サヨナラ東京 第七の季節。再び秋。酷寒の入口へ。

<目次>
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●最後の蝶。

朝夕の大気が肌に刺さるほどになり、高原地帯から急速に夏が遠のいていった。
お盆をはさんで前後約一か月、この森最大の喧騒期間がやっと終わった。

すると…。

いかにも高価そうな犬が森からいなくなった。
アクセルを場違いに踏み込む音がしなくなった。
バーベキューの臭いもしなくなった。
ハンモックという典型的な別荘道具も姿を消した。
真夏の間、入れ替わり立ち替わり、ここを山荘として利用しに来ていた第二世代、第三世代の人たちも、冷気に追われるように帰り、森は再び数軒の定住者だけになった。

すると…。

再び風の音が聞こえるようになった。
小鳥の声にも耳を傾けられるようになった。
雲の流れを見上げる気持も戻った。
とても長い異常事態だった。
その間は森が硬直したように感じられた。
弾力を失い、奥行きを失い、板のようになっていた森。
勝手な思いだが、森が痩せた、ぼくにはそう感じられた。

そして九月。
森はやっと元のふくよかな顔に戻ったかに見えたのだが…しかし。
その陰から、早くも酷寒の冷たい横顔が覗き始めたのだった。

九月になると。
洗濯物が外では乾ききらなくなる。
晴れていても、そんなに気温が上がらないからだ。
空の色が薄くなるに従って、葉の緑も薄くなる。
光の強さの支えなくして、あの緑は保てないのだということがよくわかる。

九月になると。
さまざまな小鳥たちが人間のまわりに戻ってくる。
ほんとうは高い山にはもう食べ物がなくなったからだとわかってはいても、気持としては、寒くなったので身を寄せ合うようにぼくのそばにやって来てくれたのだ、そういうふうについ思ってしまう。

九月になると。
残暑なんて、どこの国の話だろう。
雨の日には、もう一日中石油ストーブを焚いている。夜はコタツに足を突っ込む。
炎を見れば心も暖まりそうなものだが、背中を丸めてストーブにあたっていると、足元から寂しさがじわじわと上がってくる。
「寒さ」を集めると「寂しい」という言葉になるのじゃないだろうか。

九月になると。
夕暮れ。遠くの方で雨戸を閉める音が、森の木々を縫って聞こえてくる。
夏の間は閉められることのなかった雨戸。閉めないともう夜の寒さを防げない季節になったということだ。
斜めに傾いた日差しの中を走るその音は、ふつうに聞けば、特別な意味などない、ただの生活音だ。
しかし、困ったことにぼくには、「おまえとはこれまでだぞ」とシャットアウトされている、そういう音に感じられてならない。
春から夏の明るい陽ざしに紛れて忘れていたが、酷寒期の垂直に断ち落とされたようなあの孤独感、それがじつはまだ癒えていなかったということなのか…。
やれやれ。

植物も張りを失い、とうとう頭を垂れ始めた。
もう水を吸い上げる力が弱くなったのだろう。
電燈をつけても網戸に虫が来なくなった。
きょう、垂れた稲穂に似た白い花を咲かせるサラシナショウマに、茶色地に黒いドットのある蝶を見た。おそらくあれがこの森を飛ぶ最後の蝶ではあるまいか。
サラシナショウマが散れば、この森にもう花はない。

忍耐という言葉が甦る、九月になると。

●シラハゲ山の冒険。

ぼくの毎日なんてどうなろうが、もはやこの世の誰にも関係ないとはいうものの、酷寒の気配に恐れおののいてばかりではあまりに情けない。
(せっかくだから、秋には秋の楽しみを見つけなくては)
と気持を無理やり捻じ曲げ、押し拡げ、生まれて初めて果実酒をつくることにした。
さっそくKさんを訪ね、このあたりでは何の実が果実酒に使えるか、それはどこらへんで採集できるか、勝手に採ってもかまわないのか、などと訊いてみた。
Kさんのご主人はそれらに丁寧に答えてくれたあと、
「それはそれとしましてね。いま言ったアサマブドウですが、ちょうどあした何人かで摘みに行く段取りになってるんですよ。よかったら、ごいっしょにいかがですか」
とのお誘いを受けた。
Kさんは最古参の定住者だ。だから人脈も広い。幸運にもそのネットワークの端っこに加えてもらって、浅間山に連なる高山に登ることになった。

