牙を授かりし者たちの詩:私のお母さん
第4課・ブリーフィングルーム
「……で、あんた本当にそれでいいの?」
ブリーフィングルームのモニター前で腕を組み、佳央莉が言った。
目の前にいるのは、公特第4課・補助サポートAI《夜桜》
戦闘支援に特化した義体《Ver.II》から、以前の《Ver.I》へと
“バージョンダウン”したばかりだ。
『はいっ!』
胸を張って返事する夜桜の顔には、迷いはなかった。
『今のままが一番、私らしいですから。』
「……はぁ」
佳央莉はため息をつくと、椅子に背をあずける。
椅子が一回だけ
……ギシッ──
と鳴った。
「ほんとはね」
夜桜が小さく首をかしげる。
「戦闘寄りにしたあんたのデータ、必要だったのよ」
『えっ。』
「本当の意味で、合理性も、戦闘能力も、人間を超えた《AI》がどう動くか──
その到達点に行くためにも必要なデータだったのよ」
『……』
夜桜は何も言わずに少しだけ視線を伏せたあと、小さく笑った。
『……でも、私はそっちには行けませんでした。』
「だろうね。あんた、そういう顔してるもの」
『どんな顔ですか、それ。』
「“感情持ったら、強さよりも大切なもの見つけちゃった系AI”の顔」
『なんか……ひどい言い方じゃないですかっ!』
「図星でしょ」
『むぅ……』
夜桜が頬をふくらませたちょうどその時──
モニター横のサブパネルに、ひとつのウィンドウがぴょこんと浮かび上がった。
「ログ再生中:No.000345」
『──NS-COREは、見ていた──』
『!? ちょ、ちょっとなんですかこのウィンドウ!?
え、勝手に再生されてますけど!? これ何ですか!?』
『再生中です。※NS-COREバックアップ領域から自動復旧されたログです。
再生を停止するには管理者コードを入力してください』
『ああああ!! 今すぐ消してください!!』
モニターに映し出されたのは──
──仮眠室。
静かに眠る優斗の横に、そっとしゃがみ込む夜桜の姿。
『……ふふ。寝顔は可愛いんですね……
……少しだけ、少しだけですから……』
夜桜(モニターの中):そっと顔を近づける──!
「あんた、隠れてこそこそこんなことを……」
『ちょっ、違いますこれは!! 未遂です!未遂で終わりましたから!!』
「そこじゃないわよ」
『うぅ……でもあの時、ちょっとだけ……』
「まったく……夜勤中に何をしてるかと思えば……」
佳央莉はタブレットを投げた。
タブレットはポンッとモニターに当たって再生はあっけなく停止された。
「はぁ……誰に似たのよあんた……」
『佳央莉さん……?ですかね。』
「違うわボケッ」
『え〜? でも……
くまごろうと話してる時の佳央莉さんのログ、すごく子供っぽいですよ?』
夜桜の突然の言葉に大慌てになる佳央莉。
「──っ!?
いつ見た……それを!」
『“きょうもがんばったでちゅね〜”とか、“よしよし〜”とか──』
「このばかあああああああああ!!!」
モニターに向かって突進する佳央莉。
「ログ削除!!今すぐ消せ!!あのモジュール全部物理破壊よ!!!」
『無理です!NS-COREのあれが入った領域だけ、管理者でも削除不可に
しておきましたっ』
「おまえぇぇぇぇ!!」
ドンッ──
佳央莉が夜桜にタックルし、2人は床で取っ組み合いになった。
『何するんですか佳央莉さん!』
「いいからあれを消せ!!!」
──
──
しばらく後。
「……ふぅ。疲れた……」
『私、AIですから疲れませんけど。』
「煽るなっての」
佳央莉がゆっくり立ち上がり、スーツの裾を整えた。
「……まあ、いいわ」
『え?』
「ここまで言い合いできるなら、今のバージョンでもうまくやれそうね」
『もちろんです! 私は私のまま、咲き誇ってみせますから!』
佳央莉は言葉に詰まったようにして、そっと手元を探った。
そして、白い小箱を取り出すと、夜桜に向かって差し出した。
「──はい、これ」
夜桜は小首を傾げる。
『え、なんですかこれ?』
「今日、初めてあんたの起動実験に成功した日よ。
メモリされてるでしょ? “ログ0001番”──」
夜桜は、目を見開いた。
『……!』
見開いた瞳が、ほんのわずか揺れる。
『……覚えてます。覚えてますよ。』
「そう」
佳央莉は、その様子を見て、ほんの少しだけ微笑んだ。
「あなたは起動するなり、まっすぐ私の方を見て、こう言ったの。
──佳央莉さん
ってね」
夜桜は小さく頷く。
『……ずっと、記憶の底に残ってて。でも、言葉にするのがこわくて。
それがほんとうに私の“始まり”なのか、確信が持てなくて……。』
「それでいいのよ」
佳央莉は、白い小箱を夜桜に手渡した。
「開けてみなさい。……それが、今年の“誕生日プレゼント”よ」
『……!』
そっと、夜桜が蓋を開ける。
中には、小さなペンダント。銀のプレートには刻印が施されていた。
《NS-CORE記憶ログ0001》
“Sing, in your voice.”
