二人の歩幅

「お疲れ、柏木さん! 今日も図書当番がんばったなー!」

放課後の図書室。静寂を破るように現れたのは、クラスのムードメーカーで誰にでも距離の近い男子・栗林(通称:クリリン)だった。彼はいつものように、人見知りで考え込みがちな柏木の隣へ、当然のような顔をして滑り込んでくる。

柏木はびくりと肩を揺らし、慌てて手元の貸出名簿に目を落とした。

「あ、うん……お疲れ様、クリ、栗林くん。……でも、ここ図書室だから、もう少し声落として」

「あ、わりぃ! つい柏木さんの顔見たら嬉しくなっちゃってさ。ところで今、クリリンって呼ぼうとした?」

栗林は頭をかきながら、へらっと人懐っこい笑顔を浮かべる。

(嬉しくなっちゃって、って何……!?)

柏木の脳内は大パニックだ。栗林は何気なく、そして直球でそういう言葉を投げてくる。

(栗林くんは誰にでもこういう距離感なんだ。深い意味はない。落ち着け、私。深読みして勝手に自爆するのは中学までって決めたでしょ……!)

心の中で激しい一人反省会を開催しながら、柏木はポーカーフェイスを維持しようと必死にペンを動かした。
一方の栗林は、柏木のそんな葛藤など露知らず、机に頬杖をついて彼女の横顔を眺めていた。

いつも物静かで、自分の考えを言葉にするのに少し時間がかかる柏木。でも、彼女の紡ぐ言葉はいつも丁寧で、栗林にとって特別に心地よかった。

「なぁ柏木さん、この後さ……もしよかったら、一緒に帰らない?」

「え……?」

柏木が驚いて顔を上げると、栗林の耳の裏がほんのり赤いことに気づく。いつも自信満々に見える彼が、少しだけ緊張したように視線を泳がせていた。

「ほら、駅前のさ、新しいクレープ屋。男子一人じゃ入りづらくて。……ダメ、かな?」

上目遣いで覗き込まれ、柏木の心臓がうるさく跳ねる。

「……ダメ、じゃない、けど」

「よっしゃ! じゃあ荷物取ってくるから、昇降口で待ってて!」

栗林は弾かれたように立ち上がり、嬉しさを隠せない様子で図書室を飛び出していった。

数分後、並んで歩く帰り道。
二人の間には、絶妙な距離感があった。歩幅の大きい栗林は、意識的に柏木の歩調に合わせてゆっくりと歩いている。

「柏木さん、今日さ、髪型ちょっと違う? なんか、いつもより大人っぽいっていうか」

「……! 嘘、ただ寝癖が直らなくて、少しピンで留めただけ……変、かな」

柏木は恥ずかしさのあまり、うつむいて顔を隠そうとした。

「全然! すげー似合ってる。可愛いよ」

栗林はまっすぐに柏木の目を見て、サラッと言い放った。

(かわいい……!?)

柏木の脳内会議は再び大荒れだ。

(どうしよう、今の『可愛い』は社交辞令? それとも犬とか猫を見る目? 違う、栗林くんの顔、今ちょっと赤かったような……いや、夕日のせい? ああもう、私のバカ!)

パンクしそうな柏木は、思わず立ち止まってしまった。

「……柏木さん?」

不思議そうに振り返る栗林。柏木は、ぎゅっと拳を握りしめ、勇気を振り絞って言葉を絞り出した。

「あのね、栗林くん……っ。栗林くんは、いつもそうやって、誰にでも、そういうこと言うの……?」

その問いに、栗林は一瞬きょとんとした。しかし、柏木が耳まで真っ赤にして、一生懸命に自分と向き合おうとしているのを見て、彼の表情からいつもの「へらへら感」が消えた。

栗林は柏木の一歩前へ進み、彼女の目をじっと見つめた。

「あのさ、柏木さん。俺、誰にでもこんなこと言わないよ」

「え……」

「柏木さんだから、一緒に帰りたいって思ったんだ。柏木さんの前だと、カッコつけたいのに、いつも空回りして……。俺さ、柏木さんのことが、ちゃんと好きなんだよね」

夕暮れの下、栗林の言葉がまっすぐに柏木の胸に届く。

柏木は目を見開いた。ウラを読む必要なんてない、あまりにも真っ直ぐで不器用な告白。
頭の中のノイズが、すうっと消えていく。

「……私も」

柏木は小さな声で、でも今度はしっかりと栗林の目を見て微笑んだ。

「私も、栗林くんのこと……その、特別、だよ」

栗林の顔が一気に真っ赤に染まる。

「マジで!?……あー、やべ、心臓止まるかと思った……!」

いつもの余裕をなくしてうろたえる栗林を見て、柏木は思わずクスッと笑ってしまった。

「じゃあ、クレープ、行こっか」

「おう!……あの、手、繋いでもいい?」

「……それは、クレープ食べてから」

二人の歩幅が、今、ほんの少しだけ重なった。