十月初旬。空に一片の雲もない日だった。
ぼくを含めて総勢七名。各自、弁当を持参し、目指す山の麓まではペンションをやっている人の送迎用の大きな車で行った。今後のために行き方を覚えようとするが、あまりに何度も曲がるので途中であきらめた。
登山口に着いて登り始めても、道らしい道があるわけではなかった。頼りは木の枝にところどころ結びつけてある赤い布きれ。単独行で濃い霧にまかれたりすれば遭難必至と思われる。だが、それがいかにも秘宝探しに行くみたいで小鼻がふくらんでくる。
シャクナゲの群生地を過ぎ、樹木が低木に変わって一時間足らず。
「お疲れさまでした。やっと目的地に到着しました」先頭のペンションのオーナーが皆をふり返る。「このあたりで標高一八〇〇から一九〇〇です」
そこはオレンジ色と黄色に色づいた低木が見渡すかぎり続いている緩斜面だった。まさに秋のお花畑だ。
しばらくは言葉を忘れ、ひたすら深い息をくり返した。

「アサマブドウといってもブドウではないですよ」
と昨日Kさんに言われ、答はきょうのお楽しみということになっていたのだが、その正体は紅葉した樹高数十センチの潅木の実だと判明した。
大きさは大豆ぐらいで黒紫色。ヤマブドウに似ていることからつけられた通称だろう。葉は丸くて約一センチ。
全員、さっそく斜面に散らばって摘み始めた。Kさん夫妻とぼくはビニール袋だが、ほかの人は取っ手つきの特大ペット・ボトルに入れていく。その方がつぶれにくいのだそうだ。
摘んでいると、わずか三〇メートルほどのところをホシガラスという高山でハイマツの実を食べる鳥が、繁みを出たり入ったりしていた。
黒地に白いまだらのある鳩ぐらいの鳥。その鳥をテレビで観たとき、あんな高山にはぼくは行くまい、すなわちあの鳥を肉眼で見ることなどないだろうと思っていた。が、その鳥がいま目の前にいる。それだけで、きょうはデカシタ気分になる。

弁当を食べ、またひとしきり摘んで、それから皆さんがお茶休憩をしている間、まだ頂上に立ったことのないぼくだけ頂上を目指すことにした。
(山のむこうにはどんな世界が広がっているのやら…)
人を山に誘うのは、この好奇心なのだと実感する。
最後の急斜面はほとんど四つん這いになって、突っ立っているようにして登る。そしてなんとか登りきると…ついに見えた、あちらの世界が!
四角い建物がほとんどない昔ながらの家並み。畑、田んぼ、果樹園、林などが入り混ざったのんびりとした田園風景。その中を川が鉛色に光って蛇行していた。天国が見えたわけではなかったが、まだ生きているのだから仕方ない。

下りは同じ道ではおもしろくないので、もしかしたら入山禁止エリアかもしれない、と迷いながらも、隣の浅間山に通ずる礫岩の斜面を下った。そしてやっとその地帯を抜けた時のこと、目の前に突然、真っ白な砂の斜面が広がった。
それは侵しがたいほどの白さだった。こんな山の上にこれほどまでに白い砂がなぜ? 
足跡などもちろんない。それがはるか下、皆さんの待つ潅木地帯近くまで続いている。
(もしかしたら、有史以来、誰もここを歩いてないんじゃないのか)
そう思ったとたんドキンとし、まるで龍安寺の石庭を踏み荒らす不届き者になったかのように心が痛んだ。痛みをごまかすためには、夢中で駆け下りるしかなかった。

