不戦の王 5 安倍一族

<目次>
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「各々、柵の密道の造作は進んでおろうな」
口を開いたのは安倍貞任(さだとう)。
柵とは、栗、樫などの堅い木柱で外郭を築いた古代の城塞と思ってもらえばよい。
貞任は、その居城厨川の柵の名を取って厨川次郎貞任と言われている。二十九歳。この年初、父、安倍頼時が暗殺の毒矢に斃れて家督を継ぎ、安倍一族を束ねる任にあたっている。
他の蝦夷からは、畏敬の念を込めて「奥州の王」とも呼ばれている盟主である。

最初に断っておけば。
盟主とはいっても、安倍貞任に君臨しているといった意識はない。なぜなら、安倍一族を始めとする蝦夷には、元来「人を人に仕えさせる」という考え方がないからだ。
すべての者は等しく尊い、というが蝦夷に流れている思想の血脈。したがって、盟主すなわち最高位の者ではなく、倭人社会の位階に相当するものは、単に「分担した役割の名称」にすぎないのだった。
ところが。
蝦夷の居住地域に倭人朝廷の触手が伸びてからというもの、獲得した富や権力、名誉によって人々の優劣、幸不幸が決まるという価値観が入り込んでしまった。
力こそすべて。競争と対立をエネルギー源とする現代ではおなじみの発展原理。
そういう価値観に染まった蝦夷は、これまで平等に恵みを分かち合っていた同胞を競争相手と見なすようになり、各種族の連邦国家的な紐帯にもほころびが生じ始めていたのだった。
そういった情勢下。
依然として倭人の価値観に染まらず、蝦夷固有の智見を堅持する安倍一族は、稀有な存在と言ってもよいだろう。

「見張りの楼閣、女人楼、離れ館、すべて地下の密道で結びました。六郎重任(しげとう)の北浦の柵、七郎家任(いえとう)の磐井(いわい)の柵も同様に工作した模様にござりまする。さらに八郎の白鳥(しろとり)、九郎の二戸(にのへ)の柵もできるかぎりの造作を果たし、逃げ道を確保いたしております」
宗任(むねとう)が品のある細面を上げ、てきぱきと応えた。宗任は鳥海(とのみ)の柵主、三郎宗任。二十七歳。
「わしもな、やることはやったぞい」ずぼっとしたもの言いで正任(まさとう)も応じた。「じゃがな、何故にそうまでする。安倍はいつから腰抜けになった。これではほかの蝦夷の物笑いじゃ」
正任とは、黒沢尻の柵を預かる五郎正任。五男に扱われているが、じつは貞任と同じ二十九歳。貞任、宗任とは異母である。
だが、もちろん、母が違うからといって分け隔てをするような安倍一族ではなかった。ただ、父頼時は正任の剛なだけの直情的な気質を危ぶみ、一族の政治的な発言の場から遠ざけるため、わざわざ五男と位置づけたのだった。
安倍頼時は十二人の子をもうけたが、正室小真姫(こまき)の前との子は、三男までと娘二人の五人だけ。他の七人の男児は、各地の要衝を預かる安倍系豪族と血の絆を強くするためにもうけた、いわゆる庶腹の子だった。

