<スカスカ> 第1章 第8話

第1章【Opning Act】

第8話【雨に濡れる横顔】

「──やらせてください。箱ライブ」
緋《ひいろ》は、さくなを真っ直ぐ見つめて言い放った。
「…!ありがとうございます!!ということで、はい、これ、チケットです!!」
「え、なんでもうチケットがここに……」
「店長が早とちりして刷っちゃった…というのは半分冗談で半分本当です」
───絶対誘ってこい。と言われてチケットまで持たされたのだ。恐らく、店長は確信している。このバンドなら確実に出てくれる、と。
「今ちょうど、今度のライブで“オープニングアクト”やってくれるバンドを探してたんです」
「オープニングアクト!?」
──オープニングアクト。それはライブ、コンサートにおける、メインアクトの前座である。前座というと聞こえが悪いかもしれないが、無名のアーティストにとってこの役は大役で、その役割はメインアクトやヘッドライナーの出番の前に場を盛り上げておくこと。それは、メインアクトに名を連ねるアーティストたち目当てで集まる観客に、自分たちの楽曲を披露、宣伝することでファンを取り込むチャンスであり、成功への最大の近道と言っても過言では無い。また、ヘッドライナー側にも、オープニングアクトに若手アーティストを招くことで若いファンを増やしやすいというメリットがある。
「そんな大役…良いんですか?私たちで…」
「いいんですよ。出演予定だったバンドが出られなくなって困っていたんです。主催のLEVORGERさんも、オープニングアクトには勢いのある若手を選びたいって言っていましたので」
「……待て。主催、LEVORGERだって?」
「あ、はい。説明がまだでした。すみません。…ScarletNightの皆さんに出演して頂きたいのは、LEVORGERさんの箱ツアーのRAIN OF BOW公演のオープニングアクトです」
「LEVORGERか…」
「紫音、知ってるの?」
「ん?ああ、LEVORGERは男女混合のロックバンドで、車好きやバイク好き、旅好き、アウトドア好きに刺さる曲を多く出してるんだ。ターゲット層が年齢じゃなくて趣味で決まるから幅広い年齢層のファンがいて、インディーズなんだけどZeppでワンマンライブができるくらいの人気がある。昔世話になってさ。良い奴らだぜ」
「良い人たちなら良かった…」
「けど…音楽ジャンルは結構違うぞ。私らScarletNightはオルタナティブ・ロックとパンク・ロックが基本だけど、LEVORGERのジャンルはブルース・ロックやロックンロール、ロックの原型に近いものが多い。レヴォのファンが私たちの曲を受け入れてくれるのかは、正直分からないぞ」
「ジャンルの違いか……確かにそれは問題かも」
「あ、それに関しては心配いらないと思いますよ」
「どういうこと?」
「ツアーの他の公演でも、オープニングアクトには別ジャンルのアーティストがいますし。むしろ、新しいものを開拓しに足を運ぶお客様もいらっしゃいます。いつもはブルース・ロックを聴きながらドライブに行くような人でも、たまには人生に不安を覚えたり、何か辛いことがあってそんな気分になれない時もあるかもしれません。そんな人にオルタナティブが刺さる時だってあると思います」
「なんだ、結構いいこと言うんだな」
「バカにしないでください。ライブハウスでバイトしてるってことは、すくなからず音楽が好きってことなんですよ?」
「まあ、それもそうだな。ありがとう、さくな。いらん心配だった」
「紫音ってやっぱり変なところで心配性出るよね」
「うるせぇ。悪かったな。レヴォのメンバーには妹みたいに扱ってもらってたから、下手なライブには絶対できねぇんだよ」
「大丈夫。私たちの曲は路上ライブでも受け入れられてるわ。…ライブを始めるために場を盛り上げることに関しては、それこそ私たちの得意分野じゃないかしら」
「それもそうだな。…緋」
「うん。初ライブでオープニングアクト。やってやる。ヘッドライナーのライブの分までの体力も使い果たさせるくらいの、そんな意気込みで、やろう!!」

