Y(妖怪)系カノジョ(第4話)

裂け目へ入り、そこから体をのぞかせるように出ると広い荒野に立っていた。
下草の生えるばかりで何もない。とはいえ、そこには見渡す限りの妖怪たちが所狭しと陣取っていた。数は三万は下らないであろう。そして、天空には照り柿のように赤く熟れて、はちきれんばかりの巨大な月が翔たちを見下ろしていた。
先に着いている烏天狗たちの元へと子供たちは妖怪の間を上手にすり抜けながら案内する。知っている妖怪もいれば初めて見る妖怪もいた。3D映画やコスプレ大会の中にいるようで翔はカルチャーショックを受けながらも不思議そうに彼らを見回す。
「ここはどこなの」
「中つ国だ」
一つ目小僧が先輩の顔になって教える。
「ロード・オブ・ザ・リングでも聞いたことはあるだろ。人間界と異界を結ぶ中間の国だ。ここが防衛線になる。ここを突破されたら日本に魔界の者がやってくる」
「ロード・オブ・ザ・リング知ってるの」
「当たり前だ。DVDで何回か見たぞ」
「ホビットの冒険も見てるわよ。ドラゴンの声優はベネ様だったでしょう」
スカートをなびかせて歩く座敷童子もしれっという。いまどきの妖怪は侮れない。
しばらく妖怪たちの間を練り歩き、ようやく烏天狗たちの元に着いた。彼らは何百人もいた。鏡華の屋敷にいたのは一部だったようだ。全員が白黒の装束に錫杖(しゃくじょう)を持ち、黒い翼をはためかせ、高足下駄で居並んでいる様は勇ましく迫力があった。
「来たか。ここへ」と若い烏天狗が自分の隣へ手招きする。子供たち二人はそのままどこかへ消えた。決められた配置があるのだろう。
妖怪たちから声が上がった。
「翔殿、あれを」
若い烏天狗に声をかけられ、翔は上空を見上げた。
赤い月が破裂し、縦に黒々とした大きな亀裂が入っている。それが徐々に広がり、洞窟の裂け目のようなかたちになった。
「あれが扉だ。我らが中つ国へ来たのと同じであろう」
うなずいた翔は無意識に剣の柄を握っていた。
小高い丘の上に乗った鏡華が良く通る声を響かせた。
「皆の者、よく集まってくれた。魔界の悪魔どもが我ら妖怪へ襲撃をかけにくるが、これを撃退する。儂はアスタロトと話をつけてくるがそれまで防衛線を守れ。我が祖国へ一匹たりとも悪魔を入れるな」
丘が浮き上がりそのまま宙へと飛翔する。それは丘ではなく巨大な生き物だった。黒々とした全身に蜘蛛のような脚が四本生えている。足先には牙のような鋭い鉤爪がつき、首から上は鬼。それが牛(ぎゅう)鬼(き)という妖怪だと翔はあとで教えてもらった。
鏡華が手にしていた煙管を回転させ、一振りすると煙管は日本刀に変わった。それを見た妖怪たちは熱気にわいた。全員が両手の拳を突き上げ、総大将! ぬらりひょん様! と口々に叫ぶ。翔も鏡華の艶姿に魂が抜かれたように魅せられてしまった。
直後、不吉な羽音が空気を震わせた。真っ黒な翼の大群が妖怪たちめがけて舞い降りてくる。近づくにつれ、それが漆黒の翼で槍を持つ悪魔たちだとはっきり輪郭が見えるようになった。一体何万匹いるのだろうか。確実に持久戦になる。
牛鬼の背に立つ鏡華は悠然とかまえており、敵を前にしてなお優雅ですらあった。
地上へ向かってやかましい怪鳥のようにやってくる悪魔たちへ敢然と牛鬼を飛行させる。
襲いかかる悪魔へ右に左にと日本刀を薙ぎ払う。そのたびに日本刀の餌食になった悪魔たちは断末魔の悲鳴を上げて破裂し、塵になって消える。
「面倒じゃな」
鏡華はつぶやいて日本刀を大きく一振りさせると、自分の背丈と同じ大きさの刃を持つ大鉈(なた)に変えた。片手で鉈を払うと一気に十匹ほどの悪魔が消えた。そのまま左右に薙ぎ払って大量の悪魔を塵に変えていく。牛鬼も迫りくる悪魔の群を両手両足の鉤爪で蹴散らし、鋭い牙で噛み砕く。鏡華と牛鬼は攻撃を繰り返しながら扉へ向かって直進する。
とはいえ、鏡華のしたのは目の前の障害物をどけただけのもの。その後方では構えていた妖怪たちと飛来した悪魔の群れとの地上戦が行われていた。
巨岩のような大首たちが飛行して片端から悪魔を口の中に収めて喰らう。山をも超える巨人妖怪だいだらぼっちの軍団は悪魔を素手で薙ぎ払い、ひねりつぶし、踏みつぶす。子泣きジジイたちはそれぞれが硬石の弾丸となって突進し、ぬりかべたちが強固な防壁をつくるその上から、小豆洗いたちが小豆籠から手製の爆弾をバラまき、小鬼たちは弓を射る。
戦場を生き生きと駆けまわるのは座敷童子と一つ目小僧だ。自在にマシンガンを乱射し、手榴弾を放って悪魔の集団に大きなダメージを与える。だが、悪魔の数が尋常ではない。倒しても次から次へと湧いて出てくる。
残月が叫ぶ。
「円陣を組み、背後を守れ!」
そのとき、残月の背後を悪魔が槍で突き刺そうとした。
金属の搗(か)ち合う音がし、彼が振り返ると悪魔の槍を翔が剣で受け止めていた。そして剣で力まかせにはじき返す。すぐさま悪魔に切りつけたが、倒した勢い余って剣が手から離れてしまった。すぐ次の悪魔が襲ってくる。
格闘家の本能と、特訓で研ぎ澄まされた戦士の感覚が相手の剣筋を読み切った。
悪魔の槍を素早くよけ、組みつくが早いかその腕に両足を絡めて、そのまま引きちぎる。というより力を入れたら引きちぎれたのだ。
鎧や小手、剣が妖力(ようりき)を帯びているために異界の者にも力が伝わる。今度こそ確実な手応えを感じた。肉弾戦となれば翔は誰よりも強い。敵をかいくぐりながら剣を拾い、柄を握った瞬間に切りつける。翔の進むところ、悪魔たちの塵煙が上る。
「翔殿に遅れをとるな!」
烏天狗たちも負けじと円陣を組みながら敵の中に躍り出るのであった。

