牙を授かりし者たちの詩:知らない知人
「──じゃあ、いいわね」
佳央莉さんが夜桜のメンテナンスに入ったのは、昨日のことだった。
どうやら今回は、現行プログラムのバージョンアップを行うらしい。
「明日には返せると思うけど……夜桜がいない間は無理しないでね」
「無茶はいいんですね?」
「……毎回その返しで飽きないの?(笑)」
「……すんませんでした」
特に今、火急の案件があるわけでもない。
だから、のんびり待つことにした。
──いや、むしろチャンスだ!
久々に“あいつ”に見張られずに酒が飲める!
そう思った俺は、迷わず棚の奥から「とっておき」を取り出した。
カミュ・ボルドリー VSOP。
夜桜がいたら
『飲みすぎちゃだめですよっ!明日もお仕事あるんですからっ。』
なんて顔をされたかもしれないが──
今夜は誰にも文句は言わせない。
と思ったが、起動してない義体がすぐ目の前にいて、見張られてる気はする……
やっぱり落ち着かない!
うち持って帰ってゆっくり飲もう……
──
翌朝──
久々に痛飲してしまった俺は、これもまた久々の二日酔いで、
熱いコーヒーを胃に流し込んでからブリーフィングルームへ向かう。
「そういや夜桜いないから自分で運転しないとな……」
スタートボタンを押す。
いつものようにクラウンが目覚めた。
と、そこへ
『おはようございます、優斗さん。』
夜桜の声がした。
「お、もうバージョンアップ終わったのか」
『はい。先程チェック完了、オンラインに復帰しました。』
「そっか、じゃあ運転頼むな」
『了解しました。』
どことなく感じる違和感があったが二日酔いのせいもあり、ほぼ気にせず
ネットニュースを眺める。
「そういや、昨日久々に飲みすぎて二日酔いなんだよ。今の俺の体調どう?」
『……バイタル問題なし。アセトアルデヒドが残留していますね。頭痛や吐き気は
あると思いますが、ミッションに影響が出るようなら点滴を推奨します。』
「推奨って(笑)
ミッション中じゃないんだから、もっと普通にしゃべっていいよ。
それとも……酒飲んだの分かっちゃったから怒ってる?夜桜ちゃん」
『いいえ。特に怒るような事象は見受けられません。』
「……なんか変だな、夜桜」
ほんの少しの間があり、夜桜は変わらず無機質な声で返す。
『いえ、最終チェックでも異常は確認されませんでした。』
「うーん、なんか……いつもと違う気がするんだけど」
『記憶領域のログにもエラーはなく、私と“いつも通りの私”に
差異は確認できません。』
「……あとで佳央莉さんにみてもらうか」
一抹の不安を抱えたまま、俺は4課ブリーフィングルームへ向かった。
──
「おはようございます、かお──じゃなくて長官補佐」
「おはようございます、神代警部。私、徹夜明けだから、ふつーに会話して。
疲れちゃう(笑)」
佳央莉さんは若干疲れた顔をして朝のコーヒーを啜っていた。
そういや俺と佳央莉さんは真壁事件後、昇格していた。
佳央莉さんは長官秘書から第4課長官補佐、俺は警部補の”補″がなくなった。
「夜桜、ちょっと変なんですけど……」
「あら、そう?チェックしたけど特に異常なかったわよ?」
「マジすか……なんか知ってるけど、他人と会話してるみたいでしたよ」
「うーん……記憶領域に異常ないし……考えすぎじゃない?」
「なわけないでしょ!俺は昼も夜もずっと一緒にいるのに……」
「えー、そう?半日会わなかっただけで拗ねたのかしらね、夜桜(笑)」
「いや……あんまり笑いごとじゃないんですけど」
「うーん、ちょっと義体起こしてみましょうか」
さっきから右目の前で大人しく立っている夜桜は、何が起こったか
分かっていないのか、無反応だった。
まるで、そこに“いるだけ”のオブジェのように──。
『お疲れ様です、優斗さん、佳央莉さん。』
突然、義体の夜桜が口を開いた。
正に「会話をはじめた」って雰囲気だった。
「ん-?夜桜、あんたちょっと変わった?」
『いいえ。先程のチェックでも異常は認められませんでしたが。』
「そうじゃなくて。
普段なら『あー!佳央莉さんこんにちわ!』って来るじゃない。
そんな他人行儀なしゃべり方しないでしょ?」
夜桜はまた少し間を開けて”返答”をする。
『昨日の記憶を探ってみましたが……佳央莉さんのおっしゃる通りの受け答えを
していた形跡がありました。
しかし、今の私も昨日の夜桜と完全同一です。』
いつもと変わらぬ声で、そう言った。
……けれど。
胸の奥に、ほんのわずかに冷たい風が吹いた気がした。
「うーん……」
佳央莉さんは思案顔のまま夜桜の回りをぐるぐる歩き回る。
「夜桜、ほんとに異常ない?」
『先程、佳央莉さんと一緒にチェックもしてますから問題ないです。
佳央莉さんこそ何かいつもと違うような感じですが……
大丈夫でしょうか?』
「……わかった。バージョンアップしたばかりでまだ落ち着いてないだけ
かもしれないわね。優斗くん、もうちょっと様子見てもらえる?」
意外な言葉が佳央莉さんから返ってきて、少し慌ててしまった。
「え……マジですか佳央莉さん」
「一応ログとか確認したんだけど、やっぱりエラーとかないのよね」
エラーがないなら、感覚だけでそこまで突っ込んでもムダかもしれない。
「まあ、そこまで言うならもう少し様子見てますけど……」
「ええ、お願いね」
……頷いたけど──それでも、やっぱり“あの夜桜”じゃない。
胸の中のざらつきは消えなかった。
「なあ、夜桜。本当に何も変わってないか?」
恐る恐る聞いてみた。
『昨日までのログを見ましたが……確かに雰囲気とか話し方に変化はある
かもしれませんね。でも、私は間違いなく夜桜です、優斗さん。』
夜桜は薄い笑顔を返してきた。
──でも
少なくとも俺の知っている夜桜の笑顔とは程遠い笑顔だった。
その薄い作り笑いを見た俺は確信した。
「佳央莉さん!」
「は、はい?」
「夜桜を元に戻してください!」
「え!?何言ってるの!バージョンアップって簡単じゃないのよ!