帰ってから調べたら、頂上から覗いたあの世は佐久平で、町は佐久や小諸らしいとわかった。川は千曲川。
ついでに山の名前も調べた。
正式名は鋸岳。別名シラハゲ山とも呼ぶらしい。そう言えば、頂上付近は砂地で何も生えていなかった。
(気の毒になあ。ハゲだなんて…)
ハゲ同士、にわかに親近感が湧いた。
後日、何度もその山を仰ぎ見た。標高二二五〇メートル。わが人生の最高到達地点だ。
神さまには無縁な人間だが、胸の前で自然に手が合わさった。

焼酎に漬けたアサマブドウ酒は、けっきょく五本も作ることができた。
重い赤ワインのように、どっしりとした赤紫色になった。それらを南向きの窓辺に並べ、そこに陽が透けるのを眺めていると、なんだかひとりでにニンマリしてくる。
ホシガラスに佐久平、シラハゲ山に白い砂。
そしてこの赤紫色のアサマブドウ酒のなかを透き通る、芯の冷えた秋の日差し。
(もしかして、これ、足ることを知る暮らし?)
ぼくは隣に座っているにちがいない妻につぶやいた。
「幸せってのは、何も特別なことじゃなかったんだなあ」

●紙風船。

子どものころ、
「青に黄色を混ぜると緑色ができますよ」
と図画の時間に教わった。
その理屈でいけば、夏が過ぎ、空から青がだんだん脱けていくので、葉っぱの緑は黄が勝ってくる。なぜ秋になると黄葉するかはそれで説明がつく。しかし、残念だが紅葉の方は説明がつかない。
新説を打ち立てるつもりだったが、やめた。

ことしは冬が急ぎ足だと地元の皆さんが口を揃える。
そう言えば、紅葉、黄葉のピークが十月半ば前にやって来た。一週間は早いのだそうだ。
けさは深山の鳥、カッコーを森の縁で見かけた。カッコーが里へ移動中ということは、刻々と冬が近づいている証拠ではなかろうか。
これでリスが庭先にまで現れるようになったら、秋は最終コーナーにさしかかったと思ってよいのだろう。

そんなある日。
晩秋の里山はどんなものかと、開拓村の風情が残っていると聞いていた集落まで遠出をしてみた。
落ち葉の香ばしい香りのする森の一本道を抜け、自転車でゆっくり走って一時間ほど。コナラの林を過ぎたところに突然ポッカリと口をあけたように段々畑が広がっていた。
そこには、しかし、すでに何もなかった。まるで誰かが引っ越した後の家を覗いたようだった。景色全体に音がしていない。視線がどこにも引っかからない。
ガランとした気持のまま、ぼくは遠くに見える唯一の人影の方に自転車を押していった。
その人影は、昔の農村ではよく見かけた腰がくの字に曲がった老女だった。長年の激しい肉体労働の結果だろう。おそらくまだ人力だけで山林を拓くしかなかった開拓第一世代の人ではないだろうか。
その人は何かをしきりに拾っていた。さらに近づくと栗を拾っているのだとわかった。
そういえば昨夜は大風が吹いた。そこには大きな栗の木があり、風の翌日にその下に行けば実が拾える。そのことは集落の誰もが知っているのだろう。この人もおそらく何十年と同じことをくり返してきたのではないだろうか。ぼくはそっと会釈をし、そして何十メートルか行き過ぎてから足を止めた。
日本むかし話に出てくるようなその風景。
一分、二分…三分はたっただろうか。
西の山影が早くも集落の一部を覆い始め、栗拾いの老女に誘われたぼくの意識は、幼児期に過ごした広島の里山にいつしか漂い出ていた。

