不戦の王 2 殺生崖の老婆

<目次>
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では、こんな得体の知れない人間、追い出してしまえばよさそうなものなのだが、毛無一族はそうしなかった。
なぜなのか。
男が、一族にとり憑く怨霊を鎮めてみせるという約束をしたからだ。
毛無一族はわずか五百人強。朝廷用語で言えば山夷(さんい)と蔑まれる、狩猟、採集を生活の基本にする山の遊牧民だった。いわばマタギの祖先、と言ってもよいかもしれない。食糧はもとより、衣類も薬も、そしてじつは主要な交易品となっている鉄鉱石も含めて、すべて山に頼っている。
そういう彼らをここ三年悩ましているのが、この地に転住すると決まって現れる、ひとりの老婆だった。
生きている老婆ではない。
いつも栃の大樹の高枝に腰掛けている老婆の霊なのである。
しかも、特定の誰かだけに見えるのではない。そこに行った誰でもが見ている。
その場所とは、毛無の人々が「殺生崖」と呼ぶ、苔むした大小の岩が深い谷底まで続いている薄暗い急斜面。
「あそこには、あの世への出入り口があるにちがいない。婆さまはそこから来るのじゃ」
そう信じられていた。
ただ、その老婆、実害を及ぼすということはない。
着ている衣服は古いエミシのもので、胸元には長老の証しと思われる鷲の刺繍が見える。深い皺の刻まれた顔も、どことなく品がよいような。
とはいえ、やはり薄気味が悪いことに変わりはなかった。
迷える魂なら救ってやりたい。ああして現れるということは、何かこの地に思い残すことでもあるにちがいないのだから。しかし、誰も言葉をかける気になれなかった。猟場に行くため、その殺生崖の尾根づたいルートを通るときには、栃の大樹が見える前から下を向き、ほとんど目をつむるようにして駆け抜ける。
「そのうち婆さまに足首つかまれて、あの世に引きずり込まれるぞい」
あな、おそろしや、おそろしや。

この種の話を現代人が聞けば、よくある民話の類い、あるいは民放テレビの幽霊話と同列にしてしまうことだろう。毛無の民がそれを信じるのは無知だからこそ、迷妄だからこそと。
しかし、簡単にそう片づけてしまってはいけない時代背景について、ここでよく考慮しておく必要がある。
この物語の舞台は二十一世紀ではない。
およそ千年の昔。
京では藤原氏による摂関政治が全盛期を迎え、一方では紫式部、清少納言、和泉式部など後宮の文化が華やかに開花していたが、他方では疫病、大火災、地震などの災厄を起こす怨霊との戦いが、国を挙げて展開されていた時代なのである。まずは、そのことを想起しなければいけない。
華やかな王朝文化の表皮をめくれば、いまで言う天然痘や結核、インフルエンザ、時には赤痢、腸チフスと思われる悪疫で人々が大量に斃れ、そのうえ度重なる大火災や地震、落雷などなど、枚挙にいとまないほどの災厄が頻発している、それが「平安」な「京」、平安京の実態なのだった。
巷では病人が打ち捨てられ、死骸が腐るままに放置されるなど、地獄絵図さながらの現実が日ごと更新されていった。こういったことの原因が、すべて怨霊との因果関係で捉えられていた時代なのである。

鎌倉時代以降、つまり武士の世になると、力対力の勝負、目に見える武力がクローズアップされたせいか、怨霊はさほど怖れられなくなる。しかし、貴族官僚体制下の奈良、平安朝の為政者は、力で怨霊をねじ伏せるようなことはしなかった。ある意味では正攻法。仏教思想の中で怨霊を理解し、それらとの共存を図ろうとしたのだった。
「生きものは三界六道に輪廻する」
つまり、肉体が滅んでも魂は生き続け、何度もこの世に生き変わり、死に変わりし続けるという死生観、輪廻転生。
そのなかに怨霊を包み込み、人間は死者の霊魂と共存していることを天皇から夜盗に至るまで信じていた。
しかも、その輪廻転生、必ずしも人間という姿かたちをもって生まれ変わるとは限っていないと解されていた。旅立った魂をもし安んずることができなければ、魂に渦巻く怨念が、疫病や天変地異など、さまざまな宿業となってこの世に現れるとも考えられていたのだった。
したがって、為政者たるもの、それら目に見えない存在を含めて統治しなければいけない。
それで生まれた職制が陰陽師である。
陰陽師は奈良朝の天武天皇の治世、この物語の時代から四百年近くも前に誕生した。
その時点での役割は、怨霊を鎮め、天象から世の異変を察知し、さらには毎日の吉凶を占うこと。彼らは「陰陽寮」という官庁に勤め、律令体制に組み込まれた。
陰陽師。
二十一世紀人からすれば、字面からしておどろおどろしく、どこか妖しげな職業というイメージがつきまとうのは否めない。なにしろ現代は、目に見えるもの、数値化できるものでなければ信をおかず、それを「科学的態度」と称する時代なのだから。
が、当時は正反対だった。
その存在は廃れるどころか時代とともに役割を深化させ、天文や暦や時刻を扱う技術官僚であると同時に、精霊を始めとする不可視なエネルギー体にアクセスして、その活動を読み取ったり、コントロールできる最も知的な職業人となっていったのだった。現代に置き換えれば、さながら生命科学や宇宙工学など最先端科学のテクノクラートといったところだろう。
こういう時代のことを「非科学的」、「理性が闇に迷っていた」と切って捨てる人がほぼすべてだろうとは思う。しかし、逆にある人は「感性が健全に機能していた時代だからこそ…」と言うかもしれない。
その判定を今日程度の科学で行うのは、きっと早すぎるだろう。