牙を授かりし者たちの詩:優斗の休日

【プロローグ】

公務の合間の、何気ない”日常”。

それは、戦いに生きる者にとって、最も遠く、最も大切なもの──

任務を離れた優斗と夜桜が過ごす一日。
交わされる冗談と、よぎる記憶、語られない想い。

休日は、心の輪郭を浮かび上がらせる。

本編の緊張とは異なる、穏やかで温かいスピンオフ短編。
“彼”の過去と、”彼女”の今が、ふと交差する──

【牙を授かりし者たちの詩 短編 優斗の休日】

朝10時──

優斗の部屋。

「優斗さん!いつまで寝てるんですか!お日様がもうあんな高いのに!」

「んー……あと5分」

「ダメです!佳央莉さんからも”休みだからってだらけさせないで”って言われてるんですっ!」

「わーったよ。起きりゃいいんだろ、起きりゃ……」

目をつぶっても右目のあたりをひらひら舞ってる夜桜に起こされて、仕方なく優斗は起き上がった。

ベッドの上で大きいあくびを1発。

「もう……昨日飲みすぎなんですよ……」

「あー……夜桜水くれ」

「私は今日義体無しって知ってるじゃないですか!」

「じゃあ、もうちょっと寝る……」

「意味わからないこと言ってないで起きてく・だ・さ・い!」

久々の休日。

公務中以外は装備の持ち出しは基本的に禁止されているため、USP CompactとONTARIO GEN2 SP48は
4課装備準備室に置いてある。そして同じ理由で夜桜の義体もブリーフィングルームに置いてきていた。

優斗は昨夜、自室で一人(と、一アバター)、とっておきのカミュ・ボルドリー VSOPを、夜桜に
思いっきり怒られながらも一晩で空けていた。

テーブルの上は空のグラスとウイスキー瓶が転がり、コンビニの袋とつまみの包装紙が散乱している。

「もう!早くお部屋片づけてお布団干してください!何か月敷きっぱなしなんですかっ!」

「だって、夜桜が一緒に寝るわけじゃないんだから、別にいいじゃん」

何気ない優斗の一言だったが、夜桜の様子が少し変化した。

「え……?」

「……なぜそこで黙る」

「べ、別に何でもないですよっ」

──

午後13時。

優斗はようやく布団を干し、少し遅めの昼食を以前大志が常連だったイタリアンで採っていた。

「優斗さん、よくこんな素敵なお店知ってましたね?」

「ん、まあ俺が見つけたわけじゃないんだけどね……」

「ちょっと見直しました!」

「それは褒められてるのか……?というか、あんまり外でアバターのまま話しかけないでくれよ。
つられて俺も会話しちゃうから、一人でブツブツ言ってる危ない人にみられるだろ」

「えー、だって私、ひとりで何もすることないんですよ?つまんないじゃないですかー
というより、しゃべらないでも脳内で会話出来ちゃうのに、しゃべっちゃう優斗さんがいけないんですっ」

「じゃあ、同期オフにしとくから、一人でゆっくりネットの海を彷徨っていてくれたまえ」

「ごめんなさい、それだけはやめて……つまらなすぎます……」

「よし、分かればいいんだ分かれば」

端から見るとひとりでブツブツ言ってる危ない人としか見えない優斗は、勝ち誇った顔のまま
パスタを平らげていたが、遠巻きに店員と他のテーブル客から、ちらちら見られていた。

──

午後3時

優斗は久々にスーパーマーケットに来ていた。
冷蔵庫はかなり前からほぼ空で、いつ開けたか分からないつまみ類の袋が2つ3つ転がり、
これもいつ開けたか分からない天然水のボトルが2本ほど入っているだけだった。

「たまにはちゃんとしたもの食べれるように、自炊しないとですねっ」

「そんなことしねーっす」

相変わらず、すぐ食べられる総菜類とペットボトル飲料をメインに買い物を続けていた。もちろん
天然水ボトルも忘れない。
そんな優斗は、果物売り場の前に来て思わず立ち止まり、売り出し中のナスやトマトを見つめていた。

「こんなの、田舎にいる頃は近所のおばちゃんが食いきれないほどくれたんだけどなぁ……」

夏野菜を見ながら昔を思い出していた時、優斗の前を小さい男の子が駆け抜けていった

「おっと……危ない」

男の子は母親の胸元へ一目散に飛び込んでいった。

優斗は男の子と母親を見て、なぜか懐かしい気分になった。

「俺も昔はあんなだったんだよなぁ……」

優斗の目に幸せそうな母子が映りこんでいる。

と、そこへ──

「優斗さんにもあんな可愛い頃があったんですねっ!」

突如話し始めた夜桜が、物思いに耽る優斗の気分を粉々に破壊した。

「……ネットの海で一人溺れてるがいい」

優斗は夜桜との同期を切った。

「ちょ、優斗さんごm──」

──

夜11時

シャワーを浴び夕食を済ませた後、特にすることもなく、登録はしてたが最近見ていなかった
YouTubeのチャンネル動画を適当に観ている間に軽い眠気に襲われてきた。

「さて、そろそろ寝ようか……」

かけていた赤いメガネを外す。このメガネ、実はレンズの度が入っていない。
優斗は視力が両方1.5ある。

メガネを外すと必ず思い出す──澪音のこと。

もし、澪音が生きていたら

スーパーで見た母親のようになっていたのだろうか──
すぐ食べられるスーパーの総菜をひとりで食べる事もなかったのだろうか──
今、こんな仕事をしている自分を──許してくれているだろうか。

休日の夜は必ず同じことを考えてしまう。

優斗は夜桜との同期をオンにしてみた。

「おーい、俺そろそろ寝るからなー」

ネットの海の中でうずくまっていた夜桜が優斗に気付き、右目の前に出てきた。

「──優斗さん、さっきはごめんなさい……」

「あー……いいよ。さっきは俺も悪かったな」

「……いいえ。今日のスーパーの優斗さん、実は……結構好きでしたよ」

「……そっか」

「あんな感じって普段みせてくれないじゃないですか。ついうれしくなっちゃって……」

「……まあ、俺にも子供の時くらいあるからな」

優斗は苦笑いを浮かべた。

「私はずっと優斗さんと一緒にいますから。もっと優斗さんのこと、教えてくださいねっ」

「ああ、考えとくよ」

優斗はメガネをテーブルに置き、部屋の電気を消した。

「お休みの間は私がしっかり守りますっ!」

「まあ、いつも通り静かにしててくれたらいいよ」

「はいっお任せくださいっ」

「じゃ、おやすみ」

──完──