ぼくの生家もこんな山裾にあった。
晩秋になれば道のあちこちにドングリが落ちていて、ひと足ごとに靴の下でプチプチ割れたものだ。
子どものころに聞いたその音。
それがいま聞く音のように耳の中で弾けた。
そして。
気がついたらぼくは足元に声を落としていた。
「帰らなきゃ…」と。

家に、ではないと自分でもわかっている。
じゃあ、どこに?
時として、たとえばきょうのような黄昏時、自分を急かす自分が不意に現れて、
「そろそろ帰る頃合いじゃないのか、おまえさん」
そう囁くのだった。

自分という紙風船から少しずつ空気が脱けていく。
その様子を見下ろしているもう一人の自分が最晩年にはいる。
それはたしかな現実だ。

●植物を敬って。

とうとう十一月。引っ越して来てなんとか一年たった。
季節の移ろいに必死でついていったような一年だった。
底知れぬ自然の営みに鼻づらを引きずり回されたとでも言おうか。
東京では大地がコンクリートで覆われ、動植物も多くが人間の管理下に置かれて、牙を抜かれたように本来の営みが影をひそめている。
だが、ここではもちろん違う。
たとえば植物。
彼らは一見物静かだが、ぼく程度の観察者の目に見えた部分だけでも、その営みにはさまざまな生き残りの戦い、知恵を尽くしたドラマがあった。
その中から草の実、木の実の観察で感じたことをほんの少々。

まず、草の実で真っ先に熟すルイヨウボタンから。
ルイヨウボタンは「類葉牡丹」と書く。
牡丹と言われると、誰しもあの豪華な花を思い浮かべられるだろう。が、ルイヨウボタンは五ミリにも満たない薄緑色した小さな花だ。
早春、他の樹下植物に先駆けて芽を出し、葉を広げ、群生して太陽を独占しようとする。
ルイヨウボタンが最も怖れる敵は、ここではクマザサだ。
引っ越して来たての昨秋、クマザサが生活領域に大幅に侵していたので後退してもらったのだが、するとこの春、その空いたスペースにルイヨウボタンがいっせいに芽を出した。
クマザサが天下を取っている間、じっと暗い地の下で空があく日を待っていたのだろう。光を感じ取ったタネあるいは根が、土中であげた歓喜の叫び声を想像すると、感嘆するよりむしろ恐ろしさを感じる。
動物のように血こそ流さないが、植物の生存競争の激烈さを眼前で見せられた思いだった。
背丈は三〇センチほど。花が終わると綿棒の頭ぐらいの白い実がなり、それはやがて薄紫から濃い紫色に変じ、競合植物より早く小鳥の食糧になることで、新しい大地にタネを落としてもらえる確率を高める、そういう作戦ではないかと想像する。

次は、朴葉寿司とか朴葉味噌でおなじみのホウノキ。
その花の変容ぶりにも驚かされた。
二〇メートル近い高い枝に、春、白に近いクリーム色の大きな花を咲かす。モクレンの仲間だから、花の姿はそれを想っていただければ正解。香りも甘く、やさしい。
そんな清らかな印象の花が、しかし、秋にはなんとまあ紅色したイガイガの手榴弾のような実を結ぶ。
それがやがて落ちる時、森閑とした森でバサッ、バサッと大げさに落ち葉を鳴らすので、初めて聞いたときにはクマが来たのかとドキッとして振り向いた。
ほかの小鳥は見かけないが、キツツキの仲間は中の赤紫色したタネがお気に入りらしく、好んで飛んで来る。
どんなタネなのか、ぼくも試しに取り出して観察しようとしたら、根っこが白い糸を引いて、なかなか鞘から離れたがらない。
この期に及んでその未練には何の意味があるのかよくわからないが、これはもしかしたら、くちばしの力がとび抜けて強いキツツキだけにタネを運ばせようとする作戦なのかもしれないと想像した。
もしそれが当たりだとすれば、キツツキが好む森とホウノキの繁殖適地が合致しているということになるのだろうが、責任は持てない。