三人は広大な厨川柵に集まっていた。
厨川柵は北上川と雫石(しずくいし)川の合流点の北に位置する。片側は高さ10メートルもの壁のような岸に守られ、川と反対側は刀を逆さに林立させた濠を廻らせ、難攻不落の城柵と言われている。
そこに安倍一族の主だった柵主、五男以上が寄っての対源氏作戦会議だった。
ただ、次男、三男、五男はいるが、嫡男と四男がいない。
嫡男、衣川(ころもがわ)太郎良宗は、じつは三十二年前に盲で産まれた。頼時は、盲であるがゆえに良宗を寵愛したが、そのかいなく、貞任の産まれた年に風邪がもとで不帰の客となった。まだ三歳だった。
そういうことになっている。良宗は死んだ、と。
また、四男鶴脛(つるはぎ)四郎照任は、勇武ともに優れていたにもかかわらず病魔との闘いに翻弄され、頼時が死んだ今年、父の菩提を弔うためにと一線を退き、僧籍に入った。いまは官照と称している。
「八身の陰陽師は、まだご到着になられませぬか」
三男宗任が、正任の悪態を無視して、兄に訊いた。
「なんの。すでにおられる、隣の間に」貞任が答えた。
「なぜ座を同じゅうなさいませぬ。ご遠慮には及びませぬに」
「八身のお方には、声だけで我らの軍略を聞いていただく。顔を合わせぬ方が話の神髄がようわかると仰せられた」
「ほう。心耳(しんじ)、ということでありましょうか。なるほど。さすがは陰陽師」
「へっ。神事じゃと? たわけもの、神と陰陽師をいっしょにするのか。陰陽師が何ほどのもんじゃ。なにゆえよそ者を頼りにする。大切な軍略じゃ。早々に退きとってもらえっ」
正任は心耳と神事を取り違え、年に似合わない幼さをあからさまにして口角をひん曲げた。およそ兄であり一族のまとめ役である者に対する口のきき方ではない。正任は父から五男にされた事実を未だに呑み込めないでいるのだった。
貞任はあくまでも穏やかに言った。
「八身のお方には、毛無の衆への渡りをすでにつけていただいた。京に上り、関白藤原頼通殿の腹のうちも探ってもろうてある。身内も同然。無用な心配はいらぬ」
フン。声にこそ出さなかったが、正任はおもしろくなさそうに横を向いた。が、貞任は、京にもこれほどの美男はおるまいと噂されるほど豊かな白い頬に、遠見の桜のようなおっとりとした微笑を浮かべ、正任の不躾な態度を気にする様子もなかった。

貞任と正任。
同い年ながら、そして同じ父を持ちながら、母が違うだけでこうまで人柄が異なるものかと一族を驚かせるほど、言動が正反対だった。
貞任は、「腕だけでは世は渡れぬぞ。これからは身魂ともに磨くことじゃ」という父の言に素直に従って、武も磨いたが歌も詠み、管絃もするという稀有な武人に育っていた。
これが、京から見れば僻地も僻地、文化果つる所を通り越して、さらに何百里も山野をかき分けた「陸の奥の国」においてのことなのだから、充分にびっくりしてよい。
京の武官貴族の間でも、やっと、
「武士たるもの、忠義や勇気も大切だが、貴族どもと対等にわたり合うため、教養や礼儀作法とやらも身につけるべし」
さもなくば、いつまでも二本脚の番犬の地位に甘んずることになるぞ。ようやくそんな自覚が芽生えたばかりの頃だった。言ってみれば、後の武士道の土台になるものを意識し始めた頃のことである。安倍頼時の先見性は、その意味で大したものだった。
もしかしたら安倍族には、氷河期後に南下したコーカソイドの文明因子がそのDNAに受け継がれている、そういうことかもしれなかった。
一方、五郎正任はどうだったか、というと。
正任は父の教えにまったく従わなかった。従おうとはしたのだが、その素養がなかった、いや、特性は別にあったと言うべきか。
正任の正体を知るには、黒沢尻の居館の門口を見ればよいと言われている。そこには、薙刀に刺された生首がつねに飾られていた。あるときは夜盗の首、あるときは死んだ馬の首、あるいは熊の首、猪の首、猿の首。そのせいか、正任の館には物乞いも近づかない。腕試しに斬られてしまうからだった。
「生首飾り」で武を誇示する話は後世の説話絵巻にも出てくるが、正任の柵では飯炊きをする女まで血刀をぶら下げて歩いていると噂されていた。そういう猛々しさを正任は売りものにしているのだった。

