ちょっとのあいだ欲しくなるボタン

「ついに完成したぞ!」
 博士が拳を、天を突き破るような勢いで挙げる。
「しかし困った。勢いで作ったのはいいが、使い道が全くないぞ」
 博士はテーブルに視線を落とした。視線の先には一つのボタンがある。
 その時だ。博士の家に男が尋ねた。
「散歩中に大きな声が聞こえましてね。寄ってみたんですよ」
「おぉ、君か」
「まさか博士のことだから、素晴らしい発明をしたのでしょうね。一つ教えてくれませんか?」
 博士が腕を組んで目を閉じた。
「ちょっとのあいだ欲しくなるボタンだよ。ボタンを押すとみんなこのボタンが欲しくてたまらなくなる」
「ちょっとのあいだですか?」
「もちろんだとも」
「なんとも使いづらいですね」
 博士は石造みたいに黙って頷いた。
 時計の長針が五回動いた時だ。男が膝を叩いた。
「あぁ博士。それを僕にくれませんか?」
「なんだね急に」
「お願いします」
「まだボタンも押していないのに欲しくなったのか? 変な男だな」
「どうか、お金はありますから」
 男は懐から小切手を出した。
「高級車が買えるくらいでどうでしょう?」
「実は次の火発日が足りなくて困っていたんだ。わかったよ」
「ありがとうございます!」
 男は深海のように深く頭を下げると、ボタンを取り上げた。
「そのボタンの効果は約三十秒だ。範囲は三メートルもない」
「構いません」
 博士は、男が大切そうにボタンを抱えるのをみて首を傾げた。
「一体君は何をするつもりだね?」
「ヒミツですよ」
「まぁいい。開発費がもらえたんだ。私は欲をかかずに君にボタンを渡すよ」
 博士はそう言ってニコリと笑った。
 男も笑顔を返すと、早速家に帰った。

「あの博士は何もわかっていないな。このボタンを欲しがらせて高い値段で売りつければいいんだ」
 男は翌日、友人を家に呼んだ。
「よく来てくれた」
「なんだよ急に。俺は忙しいんだ」
「金儲けの話って言ったら暇になるか?」
「ふん。話次第だ」
 友人が眉をひそめる。男は構わず、ボタンを友人に見せた。
「スピリチュアルじゃないだろうな」
「まさか。これを押すとちょっとのあいだこのボタンが欲しくなるんだ」
「それが金儲けにつながるのか?」
「まだわからないのか?」
 男は人差し指を左右に「チッチッチ」と揺らした。
「そのちょっとのあいだに売りつけるんだよ」
「なるほど。でも信用できない」
 友人は用心深くボタンを見ている。
「もっともだ。だがお前が欲しくなって簡単にはやらないぞ。しっかり金はもらうからな」
「そのボタンが本物ならな。ちょっと貸してくれ」
 友人の手がボタンに伸びる。だが男はそれを止めた。
「勘弁してくれ。もしお前が持ったまま逃げたらどうしてくれるんだ」
「心外だな。まぁいいさ。じゃあお前が押せよ」
「わかった。でも私だけが欲しくなってもいけない。お前も近くにこい」
「いいだろう」
 男は友人に近づくと、ボタンを押した。
「確かにこのボタンは儲かりそうだ。素晴らしい発明だ。俺にくれよ」
 友人がボタンを手に入れようと手を伸ばす。まるで催眠術にでもかかったような一心不乱さだ。
「やめろ! 俺のものだ」
「お前が俺に寄越すって言ったんだろう」
「取り消す」
「なんだと?」
 友人の眉間にシワが作られる。友人が男の胸ぐらを掴んだ。
「やめろ。俺がもらうんだ」
「いや違う。俺のものだ」
 男が掴まれた手を外そうと暴れた時、友人が突き飛ばされた。
「いてて。あれ、俺は何していたんだ」
「俺のものだ!」
「バカバカしい。考えてみれば当たり前の話じゃないか。そりゃ二人とも欲しくなるはずだ」
 友人は深くため息をつくと男の家から出ていってしまった。
 残された男はしばらくボタンを大事に抱きしめていたが、ちょっとのあいだが過ぎると肩を落とした。
「あぁ、なんということだ。お金を失ったどころか友人まで失ってしまった」
 二度と欲深い行いはしないようにしよう。男はそう自分に誓ったのだった。