Y(妖怪)系カノジョ(第1話)

「女の子には王子様が必要なんだよ、お姉ちゃん。私も王子様に助けてもらって元気になりたい」
病床で咳き込む3歳の病弱な妹のために、7歳で彼女は決めた。強くて優しくて賢くて、妹を守れる王子様になろうと。たとえ女子でも。
それから9年――王子様になるために費やした努力の結果が

「橘(たちばな) 翔(しょう)、手合わせ願う!」

放課後に毎度むさくるしい男たちが勝負を挑みにやってくるほどの実力者になっていた。

「え、今日はこれから友達とアイス食べに……」
「いざぁっ!」
たいてい、翔の了承も得ずに掛け声も高く襲いかかってくる。そんな無礼な対戦相手を一瞬にして背後に投げ飛ばした。結果はいつも10秒以内で翔の完全勝利。
「くっそ……! 修行してまた来ます!」
「あー、ハイハイ。ここ女子校だから気をつけて帰って」
相手がそこそこの容姿なら見学をしていた女子たちが、大丈夫ですかー? と可愛ぶった黄色い声で介抱に群がり服まで脱がされて筋肉を撫でられまくられる。が、そうでなければ「あれは5点だね」「え、2点でしょ。もう来ないでほしい」と冷たい目でランキングされて素通りされる。負けた上に現役JKの容赦ない扱いは精神に悪い。
今回の高校生男子は記念撮影まで要求されていた。嬉しそうな敗者は放っておき、翔は校門で待っていた友達のところへ駆け寄る。
「翔ちゃん、お疲れっス」
「これで通算75勝目だね。今回の男も彼氏になれなかったかー」
「あきらめることないよ。世界にはもっと強い男がいっぱいいるんだから」
「あのねえ」と翔は苦い顔になる。
「勝った人を彼氏にするわけじゃないから。私の力はか弱い女の子を守るためにあるの」
王子様は賢く優しく強い。
橘翔、16歳の王子様スキル。賢さ、まあまあ。優しさ、突き抜けて正義感の塊。強さ、爆(ばく)咲き乱れ咲き。努力が報われ、翔は高校1年生にしてブラジリアン柔術による総合格闘技、女子フライ級アジア1位の座を手にしていた。

優勝者の写真を公開して選手登録をした途端、男子の格闘家たちがそろって声を上げた。翔は格闘家にしては線が細い。顔もキレイかわいい。そしてブラジリアン柔術は基本が組技、寝技。つまり、対戦すればかわいい子を抱き伏せられると格闘家のSNS上で話題になったのだ。
そんな魂胆を翔は知っている。だから、正拳突きの一撃か、投げ技で撃沈させる。ブラジリアン柔術以外にも日本空手、合気道を心得ているので、一度も組ませたことはない。
教師たちは女子校なだけに若い男が毎回校門前をうろつくのを感心せず、最初は追い払っていた。しかし、生徒側の強い希望、いや欲望で逆に教師たちが追い払われた。
一見ふつうの女子校を装っているが、鳳凰館女子高校は隠れ肉食系女子が多いのが校風である。
負けた心の隙に付け入るという出会いをきっかけに彼氏のできた女子も何人かいるため、翔の対戦は女子たちの縁結びとしてありがたがられるようになっていた。