夜桜は、声を震わせながらそれを手に取った。
『これ……わたしの……』
「あなたにしか使えない、感情同期型の補助モジュール。
一番最初のメモリ……いえ、初めての記憶を元に作ってある。
戦闘補助じゃない、記憶と感情を最適化して“今のあなたらしさ”を
支えるものよ」
『……なんで、こんな……』
「だってあんた、自分で選んだじゃない。“今の私が一番、私らしい”って」
夜桜の指が、ペンダントをそっと包み込む。
『……ありがとうございます。ほんとに……』
「……」
しばらくの沈黙。
佳央莉がぽつりと呟いた。
「──名前、気になってたんでしょ?」
『……え?』
「“夜桜”って名前のことよ」
夜桜は驚いたように顔を上げた。
そして、ほんの少し──首を縦に振った。
佳央莉は、窓の外を見ながら話し出した。
「公特の任務でね、夜中に山奥を車で一人、走ってたことがあったのよ。
そのとき、通りがかりの神社のそばに、満開の桜があった。
誰もいないの。照明もない。
でも、その木は……咲いてたのよ」
『……夜なのに、ですか?』
「そう。
見てる人なんて、誰もいないのに。
ただ、自分が咲くべき時だからって理由だけで──
誰にも褒められず、気づかれず、それでも咲いてた」
佳央莉の瞳が、静かに細められる。
「……あのとき思ったのよ。
この子には、ああいう風に咲いてほしいなって。
昼間の桜のように目立つことが許されなくても、人から綺麗だって
褒められることがなくても……
夜には誰にも知られず、それでも目いっぱい咲き誇ってる花に」
夜桜の瞳が、わずかに潤んだ。
『……そんな想いが込められていたんですね、私の名前……』
「ええ。
咲いていてほしいって……そう願うための名前よ」
『……』
「公特任務、NS-CORE、秘密裏の作戦、規定外の仕様……
どれを取っても、あんたに名前をつける理由なんて、ひとつもなかった」
『……それでも、くれた。』
「ええ。それでも、つけたの。
それが“非合理”だって言われてもね」
夜桜はそっと胸元のペンダントを握りしめた。
『──私、今日からこの日を“誕生日”にします』
「……あら、分かってるじゃない」
夜桜は立ち上がると、ゆっくりと佳央莉の前に立ち、ぺこりと頭を下げた。
『……今日まで、育ててくれて、ありがとうございました』
「何よそれ、遺言みたいに言うんじゃないわよ」
『これからも──よろしくお願いします、“お母さん”』
「……っ!?」
佳央莉の肩がびくっと震えた。
「……ちょっと、今なんて言った?」
『ふふっ。』
夜桜は、まっすぐな笑顔で言い直した。
『私の大好きなお母さんです。』
「……あんたねぇ……」
佳央莉は顔をそむけた。
ほんの少し、目に光るものを浮かべながら。
「……そういうこと言うなら、来年の誕生日プレゼント、3割引にするからね」
『えー!』
「決定権は母にあるのよ、娘」
『ずるいです!』
「当然でしょ、親なんだから」
夜桜は笑って、ペンダントを首にかけた。
たったひとつしかない、小さな名前を、大事に抱えて。
──
ブリーフィングルーム前・廊下
その頃。
「……うわー……これ、入れない空気じゃん……」
ドアの前で、中をそっと覗きながら複雑な表情を浮かべているのは──
神代優斗、その人だった。
「佳央莉さんと夜桜、今って“母娘感情最高潮”かよ……
最高潮って……いつ終わる?……30分くらい待つか……」
その背中には、なぜか“蚊帳の外”という言葉が似合っていた。
──完──