「北上の川に結ばれる奥六郡、すなわち岩手、紫波(しわ)、稗貫(ひえぬき)、和賀、江刺、胆沢(いさわ)の六郡、これを失うということは…」
貞任は諭すように、静かに語り始めた。その目は正任に向けられていた。
正任は、毛無の民のようにもみあげを伸ばし、荒々しく頭髪を逆立てている。そうすることで、いかにも烏帽子の似合いそうな貞任に、闘争心を剥き出しにしているのだった。しかもいまは眼球まで剥き出しになり、その赤い目から、そしてへの字に曲げた唇から、内心の憤懣をぶくぶくと噴き上げていた。
「なあ正任、心を平らかにして聞かぬか。奥六郡を失うことは、蝦夷の金の山はもとより、鉄の山、さらには水田まで丸ごと源氏に、つまりは倭人にくれてやるようなものであろう。そのことは、おぬしにもわかっておろうが。なればこそ、とわしは思うのだ。すべての蝦夷の力を糾合して戦わねばならぬと。これを安倍対源氏の戦にするのではなく、蝦夷対倭人の戦にするのだ。わしはその道理を他の蝦夷にもわからせる。朝廷は盛んに金品や位階で釣って、より多くの蝦夷を朝廷側につけようと策謀しておる。それを食い止めること、つまり蝦夷を二つに割らさぬことが第一に肝要なことになる。第二には、こののち戦うからというて、血を流し合う必要はないということじゃ。わかるか、正任。要は安倍の血を末永く遺すこと。それさえできれば、戦は勝ったと思うべきではないのか」
「兄じゃの言、私にはようわかっており申す」三郎宗任が口をはさんだ。「言わせていただけば、戦の体裁なぞどうでもよい、実を獲れ。そういうことでござろう」
「そのとおりじゃ。要は、戦は負けてもよい。必ずしも体裁として勝つ必要はない。戦としての勝ち負けと、我ら安倍一族としての勝ち負けは別なところにある。それをまずは我ら三人がよう胆に銘じておくことじゃ。それが安倍の掟でもあるからな。わかるな、正任」
なんとかおとなしく聞いていた正任だったが、その噛んで含めるような念押しで、とうとう堪忍袋の緒が切れた。拳で床を叩きつけ、その音と共に、言葉を兄たちに叩きつけた。
「我らの掟は、ようく腹にしみわたっておるわっ。じゃがな、そこまで言われるなら、言うてやろう。その掟の一項に、争いごと、奪い合いに参加すること、あいならぬ、饗応ですむことは饗応ですませ。そのことも書かれておろう。それほど掟を守りたいなら、それも守ったらどうじゃいっ。二人うち揃うて京の白拍子のようにけわいして、源氏の大将に侍ればよかろうがっ」
ぺっ。最後には唾まで吐き捨てた。
宗任が一重の切れ上がった目に血気を溜めて正任を睨みすえた。 
「赦さんぞ、正任っ。言が過ぎる。謝れいっ。犬畜生のように唾など吐きよって。恥を知れっ」
宗任もまた兄と同質。武だけでなく、京の高級官僚なみの教養を身につけた、ニュー・タイプの武士に育っていた。
ぬぬっ。
正任、赤い目にむくむくと怒りを湧き上がらせ、片膝を立てる。一触即発。
「まあ、よいではないか、宗任、正任。ぬしたちが割れてどうする。せっかく磨いたその腕を揮わずして退く、その策を正任が嫌うのはわからいでもない」
そこで貞任は正任の方に身を乗り出した。
「が…よう聞け、正任。なぜ、同じ歳でありながら正任でなくこの貞任に家督を譲るよう、父上は差配されたか。そのことじゃよ。それは正任では大敵に遭うたとき滅びる、それゆえじゃ。おぬしは確かに強い刄金。それに対して、わしは刃金ではない。そう、しいて言えば鞭とでも言おうか。刄金のおぬしには強さではかなうまい。が、かというて、おぬしに安倍を任せると、いつかはぽきりと折れる日が来る。二抱えもあるような大樹が大風に倒れておる様は、おぬしもよう目にしておろう。それなのじゃ。それを危惧して、一族のためにおぬしを五郎にされたのじゃ。鞭のわしに安倍を託せば、相手に応じて形を変え、なかなか折れることはなかろう。父上がわしを次郎になされたのは、そのためなのじゃ」
正任は、貞任の言葉が進めば進むほどそっぽを向いて、肩をいからせた。そんな正任に貞任はますます柔らかく語りかけた。
「念のために言うが、父上はおぬしとわしに上下をつけられたのではないぞ。わかっておろう、安倍の掟は。人は人に仕えてはならぬ。人に上下は設けぬ。それが安倍の掟。家督を継いだからというて、わしがおぬしの上に立ったということではない。わしがたまたま一族を束ねる役どころをやっておるにすぎぬ。おぬしにはおぬしの、宗任には宗任の役どころがある。そのすべてに優劣などない。そのことをいま一度しっかりと思いおこし、そのうえで正任、ここはどうしてもわしに合力してもらわねばならぬ」
「ふん。いかにも、もっともらしい理屈じゃな。口ではなんとでも言えるわ。じゃがな、貞任、そなたが安倍の頭であることにはかわりない。わしが頭ではない。それが上下というものじゃよ。上下は目に見えてついておるわっ。が、上に立ったとて、貞任、わしを統べるのはたいへんじゃぞ。わかるか、のう、貞任。否ならどうする。わしをその細腕でどうする気じゃっ」
正任が二人の兄の体力を馬鹿にしきったように一瞥し、倣岸に言い放った。
この場では三人とも丸腰である。言うことをきかせたければ、腕力できかせてみよ。正任の薄ら笑いが、もういちど白々と二人の戸籍上の兄を舐めた。貞任はしかし、だだをこねる子供を前にしたように、ゆったりと首を左右に振った。
「またそのように困らせる。黒か白かを迫るべき事柄ではあるまいが。正任、いまはただ、安倍の血脈を守る、その大事のために、すべてを呑み込むときであろう。答はそれしかなかろうが」
「ならば、いますぐわしを縛って、戦が終わるまでそこの柱にでもつないでおくのじゃな。それがわしを統べるということじゃよ。口でわしを統べることはできぬのじゃ」
「なんという…。そこまで言うか。ま、よかろう。やれやれ。ではな、正任。そうまで言うなら仕方あるまい。言うようにさせてもらおう。赦せよ」
貞任はあいかわらずおっとりとした口調でそう言った。
しかし直後。
その言葉が合図ででもあったのか、板戸を突き破って、鑓のこじりが正任の背骨を折れんばかりに一突きした。
貞任の居室の板戸は、万一の際に開け閉めせず隣室から跳び込むことができるよう、一部が檜皮(ひわだ)になっている。そこからの一突きだった。正任が不意をつかれてのけぞり、その上に間髪を入れず板戸が倒された。
板戸には貞任の配下の者、五名が馬乗りになっていた。しかし豪壮な正任は、日頃のうっぷんを込めて、五人の乗った板戸を跳ね上げた。
が、その、からだの伸びきった瞬間を宗任が待っていた。宗任は拳で正任の肝臓を突き抜いた。苦悶の声と共にからだを折った正任だったが、それでも宗任をひと蹴りで壁に激突させた。貞任の配下の者が新たに五人加わって、計十名が正任に取りついた。
正任はめくら滅法にからだを暴れさせ、男たちを両手両脚、首根っこから振りほどいた。が、さすがに多勢に無勢。数分後には芋虫のように縄がかけられ、床に転がされた。

