牙を授かりし者たちの詩:イワンの亡霊編 第2章
【第2章】狂銃 USP Compact
新潟県・某教会。
セルゲイは朝早くから懺悔に来ていた。
一人熱心に金の祭壇に祭られているマリア像の前に跪き、祈りを捧げている。
そんな様子を見かねたのか、教会の神父がセルゲイの元へ現れた。
「朝早くから熱心ですね」
セルゲイは祈りを捧げながら答える。
「私はこれから大罪人になるところです。そうなる前に、まず赦しを 我が主へ乞いに来ました」
神父は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の優しい笑顔に戻った。
「主は、すべての罪をお赦しくださいます。
私には、あなたが何を為そうとしているのかは分かりません。
……ですが、後悔のないように、お進みなさい。
主はきっと、あなたを見届けてくれるでしょう」
「……ありがとうございます」
セルゲイは一度立ち上がり、恭しく胸に手を当て神父に一礼を捧げる。
神父はそのセルゲイの様子を見て、香の残り香が漂う空気の中で、静かに右手を掲げた。
セルゲイの額、胸、肩へと、目でなぞるようにゆったりと十字を切る。
その間セルゲイは子供の頃、母に手渡されたその瞬間の温もりを思い出しながら
ところどころ細かい傷がつき、年期が入っているアミュレットをそっと握っている。
そして──
子供の頃、弟と遊んでいた記憶も甦らせていた。
セルゲイは祝福の十字を受けながらも、誓いを新たにする。
「父と子と聖霊の御名において……Амінь」
ふいに聞いた神父の、その言葉でセルゲイは一瞬、ハッとした顔になる。
“母国の教会の鐘の音”や“冬の雪景色”の幻が一瞬脳裏をかすめた。
「……神父様、あなたはやはり、私と同郷なのでしょうか」
神父は穏やかな笑みを湛えながら
「そのようですね。 神の赦しと祝福があなたにあらんことを……」
「こんな異国の地で同郷の……しかも神父様に会えるなんて光栄の極みです」
セルゲイは神父へ深く一礼すると、肩越しに一度だけマリア像を振り返り
静かに踵を返した。
神父はセルゲイの背中を慈愛にあふれた微笑みで見送った。
──
新潟港・深夜
遠くに船の灯りが見えるが静まり返った新潟港。
春とはいえ、夜更けの港はまだ寒さが残っていた。
潮と鉄錆の匂いが渦巻いている。
セルゲイは3人の日本人、一人のロシア人と、ロシア船籍に偽装された漁船の前にいた。
セルゲイが一度うなずくと、大きめのスーツケース3つとボストンバッグ一つを
漁船内から運んできた男達がケースをセルゲイの前へどうにか運び終える。
「何が入ってるんだこのケース……めちゃくちゃ重いぞこれ……」
スーツケースの中にはそれぞれ高層ビル2フロア程度なら軽く爆破出来るものが
一つずつ入っている。
それはナノセラミック製運搬ケースに包まれていた。
スーツケースA 爆弾①:震動起爆型
スーツケースB 爆弾②:義体遠隔起爆型
スーツケースC 爆弾③:タイマー起爆型
ボストンバッグの中は
・SR-1M(サプレッサー付き)
・予備マガジン×5
・スペツナズナイフ
セルゲイの愛用する武器たちが収納されている。
「Молодец」
中身を確認すると素早くケースとバッグを閉め、3つと一つを同時に軽々と持ち上げる。
「ほんとか……バケモンかよ……」
一度ケースとバッグを地面に置き、男たちの方を向き直ったセルゲイは一礼をする。
屈んだ時に、胸元にあったアミュレットがシャツから顔を覗かせていた。
薄明りに照らされた十字が鈍く光る。
「日本人は好きだ、仕事に隙がない。しかも注文通り以上にやってくれる」
ウクライナ訛りの英語で話しかけた。
「さ、さんきゅー」
ロシア人が英語を日本人たちに通訳して教える。
あまり英語が得意でない男達は愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「そして──」
セルゲイは胸元からゆっくりとUSPを抜き、男達へ向ける。
「どうしようもなく底抜けにお人好しなところもな」
「な、な、何の冗談だよ!」
突然の事に日本人たちは焦燥した顔を浮かべた。
「仕事には感謝している。本当に……
だが“知ってしまった”者たちは、生かしてはおけない」
日本人たちへ、迷う事なく引き金を引いた。
「──迷わないであっさり撃つなぁ、スペツナズは」
「……それは関係ない」
タバコを吸いながら他人事のように見ていたロシア人へ謝礼を渡すと、
セルゲイはケースとバッグを抱え、踵を返した。
「あんた、ロシア正教かい。そのアミュレット年期入ってるな」
そのロシア人の何気ない一言を聞いたセルゲイの顔色が、あっという間に
憤怒の顔色へと変わった。
「俺の母はウクライナの教会で……
爆撃された鐘楼の下に埋まった!
──その十字に“ロシア正教”と刻んだクソ共と一緒にするな!!」
ケースとバッグを置き、ロシア人の方へ向き直りUSPを懐から抜きざまに3発撃った。
──パパパンッ
硝煙は微かに残り香を漂わせ、銃声と共に風に混じって闇の中へと消えていった。
後片付けもしてもらうつもりだったロシア人まで冥府に送ってしまったため
セルゲイは4つの遺体を自ら海に投げ込む。
一人、また一人と──
夜の海へ投げ込んでいった。
そして──
USPを乱暴に地面へと投げ捨てる。
冷たい鉄とアスファルトがぶつかり合う音が冷たく響いた。
──ガンッ……カラカラカラ……
セルゲイは再びケースとバッグを持ち上げ、闇の中へと消えていく。
“第2の花火”の準備を進めるために──亡霊は、再び動き出した。
第2章 完