雑魚のような悪魔を蹴散らし、手ごわいであろう上級悪魔をものともせず、鏡華はアスタロトへと迫っていた。魔界の扉からあらたに巨大な闇があらわれ、鏡華の前に立ちふさがった。それは漆黒の大きなドラゴンだった。その背には波打つ長い黒髪に肌も露わな黒衣のドレスの美女を乗せている。腕に毒蛇を巻き付けた、彼女こそ今回の首謀者、大公爵アスタロトである。
七十二人の悪魔たちの性質を記した魔導書(グリモワール)『ゴエティア』でも二十九番目に紹介される、ベール、ルキフェル、ベルゼブブと同格の魔界四大貴族の一人だ。
アスタロトは鏡華の存在を認めると毒蛇を放った。口を開けた毒蛇が空中で何十匹にも増えて翼を持ち、鏡華に迫る。それを顔色も変えず大鉈を振るって一掃し、アスタロトと対峙する。
にらみ合いの末、口火を切ったのは鏡華だった。
「のう、アスタロトよ。和睦せんか」
「何をいまさら」
「おまえたちのせいで日本妖怪は被害をこうむった。その代価は払(はろ)うてもらうが儂を狙(ねろ)うた罪は不問にしてやる。おまえたちは魔界へ帰れ。いっそここで日本妖怪も悪魔も互いの領土には侵略せん協定を結ぼう。日本妖怪たちは儂が抑える。悪魔どもはおまえがどうにかせい」
「そのような戯言、信じられるか」
「儂、おまえにも魔界にも興味ないんじゃ。儂は人の家に勝手に上がり込んで飯だの酒だの家主の気づかぬ間に食らう妖怪ぞ。百鬼夜行を率いるもありゃただのそぞろ歩き。ぶらり湯けむりナイトハイクじゃよ」
「油断させて我らを討つ気か」
「いいかげん、おまえもわからんやつじゃの」
妖怪ぬらりひょんの怒りの形相が鏡華の顔に浮き出る。
アスタロトは右手に剣を、左手からは次々と毒蛇を放つ。100匹もの毒蛇が一斉に鏡華と牛鬼を襲う。しかし、牙は牛鬼の硬質な体の前で砕かれ、鉈を風車のように回転させた鏡華の前では一網打尽になってしまう。
着物の裾を乱すことなく跳躍してアスタロトのドラゴンに乗り移る。鏡華は大鉈を一振りし、短剣に変えた。大侯爵との一騎打ちとなった。目にもとまらぬ剣さばきでアスタロトは鏡華に迫る。ところが、決して剣の先にいる鏡華に刃が届かない。いくら切りつけても顔色一つ変えず交わされる。
物理攻撃をぬらりくらりと交わし、間合いに入る。これがぬらりひょんの真髄。
胸元まで迫り、易々(やすやす)と短剣をアスタロトの口の中に突き入れた。刺してはいない。アスタロトの舌の上で短剣の冷たい鉄の味がした。
「あー、動くな。喉に刺さる。毒の息も出すなよ。気体が相手だと分が悪いんじゃ」
そんな飄々とした調子と打って変わり、感情のない声でアスタロトの耳にささやく。
「おまえの首などいつでも取れる。おまえらが仕えるサタンもしかり。剣を納めい」
その声にアスタロトは背筋が凍りつくような寒気を覚えた。
最強にして日本妖怪の総大将ぬらりひょん。その貫録に押されたか、剣の強さか、息をのむ美貌にたじろいだか、アスタロトは和睦を受け入れた。
鏡華が口から剣を抜き、喉元に刃を当てると、アスタロトは天空に毒蛇を放つ。毒蛇たちは互いの尾を噛みあい、大きな一つの黒い輪となった。退却の合図だ。それを見た悪魔たちは次々と扉へ向かって引き揚げていく。しばらくしてから地上では勝ち鬨が上がった。
魔界の扉へ戻っていく悪魔たちを鏡華は厳しい顔で見守る。一匹たりとも逃さないよう目を光らせているのだ。その横で地上を見ていたアスタロトが目を見開いた。
「なんと。中つ国に人間がいるのか」
彼女の視線の先には翔がいた。鎧がボロボロになり、自身も傷だらけになっていた。
妖力を持った武器防具を身に着けていたとはいえ、人間だ。体力も限界だろう。しかし彼女は傷を負って意識のない烏天狗を助け、肩に支えていた。退却する悪魔たちを口を引き結んだ険しい面持ちで見上げている。
「ぬらりひょんを守った人間がいると聞いていたが、あれか。骨のありそうな娘だな」
「うむ。なかなか健気でのう。いつも努力ばかりして疲れやせんかと思うが、好きでやっとるらしい。自分の部活でもないのに頼まれたからにはと頑張る姿はよく見かける。対戦相手を面倒に思っても避けずに相手するしな。おもしろいから気に入っておる」
「酔狂な」
「ふむ」
アスタロトを見て何か気づいたように鏡華はその姿をじろじろと眺める。
「おまえもなかなかの別嬪じゃな。その気があるなら儂の妾にしてやらんでもないが」
「何をいうか」
顔を赤くして満更でもないアスタロト。
「しかしのう、翔に怒られそうじゃから」
アスタロトを解放し、鏡華は長い髪をなびかせながら牛鬼の背に乗り移る。
「じゃあな。悪さするなよ」
手をふり、鏡華は仲間たちの元へと降りて行った。短剣を煙管に戻し、指先でくるくると弄びながら、何事もなかったように。地上ではぬらりひょんの凱旋を称える歓声が上がった。
<つまり、あの人間の娘を亡き者にすればぬらりひょんは私になびくのか――>
我に返り、つまらんことを、と頭をふったが、去っていく鏡華の背中を心残りの顔で見送るアスタロトだった。