隣室では、闇の陰陽師、八身が鑓を小脇にして、何事もなかったように立っていた。あいかわらず清水を張ったような目元をしている。
「お見事」宗任が声をかけた。「まるで見えていたかのように背骨を突かれた。武もたしなまれるとは驚きました」
「なんの。この板戸の仕掛けを考えた者を褒めてやってくだされ。正任殿の声は、おかげで一分の狂いもなく私に間合いを教えてくれましたゆえに」
八身はさらりと受け流し、その頬に静かな微笑を漂わせた。
貞任が言った。
「正任。これでおぬしの望みどおりになったであろう。気の毒じゃが、武をたのんだ争いは、はなはだ迷惑。安倍全軍の安寧を損なう。安倍たる者、危急は避けて安心立命、天寿をまっとうできるよう計らうのが掟であろう。倭人とはそこが違う。武がいらぬとは言わぬが、それ以上に必要なのは何百倍もの知恵であろう? 気持が静まるまで、こうしていてもらうしかない。恨みに思うでないぞ」
貞任は言い終わると背筋を伸ばし、これでよろしいか、そういう目をして八身を見た。八身は貞任だけにわかる程度にかすかにうなずいて、それから安倍の今後を見晴るかすように視線を窓の外に投げた。
安倍の伝統は、目的を達成する際、無用な流血をとことん避ける不戦主義。
不戦勝に持ち込むことこそ安倍一族のベスト・チョイスなのである。武は、最後の手段として、身を守るためにしか用いない。
他の蝦夷から奥州の王と崇められる安倍氏。その尊崇の源は、じつは武を否定するところにあったのだった。