───。

「──1枚目のチケットは私が買います!!!」

「──!!」

緋の前に飛び出してきた、黒髪ボブで姫カットが可愛らしい小柄な少女だった。見たところ中学生くらいか。

「“1枚目”をください!!!」

「…ありがとう。…1枚2000円だけど大丈夫?」
「あります。いつこの時が来ても良いように準備してたので」
彼女は小さな手で財布から千円札を2枚取り出し緋に渡す。
「ありがとう。…名前なんて言うの?」
「え…?…黎、です」
「そう。ありがとう、れいちゃん。はい、正真正銘の1枚目だよ」
緋はペンでチケットに何か書いてから、黎と名乗った少女にチケットを渡す
「……!!」
チケットには、
『Thank you, my first. Rei. ScarletNight, Hiiro』と綴られていた。
「…!!…あ…ありがとうございます!!…あの、えっと……ライブ絶対行くので!!!」
「うん。ありがとう」
「その時……告白します!!」
「うん。…………ん?…え、なに、コクハク?」
聞き返した時には、既に彼女は背中を見せて観客の中に戻っていってしまっていた。

「2枚目買います!!」
「私も買います!!」

──彼女が先陣を切ってくれたおかげか、手元にあるチケットは速攻で売り切れてしまった。

◇◇◇

彼女たちのポテンシャルを舐めていた訳では無い。ただ、ただ思ってた以上に、凄いバンドだと思った。
喜怒哀楽、その全てをさらけ出すなんて、この窮屈な世界では本当に難しい。だから、私たちには拠り所が必要なんだ。それは人によって違うだろうけれど、確かなのは、ここにいる人たちにとってそれが音楽であること。そんな人を繋ぎ合わせる力が、ScarletNightにはある。
彼女たちと共にいる間だけは、全員が世界から解き放たれるような感覚になれる。まさに羽ばたく鳥のように。その空を作ってくれるのがScarletNightというバンドなのだ──。
「……と、1人感傷に浸っているさくななのでありましたとさ」
「はいはい。熱く語ってくれてありがとう。それはともかく凄いな。少ししか渡さなかった私を恨んだよ」
「だから言ったじゃないですか。今熱いんですよ。ScarletNightは」
「そうだな。まだまだ伸び代のあるいいバンドだと思うよ」
「何ですか?その言い方。ちょっと引っ掛かりますね」
「まあな。…空いた時間に色々見てみたんだ。そこで、凄い奴を見つけてしまってな」
「なんですか?」
「『ScarletNight』で検索してたら、こんなのが出てきた」
雨美はさくなに携帯の画面を見せる。
動画タイトルは、『ScarletNight – Shake it all off【弾いてみた】』。
「…なんですか?弾いてみた動画?」
「まあそうなんだけど…」
チャンネル名は『緋の1人目』。チャンネルアイコンをタップしチャンネルトップへ飛ぶと、『終緋Channel・登録者1人・登録済み』というスクリーンショットのヘッダー画像が映し出された。
「…!!?ちょっと、なんですかこのヘッダー!!嘘ですよね!?これは加工です間違いなく」
「ばーか。肝心なのはそこじゃなくて──」
「──これ、全部スカレが投稿した日のうちに弾いてみた投稿しちゃってますよ!?」
「まあそれもそうだけど──」
「──スカレ名義じゃない緋ちゃんのソロ時代の曲も弾いてる…ッ…!?」
「そうじゃねぇよ!!内容だよ!!内容!」
「内容?」
「こいつの弾いてみたは、少し違うんだよ」
「違う?」
「普通、弾いてみた動画って元々の曲のパートをコピーして弾くだろ」
「まあ、そうですね」
「けど、こいつは違う。終緋のパートは一切弾かずに、既存の曲に自分を追加してその曲のクオリティを1段階上に持っていくようなギターを弾く」
「……つまりどういうことですか?」

「こいつは、ScarletNightには存在しないはずの“リードギター”やってんだよ」

◇◇◇

彼女…終緋さんとの出会い……というか一方的な認知は、今から1年前の春だった。

「お嬢。お迎えに参りやした」

昏木《くらき》黎《れい》、14歳。中学3年生。友達0人。打ち込めるものはギターだけ。
桜を散らす雨が振るその日、学校終わりに私を待ってくれていたのは、親の知り合いというかなんというか、仲間というか部下というか、そんな感じの人だ。