妖怪悪魔戦争は終わった。妖怪に重体の者はいたが死者はいなかった。しばらく休めば治るそうだ。異界の者たちはなんとも丈夫である。各々の妖怪の里へ帰って行った。
明け方に一人で屋敷に戻った翔はキミコさんが布団を敷く間も与えず倒れこんだ。疲れきって曝睡したのだ。学校も休んだ。
鏡華は妖怪の被害状況を確認しようと終日妖怪たちの間を行き来して忙しかった。
夕方、驚異の回復力で翔は目覚めた。鏡華とは顔を合わせずじまいだったが、家族が心配するので帰宅することにした。見送るキミコさんがなぜか笑いをこらえていた。
翔を見るなり母親が爆笑した。無理もない。起きないのをいいことに顔に猫の落書きをされていたのだ。翔の看病はチビッ子二人が担当したとはきいていたが。
「あのチャイルド・プレイども~」
先輩も守ってなかったし、こんなの王子失格、とあらためて思う翔だった。

翌朝、昨日のサボりを担任になんと言い訳しようかと翔がブツブツ考えていると校門の前で「おはよう」と後ろから声をかけられた。
鏡華だった。普段の物静かな佇(たたず)まいで、心持ち口角が上がっている。微笑んでいるのかわかりにくいいつもの不可思議な表情だ。昨日、豪快に大鉈を振るっていた姿が結びつかない。一緒に歩いて正面玄関へ向かう。
「来週から期末テストね。気が重いわ」
「あ、そんなのありましたね。忘れてました。ところで先輩、言葉遣いが元に戻ってます」
「普段はいままでどおりがいいと思って」
「そうですけど、なんか違和感……」
「いまの私、変かな」
水明鏡華の妖艶な瞳と視線が重なる。“ぎゅんっ”と心臓が鷲掴みにされたようになり、照れてうつむいてしまう。そんな翔の肩へそっと手を乗せ
「じゃあ、また。それから、お母様に今日の夕食は鰆(さわら)の西京焼きが食べたいとお願いしておいて」
言い残して颯爽と三年生の下駄箱の方へ歩いて行った。
<どういう意味だろう。ぬらりひょんから戻ってもつかみどころのない人>
鏡華に触れられた肩のあたりにまだ手の気配がして暖かい。
下駄箱から校内履きを取り出す頃には鏡華はいなくなっていた。もう行ってしまったのかと思うと寂しくなった。
<どうしよう。私、惹かれてる>
「おはー。どしたの、昨日は休んじゃって。ここんとこ怪我も多いし」
茉莉香だった。靴を履き換えながら朗らかに
「地球でも守ってた? ほどほどにねー」
相変わらず鋭い。そのうち「最近変だよ。恋でもした」と言いだしかねない。

その夜、橘家の食卓で料理が何品もなくなることになろうとは、翔はまだ知る由もなかった。