さらば友よ 第3章

第3章 仲間(Ⅲ)

第3課・倉庫

優斗は相変わらずキーがつけっぱなしになっている
堂島の70ランクルで3課が使っている倉庫へ乗り付けた。

「大志!いるんだろ!?」

倉庫に入った優斗は、大志の名を呼んだ。

錆びた鉄の匂い。波止場から流れてくる潮風。
ふわふわと埃が、月明かりに照らされて白く舞っていた。

静寂の中、その声は小さく木霊して、すぐに消えた──

「もう調べはついてる!今なら俺がなんとかするから
出て来てくれ!」

優斗は続けて叫んだ。

…………

──ジャリッ……

「よぉ、こんなとこまで来させて悪ぃな」

大志が鉄骨の陰から、スゥーっと出てきた。

「大志……ほんとにお前が……」

「まあ、お前には話しておくか」

大志はゆっくりとタバコを胸ポケットから取り出し、
火を点けようとするが

「あれ、火が点かねぇ。優斗、火ぃ貸してくれよ」

優斗は黙ってゆっくりと近づき、火のついたライターを差し出す。

近づいた二人は、バツの悪いような苦笑いを浮かべる。

大志と優斗はタバコを咥えながら、お互いにライターへ
顔を近づけた。
タバコに火を点け──深く吸い込む。

紫煙が、ゆっくりと二人の間に漂う。

「ここじゃ埃臭ぇから、外で話すか」

二人は波止場に向かって歩き、大志は係船柱に座り、
優斗は立ったまま話を
聞くことにした。

「俺は大学を出たまではよかったが、いわゆる就職浪人に
なっちまってな。
半年くらいフリーターやって適当に過ごしてたんだよ。」

「へぇ……お前が……なんか意外だな」

「まあ、そう言うな(笑)
で、こりゃマズいなーと思ってた時にさ、警察官の募集広告が
目に入ったんだよ。
受けてみたら一発で受かって一安心してたんだけど、
いきなり公特に配属になってな。
なんでだ?と思ってたら……やつらが来た」

「やつら?」

「JIAだよ……」

「おい、それどういうことだ!?」

「JIAは俺に3課に潜り込ませて、
スパイ活動やらせたかったんだよ。
ノンキャリの新米がいきなり公特なんて、
怪しいにも程があるだろ?
でも俺は、後ろ盾つきのスパイなら気楽でいいかって……
これが大失敗だった(笑)」

「大志……」

「まあ、しばらくは上手い事やってたんだけどな。
ある日、普通のミッションを俺が原因で失敗して、先輩を……
死なせちまったんだよ」

「そうか……」

「そしたらさ、傑作なことに業務上過失致死で
送検されそうになってな。
送検して懲役つけてやる──そこまで言われた。
お前、信じられるか?確かに俺はしくじったが、
警官が仕事中の不可抗力で刑務所だぞ。
うちは親父いねーから、母ちゃん泣かせたくなかった。
……だから、俺は従うしかなかったんだ」

大志は足元にあった石を拾って海に投げつける。

「それからは仕方なく他の課のスパイまでやらされたよ。
で、いつの間にか4課にいたお前とつるむようになって……
学生時代、こういう相棒──いなかったんだよな。
気が合うって、こういうことかって思ったよ」

波音だけが二人の間を満たした。
大志はふっと、口元を緩め月明りが照らし出す海を見つめた。

「──なんだかんだ言って楽しかったな」

大志は一呼吸置いてからタバコを消し、話を続けた。

「優斗、お前が前に始末したターゲット、覚えてるか?
マンションの地下駐車場だよ」

優斗は頭をいきなり殴られたような気分になった。

「そ、それが何の関係が……」

「神代優斗。
お前に関する情報を集めろと、命令が来た」

大志はゆっくり立ち上がった。

「そのターゲットの素性も、お前との関係も
俺にはわからねぇ……
ただ、命令は命令だ。
お前を調べてることがバレたら始末しろとも命令されてる。
だけど、もう狙われてるぞ。この前のミッション、
俺は聞いてなかったがお前、消されかけたからな……」

「大志……」

大志は、ひとつ息をゆっくり吐くと、優斗の方へ向き直った。

「で、命令とは言え、いきなりここでお前を撃つのは気が引ける」

大志は右腕で少しぎこちなくH&K USP Compactを抜いた。

──カチッ

親指がUSPのスライド上セフティをなぞり、
ハンマーを起こす乾いた音が小さく響く。

大志は優斗に向かって叫んだ。

「抜け、優斗!──ここで勝負だ!」

いきなりの対決宣言に優斗は思考が止まってしまった。

「何言ってんだ!お前と勝負なんて意味わかんねーよ!」

「ここで死にてぇのか!さっさと抜け!」

大志の怒鳴り声が波止場に響き渡る。
その声は、まるで自分の覚悟を誰かに無理やり聞かせるような、
歪んだ決意の音だった。

優斗はとっくに消えていたタバコを投げ捨て、
ゆっくりとグロックを抜き、大志と反対方向へ歩いた。

大志の方へ向き直った優斗の目に、わずかに光るものが見えた。

「大志……どうしてもか?」

大志は答える代わりに銃口を優斗へ向けた。
その目には確実に殺気が窺える。

優斗の目にも殺気が籠ってきた。
しかし、目には相変わらず光るものが浮かぶ。

対峙する二人の間を、港の風が吹き抜ける。
タバコの匂い、油の匂い、海の匂い
そして──銃の匂い。

心臓の鼓動が五月蠅いくらい響く。
1分なのか10分なのか、
どれくらい時間が経ったかは分からない。

二人が少しだけ銃口を下に下ろした、その刹那

──野良猫が一匹、二人の目の前に踊り出てきて

それが合図だった。

──バンッ!
──パンッ!