「…怖がられるから学校まで迎えに来るのやめてって言ったよね」
「今日は雨ですぜ。お嬢を濡らして帰らせる訳にゃいきやせん」
「傘あるし」
「傘で雨を全て防ぎ切ることは不可能ですぜ。お足元とか」
「うるさい。過保護なの」
「お嬢……。俺らはあんたの親父さんに救われて今も生活できていられるんです。お嬢に何かあれば、俺らは死んでいったあんたの親父さんに顔向けできねぇんですよ」
「いつまでも子供じゃないの。身長小さいからってバカにしないでよ」
「バカになんかしてやせん。…お嬢は知らねぇかもしれやせんが、この世界は綺麗事なんざ通じねぇ、残酷な世の中なんすよ」
「……あっそ」
渋々彼の車に乗る。車の中では、彼がよく聴くパンク・ロックが流れていた。
「……強いのはいつだって暴力ですよ。俺らはそうやって生きてきやした」
「……知ってる」
「それは辛いことなんすよ。だからオレらは、お嬢には平和に、幸せに生きて欲しいんですよ」
「……幸せって、人に強要するものじゃないでしょ」
「これは願いですよ。幸せってのは人それぞれじゃないすか。ただ、不幸ってのは分かりやすいでしょうよ。家も金も味方も何もねぇ。頼れるのが自分のみなんて、そんな生き方だけはさせたくねぇんです」
「……そー」

段々と雨足は強まり、ワイパーも追いつかない程の土砂降りとなっていく。

頬杖をついて車窓の奥を眺める。

───滝のような雨の向こうに、傘もささずに歩く赤い髪の少女が見えた。見慣れない制服だが、高校生だろうか。
車に乗って過ぎ去る自分の目には一瞬しか映らなかったが、彼女の様子は自分の目に焼き付いていた。
赤錆のような汚れが付いているブラウスは濡れて透け、打撲の痕のようなアザと傷のある身体を隠さずに見せていた。ずぶ濡れになった赤い髪が、美しい顔にべったりと張り付いている。何もかもを諦めてしまったかのような虚ろな目。それでも何かを求めて彷徨うゾンビのような足取りで、水溜まりになった歩道を進んでいた。

「……あの人……は……?」

「お嬢、どうかされやしたかい?」
「…ううん、なにも」

◇◇◇

家に帰って風呂に入っても、赤い髪の彼女の姿が頭に焼き付いて離れない。
雨に濡れる彼女の横顔には、あまりにも儚い美しさがあった。
「………」
畳の上に寝転がる。参考書に全く手が付かない。
気を紛らわすためにギターを手に取る。
音楽アプリを開いて、20年くらい前の邦ロックを流す。聴きすぎて、もう飽きたとも思わない曲。それに合わせてギターを弾く。
「……ダメ」
今の気分に曲が合わず、アプリを閉じる。
黎は窓の外で降りしきる雨の音をバックに、ゆったりとしたアルペジオでメロディを作っていく。
頭の中には、ずっと彼女がいる。名前も知らない、たった一瞬だけ目に入っただけの少女が、ずっと頭の中で土砂降りの雨に打たれている。
「……何なの……この気持ち……」

◇◇◇

次の日、空は晴れても心のモヤが晴れることがなかった。
彼女の顔をもう一度見たかった。何故かは分からない。ただ、雨に濡れる彼女の横顔が、あまりにも美しかったことだけは覚えている。血のように赤い髪の少女を探し、私は街へと飛び出した。
「お嬢!?どうしやした!?」
「どこへ行くんです!?」
「ちょっと探しもの!!」
「俺らも手伝いますぜ!?」
「恥ずかしいものだからやめて!!」
「恥ずかしいもの!?!?」
適当なことを言って組員を置いていく。
昨日、この街にいたのだから、きっとこの街で見つけることができるはずだと、なんの根拠にもならない理由で、彼女を見つけた場所へ行く。
「いないか…」
そりゃそうだ。ここで見つけたとは言っても、彼女だってずっとここにいる訳がない。
「確か…あっちに向かって歩いてたっけ…?」
なんの宛もない。けれど、どうしてももう一度だけ彼女の顔が見たかった。その一心で、昏木黎は小さな体を動かす。
「……どこへ向かえばいいんだろ……」
土曜日の朝。天気は曇り時々晴れ。人が集まるところ……。
「……公園……」
なんとも雑な思いつきだが、黎の小さな頭ではこれが想像力の限界だった。
川べりの公園。足並みを揃えて歩く親子、ステージで漫才を繰り広げる芸人、その他歩道側にひしめき合うアーティストたちの路上ライブ。
そんな公園を探し回るが、赤い髪の少女は見当たらなかった。
「……まぁ、そんなもんか…」
見つけられる宛はそもそも無かった。勢いに任せてこんな所に来てしまったことを、今になってバカバカしく思う。
黎は公園を後にする。広い歩道を歩いていく。ちらほらといるアーティストたちの路上ライブの前を素通りしながら、少し海でも見てから帰ろうと思い、足を進めた。