今日も放課後、いつものように挑戦者を秒殺する。急いで体育館に戻る翔の背中では「あれはないわ」と女子たちのダイヤモンドダスト扱いに男子が打ちひしがれていた。
運動部の助っ人をしている翔はここ最近多忙なのだ。足も速いし運動能力が高いので、格闘技にまったく関係なくても練習相手を頼まれる。7月に入り、各部活では夏の大会が近くなった。そのせいで、頻繁に声がかかるようになった。今日もバスケ部とバレー部の予約がある。
頼まれると嫌とはいえない性分で、今日も気づけば夜8時すぎまでつきあってきた。
部活が終わって帰れば自宅で自主トレ。そして、期末テストの勉強。
いまも自主トレの一環で、足にウエイトをつけてバス停まで走っている。夜の帳が下り、バス道路に向かってマンションの並ぶ住宅地を疾走する。
走りながら翔はスマホを確認した。家からの連絡がないのは逆に良い便りだ。
4歳下の妹、雛(ひな)はいまも病弱で入退院を繰り返している。入院となると母親から連絡が入るが、スマホの画面は沈黙しているので今日は体調が悪くないようだ。
<雛のために頑張らないと。それにしても、毎回挑戦に来るあいつらはあの程度の強さで王子様になれると思ってんだろうか>
強い者がかならずしも王子になりたいわけではないのがわかっていない翔。しかも使命感が強すぎて、か弱い女子を守るシチュエーションに憧れるようになってしまった。
<深窓の令嬢のピンチを救えたら……>
なんか違う。
コンビニの角を曲り路地に入った。途端に嫌な気配を感じる。柄の悪い四、五人の学生服の男子高校生たちが誰かを囲んで脅していた。翔は足のウエイトを外し、背負っていたリュック型の学生鞄を放り投げた。
<警察に通報するより先に私がブチのめした方が早い>
人一倍どころか何十倍も正義感の強い翔は躊躇なく不良たちへ近寄った。
「やめなさい!」
声を張り上げて叫ぶと一斉に振り向かれる。囲まれていたセーラー服の少女までも。
「水明先輩!」
脅されていたのは同じ高校の先輩、水明(みずあけ)鏡(きょう)華(か)だった。か弱い女子一人に対して柄の悪い男たちが数人がかりで取り囲むとは。翔の正義感に火がついた。
「何だ、このガキ。この女の」
最後の「知り合いか」を言わせる前に、翔は相手へ素早く攻撃する。眉間・人中(じんちゅう)・みぞおちに強烈な三段突きを当て、間髪置かずに股間を蹴りあげていた。普通は悶絶を通り越して気絶する。ところが、男は一度白目を向いたものの、倒れる前に踏みとどまり、こらえた。すかさず翔は脇腹に回し蹴りを入れる。これで肋骨が何本か折れたはずだ。
だが、よろけたものの、男は踏みとどまった。
<おかしい。手ごたえはあるのに私の攻撃がまともに効かない?!>
二、三度頭を振って男は体勢を立てなおした。
「このクソガキ! おまえから片付ける!」
ダメージを受けたとは思えないスピードで翔に殴りかかってきた。翔もすかさず攻撃の態勢に入る。
ところが、そこまでだった。男の首に細く白いものが絡みついた。それが首をさらに深く締めあげていく。
今度こそ男は気絶した。口から泡を吹いて倒れた男の背には水明鏡華が乗っていた。からまっていたのは鏡華の夏服から伸びた細く白い腕だった。
「先輩、大丈夫ですか」
「それはこっちの台詞だわ。怪我はなかった」
鏡華の背後に視線をやる。驚いたことに、残りの不良たち全員が道路に折り重なるように倒れていた。それもピクリとも動かない。
<なにこれ。死んでないよね。まさか、先輩が一人でこれを>
呆然とする翔の手首をつかみ、何事もなかったかのように鏡華は涼しい声でうながす。
「いきましょう」
ウエイトとリュックを拾い、翔は引きずられるようにして鏡華についていく。
「先輩、警察に通報した方が……」
「私、自首したほうがいいの」
翔に振り返り、鈴を転がすような声で尋ねる。端正な美しい顔に街灯が当たり、艶めいて見えた。思わず翔は顔を赤らめてしまう。
水明鏡華は3年生。腰に届くストレートの黒髪が特徴的だ。日焼けをしたことがないかと思わせるほど透明感のある肌。黒目がちな切れ長の目。かたちの良い薄い唇。東洋美人の代表的な容姿を持つ。
ただ、不思議な雰囲気を持っていた。ミステリアスというより得体が知れない感じだ。先ほどもそうだ。不良に囲まれていたわりには平然としていた。そのせいで彼らは鏡華の友人かと一瞬間違えるほどだった。それに、見事なチョークホールドを決めながらも、顔色一つ変えていない。
確かに、被害者は不良側だ。口ごもっていると鏡華が何事もなかったかのように訊く。
「おうちはどこ。危ないから送っていくわ」
「その角のバス停までで大丈夫です。むしろ、狙われたのは先輩ですから、私が先輩を家まで送ります」
「私は大丈夫よ。ここから近いから」
バス通りへ出た。ここまでくれば人通りもある。ようやく翔は一息をついた。不良たちも追ってくる気配がない。というより、彼らは生きていたんだろうか。
バス停の屋根の下まで来て、鏡華は握っていた翔の手首を離した。離された瞬間、翔はつながりが切れたような気持ちになり、少し寂しくなった。
「先輩、ありがとうございました。気をつけて帰ってください」
「心配してくれてありがとう」
心持ち口角があがったようだ。笑ったのだろうか。不可思議な表情だ。
「そういえば、先輩帰るの遅かったんですね」
「塾の帰りに寄り道したの。妙な匂いがしたから気になって」
「匂い?」
「そう。あと、月」
言われて翔は夜空を仰ぐ。バス停のアクリル板の透明な屋根を通してみてもどこにも月は見えない。
「先輩、出てないですよ」
「おかしいのう。さっきまで大きくて赤い月が出ていたのに」
微妙な違和感を覚えたが、そっとうかがうと、同じようにアクリル板から夜空を見上げる鏡華の端正な横顔は、緊張感のある眼差しになっていた。