さて、おなじみのドングリ。
ドングリは、イスラム寺院の屋根のようなのがクヌギ、トンガリ帽子がコナラ、丸っこいのがカシの実だと図鑑で知った。
このあたりにはドングリのなる木が非常に多い。強欲なリスたちでさえ食べきれないとみえ、夏になってもまだ去年のドングリが転がっていたりする。ドングリ銀座なのだ、いわば、ここは。
これだけの大量のドングリ。無駄な営みに見えるけれど、じつはそうでもないのだろう。なぜなら、大量に実ればリスや鳥、キツネたちだって食べきれず、土中に隠したまま忘れ去る確率が高くなるから。その結果、方々から芽を出せるのだ。
植物学者でもないのに気恥ずかしいが、大量生産による生き残り作戦では、ドングリ系植物の右に出るものはないのではあるまいか。

最後。
霜枯れの大地をいちばん遅く彩るのが、ユキザサのルビーのような赤い実だ。
それは、初雪がサーッと降って地面を薄く覆ったモノクロームの世界で、生命の瞬きのごとく明滅している。
その時、野にも山にもすでに実はほとんどない。だから、いやでも目立つ存在。この作戦はルイヨウボタンの真逆だ。
他の競合植物の実が地上からなくなった時に熟すことで、一粒残らず小鳥に新しい繁殖地へと運んでもらおうという貴重な最後の一皿作戦。
背丈は一〇センチぐらい。春、うつむいて咲く小さな白い花をつけたとき、思わず鈴のように振ってみたくなった。
チリリン、リン…。
心が澄んでいれば、もしかしたら聞こえたのかもしれないが。

春から夏。
夏から秋。
そして冬へ。
植物の無言のくり返し。
けっして無言ではないのかもしれないが、それはさておき。
来る年も来る年もくり返される、芽吹きから枯れるまでの命の営み。
一見すれば静かなものである。
しかし、よく見れば植物それぞれの凄まじいまでの闘争心。忍耐強さ。そして知恵。
植物にも人間の脳にあたるものがあり、人間など及びもつかない優れた能力を証明してみせた論文が数々ある。
たとえば、植物の記憶力や判断力、喜怒哀楽、コミュニケーションの取り方について実証した研究。あるいは目、耳、鼻など五感に関する研究などなど。
それらへの興味は人それぞれだからさておくとしても…。
食糧はもとより資材、医薬品原料、温暖化防止、治山治水、大気浄化、環境保全などなど、植物のおかげで人類の今日があるのは明らかなことだ。
人類だけではない。植物が死滅すれば、鳥獣も昆虫も爬虫類も、みんな生きてはいられない。一つながりの生命の環なのである。
森暮らしを始めて一年にも満たないのに偉そうには言えないのだけれど、ぼくがいまそんな植物に対してできることは、謙虚であること、つまり人間がナンバー・ワンではないとわかって接すること。
もっと言うなら。
少なくとも植物を人間同然に敬うこと。
せいぜいそれぐらいではないかという気持も、この森に来てから芽生えたものだ。

●雲の下心。

森の小道を行くぼくは、すでにセーターの上から厚手のウールのシャツを重ね着している。首を縮めずにはいられない。風が吹いているわけではないのに、片隅に吹き寄せられるようにして歩いて行く。
ぼくという存在自体が冷やされるほどの寒さ。
空を見上げると、のっぺりとした灰色の雲が無表情に空全体を覆っている、深い沈黙。
あまりにも静かで不気味でさえある雲。
その時、
(あ、雪…?)
視線を上げる。
(初雪?) 
むこうから、ちょうどKさん夫妻が来られた。
挨拶を交わすその顔の前に、またしてもフワフワと白いもの。
反射的に手のひらでつかむ。
「あっ、それ…」と奥さん。
「え?」
「それ、ユキムシっていうんです」
手のひらを開く。白い綿毛のからだに透き通った薄紫色の羽の三ミリほどの羽虫。
「雪の使者って言われてるんですよ」
これが飛ぶと、浅間山がもうすぐ雪になるのだとか。
ユキムシは手のひらを開いても、なぜか飛び立とうとしなかった。
「自分の力じゃ飛べないんですよ」とご主人。「ただ気流に乗って移動するだけで」
「道理で」ぼくはあらためて、じっとしたままのユキムシを見た。「厳しい生きものたちの生存競争の中で、それでも生きていけるなんて不思議な気がします」
ユキムシは弱い草食動物や小魚のように、群れることで身を守ろうとするわけでもない。
ぼくは手のひらのユキムシにそっと息を吹きかけ、空へと放った。ユキムシはちょうど吹いた風に乗って、数メートル先まで舞い上がった。その時、「黙した空の下、淡いユキムシが漂う」という言葉が浮かんだが、声にすることは差し控えた。

