牙を授かりし者たちの詩:イワンの亡霊編 第10章

【第10章】相棒

モスクワ――16時

モスクワの冬は、まだ始まったばかりだ。
だがこの部屋には、すでに雪の匂いがあった。
すべてを覆い、すべてを消す――

「惜しい男を亡くしたな」

新潟港でのセルゲイの会話を傍聴していた幹部らしき男が
2名、革張りのソファに深く座っている

「あの男はなかなかいい働きをしてくれてたんだが……
また人員補充だな」

一瞬、沈黙が落ちる。
遠くで、時計の秒針が刻む音だけが響いた。

「しかし……セルゲイにあんなもの渡してよかったのか?」

「出目の心配をしてるのか?中東から持ってきたやつを用意させたよ。
それも適当に部材を混ぜて、正確な出目は分からなくさせてある」

「それは……本当に使えるのか?」

「セルゲイをあの身体にしてやった、この私の仕事に問題があると?」

「研究室に引き籠ってばかりで勘が鈍ってないか……
心配してやっただけだ」

「貴官……まだアフガンの砂漠の砂が脳に溜まってるのか?
それともスピリタスの飲りすぎか?まだ4時だぞ。
歴戦の勇者とはいえ、座って酒飲んでるだけで金がもらえるなんて
羨ましい限りだな」

「フンッ……まあ、あの国を適当に引っかき回せれば、あの人間もどきも
お役ごめんだ」

「後始末はどうするんだ?」

「向こうには、こちらの飼い犬にはならない者もまだ多い。
そんなやつらに噛みつかれた後では遅いが――
自国の事より自分の老後を心配している間抜け連中も、あの国には信じられん
ほどいるからな。
それに、何名あの国に同志が潜り込んでいると思っているんだ。心配無用だ。」

そういうと、男はスピリタスが半分ほど残っているグラスをゆっくりと空にする。

「まあ……どちらにしても脳の寿命が来れば機能停止だからな、セルゲイは」

もう一人の男が呟くように吐き捨てた。
そして空になったグラスを置き、もう一人が苦々しい顔で吐き捨てる。

「それ以前に……我らの国に忠節を誓えぬガラクタなぞ、存在するに値せんよ」

――

東京へ戻る関越道の帰路、トンネルの景色に飽き飽きしてきた優斗は
運転を夜桜のオートドライブに任せ、ひと時の仮眠を貪っていた。
そんな優斗の寝顔を眺めながら、夜桜はほんの少しの幸せを感じていた。

『色々あったけど、ちゃんと戻ってきてくれてよかった……』

――


……
………

吹雪が――
全てを白で覆いつくしている。

優斗は再び、あの日の吹雪の中にいた。
全てが白に覆いつくされている中、握りしめた銃を喉元へ向けながら
倒れているドミトローの周りの雪だけが、赤く染まっていた。

「なぜだ……なぜなんだドミトロー!」

雪の中に埋もれているセルゲイは、まだ温かさが残っているドミトローの
身体を抱きしめながら絶叫していたが、その声も吹雪に搔き消されていく。

優斗はその光景を、ただ黙って見つめるしかなかった。
マイナスの気温は、今の優斗に寒さを感じさせることができない。

やがて――

ドミトローの亡骸を丁寧に雪の上に置き、セルゲイは優斗の方へと
振り返った。
その眼には涙に濡れながらも業火のように激しく、優斗への怒りの炎が
燃えさかる。

「神代……どうして……どうしてお前は……」

「……すまない。俺の判断ミスだ……」

「すまない……だと……?
すまないで……
これがすまないで済むことなのか!!」

この時、吹雪が二人の間を隔絶するかのように一層強くなった。

優斗は両手の拳を握りしめ、
唇を噛み――

俯いた顔を、上げられなかった。

「お前だ……
お前が……
お前がドミトローを殺したんだ!!」

「俺は……俺は……」

優斗は何をどう言えばいいのか、頭が真っ白になっていた。

「許さん……許さんぞ神代……
俺はお前を絶対許さんっ!!」

「待ってくれセルゲイ!」

優斗はシートベルトに抑えつけられながらも跳ね起きた。
額には汗が浮かび、呼吸も荒くなっている。

『優斗さん!大丈夫ですか!』

先程から呼びかけている夜桜の声が聞こえた。

『優斗さんしっかりして下さい……すごくうなされてましたよ』

優斗は、またあの日の夢を見ていた事に気付いた。

「ああ……何でもないよ。大丈夫だ」

『ちょっと車停めます。つぎのSAで休憩しましょう』

――

上里SAに停車したあと、夜桜はブラックコーヒーと天然水を買って
戻ってきた。

『優斗さん……少しは落ち着けましたか?』

コーヒーを優斗に渡しながら心配そうに尋ねる。
そんな夜桜を見て、優斗は軽口を叩こうとした。

「俺はいつも落ち着いてるだろ(笑)
なんでそんなに――」

『私、見ちゃったんです……』

夜桜のその一言で、優斗ははっとした。

「……見えたのか?」

『優斗さん全然悪くないじゃないですか!
あの人が勝手に……
勝手に逆恨みしてるだけじゃないですか!』

優斗はコーヒーに一口、口を付けたあと、あえて意地の悪い返答をした。

「こらこら、いくら同期してるからって人の夢を覗くなんて
いい趣味じゃないなぁ(笑)」

『ごまかさないでください!』

夜桜の声が車内に響く。

『どうして……
どうして優斗さん、あの人の思い込みを解こうとしないんですか?
あの人はもう……人間じゃない……
殺されちゃうかもしれないんですよ!?
なのにどうして……』

少しだけ困った顔をしながら、優斗はさらにコーヒーを一口飲んだ後
正直に思っていることを告げた。
ここで誤魔化しても、もうムダだと思った。

「んー……
もうセルゲイには言葉は通じないと思う。軍人ってそんな感じだろ。
あいつ、結構頭固くてさ(笑)」

『笑いごとじゃないですよ……
なんで優斗さんがあの人を止めないとならないんですか!
対策を練って、ちゃんと応援を呼んで――』

「そんなことしたら――
怪我人が出るだけじゃ済まないだろ?」

優斗は相変わらずおどけたように答える。

『そ……それはそうかもですけど……』

「それにね。
あいつを止められるのは、俺だけかなって思ってるんだよ」

優斗は窓の外を眺めながら呟く。
外には東京行であろうトレーラーが何台も止まっていた。
ドライバーは休憩中だったり、仮眠を取ったりしているだろう。

「だからさ」

優斗は夜桜の方へ向き直った。

「手伝ってくれるだろ?夜桜。俺の相棒なんだから」

『も、もちろんです!私が優斗さんを守ります!』

少しにやけた顔を見せないように、俯きながら答える。
急に寄り添ってくれるような優斗の発言を聞き、夜桜は慌ててしまった。
同時に、嬉しさが込み上げてきたことを感じていた。

(優斗さんの選んだ道がどれほど険しくても、私は絶対離れない――)

優斗は、ちょうどいい温度になったコーヒーを一気に飲み干した。

「よし、頼むよ。4課に戻って、改めて”戦闘”準備だ」

『佳央莉さんにも、戻るって連絡済みです!』

「さすが相棒(笑)さあ行こう!」

第10章 完