戦国茶鬼伝 2

天正五年、十月。大和国・信貴山城(しぎさんじょう)。
黄金色に色づくはずの秋の山々は、数万の織田軍が掲げる「三つ葉葵」と「織田木瓜」の軍旗によって、不気味な黒と赤に染め上げられていた。

第二話:『平蜘蛛』、爆砕の覚悟

城を包囲するのは、織田信長の本隊、そして総大将・織田信忠率いる四万の精鋭。
対する松永軍はわずか八千。兵糧も尽きかけ、落城は時間の問題であった。

だが、天守閣の最上階に座す松永久秀の顔に、悲壮感は微塵もなかった。

「がっはっは……信長め、焦っておるな。包囲を縮めてこんのは、ワシの首ではなく、この『器』が怖くてたまらんからよ」

久秀の目の前には、一つの茶釜が置かれていた。
戦国にその名を轟かせる大名物――『古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)』。

地を這う蜘蛛のような平たい形状をした、禍々しくも美しい鋳鉄の釜。
その表面は、まるで生き物の皮膚のように鈍い光を放っている。

久秀が愛用のパイプから紫煙を吹きかけると、釜の底からドロリとした黒い影が染み出してきた。

影は空間を侵食しながら巨大化し、天守閣の天井にへばりつく。
それは、長い蜘蛛の脚を持った、不気味なピエロのような道化師の姿を成した。

松永久秀の茶鬼――『悪因悪果(あくいんあっか)』。

この茶鬼の能力は、戦国最悪にして最凶と恐れられる【因果の逆転・自爆連鎖】。

主である久秀が受ける苦痛、絶望、そしてこの世への強烈な「執着心」をすべて純度の高い火薬へと変換し、周囲の空間ごとすべてを均等に爆破する。つまり、久秀を傷つければ傷つけるほど、攻撃した者へ何倍もの大爆発となって跳ね返るという、最悪の特攻型能力(カウンター)だった。

「久秀! 往生際が悪すぎるぞ!」

突如、天守閣の壁が真っ二つに裂けた。

凄まじい風圧とともに躍り出てきたのは、織田軍の先鋒、名だたる猛将・柴田勝家である。
その背後には、二振りの巨大な大太刀を構えた鬼神のような茶鬼――『破軍の剛刃(はぐんのごうじん)』が咆哮を上げていた。

「勝家か。信長の小姓あがりが、随分と偉くなったものよ」

「黙れッ! 命が惜しくば、その『平蜘蛛』を差し出せ! さすれば命だけは救うと、信長様もお仰せだ!」

「断る、と言ったら?」

「ならば、その首ごと力ずくで奪うまで!」

勝家が叫ぶと同時に、その茶鬼『破軍の剛刃』が猛然と突進した。
大太刀の一振りが、久秀の左肩から胸元にかけてを深く引き裂く。鮮血が畳に飛び散った。

「がはっ……!」

久秀が血を吐いて膝をつく。
しかし、その顔は狂気に満ちた笑みを浮かべていた。

「……かかったな、脳魚(のうぎょ)め。茶の湯の基本を忘れたか? 先に仕掛けた方が、もてなしを『受ける』側になるのだよ」

「何……!?」

勝家が目を見張った瞬間、久秀の傷口から流れる血が、一瞬で黒い可燃性のガスへと変貌した。
久秀の背後で『悪因悪果』がゲラゲラと狂ったように笑いながら、平蜘蛛の釜を「カン!」と叩く。

ドゴォォォン!!!
勝家の『破軍の剛刃』の刃が触れていた空間が、前触れもなく大爆発を起こした。

「ぐあああっ!?」

剛力無双の勝家が、その爆風によって天守の壁まで吹き飛ばされ、激しく叩きつけられる。
自らが与えたダメージが、そのまま破壊の炎となって我が身を焼いたのだ。

「これが『平蜘蛛』の力……! 攻撃すればするほど、こちらが破滅するということか……!」

勝家は煤塗れになりながら、執念で立ち上がる。
だが、爆発の衝撃で彼の茶鬼の刀はひび割れていた。

そこへ、もう一人の影が静かに天守へ足を踏み入れる。
織田信長の実子、総大将・織田信忠であった。

信忠の手には、信長から借り受けてきたもう一つの名物、茶入『初花肩衝(はつはなかたつき)』が握られていた。

「柴田の叔父上、下がってください。松永の茶鬼は、力押しでは狂い咲くだけです。――この『初花』で縛ります」

信忠が『初花肩衝』を掲げると、その凛とした佇まいから、無数の桜の「根」を持った麗しい乙女の茶鬼――『春うらら・足枷(あしかせ)』が顕現した。

その能力は【精神の沈静化と因果の凍結】。

「松永久秀。あなたの執着と狂気を、この春の陽気で眠らせる。爆発の『因果』が起きる前に、その魂を凍りつかせれば、平蜘蛛はただの鉄屑だ」

満開の桜吹雪が天守閣を舞う。その花びらが久秀の身体に触れた瞬間、久秀の傷口からのガスがピタリと止まり、背後の『悪因悪果』の動きが泥のように鈍くなった。

「な、に……? 体が……温かくて……眠うなる……」

久秀の目から狂気が薄れ、穏やかな、ただの老人のような表情になりかける。

「しまっ……精神を凪(なぎ)にされると、火薬が練れん……!」

久秀は己の舌を思い切り噛み切った。
激痛が脳を突き抜け、再びドス黒い殺意と執念が呼び覚まされる。

「甘いわ、若造がァ!! ワシの『生』への執着、この乱世への呪いを、そんな綺麗な花切れで消せると思うなァ!!」

久秀は残された全精神力を暴走させた。
スウ、と息を吸い込むと、懐から取り出したのは大量の火薬袋。それを『平蜘蛛』の釜の中へと叩き込む。

「信忠、そして信長に伝えよ! 乱世を生き抜くとは、綺麗な茶室で格好をつけることではない! 泥をすすり、人を欺き、最後はすべてを道連れに爆ぜることだァ!!」

久秀の『悪因悪果』の目が、血のように赤く輝く。
『春うらら』の桜の根が、爆発的な黒いエネルギーによって内側から引きちぎられていく。

「いけない! 織田軍全軍、退けぇーっ!!」

信忠が叫んだが、もう遅かった。

久秀は『平蜘蛛』を抱きかかえ、パイプの火を自ら火薬へと近づけた。

「ワシの人生、これにて――終い茶(じまいちゃ)よ!!」

ゴオオオオオオオオオオオオオ!!!

次の瞬間、信貴山城の天守閣が、大和国全体を昼間のように照らす、規格外の大爆発を起こした。

それは一人の武将の死というレベルではない。
『平蜘蛛』の茶鬼が、久秀の「最期の絶望」をすべてエネルギーに変換した結果、山ごと天守を吹き飛ばす、戦国史上最大の狂気の自爆(カウンター)となったのだ。

織田軍の先鋒部隊数千人がこの一撃で消滅し、信忠と勝家は茶鬼の身代わりによって辛うじて一命を取り留めたものの、軍は壊滅的な打撃を受けて撤退を余儀なくされた。

硝煙が立ち込める崩落した跡地には、何も残っていなかった。
久秀の骨も、そして織田信長が何よりも欲した『古天明平蜘蛛』も、分子レベルで粉々に砕け散り、その執念の灰だけが、大和の夜空を黒く染め上げていたのだった。