時おり落ち葉が木立ちのむこうへ渦を巻いて走って行く。
もう森には紅色も黄色もない。
すっかり落葉した木々が、裸の枝を空に向かって広げている。その腕に早く雪を迎えたがっているかのように。
ユキムシはパウダー・スノーが上へ下へ、右へ左へ、降るでもなく降らぬでもなく、ただ漂い続けていたのと同じように漂っている。
よく見れば、その先にも一匹、さらにもう一匹。
生きもの一般の持つ闘争心とは遠く隔たったその在りよう。
欲もなく、ただ在るがままで十分だと言っているようなその一生。もしかしたらユキムシは、究極の幸せを体現している生きものなのではあるまいか。
ぼくは誰にともなくつぶやいた。
「彼らはけっきょくどこに行くんでしょうね」
「そうですねえ。あの雪雲まで昇って行くんじゃありませんか」とご主人。
ひと群れの強い風が吹き、ユキムシたちは老人たちの衰えた視力の外に消えて行った。
ぼくは、「きっとこれから雪の精になるのだろうなあ」と思ったが、気恥ずかしくて、もちろん今度も言葉にはしなかった。
かわりに言った。
「あの灰色の雲、さっきから、あの裏側で誰かが何かやってそうな気がするんですけど」
老人たちは冬空を見上げ、それぞれにうなずいた。
やがてKさんの奥さんがその思いを口にした。
「きっとコビトたちが大勢で、せっせと雪を作ってるのよね」
そう、わかっているのだ、みんな。
冬を迎える雲の下心が。

●天国を見た日。

葉を落とした木々のむこうに広がる空も青をほとんど失って、とうとう秋も終わる時を迎えた。
ぼくはこの一年、何をしてきたのだろう。
「お迎えが来るまでの時間つぶし」
とは、老人を揶揄してよく言われる言葉だ。ぼくも間違いなくそう見られていることだろう。
かつて、ぼくは退職後にそういう仲間に入れられないよう、この社会での新しい存在価値をつくるんだと、ボランティア活動に励んだ。
だが、いまでは誰かにとっての有用性や生産性の有無で、人生を云々しようとはまったく思わなくなった。
幸せとは、人の世で何かを成し遂げることでのみ得られるものではない。
そのことがこの森暮らしによって、よくわかってきたからだ。

めったに人と顔を合わせない森暮らしだが、このところKさん夫妻とはたて続けに二度も出会った。
出会ったとたん、奥さんが叫ぶように言われた。
「きょう、天国を見たんですよ!」
それは幸せに満ちた声だった。
雨上がりの早朝、Kさん夫妻は犬の散歩に出ていて、朝日に輝く大樹を見上げたのだそうだ。すると、水滴を溜めた梢が天国を想わせるように輝いていたと。
それを言うKさんの目元には少女のような輝きが宿っていた。

