戦国茶鬼伝 3

天正十年、春。
信長による甲州征伐が完了し、織田家が天下統一へ王手をかけた頃。
戦の論功行賞と次なる毛利征伐への軍議を兼ねて、安土城の一室で奇妙な茶会が催されようとしていた。

第三話:岐路の茶会、二つの暗影

亭主(ホスト)を務めるのは、織田家宿老・明智光秀。
そして、招かれた客は、中国遠征の途上で一時帰還した羽柴秀吉。

信長の天下布武を支える両雄の対峙。

しかし、その空気は一触即発の緊迫感に満ちていた。
なぜなら、彼らがそれぞれ畳の上に置いた「器」から、すでに隠しきれない異形のプレッシャーが漏れ出していたからだ。

「筑前(秀吉)殿。中国攻め、随分と手こずっておられる様子。上様(信長)も少々、痺れを切らしておられますぞ」

光秀が冷徹な手つきで茶碗を拭う。
彼の手元にあるのは、小ぶりながらも均整のとれた青磁の茶碗――『八幡太郎(はちまんたろう)』。

かつて源義家が愛用したと伝わる、武門の誉れ高き名物である。

光秀の背後から、陽炎のように立ち上ったのは、白銀の甲冑を纏い、巨大な「天秤」を手にした、端正でありながら底知れぬ冷気を放つ茶鬼。

明智光秀の茶鬼――『正義の天秤(ディケ・バランス)』。

「カカッ、これは手厳しい。毛利の毛並みは一筋縄ではいきませぬでな。しかし日向(光秀)殿、上様の『天下焦土』をお支えするには、その程度のぬるい茶鬼では少々心もとないのでは?」

秀吉が下品に笑いながら、懐から金色の輝きを放つ茶入を取り出した。

秀吉が数々の戦功で信長から拝領した、大名物――『飾壺・金烏(かざりつぼ・きんう)』。

秀吉の背後から現れたのは、黄金の毛並みを持つ、無数の「手」が生えた猿の姿をした怪物。
その手にはそれぞれ金貨や米俵が握られており、ギラギラとした欲望の目を光らせている。

羽柴秀吉の茶鬼――『千手成金(せんじゅなりきん)』。

「……ほう。黄金を好む筑前殿らしい、強欲な茶鬼だ」

光秀の目が、スッと細められた。
二人の精神力がぶつかり合い、茶室の空気がピキピキと鳴る。

仕掛けたのは秀吉だった。
『千手成金』が金貨をバラバラと畳に撒き散らす。

ザワァッ……!

その瞬間、光秀の座る畳が突如として「黄金の沼」へと変わり、底なしの重さで光秀の身体を吸い込み始めた。

『千手成金』の能力は【価値の強制書き換えと買収(等価略奪)】。

領域内のあらゆる物質・エネルギーの「価値」を秀吉の都合の良いように操作し、相手の茶鬼の戦闘能力(精神力)を文字通り「買い叩く」ことができる。

「日向殿、お前の生真面目な精神の価値、ワシが安値で買い取って進ぜよう!」

秀吉の黄金の沼が、光秀の『八幡太郎』の足元まで迫る。

だが、光秀は動じない。
『正義の天秤』が、その巨大な天秤をカチリと傾けた。

「筑前殿、あなたの欲望は肥大しすぎている。我が茶鬼の前では、不当なインフレは許されない」

キィィィン……!

冷徹な鐘の音が響くと同時に、秀吉の黄金の沼が、ただの「ただの泥水」へと一瞬で変貌した。

秀吉の『千手成金』が、驚いたように自分の手を凝視する。
金貨がただの石ころに変わっていく。

『正義の天秤』の能力は【秩序の強制執行・因果の等価修正】。

相手がどれほど不条理な能力や規格外のエネルギー(価値)を押し付けてこようとも、この天秤の領域内では、すべてが「完全なる等価(プラマイゼロ)」に強制修正される。
秀吉の強欲な価値操作すらも、光秀の冷徹な正義(秩序)によって無効化されたのだ。

「カカッ……! こりゃあ、相性が悪りぃ。ワシの成金が、これっぽっちも通用せんとは」

秀吉はすぐに茶鬼を引っ込め、両手を挙げて降参のポーズをとった。

「茶の湯の席でございます。お互い、これ以上の無礼は上様のお耳に障りましょう」

光秀もまた、静かに天秤を消した。

二人は何事もなかったかのように茶をすすり合う。しかし、その腹の底は決まっていた。

(この明智光秀の『正義の天秤』……これならば、上様のあの狂気の炎『天下焦土』の熱量すらも、完全に相殺して『無』に帰すことができるのではないか……?)

光秀の心に、一筋の黒い野心が芽生える。

(明智の旦那の『天秤』、恐ろしいな。だが、あれは『均等』を保つ能力。ならば、その天秤が測りきれんほどの、この世のすべての黄金と欲望を集めた『規格外の化物』をワシが造り出せば、明智も、そして信長様すらも、ワシの手のひらで転がせるはずだ……)

秀吉は、後に自らが造り出すことになる最凶の禁忌――『黄金の茶室』の構想を、このとき確信していた。

本能寺の変まで、あとわずか。
信長の知らぬところで、二人の天才武将は、互いの「茶鬼」の底力を見極め、次なる時代の覇権へ向けて爪を研いでいたのである。