夜を行く電車【脚本】

火曜夜9時、一両編成のワンマンカー。電車は終点の街に着いた。
上山はボックス席の端っこで、一点を見つめている。

車掌 すみませーん。
上山 ん・・・
車掌 終点です
上山 知ってます
車掌 はい、降りていただいて
上山 お金、無い
車掌 お金無いんですか?
上山 190円の、切符だけです
車掌 600円足りませんねぇ
上山 ・・・今、何時ですか
車掌 夜9時です
上山 9時・・・今日、何曜日でしたっけ
車掌 今日は水曜日ですね
上山 まだ2日ある・・・
車掌 まだ2日・・・?
   ・・・週末までですか
上山 火曜日は嫌いなんです
車掌 普通、月曜日じゃないですか
上山 月曜日は諦めがつきます
車掌 諦め
上山 火曜日って、本当に一週間始まったんだな、っていう
車掌 よく、わかりません
上山 なんでですか
車掌 私は、明日休みですから
上山 ・・・
車掌 なんでここまで乗ってきたんですか
上山 なん、となく
車掌 なんとなく?
上山 遠くまで行ってしまえ、って思ったんです
車掌 住んでる場所、どこですか
上山 隣の市です
車掌 50㎞ぐらいあるんじゃないですか
上山 そうなんですか
車掌 この街、ご存じないですか
上山 あまり、遠出しないので。
車掌 私も知らないんです、この街
上山 ・・・
車掌 この路線を運転するのは初めてのことです。
上山 おなじ、ですね

開かれた自動ドアの外。
ホームからは、鳥のSEが聞こえてくる。

上山 この路線、運転するって思ってましたか
車掌 と、いうと
上山 車掌さんも、最初のころはありましたよね。見習いって言うか
車掌 なるほど。この路線、運転してみたいとは思ってました
上山 会社にそれを言って、ここにしてもらったんですか
車掌 いいえ、言ってはいません
上山 ・・・何が起こるかわかりませんよね
車掌 特にこの時間帯です。照らされるまで、わかりません
上山 わからない?
車掌 カーブがあったり、トンネルがあったり。照らされて初めてわかります
上山 私とおなじかもしれません
車掌 と、いいますと
上山 お先真っ暗なんです
車掌 真っ暗?
上山 何が起こるかわからない。
車掌 まぁ、ずっといれば慣れませんか
上山 え?
車掌 暗い部屋にずっといると。目が慣れて、見えてきませんか
上山 まぁ。
車掌 アドバイスになってるのかわかりませんが。
上山 こんな知らない暗闇。こわい、ですよね
車掌 まぁ、慣れてますので。ただ、どこに着くのかわからないのは、少しワクワクというか。
上山 こわくないんですか
車掌 なんでですか?
上山 もし、このままこの街から帰れなくなるとしたら
車掌 うーん。着いてしまったらこちらのものですから
上山 ・・・
車掌 最初は困るかもしれませんが。住めば都ですよ
上山 ・・・
車掌 帰らなくて、いいんですか
上山 帰りたく、ないです
車掌 知らない街にいるの、不安じゃないですか
上山 住めば都だ、って言ったじゃないですか
車掌 ・・・そうでしたね

上山は大きくあくびをした。

車掌 もう、帰った方がいいですよ
上山 ・・・はい。・・・お金

車掌は車内の奥までのぞき込む

車掌 お代、いいです。バレちゃまずいんで、しーで。
上山 ありがとうございます。次、いつこの電車に乗りますか
車掌 わかりません。
上山 ・・・わかりました。ありがとうございました

電車から上山は降りる。
それを引き留めるかのように、車掌は呼び掛ける

車掌 もう乗らないかもしれないし、また来週いるかもしれません
上山 ・・・
車掌 何が起こるかわかりませんから。
上山 ・・・

上山は深くお辞儀をした。車掌は敬礼をする。
まだ肌寒い春の風を受けながら、上山がこ線橋を登っていく後ろ姿を見届けた。