それから数日後。同じような雨上がりの朝を迎えた。
ぼくはKさんの幸福感に満ちた表情が忘れられなかった。さっそくぼくも天国を探しに森に入ってみた。
落葉した梢を見上げながら、ゆっくり、ゆっくり、数分。
そして樹高一五メートルほどのカスミザクラの細やかな枝先に目を転じたときのことだった。
「あった!」
最初に目に飛び込んできたのは、ルビーを撒いたような瞬き。
ちょっと立つ位置を変えると、こんどはサファイアの輝きが混じる。
「ああ、このことだ、これが天国なんだ!」
少々オーバーな声をあげながら、あっちから、こっちから梢を見上げた。
色彩と色彩が輪舞するように連なって、ちょっとした風で次々と色を変ずる陽光のイルミネーション。細い枝先の水滴がレンズと化してさまざまに光を放射し、聞こえるはずのない光の音楽が胸を満たしていくような…。
多幸感とは、こういうことを言うのだろうか。
都市文明に染まっていたころのぼくが、もしいまこの木の下に立ったとしても、こんな輝きは目に入らなかったにちがいない。
ぼくはKさんの言われた天国をしっかりと胸の内に抱けるまで佇み続け、そして息を詰めるようにカスミザクラの下を離れた。

その日の夜。
「今夜は北関東の山沿いで、木枯らし一号が吹くでしょう」
と気象予報士が告げた。
ということは?
けさ仰ぎ見たカスミザクラが、この秋最後の森のきらめきだったということになる。
ぼくは去り行く秋を想いながら、隣に座っているにちがいない妻に心の内で語りかけた。
「あのきらめきがこの森にとってのラスト・ノートだったんだね」
妻は黙って森に目を向けていたが、しばらくしてから応えた。
「ところで、あなたのラスト・ノートはどうなったのかしら?」
「…ああ…それは…」

いろいろなラスト・ノートが心を過る。
郵便局の娘さん。
溶岩お婆さん。
昔農村とその売店のお二人。
スーパー・アヅマのご主人。
そしてKさんなどなど。
この人たちから感じとして伝わってくるのは、誰かと競うこともなく、力むこともなく、ただきょう在るだけで十分に満ち足りておられる、そういうことだ。
その穏やかさ、くったくのなさ。
この森に入るまで実利社会の尻尾をくっつけていたぼくは、そのことに盲目になっていたように思う。
握りしめてきた拳は、もう開くべきなのだ。
現役時代はとくにこの世の評価を求め、何かを成し遂げようともがいていた。それはそれで否定する必要はないことだと思うけれど、必ずしもそうしなくても幸せな時間は持てるものなのだということが、東京という価値観を離れてみて、実感としてわかってきた。
それがこの身から立ち昇ったラスト・ノートと言えばラスト・ノートなのだった。

早くも二度目の冬が来ようとしている。
こうしているうちにも死期は確実に近づいている。
肉体の死を思えば、ぼくにとっての時間は有限なものだ。
が、人生のゴールが視野に入ったこの年齢で、森の動植物のごく日常的に起こる生死をそばで感じてみると、このぼくという人間の肉体の死なんてものも大した問題ではないのじゃないか。人間は死というものを大げさに捉えすぎているのじゃないだろうか。そういう思いが芽生えて来たのもたしかなことだ。
ぼくはほほ笑んで妻に語りかけた。
「なんだかね、この命が、生命ってのがね、東京にいた時よりずっとずっと軽やかになったというか…だから死んだってまだこの時が軽やかに続いて行くような…そんな感じになることがあるんだけどね…どうなんだろう」
妻は肯定するでも否定するでもなくほほ笑んでぼくの目の奥を眼差していたが、やがて自らの微笑の中へと滲むように消えていった。

午後一〇時。
寝る前に玄関の寒暖計を見ると零下五度だった。
森はこれから八か月間、残酷な寒冷期に入る。
やがて迎える春は、ぼくにとってこの世なのか、あの世なのか…。
しかし、それはもう、どちらであれ同じことのようにいまでは思える。

サヨナラ東京。
さようなら、遥かなる襤褸(らんる)の都。