぼよよよ~んをめざしてください」
女王様はがっくりと肩を落としたまま部屋から出て行きました。本当は外になど出たくなかったのですが、大事な昼食会に欠席はできません。せめて移動中だけでもといまの自分を誰にも見られたくなくて真っ黒なフードをかぶって顔を隠します。
昼食会で繰り返される大臣や賓客たちの「今日も女王様はお美しい」「お綺麗で」がまるでとってつけたようにうすら寒く聞こえます。
弱り目に祟り目。昼食会のデザートは隣国特産品の真っ赤なリンゴ。
白雪姫のダイエットを思い出してさすがに嫌味に感じました。食べきれないので部屋に持ち帰るというと籠ごと渡される始末です。ツイてないととことんまでツイかなくなるのは自然の摂理なのでしょうか。
<私の美貌は、いえ私という人間は時代に取り残されてしまったのだわ。いまさら価値観は変えられない。丸々したボテ雪娘みたいになるなんてお断りよ。努力もしないゆるゆるぼてぼて娘に負けたみたいじゃない。プライドが許さないわ>
一人回廊をトボトボ歩きながら出るのはため息ばかりです。深くフードをかぶりなおしたそのとき、中庭から声がかかりました。
「お義母様~」
振り向くと何の罪もない顔をした色白の継子がぼよんぼよんと体を揺らしながら走ってきます。ボディラインが目立たないチュニックドレスはいいとして素材がパステル調のフワフワの生地。七分丈の袖から見える二の腕もむっちむち。美しいという以前に、これではまるでモコモコした白い着ぐるみのよう。
このド天然ゆるキャラに負けたのかと思うと怒りよりも先に挫折感が押し寄せ、自己嫌悪に陥る女王様です。そんなガックリと肩を落とす継母へ
「どうされたの。なんだか急に老けこんだみたい。まるで歳をとりすぎた魔法使いのおばあさんみたい」
ド天然なのでなんのオブラートにも包まず無邪気な顔して思うさま見たままを発言します。
ここまで突き抜けると憎めません。女王様は肩で軽くため息をついて苦笑いをしながら、確か好きだったわよね、と籠からもらったばかりの果実を取り出しました。
「リンゴ、食べる?」