不戦の王 コラム「陸奥話記の隠した真実」

<目次>
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『陸奥話記』は、
源氏を褒め称えるために脚色されているのだが、
自らそのことを認める一文が結びに記されている。
「千里の外にて、さだめし紕繆(ひびゅう・誤り)多し。
実を知る者、これを正すのみ」
その場にいたわけではないので、間違いだらけだと思う。
真実をご存じの方は訂正してください。
そう言っている。
堂々たるフィクション宣言である。
その『陸奥話記』で掬い取られた厨川合戦を
念のためご紹介しておこう。
          
①火を放って源氏軍が攻め入ると、
柵には男女数千人がいて、
ある者は淵に身を投げ、ある者は自刃したが、
その多くは押し寄せる朝廷軍に討って出たという。
「必死にして、生の心なし」

②次に、貞任について。
致命傷を負って捕縛されたことになっている。
瀕死の身でも品格を失わない貞任に対し、
頼義は息絶えるまで「叛徒、逆徒」と罵り続けたという。

③藤原経清は生け捕り。
「旧主を蔑如するは大逆非道なり」
かつての上司頼義は、俺様をコケにしおってと、
「深く悪(にく)み、故に鈍刀をもって首を斬る」

④貞任の長子、十三歳の千世童丸。
その命を頼義は惜しんだが、清原武則が反対した。
「将軍、小義を思いて巨害を忘れることなかれ」
後難を怖れ、斬った。

⑤城中には美女五、六十人がいた。
将軍頼義は軍士たちにそれを「賜った」とある。

⑥そんななか。
八男、則任の妻は戦利品扱いされるのを拒んだ。
「君が前(さき)にまず死なん」
そう言って、三歳の子どもを抱いて北上川に身を投げた。
「烈女というべきなり」と持ち上げている。
これもまた、フィクションにしてもひどすぎる。
なぜなら、安倍則任はまだ母に手を引かれた六歳の児。
妻帯し、三歳の子どもの父になれるはずがなかった。

⑦そのほか、七男家任は帰降。則任も出家して帰降。
宗任も数日後、帰降したことになっている。
五男正任も自ら姿を現した。
僧となっていた四男照任は出羽で捕まった。

以上が『陸奥話記』の厨川合戦始末だが、
後に触れる資料と照合すると、
源氏礼賛のためにふるい落とした真実があまりに多すぎる。
とくにそれは最終局面において著しいと言えよう。