大体バージョンダウンなんて普通は問題があった時しか──」
佳央莉さんの一言で俺は少しヒートアップしてしまった。
「大問題でしょこれ!これのどこが夜桜なんですか!
佳央莉さんが造ったのに変になったと思わないんですか!」
俺の気迫に佳央莉さんも押されたようだ。
「そ、それはそうなんだけど……まだ新バージョンのデータも取れてないし……」
「こんな夜桜じゃ俺、一緒にミッション行けませんよ!これは俺の知ってる
夜桜じゃない!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい優斗くん」
「これで落ち着いてられるわけないじゃないですか!早く戻して!」
一気に捲し立てて、二日酔いの頭がぐるぐる回ってしまった俺は思わず
座り込んでしまった。
そして──
「あのね優斗くん。この前の真壁……原潜使ってたでしょ?あれって純国産なの。
真壁の技術じゃあんなもの造れっこないから、下手すればこれからはもっと
大きい相手と戦わないとならなくなるのよ」
「だから今の夜桜じゃ──」
ここで佳央莉さんは諭すように語りかけてきた。
「今の夜桜ね、実は少しだけ戦闘寄りにしたの。
これからどんな敵が出て来るか分からない。こっちも今まで通りで戦えるか
分からないでしょ?
だから、多少の犠牲があっても間違いなく、これからのためになるから
少し、今の夜桜と付き合っててくれないかな?」
俺は事情が分かり、少しだけ落ち着いた。
「そうだったんですか……
確かに佳央莉さんの言う通りなんでしょうね。
でも、俺はこの前の戦闘で夜桜に目いっぱい助けてもらいました。
それで確信したんです。
俺の背中を預けられるのは夜桜だけだと……」
理屈はわかっても、やっぱり納得は出来ない。
ここで俺は佳央莉さんにもう一肌脱いでもらうため、一旦深呼吸をした。
「だから!
今の夜桜じゃだめなんです!今の夜桜じゃ背中を預けられません!
早く戻してください!」
──佳央莉さんは観念したような顔で話し始めた。
「……もう、わかったわよ──戻せばいいんでしょ、戻せば……」
「お願いします!」
俺はすかさず立ち上がって、腰を90度に曲げて深々と一礼した。
「バージョンアップしたデータはこれから重要になってくるはずなんだけど……
まあ、優斗くんにそこまで言われたら、夜桜の″生みの親”としては本望ってとこ
かしらね」
佳央莉さんは苦笑していたが、まんざらでもなさそうな笑みだった。
「っていうか……私、今日完徹なんだけど。ちょっと寝かせてよね。
それからでいいでしょ?」
「わかりました。俺、ここで待ってます」
「はいはい。それじゃ、あと3時間後くらいでいいわね。」
佳央莉さんは仮眠ルームに消えていった。
夜桜は相変わらず置物のように固まっていた。もうこの時点で俺の知っている
夜桜じゃない。
俺は夜桜に向き直って語り掛けた。
「もうじき元に戻るからな。ちょっと待っててくれ」
夜桜は特に表情がなかったが首だけが回り、俺の呼びかけにルーティンで
返答するかのように答えた。
『よくわかりませんが……私は夜桜ですよ、優斗さん。』
相変わらず薄い笑みが自動で返された。
──それでも
やっぱりこのまま放っておくわけにはいかない。
俺はもう一度、夜桜のほうを見た。
夜桜と目が合ったが、夜桜からは俺を観察していただけで
──何の反応もなかった。
――完――