翌日、翔は両手首と両足首にウエイトバンドを巻き、リュックに鉄アレイを入れて学校まで走って登校した。バスを使わなければ片道10キロの走行距離になる。
商店街、住宅地を駆け抜ける。しかし、さすがにきつかったのか、予測を誤って遅刻した。
何かと裏目に出やすい。トレーニング疲れと寝不足のせいで授業中は寝てしまった。寝不足は昨日の出来事のせいだ。すべての攻撃は急所に決まっていた。自分の突きと蹴りで倒れなかった相手はいない。だが、彼ら五人をまとめて倒したのは鏡華だ。
格闘の経験を積んだ翔のような上級者になると相手の強さ、技の習得レベルは見た目でわかる。鏡華も不良グループも強さは微塵も感じなかった。
<何より、先輩を守れなかったどころか、あれだと私が先輩に守ってもらったことになる。王子失格なんて悔しい――>
ベッドの中で疑問と悔しさで悶絶して朝を迎えてしまったのだった。
「こら、橘。起きろ」
いつのまにか背後に回っていた生物の教師に丸めた教科書で頭を叩かれる。が、その前に無意識で体が動き、振り向きもせず教科書を持った教師の腕をひねっていた。
教師の悲鳴で我に返る。
「うわあ、先生、ごめんなさい!」
「いや、おまえの戦闘スキルを忘れてた。俺が今度から気をつける」
痛そうに顔をしかめられ、クラスで笑いが起こった。

午後の授業は移動教室だった。教科書やペンケースを抱えながら翔は音楽室へ向かう。隣りで同じように教科書やペンケースを抱えてを歩くクラスメイトの茉莉香があきれた。
「両腕両足にウエイトつけちゃって。これ以上強くなってどこめざすの」
「完璧王子」
「どうしたの。今日は特に面白いよ」
「“おかしいよ”、じゃないんだ」
「急に強くなろうとしてるみたいだけど、なんかあった。そんなんじゃいつまでも彼氏できないよ」
「くどいようだけど、私の彼氏の条件は、私に勝ったら、じゃないから」
「じゃあ、守りたい人ができたとか」
「え――」
「んなわけないか。急に出会いなんてないよねー」
茉莉香は鋭い。そのくせ毎回はずす。出会いはなかったが、翔の筋トレは鏡華を助けきれなかったのが引き金になっている。何より、久し振りに勝てなかったのが悔しかった。
「休み時間なのに体育の授業やってる。佐々木先生かな」
体育館からボールの跳ねる音に混じってシューズの床をこするキュッキュッという小気味よい音がしていた。体育の授業は2時間分まとめて続くクラスがある。しかも、体育教師の佐々木は白熱すると休み時間を忘れて授業を続行する。生徒もそんな佐々木につられて文句ひとつ言わずについていく。筋肉質の佐々木は茉莉香のお気に入りだった。茉莉香は向きを変え別棟に建てられている体育館へと足を速める。
「どしたの。音楽室はこっちだよ」
「佐々木の筋肉拝みたい。急ごう。筋肉は待ってくれない」
茉莉香は翼の生えたような足取りで、ウエイトをつけた翔を軽々と引きずって体育館をめざした。ドアを全開にした体育館では3年生のバスケの授業が行われていた。対戦形式でチームごとに交代で二面のコートを使ってプレイしている。
ギャーッ、上腕二頭筋ーッと黄色い声を上げる隣で、翔の鼓動がひとつ大きな音をたてる。視線の先に鏡華を発見した。長い黒髪をひとつにまとめ、ドリブルをしている。運動に無縁そうな鏡華のジャージ姿がしっくりこない。それでも、ボールさばきは巧みで、誰にもボールを奪わせずに機敏に動く。
<え――?!>
翔は目を疑った。鏡華の体側が不自然にぐにゃりと内側に曲がって彼女を囲む相手チームの狭い隙間を抜いたのだ。素早すぎて見えなかったのか、誰もそれに気づいていない。
<人間の体はあんなふうには動かない。脛も曲って見えた>
「ねえ、茉莉香、いまの水明先輩……」
「なーにー、大胸筋がどうしたってぇ」
コートの外で審判を務める佐々木の肉厚ボディ以外に興味がないらしい。茉莉香はともかく、誰もが鏡華の人間離れした体の動きに気を取られずプレイしている。審判の佐々木すら気づいていない。
鏡華がパスを回し、受け取った生徒がゴールを決める。翔はスコアを見た。
112対0
<え!? 体育の授業だから十分間交替だとして、点差変でしょ!?>
周りを囲んで見学する生徒たちも不思議と鏡華の活躍に気づかず、ゴールを決めた生徒にエールを送っている。
始業ベルが鳴る中、ササきんにく~~、とメロメロになって足に根が生えたように動かない茉莉香を引きずり、翔は音楽室へ急ぐ。激しい運動量にも関わらず、肩で息もしていない鏡華の後ろ姿を、翔はうすら寒い気持ちで思い出していた。

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