グロックの低い銃声が、USPの甲高い銃声より一瞬だけ早く響く。
乾いた発砲音が、夜の波止場を切り裂いた。

大志の体が、ぐらりと揺れて──
そのまま、ゆっくりと崩れ落ちた。

「大志!」

優斗は大志のもとに駆け寄り、上半身を抱き起こした。

大志の鳩尾のあたりに血が滲んでいた。

「さすがだな……」

「いいからしゃべるな!今──」

大志は優斗のシャツの胸元を掴んだ。

「いいんだ!もう……
俺もこの前の倉庫でハメられかけてた……
どっちにしろ……俺も消される……」

「よくねーよ!右腕まだまともに上がんねぇくせに……
最初からお前死ぬ気だったことくらいわかってたぞ!
ふざけんな!」

大志の全身の力がゆっくりと抜けていく。

「なぁ優斗。俺ぁもう……疲れたよ……
スパイなんてやらされてよ……
いつバレるかって……ずっと……ビクビクしてた……
怖かったんだよ……」

「いいから死ぬな!生きろ!」

「もういい……優斗……悪かったな……こんな役やらせて……」

大志の目の輝きがゆっくり消えていく。

「お前なら……ここに来てくれると……思ってた……」

「わざと居場所まで分かるようにしてたのかよ!大志!
なんでだよ!」

「JIAには……気をつけろ……」

大志の目にはすでに光が消えていた。

「ダチなんて……殺せるかよ……」

最後に呟いた大志は、微笑んだような顔のまま全身の力が抜け

──動かなくなった。

「大志──!」

優斗は大志の亡骸をしばらく抱き、ひとしきり
──涙を流していた。

「俺はまた──誰も守れなかった……」

やがて、陽が昇る。

優斗は、どこに向けるでもない怒りと悔しさを、大志のUSPと共に
握りしめたまま、ゆっくりと波止場の先まで歩いて行った。

そして──

「うあああああああああああああああああ!!」

海に向かってUSPが空になるまで撃ち続けた。

海面が眩しいくらいに朝日を反射する。
優斗は一人、涙を拭くこともせず波間を見つめていた。

──

事件から約2週間後──

優斗は一人、フレンチのフルコースを堪能していた。
店内にはMiles Davisの《Kind of Blue》が流れる。

・アミューズ・ブーシュは黒トリュフの香る
カリフラワーのムース

・前菜に鴨のフォアグラのテリーヌ
赤い果実のコンフィチュール添え

・魚料理はオマール海老のポシェ
軽い赤ワインソースと根菜のピュレ

・メインの肉料理は牛フィレ肉の
ロッシーニ風・フォアグラとトリュフ添え

・ チーズに熟成コンテとシェーブルの盛り合わせ
ドライフィグとナッツ添え

デザートと食後の飲み物はキャンセルした。

店内のBGMがBill Evansの《Trio 64》に変わる頃──
テーブルにはラ・ターシュとグラスが2つ。
残しておいたチーズとナッツをつまみに、ゆっくりと味わう。

ラ・ターシュを堪能しつつ──

優斗はもうひとつ、空いているグラスを満たしていく。

一通り堪能し終わり、ソムリエに感謝を伝えたあと、
メートル・ドテルを呼ぶ。

「ありがとうございます。
ぜひ次回もお待ちしております」

「こちらこそ、ありがとう。いい夜でした」

カードを挟み、伝票を渡した。

「お客様、申し訳ございません。
カードでお支払いですと現金は──」

こっそり伝票に挟んだ1万円札2枚に気付いた
メートル・ドテルを制し、
優斗は人差し指を自分の唇にあて、ウインクをする。

「失礼しました。それではこれでお願いします」

カードを挟んだ伝票を改めて渡しつつ、
優斗は縦折りにした1万円札2枚を
メートル・ドテルの胸ポケットに、そっと滑り込ませた。

「ありがとうございます。
少々お待ちくださいませ」

恭しく礼をしたあと、メートル・ドテルは奥へと踵を返した。

テーブルの上には優斗が飲み干したグラスと──

グラス一杯に注がれたラ・ターシュが
小刻みにゆらゆらと揺れながら、灯りを映し出していた。

──

外へ出た優斗はタバコに火を点け、ひとりぼやいた。

「お前のせいで1万多く払うはめになったぞ……
これで借りは返したからな」

タバコをゆっくりと2口ほど吸うと、足元で消した。

「美味かったな。ラ・ターシュだったけど……勘弁しろ」

優斗は人工的な明かりにかき消されて、
星の輝きが失われた夜空を見上げた。

「まだ俺はこっちに残るけど……
俺がそっちに行った時は1杯奢れよな」

優斗はスーツを翻し、軽やかに夜の雑踏の中に紛れていった。

──完──