「───」

───さざなみの手前から、ギターの音と少女の歌声が聞こえる。

───透き通る歌声。今にも消えてしまいそうなか弱さを感じると同時に、それでも絶対に消えはしない強さを持った声だと思った。

「──いた……」

赤色の髪は真っ赤な赤という訳ではなく、ほんの少しだけオレンジに近いような赤。緋色と言うのだろうか。
黄昏時の空のような瞳は、ギターしか見ていない。乱れた緋色の髪を揺らして、何かから逃げるようにギターだけを見つめていた。

私は何も知らない。彼女のことは何も知らない。ただ、綺麗だと思った。
きっと何かとてつもない闇を抱えている。それでも生きて、音に全てを込める彼女が、光って見えたような気がした。

そして、彼女の前に立っているスマホスタンドに気づく。

「撮ってるの…?ってことは……」
ポケットからスマホを取りだし動画サイトを開く。
「…で、なんて検索すれば出てくるのか分からない…」
名前も知らない彼女のことを、どうやって見つければいいのか分からない。
声をかけるという手段には出られなかった。
人馴れしていない野生の小動物のような雰囲気があって、近付くと逃げられそうだと思ってしまったから。
遠くから、彼女を見て、聴いていた。それだけで時間が過ぎていった。

「……やば、時間…」
もう昼を回っていた。
お昼までには帰るつもりだったが、彼女に夢中で時間を忘れてしまっていた。あまり遅くなると心配されてしまうかもしれない。
「……。いつか、必ず声かけにいきます」

その後も、彼女が気になって仕方がなかった。
あの時、声をかけに行かなかった自分を恨む。
せめて名前だけ。名前だけでも知りたい。
緋色の髪の彼女を、どうにかして見つけたい。
彼女の歌声が聴きたい。彼女のギターが聴きたい。
何故かは分からない。心が揺さぶられた事実だけが残っている。
同じギタリストとして何か思うところがあったのか。いや、同じものを感じたとか、そんな風には思わなかったと思う。
何がこうも心を掴んで離さないのかが分からない。
私はあの少女の、雨に濡れる横顔に、一体何を思ったのか知りたい。
その後も毎日あの海辺の公園へと足を運んだ。彼女に会えるかもしれないと思いながら。けれど、そう簡単には会うことができなかった。
何日も経つにつれて、想いは上下を繰り返した。忘れようとしたり、やっぱり忘れたくなかったり。
そんな日が2週間ほど続いた。

金曜日の夕方。懲りずにまた海辺の公園にやってきた私の前に、彼女はいた。

「───」

ギターを抱えてはいるが、それを弾くことはなく、ただ暗くなっていく海を眺めていた。

「………」
近付いても良いのだろうか。

「いや、聞くんだ。名前を」

深呼吸して、足を1歩踏み出す。

「ッ…!!」
コンクリートを踏みしめる靴の音を聞いた彼女の肩がビクンと震えた。

恐る恐る振り返った彼女は、私の姿を見るとほんの少しだけ肩の力を抜いた。だが、何かに怯えているような顔をしたままだった。

「すみません…脅かすつもりは決して…」
「………」
「あの……」
「……悪意があろうがなかろうが、私にとっては全部悪だよ」

そう言って彼女は立ち上がってこの場を去ろうとする。

「あっ…待ってください!」
「何」
敵意剥き出しの声。振り返りもせず、緋色の長い髪が揺れる後ろ姿だけを私に見せている。
「名前…名前だけ教えてください」
私のお願いに、彼女はしばらく沈黙した後、小さな声で呟いた。
「………終緋」

……To be continued